https://jisin.jp/domestic/1623599/ 女性自身
「美智子さまと母との手紙のやりとりは数百通にもおよびます。母が亡くなった後は、私が代わってお答えしたこともありましたね。今それらを読み返しているのですが、美智子さまのお言葉からは、日本国民のために健康であり続けなければならないという、とても強い“使命感”が伝わってきます」
第六次訪台では国母がお世話になった荘シュクキ先生御弔問を台湾窓口亜東関係協会の協力で執り行った。
子守歌協会 西舘好子さん 台南
緑青園は一般財団法人国際平和協会と連携のもと、台湾政府・弘前市・平川市の後援で⒉年連続の訪台研修を実現した。そこで⒉回の訪台振り返る座談会が2014年11月、青森県平川市の緑青園さくら館大会議室で行われた。その座談会の模様を報告したい。
(参加者は財団主任研究員・寶田時雄、成田キミヱ理事長、成田和博園長、須藤次長、古川所長、成田所長、葛西恵美子、工藤恵子)
http://ryokufu.or.jp/ 青森県 特別養護老人施設 緑青園
≪問題の提起と期待≫
寶田 今回の視察研修を経て何かできること、してみたいこと学んでみたいなど問題意識が生まれたのではないか? 夢みたいな話でもよいので施設見学を見ての感じた意見を聞いてみたい。今まで皆さんが施設の職員として働いた中でも法的な枠の中で実態に合わない事や自分なりにしたい事が必ずあると思う。
台湾の施設を見て皆さんで意見を出し合うことが施設運営について潤いのあるものができると思う。経営者側と一緒に変化させて、若い職員にも影響を与えることが出来るように意見交換したい。昨年と今年同じ体験や施設見学をして、共通して私ならこんなことをしてさしあげたい、こんなことが皆さんとなら出来そうだなと思う事を聞きたい。
成田キミヱ 台湾の高齢者は日本語が話せる方が多かったのに驚いた。「自分は日本の教育を受けた」ことを誇りに思っている。日本を懐かしく思って、祖国のように思っている。出来るのであれば台湾の高齢者施設に住んでいる老人と日本の老人が対面して話ができる場面を作って差し上げたい。そうすればお互いに頑張れるのではないかと思う。
寶田 対面交流の機会を自分でつくってさしあげたいとゆう事ですかね。誰かにやってもらうのではなく、何か自分の気持ちも提供したい。そうゆう方向性で話すと自主性がでてくるね。
工藤 訪問した先々で歓迎を受け、おもてなしの心が伝わった。職員や利用者と交流、情報交換の場をつくりたい。
台北少年観護所(日本の鑑別所)
葛西 高齢者施設の設備が整っていた。シアタールームや趣味活動、レクリエーション等の部屋数も多かったので専門の教室があればよいと思った。生きることに一生懸命で、高齢でも奉仕の心を忘れずにボランティアを行っており、自分も将来実践したいとおもった。少人数の認知症の方を何カ所かで介護できる環境も参考にしたいと思った。
成田 昨年と今年同じ場所に視察に行けたので話題にしやすいのがメリットである。高齢者住宅は思ったより現代的で、日本語を話す方が多いことを知りびっくりした。日本と台湾の過去の歴史を含み、言葉だけでなく漢字も理解している様なので、施設入所者の方たちやデイサービスの利用者の文通等で交流を図ることができると思う。
これから施設を担う職員が参加交流することで、感動を得て心が豊かになり、日本にはない雑踏の音にも生きる力を感じることができると思う。これからも益々交流を深める機会があればよい。
古川 日本人は良き日本の心を忘れていることを台湾で学び気が付き、改めて日本の心を思い起こす機会となった。交流を図るために訪問することで、ケアの内容は違うと思うが、若いスタッフが多くなり、介護の技術だけでなく職員同士心のふれ合いとか基本的な考え方、高齢者に対する尊厳に気が付くではないか。若者も異国に行く事で、考えた方や捉え方、高齢者に対する尊厳等に気が付くのではないかと思う。プライバシーに配慮が必要と感じた
須藤 老人ホームに入った時、南国ということもあり、おばあさんが割と原色のものを着てマニュキュアもしていた。南国の気風で北国の我々とは違うなと感じた。建物は古びていたが、その国々の状況で住む人が良ければよいと思う。小学校で隣に来た子供が、二カ月前に父親の転勤できた子であったが、中国語も日本語も話しており子供の柔軟性には驚いた。老後は一カ月くらいでも台湾で過ごすことも悪くはない。
台北看守所(刑務所)
寶田 2年続けて訪問することで変化が見えてきた。園長がびっくりしていたが、経営者の立場で感じることは、日本とは違い管理が厳しくないこと。それが自発性を生んでいること。老人施設では自由度の為かボランティアの参加とそれぞれ自己制御しており、職員がいなくても一緒にレクリエーションしている。もちろん手段としては昔を懐かしむものや、自分の家で過ごしている雰囲気を持たせたりと、さまざまである。
管理の考え方が、日本と違い法的にあまり縛られておらず、自由度が自発性を生んでいる。入所者や子供たちも何処かで遠くから眺める管理の仕方が、自発性を生む。自発性を生まないと高齢者ケアも教育も上手くいかない。「もう駄目なんだ」からもう一つランクアップする、「回復する気持ち」になることが大事である。
日本では行政も「あれこれ」と制限があり、経営者も職員も大変です。37名の職員に、40数名のボランティアが自己制御し、管理しているのであり、職員がボランテイァを管理していない。自主性を持つ社会や国であることは面白い。 言いたいことを言って、やりたいこともやる自己制御を見ながら、調和をはかっている。
子供たちも幅広い教育ができるし、年寄りたちも「ちょっとあいつはおかしい」と言いながらも一緒に遊んでいる。あの姿は社会のどんな場面においても社会の一番良い姿であると思う。連続で訪問し、行って帰って来てからそれが分かった。最初は驚きと感動、二度行って園長の話を聞き「そんな見方もあったのか」と感じていた。
台北
≪何ができるのか・・・・≫
寶田 「個人的に私に時間があって施設に行ったら・・・」、皆さん「あの施設でボランティアしたら何がしたい?何ができると思いますか?」
古川 日本式のケア(入浴等)の実践。台湾では風呂はなく、シャワーとトイレだけで殺風景。
寶田 風呂につかる習慣がないようだ……。学校でもあんないい子たちばかりなら、あの小学校の校長になりたい。
成田 管理もそうだが、利用者から当時の日本教育のこと、歴史を本で読むのではなく、生で直接聞きたい。
寶田 年配者は本当に聞いてくれる人がいたら、口の乾くのも忘れて話してくれる。身内でさえ自分の人生を聞いてくれる人はいないから。一時期あそこの施設で落語を話そうかとか、唱歌を歌おうかと思ったことがある。異国だから難しいことがあるのかもしれないが、「できる、できない」ともかく、そんなことは考えた。
毎時限ごと手洗いの習慣 台北中山小学校
須藤 台湾の親子関係はどうなっているか? たとえば、親を敬うとかについてはどうなんだろうか?
寶田 僕の以前の体験だけど台湾が日本的だとすれば我々の考えているところに近いが、子供が悪いことをしたときに、「私でなくこの子がやった」と母親がはっきり言うが、日本は「すみませんい、うちの子が」と言う。いじめられたら日本はどうしたの、誰にいじめられた? いじめは何処にでもある、だとしたら台湾は言う人が悪いのではなく、「君は負けないよう強い子になりなさい」と育てる。我々でさえ、何か強く言われたらいじめられたと思うことがある。いじめられたら、些細な事でもお母さんが先生に言うのは日本くらいであり、そこが違うところです。学校でもお母さんがボランティアとして誰か毎日来ている。安心班も教えるのは勉強だけではない。
※「安親班」民間の下校後の学童と塾を兼ねた施設で、送り迎えまで行い、食事も提供している
たとえば犬は散歩で、リードを伸ばし、野原を走り回ると好きなように走る。犬らしい貌になる。そういう世界観が我々と違うところがある。台湾の子供達は、勉強が出来るのは親のおかげであり、社会のおかげ国のおかげと思っている。日本人はわからないのか、忘れたのか? 今回は子供から教えられたんですよね。アメリカや中華人民共和国と同じ考え方で、人のことをかまっていられないというところもあり、人情もべたべたしていない。
https://plaza.rakuten.co.jp/chargarden/diary/201311270000/ 安心班 関連ブログより転載
その中で、高齢者施設は明治・大正の教育を受けており、厳しかったが、言葉の使い方、しぐさ、態度が違う。明治のころはみな貧しかが、自由であったが、共感する関係があった。生活感、親子、兄弟、友達等の関係がしっかりしており自立していた。だから今回も、ただ長生きしているのではなく、管理を緩めても自主的に動いており、楽しそうな姿を見せてもらった。
日本は法律や制度のもとの運用だから管理が厳しいが、せっかく台湾に行ってきたのだから、この施設で何か出来ることはないか?
外交部次官表敬
≪職場をかえりみて・・・≫
成田 現在の営業会議は、報告、伝える管理体制の中での会議となっている。もっと自由な発想で意見を言える会議が必要。会議の在り方をもう少し変えたい。
寶田 今までなぜ気がつかなかったか?
成田 自分の意思を伝えることが使命、言ったことを実践することが義務だと思っていた。管理体制は良いことだが、成長しない、何か新しい事業の際に発想が出てこないし、それだけでは法律の中だけでしか動けない。出来ないことは市役所に訴えることしかできず、進歩がない。社会福祉法人として何かやらなければならない。
寶田
その考えは大事にしなければならない。役所の予算は乗数効果を考えるが、後藤新平は人を観て、育ててその人が資材や人材を有効的に活用することで数字に現れない大きな効果が生まれる超数的効果。基本的には人間が大事、こういう考え方が緑青園の職員にも必要だと思う。満州鉄道が発展し、東京の市長もやって、歴史的に言うと弘前市の初代市長のお弟子さんである。人間が特徴を自分で発揮して、人々にサービスをする、それをやっていかないと何事も活きていかない。せっかくのものが、有効的に使えないと言っている。
園長が、今回何故そういうことをわかって、今まで分からなかったかを吐露した。人間は地位があると恥ずかしいことは言えない。それが言える事は自分に自信がついたことだ。
素直に自分が問題意識を持って昔はこうだったが、今はこうだとの流れを共有することで、自分が同じ立場であれば直さなければと思う。創成期は独裁で良いが、継続になるとそういう考えがなければ皆がやる気を失くしてしまう。しかし、皆が責任を共有し、集団を使える事は何処でも教育してくれない。ひとつ声をかけることにも、人情が入ってくると厚みが出てくる。自分たちも変わらなければと思ってくれる。いかに信頼関係を作ることが難しいかと、逆にこんな簡単な事ができなかったのかと思うことがある。変化はなぜ起きたか?
成田 朝礼で介護の基本ということで人生の先輩を敬いなさいと話している。しかし、認知症の利用者で何も分からなくなっている人を尊敬できないと思った。「歴史を知らない、過去を知らないと未来はない。」と先生に言われたことが有る。ただ尊敬しなさいと言うだけでなく、その方の人生を知ることで尊敬の気持ちが違ってくると思う。
生徒主催の朝礼
寶田 今回皆が共有していることは、外国を訪問したことで、見る、聞くことには耳がダンボ(興味を以て聞く耳をもつ)になって、一生懸命になったことで興味や緊張感が全然違ってくる。機会の体験と言い、異国という全然違った機会と場面を与えることで、違った興味も湧いている。
成田 ホテルや買い物でも、こちらからも丁寧に伝えて、きちんと聞いて説明を受ける。
寶田 日本に慣れてしまっている。我々は日本の良さが分かっていない。若い人たちにも良い勉強になる。
皇室記者 松崎俊彌氏
≪土台と幹と枝に分けて整理した発言のまとめ≫
工藤 これまでの議論を一度まとめたい。
一、八〇歳以上の方が日本語を話す。日本の国を祖国のように思っている。日本語教育を受けた人たちだから、日本の国に親しみを持ち、誇りに思っていると同時になつかしみを持っている。
台湾と日本の利用者が対面して会話できる機会を持ちたい。対面交流の機会を作りたい。
二、何処に行っても、歓迎して頂いた。建物的にも思った以上に施設の設備が整いシアタールームや少人数での作業所がある。 少人数での介護できる場があればよい。奉仕の心が伝わってきた。認知症の方が多かったが、それぞれ思いやりを持って生活していた。
三、思ったより、想像していたより良かった。日本とは違う音があった。
片言の日本語を話していたが、漢字でも意思疎通できるのではないか?
日本人が、日本の心を忘れていることに気づかされ、改めて日本を見直す機会が持てた。若い人たちが日本で生活しているが、明治・大正時代の日本の心を実際に視察に参加し、利用者の方の尊厳に気づく事が出来ると思う。建物はふるびており、住む人が良ければよいがプライバシーの配慮がなかった。若い人たちにも、継続した交流の機会を与える。
四、管理が厳しくないため、自発性が出ている。
ボランティアの参加が多く自己管理ができて、老人、子供たちが自発的な行動がある。遠くから眺める管理も必要。
原色のものを自由に着ている。老後は南国で暮らしてもよいか。
五、 明治のころは貧乏であったが自由があり、その時代の教育で育った方たちは自立できている。それぞれ自分のことが自己管理ができている。 色々なボランティアも自由に参加できており、高齢者の方の自発的な案内や、パンフレット作りに驚きと感激した。。
台北
須藤 施設で生活している方は余裕がある方達ではないか?
寶田 それだけでなく、いろんな人が混在して二〇〇名が暮らしている。
寝たきりの方が住む施設等三カ所を経営している。
昨年視察の子供たちの施設は貧困が起こしている犯罪によるもので、食事もひどかった。
須藤 あまり良い食事は提供できない、それをあてにする子があるためか。
寶田 弘前、津軽近隣で貧困と非行について調べている。子供の非行は地域にも古い町なので貧困の地域がある。或る年の所得を調べると、年間150万円以下の収入が80%、次に80万円以下、50万円以下の方もいる。貧困と人格は別であり、生活保護の需給できる方が社会の世話にならずにいる人が相当いる。終戦直後の貧困と同じであり、高齢者の身寄りのない方が増えている。
その問題は政治しか解決できないが、行政や議員さんたちがキャッチ出来ていない。政治も行政も問題意識も薄い。組織体の問題ではなく個々の感性と問題意識が市民のニーズも多岐にわたっているためか、散漫になっている。犯罪を起こした人が悪いとの判断。台湾も同じで、網に引っかからない人たちがある。共通して取り組まなければならない問題である。
施設を利用できている人たちはまだよい。又、自殺・事故死や、不審死が多くなっている。都内の区部では年間200人くらいいる。きっと青森でも関わりを持てない、生活保護で高齢者等そんな人たちがいる。法律から捨てられた棄民と呼ばれる人たちも出てくることもあるでしょう。世の中が連帯を失くしている。見えない、見てはいけない、見させないような世界がまだある。そこに照らし見て、自覚しないと仕事は成り立たない。
今回はお年寄りや子供と、経済的に非生産的な人たちの施設を訪問した。
子供を見ればその国の将来がわかる。年寄を見れば過去の歴史がわかる。子供と年寄りを見れば社会のバロメーターがわかる。どれくらいこの社会はケアできる社会なのか?それが本当の国力であり情緒の大切な所だ。
経済や軍事力だけの数値を見ても国は見えない。
台湾の高齢者に興味を持ったきっかけは、革命家の奥さんが20年位前に施設は時間の自由もない軍隊のようであると家政婦さんと暮らしていた。現在はお年寄りのニーズや希望に行政が合わせている。予算がないため、徐々に行政は手離れしてくる。規制を払うのでどうにか自分でやってくれということになっている。
園長 社会福祉法人はすでに求められている。
寶田 今まで気付かなかったことに気付き、変わることが必要ですね。
以上、ありがとうございました。
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