まほろばの泉

亜細亜人、孫景文の交遊録にある酔譚、清談、独語、粋話など、人の吐息が感じられる無名でかつ有力な残像集です

内憂外患とはいうが、先ずは「内患官倒」であろう   8 12 再

2024-06-05 06:12:10 | Weblog

前号では天安門の命がけのスローガンは民主化とそれを遮る官吏の「官倒」であった


「田園まさに荒れなんとする・・」と陶淵明は都を落ちた。
逸話では上級役人が視察に来るので正装して待つようにと下級官吏に命じられた折、陶淵明は気骨をもって憤慨している。言うに「食い扶持のために田舎役人に頭を下げるのはごめんだ・・」と、反発して郷里に戻っている。

その気風は自然詩情あふれ、今どきの定年待ちの年金田舎暮らしとは心根に天地の差があるが、反骨によくある誹りは免れない。かといって、゛いいんじゃん゛゛俺はオレ゛のいい加減さは無い。

詩情に流れるものは「経世済民」であり、あくまで民を済(救う)ことを目標としている。そのために縦割り官吏の似非権力に反抗したのである。その気高き孤高の精神は浮俗のに漂う多くの欲人を儘ならぬ形で誘引をもしている。

喩えだが、碩学安岡正篤氏にも周囲にその環境が少なからずあった。つまり拙速学歴を補うべく集う官吏、商売人、売文知識人の類である。

今どきの官僚の官官接待や民間業者の取り巻きに嬉々としている拙速学位に応じた者とは根本的に異なる矜持がみてとれる。ことさら隠遁のような精神を持つべきだとは言えないが、地位、名誉、財利に恬淡な人間への憧れが香りとなって時を違えても感嘆すべき詩情と、それを支える気概である。

隣国の官吏は科挙という難解な登用試験を経たものの特権階級である。つまり宮中に仕えるに生殖器を切除して宦官となり、その権限、賄賂については拙章「昇官発財」に詳しく記しているが、地方官吏についても、どの様に真面目な官吏でも三年務めれば黄金が貯まるという。まるで現在の外交官のように給与はまるまる預金、家も建ち、膨大な手当てと退職金、厚遇された年金と大臣など足元にも及ばない生涯所得を税から受けている。

そこに陶淵明のような気骨と問題意識を持っている官吏がいるだろうか。




                



あの日中友好交渉の折、田中総理は毛沢東主席から「もう喧嘩は終わりましたか・・」と慇懃に手渡されたのは屈原が載っている「楚辞」である。
『どうぞお読みください』ということである。





                

5月5日は端午の節句 屈原が世をはかなんで入水した日だ。

その屈原だが端午の節句の主人公である。ベキラに入水自殺した屈原が身体を魚に毀損されないようにと姉が竹筒にもち米を入れて川に投げ入れたことから粽(チマキ)習慣となったものだが、それくらい愛敬された官位ある人物である。
゛溺れたものには石を投げる゛゛墓を暴く゛という民が、と考えがちだが人情と誠には民族を問わず正当な評価を下す民族の佳き一面でもある。

なぜ投身したのか。

川の淵をさまよっている屈原にある漁夫が尋ねた。

『どうしてこの様な処に・・・』

屈原は応えていう。
『世の中全てが濁っている。己独りが澄んでいる。多くの人々が堕した世に酔っているなか、自分は醒めている。それゆえ遠ざけられた・・・』

『賢い人は世に逆らわず、拘らず、流れに乗って生きる。なぜ彼方も一緒に泥をかき混ぜ、波を立てないのでしょうか。人が酔っていれば少しくらい酔ってもいいでしょう。どうして深く悩み孤高に甘んじているのでしょうか』


屈原は諺を引いて応えた
『どうして清らかな精神を持つ身に汚らわしいものが受け入れられるのでしょう。いっそのこと、この湖水に身を投げて魚の餌になろうとも、この清い身を世俗の塵にまみれさせたくはない』

漁夫はこう言って立ち去った
『水が澄んだら冠の紐を洗えばいい、水が濁ったら足を洗えばいい』



               

    満州での邦人家族 佐藤慎一郎氏




肩の力を抜いて、切り口の違うところから観れば、そう悲観することは無いと漁夫は言うのだろう。では何故、毛沢東主席は田中総理に「楚辞」を送ったのだろうか。どこにも貼りつく膏薬論にもなるが、人によっては好転したり暗転する。

゛あまり四角四面の難しい外務官吏の言うことを聞いていてはできるものも出来ない。文字遊びは止めて大同に就こう・・゛

゛その内、狡猾な官吏に足元をすくわれないように・・゛

「智は大偽を生ず」
概ね知識は己を守るため、己さえ偽り、大義を唱えて利を貪るようになる。
それゆえ官吏、知識人は「臭九老」と毛は蔑んでいた。そして官吏は自然にそのようになって群れを構成し社会を蝕むといっている。

つまるところ「公」と「私」の間の問題である。

陶淵明も屈原も人を救う公意を詩情に託して時代に訴えた。

此のところ嫉妬と怨嗟の当てどころとして官吏が浮上してきた。
彼等の立場は国民ではあるが、それこそ国際呼称ではタックスイーター(税金食い)である。夢を喰う獏ではない。拙速だが名目学歴を有し地方では高額所得者として位置を占めている。その不作為に民が塗炭の苦しみを味わっても業務上過失毀損という罪を有していない。巧妙にも俸給外の手当てを随時頂戴しても背任にならない。天下りという渡り喰いをしても罪はなし。政策にピントが外れても咎はない。
横領をしても卑猥な行為をしても、民法に無い内規の訓戒、戒告、注意という狡智規範で済む。

屈原でなくても、゛皆、濁る゛
その意識もなく、食い扶持、退職金、年金、を思い計って声は挙がらない。
わが国はその周辺を含めて二千万人余いるという。それらが掟、習慣に護られて佳き変革を遮っている。



              
満州馬賊の頭目 白老大人 1989.5


美辞麗句は大偽のようだ。あの満州崩壊の折、電話線まで切って居留民を残地させ、内地に逃げ帰った高級軍人、高級官吏の歴史は我が民族の恥辱として満蒙の地に語り継げられている。中には陛下の勅任官もいる。敵中、敵艦に散った成人前の若者(少年)の矜持を、孝であり、忠であると煽った、同じ日本人の軍人官吏の醜態である。

華人は独りで強く、集団は纏まらないという。翻って日本人は独りは無く、群れになると強いという。そこには群れの人情は無いということでもある。
また、徒に法を煩雑なものとして、彼等はそれを駆使して利を貪る。

華人には「人情は国法に勝る」という心根がある。

高知の某高校の修学旅行が上海で事故に遭い、多くの生徒が亡くなった。その一報を聞くと官吏は棺桶を送る準備をした。先ずは緊急医療ための医師を派遣すべきと、新潮の門脇記者は訴えた。棺おけを用意するが、粽を撒く人情も無く、そこには詩情などはない。

それが我国の官吏の性癖でもある。

我国には名目学歴もあり責任もある官の逃げた歴史は確かにある。



以下、元のフビライをして「真の男子」と言わさしめた宋の忠臣、文天祥の
【正気の歌】 参照

《我国でも吉田松陰、水戸学の藤田東湖、軍神広瀬武夫などに忠臣の鑑として読み継がれている》
   

【本文】

この宇宙には森羅万象の根本たる気があり、本来その場に応じてさまざまな形をとる。

それは地に下っては大河や高山となり、天に上っては太陽や星となる。

人の中にあっては、孟子の言うところの「浩然」と呼ばれ、見る見る広がって大空いっぱいに満ちる。

政治の大道が清く平らかなとき、それは穏やかで立派な朝廷となり、

時代が行き詰ると節々となって世に現れ、一つひとつ歴史に記される。

例えば、春秋斉にあっては崔杼の弑逆を記した太史の簡。春秋晋にあっては趙盾を指弾した董狐の筆。

秦にあっては始皇帝に投げつけられた張良の椎。漢にあっては19年間握り続けられた蘇武の節。

断たれようとしても屈しなかった厳顔の頭。皇帝を守ってその衣を染めた嵆紹の血。

食いしばり続けて砕け散った張巡の歯。切り取られても罵り続けた顔杲卿の舌。

ある時は遼東に隠れた管寧の帽子となって、その清い貞節は氷雪よりも厳しく、
ある時は諸葛亮の奉じた出師の表となり、鬼神もその壮烈さに涙を流す。

またある時は北伐に向かう祖逖の船の舵となって、その気概は胡を飲み、更にある時は賊の額を打つ段秀実の笏となり、裏切り者の青二才の頭は破れ裂けた。

この正気の満ち溢れるところ、厳しく永遠に存在し続ける。

それが天高く日と月を貫くとき、生死などどうして問題にできよう。

地を保つ綱は正気のおかげで立ち、天を支える柱も正気の力でそびえている。

君臣・親子・夫婦の関係も正気がその本命に係わっており、道義も正気がその根底となる。

ああ、私は天下災いのときに遭い、陛下の奴僕たるに努力が足りず、かの鍾儀のように衣冠を正したまま、駅伝の車で北の果てに送られてきた。

釜茹での刑も飴のように甘いことと、願ったものの叶えられず、日の入らぬ牢に鬼火がひっそりと燃え、春の中庭も空が暗く閉ざされる。

牛と名馬が飼い馬桶を共にし、鶏の巣で食事をしている鳳凰のような私。

ある朝湿気にあてられ、どぶに転がる痩せた屍になるだろう。

そう思いつつ2年も経った。病もおのずと避けてしまったのだ。

ああ!なんと言うことだ。このぬかるみが、私にとっての極楽になるとは。

何かうまい工夫をしたわけでもないのに、陰陽の変化も私を損なうことができないのだ。

何故かと振り返ってみれば、私の中に正気が煌々と光り輝いているからだ。

そして仰げば見える、浮かぶ雲の白さよ。

茫漠とした私の心の悲しみ、この青空のどこに果てがあるのだろうか。

賢人のいた時代はすでに遠い昔だが、その模範は太古から伝わる。

風吹く軒に書を広げて読めば、古人の道は私の顔を照らす。


フリー百科事典Wikipediaより参考

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