まほろばの泉

亜細亜人、孫景文の交遊録にある酔譚、清談、独語、粋話など、人の吐息が感じられる無名でかつ有力な残像集です

案山子文化と罠や囮の文化

2021-07-22 01:54:07 | Weblog

桂林



いまは益虫ともいわれるスズメも収穫期には害虫として黄金の穂から追い払われる。
その方法は音の出るもの、人を模した案山子、いまは風に揺られて光る銀色の片で田穂を囲っている。だが稲穂を狙う鳥獣さえも案山子には驚かなくなった。昔の田圃には野良着に手拭いでほっかぶりをしたカカシが必ず立っていた。「一本足の案山子・・・」と歌にもあった。

それは、いくらか喰われても鳥を除けるための鷹揚な知恵だった。鳥にしてみれば欺く狡知だろうが、゛ホドほどにろしろよ゛という共生の気持ちもあったし、何よりも殺傷を忌み嫌った郷の倣いだった。

毛沢東は躍進運動で全国のスズメの殲滅を命令した。余談だが力は鉄と全国の金物片なり仏像などの造物をあつめ簡易な溶鉱炉を郷村に作ってみな鋳型にした。その結果は悲惨だった。イナゴの大群に襲われ雀被害どころか収穫さえ乏しくなった。鋳物は不純物で使い物にもならず、しかも膨大な溶鉱炉燃料が必要だった

おなじアジアといっても、スズメを除けるのと殲滅は趣の異なる所業だ。
秦の商咉は「殺を以て殺を制す」と号令した。つまり殺人者を死刑にすれば殺人者はいなくなる、ということだ。

極端に走る号令も権力の誇示の姿だが、我国も信長は比叡山の焼き討ちがあった。それらは為政者の栄枯盛衰の盛りに向かう期か、それとも衰亡に向かう期に表れる状況なのか、あるいは単なる為政者の感情起伏なのか、いずれの民族を問わず変わりない歴史の姿である。

陸上は採取、狩猟、農耕と土地柄なりの文化がある。
狩猟は原野や山間に獲物をもとめるが、米国大草原はバッファローの乱獲、寒冷地では毛皮のために貴種動物が乱獲された。これらは自家消費ではなく商業捕獲である。
商業交易が少なかったときは自家消費のための狩りとして罠や囮(おとり)が使われた。

目の前に餌を置いて誘われてきた獲物を捕らえる猟である。
差し当たり便利(ソフト)をハードという器に入れて、宣伝に誘われ消費したり管理されたりする現代と思えばいい。物を作るならまだしも人工繁殖した生物を過剰に殺傷し、しかも冷たい倉庫に滞貨する。そして、旨いか、不味いかだ。

人間の消費行動がもし意図的な誘引だとしたら、まずは宣伝(プロパガンダ)から入る。その手法は商業マスコミを利用した覗き、脅し、嫉妬、または孤独回避の善意の協働(ボランティアなど)であるが、多くは架空世界を謳い、それを実世界の実態であるかのごとく刷り込まれる。

まずは考えることが、難しい、面倒くさいと考えるように、安易と便利を提供する。それは工夫が衰えることでもある。そのうち、そのツールや虚構なコンテンツが無くなると、その便利さを謳われ、流行ごとに慣れた人々は為すすべも無く新たな安住の囲いに容易に誘われ、その管理下に入る。

それは便利という擬似餌に惑わされ、かえって窮屈な囮に誘いこまれる魚群のようだ。まさに考えることと目的を亡失した盲流である。

それに抗するすべである、情緒性や免疫となる固有の智慧も文明化に仕込まれた、個性化を謳い、それを基とした恣意的な民主と自由によって連帯は崩壊し、人権、平等の唱えとは逆に、かえって競い争うようになった。

免疫が有効に機能していれば、謳い上げた自由や民主、平等、人権も素晴らしい社会を作り上げる為には有益な理念ではある。


しかし、思索と観照、あるいは棲み分けられた民族の道徳的自制を表す、畏敬の存在、あるいは精霊の存在を無意味なものとして、便利、有利のみを求め、しかもそれを合理と理解するように形成された人々は、誰も反対できないような美しく謳い上げた自由、平等、民主、人権、平和、の混合剤によって、かえって混沌として問題を露呈させでいる。

一方では遵守すべき理念として、もう一方では便利性や有利性を求める欲求として実情は複雑化し、解決のできない状況に陥っている。

自由な生活、求める欲望は、身の丈、つまり「分」を忘れた行動を促がしている。
ローン、クレジット、カード、消費者金融、借りたら返すまでは管理下の奴隷である
しかも、それを用いなければ生活ができないシステムに囲われる人たちが増えている。今は普通になったが商いの運転は当然の借金金融となった。
税、手数料、納付が遅れれば過大な金利、さまざまな負荷がある。


以下は梅里(徳川光圀、黄門)先生の碑文である。権力者が栄華を戒め、己に課す撰文の一章である

・・・・
声色飲食 其の美なるを好まず

第宅(ていたく)器物 其の奇(き)を要せず、

有れば即ち有るに随(したが)って楽胥しみ、

無ければ即(すなわ)ち 無きに任せて晏如(あんじょ)たり
・・・・

それにしても、国の財布も経済も罠や囮がはびこる流れに任せて晏如なのだろうか。

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