《銀座ライオンビヤホール》
下中邦彦氏との機縁と淡交友誼
松坂屋の新橋寄りにライオンビヤホールがある。
戦前からの古めかしい建物だが一階のビヤホールは天井も高く、照明は今ではアンティークになるドイツ製、正面のモザイクタイルで描かれた裸婦の壁面は戦時中、乳房が隠されてたというエピソードがあるくらいハイカラな内装である。
戦後の一時期は進駐軍に接収されバーベキューの燻りでホール全体が煤けているが、それも変遷の激しい銀座の路面店では珍しい歴史の名残として絶妙な雰囲気がある。
モザイク壁画を背にしてビヤカウンターがあるが、ウェートレスが忙しく運ぶビールの飛沫が掛かろうかという場所に常連席がある。
週末は入り口に列を作るほどの盛況さだが、その脇をすり抜けて常連席に着く人たちがいる。互いに氏性を聞くでもなし、ましてや出自や社会的地位、商いごとなど、かしこまって尋ねるものなどいない。
それでも三十年も通っていると何となく阿吽で分かるビール好きの仲間である。
曖昧だが常連会があって会長は毎日のように常連席に顔を出すのが通例である。
一時は四卓で二十人ぐらいが席を占め、それぞれのグラスが空くのを見計らって注文が飛び交うのが此処の飲み方だ。
ときには入り口から入ってくるのを見て注文し、席に着くときには用意されている。ルールではないが、そのときの注文者に向かってグラスを挙げ、相手のグラスの空け具合をタイミングよく見計らってお返しするのが暗黙の意になっている。
ときおり懐具合が乏しくても一時のゴチビールも許される世界で、景気の悪いときは小窓から覗いてゴチになれそうな仲間を探して入ってきたと、或る常連の話がある。
また、金のハナシとホールで知り合った女性は連れ出してはならない、との妙な建前風な不文律があるには有る。
易者、鳶頭、築地の魚屋と八百屋、株やに相場師、不動産屋、東大の医者、博打打ちの親分、新聞記者、写真家、花街の芸者、歌手、落語家、大企業のオーナー、挙げればきりがないが、ともかく毎晩一期一会の卓を囲んでいる。なかには入江侍従、卜部皇太后御用掛も席を選ばない飲み仲間である。
いつものような奇縁だったが、そのときだけは深い縁を意識せざるを得なかった。
「下中です」
痩身だが銀座が板についた老紳士だった。とっさに
「下中弥三郎さんを御存知ですが」
一瞬、眼を見開いたような気がした
「父です」
唖然とした。初対面の年配に向かって握手することもできず、眼の奥を観た。一瞬だがその紳士にも透視された感じがした。
何度か席を同じくする機会があった。それも週に二回ぐらいの縁を重ねた。
「今度、我が家で桜を観る会をするので幹事をしてくれないか」
以下 つづく