まほろばの泉

亜細亜人、孫景文の交遊録にある酔譚、清談、独語、粋話など、人の吐息が感じられる無名でかつ有力な残像集です

《或る法律家の節操》  ラダ・ビノード・パル 其の三

2023-11-09 14:25:36 | Weblog

パル・下中記念館の回想

神奈川県箱根町、国道のつづら坂に沿って見落としがちな小道が旧道に向かって入り込んでいる。端には壊れた外国のスポーツカーが朽ち錆びて棄てられている。鬱蒼とした径に歩を進めると急に視界が開ける。

広場のようになっているが、もとは芝生だったのだろう。周りには夫々異なった種目の建物が囲んでいる。右奥は低層のリゾートマンション風、左は二階建て研修道場風の建物があり、左手の小高く造成された石段を登ると拝堂がある。何かを鎮座するためのものだろうが、手入れの行き届かない周辺の様子ではある。それでも何かの意思を持って構成された建造配置であることが分かる。

振り返ると広場の入り口の左手に自然石で作られた碑がある。
和文とベンガル語によって記されている碑面は、雑草が蔽い風雨に晒され判別が難しい。

拝堂の裏手の奥まったところに開き格子のガラス戸の建物がある。玄関まで行くには左右からはみ出た雑草と樹木の覆った路を10m-ほど入る。雨上がりの雑草に裾を濡らしながらガラス戸から覗くと正面に背もたれの長い木製の椅子がこちらを向いている。
座は革張りだが、年季の入った油気のない皮肌のようにひび割れている。

訪れるものも少ないような施設だが、昨今の日本人にありがちな恩顧、懐古に対する感性のなさと情緒の欠落は、歴史からの問いと語りという慈雨を干し、民族の残像を無意味なものとして忌諱しているようだ。

それは、現実の有用の前提に存在するものへ心を向けるという、最低限の意識すら認知できなくなっている現状の表れとみた。

その古びた椅子は誰が座ったのだろうか。どのような意味と縁が何故此処にあるのか。
どうして寂れてしまったのか。静寂に包まれ茫洋に似た感情の続くなか沸々とした意識が昇ってきた。身に覆いかぶさるような不思議な感情だった。



【現在は出版記念堂が隣接しているため整備されているが、訪れる人は少ない。見学は前もってパル・下中記念財団へ連絡を】

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《或る法律家の節操》  ラダ・ビノード・パル 其の二

2023-11-09 01:09:56 | Weblog



『日本の寺は博物館のようだ』京都に訪れたときの感想である。

寺は人が集まる場所、という意味があるが、僧侶が観光ガイドとなり、拝観と称して入場料をとり、はたまた落語会、演奏会などイベント会場として用をなしている。寺とは僧侶の学習の場所であり、目的は民衆を救済することにある。
パル博士には寺院がそのように観えたのだろう。


インドの司法家ラダ・ビノード・パル
勝者が敗者を裁いた極東軍事裁判(東京裁判)の判事として、また唯一裁判の無効性を唱え独自の見解を残したパル判決文でも有名な人物である。
出身はインドの哲人、賢人を多く輩出したベンガル。

ここでは東京裁判や靖国問題など、言論思想界に登場するパル博士ではなく、ヒューマニティあふれるパル博士の人柄と日本人の交流を取り上げたい。

なぜなら、巷間パル博士の言動は戦争の惨禍の後にある責任論や歴史解釈の論拠として仮借されたり、外国人評価を迎合する知識人などによって取り上げられものとは異なるパル博士の姿があるからです。

偶然、筆者は博士と義兄弟と称された下中弥三郎氏の意を継ぐ縁があり、そこから垣間見たパル博士の姿と日本人観を、世俗の争論を離れ、下座観、世情の俯瞰視において真に「人間」を憂慮する方々への光明としてお知らせすることができればと、筆を執るものです。

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