A Challenge To Fate

私の好きな一風変わった音楽を中心に徒然に綴ったページです。地下文化好きな方は見てやって下さいm(_ _)m  

アルトー・ビーツ「即興ワークショップ」@荻窪ルースター 2012.6.16 (sat)

2012年06月18日 02時35分21秒 | 素晴らしき変態音楽


以前からお伝えしていた元ヘンリー・カウのメンバー3人を含む即興ロック・バンド、アルトー・ビーツの来日ツアーが6/8豊橋を皮切りに始まっている。メンバーはクリス・カトラー(ds)、ジョン・グリーヴス(b,p,vo)、ジェフ・レイ(fl,synth,vo)、ユミ・ハラ・コークウェエル(p,vo)の4人。ユミさんはイギリス在住、1990年代から現代音楽を中心に音楽活動を開始、2007年から即興演奏活動を本格的にスタート、デヴィッド・クロス、チャールズ・ヘイワード、ヒュー・ホッパー、坂田明、吉田達也、梅津和時などの大物アーティストと共演を重ねてきた。何度も来日し、コンサートと共に各地で即興ワークショップを開催している。2009年からジェフ・リーとデュオ演奏を始め、このデュオで日本ツアーもしている。同年8月ドイツの「アヴァンギャルド・フェスティバル」に出演した時、ピーター・ブレグヴァド・トリオで出演していたクリス・カトラーとジョン・グリーヴスと共に急遽ユニットを組み演奏したのがアルトー・ビーツの誕生だった。その時のユニット名はファウストのジャン-エルヴェ・ペロン命名の「Not Henry Cow」(!)だった。2011年「アルトー・ビーツ(The Artaud Bests)」としてノルウェーのNødutgang Festivalに出演、そして今回の来日ツアーで本格活動を始めた。

この日はユミさんによる即興ワークショップ&ライヴ。私が参加した経緯は「フルート特集」で書いた通り。前日になってフルートだけでは物足りなくなり、家中を探しまわって楽器や音の出るおもちゃをかき集めた。サックスのマウスピース、ブリットポップ・バンドのドッジーから貰ったタンバリン、オーストラリアの原住民アボリジニの木製の筒状の波の音がする楽器、おもちゃの鉄琴、中国土産のお経オルゴールなど。さらに会場へ向かう途中で100均でいくつかおもちゃを購入。

ルースターはブルース/ジャズ系のライヴハウス。30人くらいのキャパのそこそこの広さのお洒落な店。この日は「貸し切り」となっていた。会場ではワークショップ参加者が各自楽器を準備している。アルトー・ビーツのメンバーがうろうろしており「この人がクリス・カトラーか!」と昔からのアイドルというか神の姿に感激する。

楽器のセッティングが終わるとステージ前に参加者が半円形に椅子を並べてアルトー・ビーツの4人を囲む。参加者は全部で9人。以前灰野さんと石川浩二氏とのトリオでライヴをしたことのある臼井淳一氏(笙、vln)や佐藤允彦さんや広瀬淳二氏と共演する凄腕ベーシスト池上秀夫氏、ダモ鈴木さんとも共演予定がある女性ギタリスト吉本裕美子嬢といったベテランから、即興は初めてという若者まで音楽経験はまちまち。ベースが4人、フルートが2人というのが今回の来日メンバーらしくて面白い。

まずはアルトー・ビーツの模範演奏から。ユミさんのミニマルな旋律を重ねるピアノに表情豊かなクリスのドラムが歌い、ジェフはシンセを使ってフルートの音を変調させる。ジョンはベースは勿論ヴォーカルでも達者なところを見せる。初めて生で聴く神々の演奏に一同呆然。演奏後質疑応答があるが、即興演奏とは何かという問いにクリスが「演奏者は役者と同じで演奏場面毎に別の役を演じている。真似するんじゃなくて役になり切るんだ」と応えたのが印象的だった。彼はかなりの理論家で、灰野さん同様一言一言が金言である。
[8/1訂正:ユミさんから『これの質問は、クリスに向けて、「クリスさんとフレッド・フリスとの即興の録音を聴きなれているが、アルトー・ビーツの即興ではビートがある。演奏する上で意識の違いとかはあるんでしょうか」という池上さんのご質問でした。』との訂正をいただきました。]

その後全員で音出し。お互い遠慮して恐る恐るの演奏。私もフルート中心に少しおもちゃ類を鳴らす。だんだん30年前の感覚が戻ってきた。演奏→質疑応答/メンバーからのアドバイス→演奏の繰り返しで全部で4セッション。あっという間にワークショップの終了時間になる。本番のライヴはベース4人を割り振って4つの少人数セッション+全員のセッションという構成に決まった。昨年のオーケストラTOKYO-FUKUSHIMAは観客はいたけれど野外だし100人以上の大所帯だったので平気だったが、真っ当なライヴハウスで知らない観客を前に少人数のグループで演奏するのは17年ぶりである。チケットはSold Out、満席の観客。武者震いしてくる。

第1部はアルトー・ビーツだけの演奏。ユミさん、ジェフ、ジョンの3人のヴォーカル・パフォーマンスで始まり徐々に大きなうねりのある展開へ突入。ユミさんのヴォーカルは少しダグマー・クラウゼを思わせる。神3人の演奏は言わずもがなで凄過ぎ。ワークショップでは手抜きじゃないけどレベルを参加者に合わせていたことを実感。2曲目にスペシャル・グストとして梅津和時さんが参加。前日の所沢でのライヴで飛び入り参加し、クリスは梅津さんの家に泊まったとのこと。梅津さんを迎えての演奏はますます気合いが入り感動的。もうこれだけ観れば充分でしょ。お客さん帰ってくれないかな~なんて思ってしまう。



15分の休憩の後、ワークショップ参加者を交えての演奏。1セット目に即興が初めてという可愛い顔の青年がフルートで出演。これがなかなか上手い。アドリブ云々以前に音に現役ならではの芯のある力強さがある。それを観て「同じフルートじゃ敵わない」と作戦変更。そこへユミさんが手招きし「飛び道具は音量に気をつけてね」とのアドバイス。さていよいよ私の出番だ。こんなブログ書いてるくらいだから基本的に目立ちたがりなので人前で緊張することはないが、逆にハイになってやり過ぎてしまうのが悪い癖。しかもどうやってお客さん(および演奏者)を驚かせるか、なんてことを考えてしまう。昼間のワークショップでユミさんが「即興と言ってもあくまでグループのアンサンブルだからひとり目立とうとしないように」と言っていたことなど頭から完全に飛んでいた。フルートの代わりにサックスのマウスピースをくわえる。そしてマイクに近づけて思い切り「ピーーーーーーーッ!」と吹き鳴らす。30年前にいつもやっていた得意技(芸?)だ。ふと見るとユミさんが両耳を塞いでいる。ハッと我に帰り「ヤバい」とばかりマイクを遠ざけるが始めてしまったものは止められない。ピーピー吹き続けてクリスが乗って来るのを期待する。案の定激しいフィルインで絡んできた。このままオーヴァーハング・パーティ(阿部薫+豊住芳三郎)状態に突入だ!と思ったところで、ユミさんが大らかなヴォーカルで牽制する。ひとり突っ走る訳に行かないのでタンバリンや鉄琴、おもちゃのラッパとひよこ(これはイマイチ失敗)、お経オルゴールと楽器を取っ替え引っ替えついて行くが、個人的には最初の3分で既に終わっていた、というのが本当のところ(汗。何とか10分くらいで演奏が終わるが、私は終演のSEのつもりでiPodでノイズを垂れ流し続けた。一番前の席にこの来日情報を教えてくれたTAKE's Home Pageのタケダさんが座っていたので反応を伺っていたが笑っていたし楽しんでもらった様子。レイヴレポでも「面白かった」と感想をいただいた。

残り二組もそれぞれ個性的な演奏だったが、アルトー・ビーツのメンバーがどんな演奏にも動じずそれと分からないように音楽の方向をコントロールしているのが素晴らしい。最後は参加者全員に梅津さんと梅津さんのバンドの女性サックス奏者、多田葉子嬢を加え全員でセッション。「渋さ知らズみたいだな~」と客席から声が上がりウケる。図らずも梅津さんのすぐ隣で演奏することに。さっきの失敗を反省してフルートで勝負。「テクスチャーを大切に」というユミさんの指示通りに抑えめで演奏するが、盛り上がって来るとまたゾロ遊び心に火が付き、用意してきた最後の飛び道具のクラッカーを取り出して演奏者の方へ向けて「パーン」「パーン」と鳴らす。ユミさんがまたビックリして睨んでいる。ほどほどにして大セッション終了。



終演後はお客さんも参加しての懇親会。プログレ・マニアのお客さんばかりで、ヘンリー・カウやアート・ベアーズのアナログ盤を持参してサインを貰っているのが面白い。お店の人や他の出演者から「ジェイミー・ミューアのようだった」と言われいい気になっていたら、ユミさんから「言ったこと全然守らなかったじゃないの!」と大目玉を喰らいしばし凹むが、他のお客さんとのプログレ話や若い参加者を捕まえての昔話を楽しむ、ただの蘊蓄好きのおっさんと化してしまった。

灰野さんが高円寺で映画前夜祭ライヴをしていたのでスタッフにメールすると、打ち上げをやっているので来ませんか?との誘い。クリスに灰野さんに会いに行くのでメッセージはないか、と尋ねると自分のソロCDと簡単なメモ書きを託された。皆に別れを告げ高円寺に向かう。会場の高円寺HIGHでは灰野さんとスタッフが静かに盛り上がっていた。灰野さんにクリスのメッセージを渡す。奥のテーブルに亀川千代氏がいたので隣に座る。イベントは超満員で大盛況だったらしい。不失者の演奏に涙した、とデザイナーの北村氏。しかし、理由は分からないがそこはかとなく妙な気持ちがした。

お開きになり同じ中央線の亀川氏とスタッフのnorao氏達と下り電車に乗る。世間話をしている時ふと気が付いた。「もしかして今日の不失者って亀川さんとKiyasu君だったんですか?」と尋ね、「え~っ今まで気が付かなかったんですか?」と呆れられた。あらま~大ボケかましてしまった。道理でナスノさんも幾郎さんもいない筈。打ち上げで感じた不思議な気分はこれだったのだ。我ながらお間抜けでした。

出来の善し悪しはともかく神々と共演して、灰野さんにも挨拶できて充実した一日だった。翌日のBar Issheeではプレッシャーなしに神々=アルトー・ビーツの演奏を楽しむぞ!

神降臨
伝説の夜
更けて行く

「毎秒が伝説」である。from ザ・クロマニヨンズ「グリセリン・クイーン」


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異形人/直江実樹etc.@吉祥寺 Fourth Floor 2012.6.15 (fri)

2012年06月17日 02時06分29秒 | 素晴らしき変態音楽


「OTONOMI」というイベント。

Facebookに元Nordの伊藤まくさん主催の「JAPANOISE ジャパノイズ」というグループがあり、ノイズ・アーティスト/ファンの交流の場になっている。そのウォールの投稿で、異形人が吉祥寺でライヴをすることを知った。よく投稿/コメントなさる直江実樹氏も出演するので、地元でもあるし一度挨拶をと思って行くことにした。

異形人のギターのにら氏はドローン・ノイズ・バンド、ゴイゾンで昨年6月に、舞踏のRenka嬢は鳥を見たのナカオチサト氏等とのバンド、死の棘で昨年10月にそれぞれ観ているが、異形人としてのデュオ・パフォーマンスを観るのは2010年12月末のヘアスタ等との江古田フライングティーポットでのイベント以来だから1年半ぶりになる。Fourth Floorは2006年1月に灰野さん、故・金子寿徳さんを観て以来だから何と6年5ヶ月ぶりである。同じビルに入っていたレコード店Warszawaは下北沢へ移転したが、その系列のライヴスペースは吉祥寺に残った。普段はDJイベント中心に営業しているらしい。

この日のイベントは余り宣伝されておらずお客さんは少ない。ほとんど出演者の知り合いで、JAPANOISEグループで名前を知っている方にも会った。私も昔バンドをやっていたから、各地のライヴハウスで夜な夜な行われているライヴの大半がこうした身内中心のイベントなのが実情であることは理解している。

1番目は滝口敦士氏のギターソロ。当初はデュオでノイズをやる予定だったが相方の欠席によりギターソロになったとのこと。正直言って公開練習のようなとりとめのない演奏に眠気が襲う。



2番目はオカムラアキノリ氏のやはりギターソロ。こちらはかなり流れを作り込んでいて、ディレイやサンプラーを多用して反復するサウンドはマニュエル・ゲッチングを彷彿させなかなかいい感じ。



3番目は直江実樹氏。1976年SONY製の短波ラジオを使ってラジオ放送とエフェクター・ノイズによる演奏。当時中学生でBCL(短波放送受信)に凝っていた私が憧れていたラジオである。1980年代日本に滞在していたジョン・ダンカン氏がよくライヴで使っていたのを思い出す。この日は短波の受信状態が良かったと直江氏。東京には他にも短波ラジオ奏者がおり、近々短波ラジオ6人の共演を予定しているという。



最後が異形人。真っ暗な中にRenka嬢の姿が浮かび上がる。にら氏の音響系アンビエントと呼ぶには余りに表情豊かなギターの即興とドロドロした情念を昇華したRenka嬢の舞踏はこのふたりならではの個性的な世界を形成する。時にスローモーションのようにゆっくりと、時に嵐のように激しく、柔らかい肉体をフルに使ったRenka嬢の踊りはいわゆるジャンルとしての"Butoh"には収まりきれない現代的な感覚がある。にら氏とのコンビネーションが絶妙。それぞれ他にプロジェクトを持っているふたりだが、やはり異形人としてのデュオが一番しっくり来る。最後はたわわな胸を露にして踊るRenka嬢は神々しく光り輝いていた。



名は体を
表すという
異形人

異能と異形、似ているようでちと違う。

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歌謡GS~USロック~フュージョンと旅した日本の女性ロッカーの草分け、麻生レミ

2012年06月15日 00時40分09秒 | ガールズ・アーティストの華麗な世界


麻生レミ姐さんの名前を初めて知ったのは1970年代後半の中学時代、音楽雑誌のレコード・レビューだったと思う。その頃はとにかく情報に飢えていて音楽誌を買うと隅から隅まで貪るように読んだものだった。だから音は聴いたことは無くともアーティストの名前だけは記憶に焼き付いている。レミ姐さんの記事の内容はほとんど覚えていないが、カルメン・マキと並ぶ伝説の女性ロッカーだというイメージだけが残っている。

1980年代半ばファントム・ギフトやザ・コレクターズなどのネオGSブームの勃興で60年代のグループサウンズが注目された。1986年にGS研究の第一人者、故・黒沢進氏の手になる「熱狂! GS図鑑」が出版され、タイガース、ブルー・コメッツ、テンプターズ、ワイルド・ワンズ、ゴールデン・カップス等の有名GS以外に無数の”B級GS”が存在したことが明らかにされ、GSを単なる懐メロではなく、”日本のロックの創世紀””GS=Garage Sounds”と捉える流れが生まれた。各レコード会社がB級GSを含むコンピレーションLP/カセットを発売し、そのカッコよさに痺れたものである。その中に内田裕也とザ・フラワーズの紹介もあった。そこに麻生レミ姐さんの名前を見つけた時は「あのレミさんがGSを?」と少なからず驚いた。知り合いに貰ったB級GSのコンピ・カセットにフラワーズの「ラスト・チャンス」が入っていた。GSは基本的に男性バンドがほとんどである。女性歌手の場合は”ひとりGS”と呼ばれ、大御所の美空ひばりをはじめ木の実ナナ、黛ジュン、朱里エイコ、吉永小百合などピンの歌手がGS風の曲を、時にGSバンドをバックに歌うのが主流だった。カセットに収録された男の歌ばかりの中で唯一女性ヴォーカルを聴かせるフラワーズの「ラスト・チャンス」は確かに演歌っぽいが妙に人懐っこいメロディのサイケ歌謡の名曲だと思う。

フラワーズの唯一のアルバム「チェンジ!」がCD化され、麻生レミ姐さんの歌がたっぷり聴けた時はホントに感動した。メンバーのオールヌードの印象的なジャケットに包まれ、ジャニス・ジョプリン、ジェファーソン・エアプレイン、クリーム、ジミヘンなどカヴァーばかりだが、小林勝彦氏の常軌を逸したサイケなスチール・ギターと”和製ジャニス”=麻生レミ姐さんの歌が光る、GSの中でもカップスの初期3枚やモップスの1st、ビーバーズと並ぶ日本サイケの名盤である。

その後1970年にカップス、モップス、ハプニングス・フォーと共演したライヴ盤「ロックンロール・ジャム’70」でジョー山中氏(元フォー・ナイン・エース/ジョー・アキラの名で参加)、石間秀樹氏(元ビーバーズ)を迎えてのジャニスやツッペリンのカヴァーや、「チェンジ!」の前に参加した一柳慧「オペラ横尾忠則を唄う」でのサイケ度満点のインスト演奏を聴き、後にフラワー・トラヴェリン・バンドへ発展する日本のロックのルーツたる所以を確信したが、フラワーズを脱退し渡米した後のレミ姐さんの音源は聴くことが出来ず、常に頭の片隅にわだかまっていた。

そのレミ姐さんの1970年代のソロ・アルバム2作がひっそりと紙ジャケCD化された。1976年のソロ・デビュー作「オウン・ラインズ」は元スパイダーズ~PYGのギタリスト井上堯之氏率いるウォーター・バンドがバックを務め、アイク&ティナ・ターナーやエタ・ジェームスのカヴァーを含むアメリカの匂いの濃厚なアルバムで、ジャニスが後期に目指した王道アメリカン・ブルース・ロックを継承するレミ姐さんの歌唱が素晴らしい。白い靴のジャケットが薄っすらと記憶にある1978年の2nd「ザ・ビギニング」はアメリカのミュージシャンをバックに当時流行っていたフュージョン・サウンドを大胆に取り入れた作品で、ジャニスを期待すると肩透かしを喰らうが、時代がかったスカしたダンス・ビートも姐さんが歌うとアシッド・サイケに聴こえてしまう。ギターはスピード・グルー&シンキの陳信輝氏!

ネットで調べて、レミ姐さんが1971年雷雨の後楽園球場で行われたグランド・ファンク・レイルロードの伝説の来日公演のオープニング・アクトを務めたことを知った。彼女のバンドWYNDのメンバーが入国できず、急遽PYGから井上堯之氏(g)、大野克夫氏(key)と、元サムライの山内テツ氏(b)、原田裕臣氏(ds)からなるスーパー・バンドがバックを固めたという。正に伝説の女性ロッカー!当時PYGとのジョイント・ライヴも行っているらしい。その頃の録音が発掘されたら最高だな~。でもまずはオフィシャルのソロ・アルバムが復刻されたことをロックの神様に感謝しなければなるまい。

▼サイケ歌謡の名曲「ラスト・チャンス」


▼フラワーズ唯一のアルバム「チェンジ!」からジャニスのカヴァー


▼映画で使われたフラワーズのサイケな演奏


▼Whirlwind of Love "恋のつむじ風" 1969 film produced by Nikkatsu.


▼「コント55号 世紀の大弱点」(東宝1968年度作品)より


▼内田裕也とザ・フラワーズ "1969ジャズ喫茶ライブ"


▼1971年アメリカでのライヴ音源
Remi "Lemi" Aso, Randy "Jimmie James" Bowles, Chuck Gregory, Tim McKelheer: Turtle Blues (live 1971)


レミ姐さん
今は何処で
何してる

昨日は最近の若手バンドを聴けと書いておきながら、今日は昭和ロックを紹介している私も分裂してるかも。
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狂おしきニューウェイヴの進化型~マキシモ・パーク「ザ・ナショナル・ヘルス」

2012年06月14日 00時54分21秒 | ロッケンロール万歳!


「ナショナル・ヘルス」と聞くとどうしてもデイヴ・スチュワート、フィル・ミラー、ビル・ブラッフォード等が在籍した1970年代英国のカンタベリー・ロック・バンドを思い出してしまうが、このニューカッスル出身の若手バンド、マキシモ・パークの4thアルバムのタイトルが「ザ・ナショナル・ヘルス」なのである。

2005年にエイフェックス・ツインを擁するテクノの老舗レーベル、ワープ・レコード初のギター・ロック・バンドとしてデビューし話題となった5人組。初期XTCやジョイ・ディヴィジョン、ひいてはブリットポップからの影響を感じさせる英国らしい捻くれたポップ・サウンドが人気を博し、デビュー・アルバム「ア・サートゥン・トリガー」は全英15位のヒットになり同年のマーキュリー・ミュージック・アワードにノミネート。2007年の2nd「アウア・アースリー・プレジャース」は全英2位、続く2009年の3rd「クイックン・ザ・ハート」で遂に全英No.1に輝きグラストンベリー・フェスティバルのキックオフ(幕開け)バンドに選ばれた。日本でも2005年、2009年の2度に亘ってフジロック・フェスティバルに参加。2007年にはサマーソニックのダンス・ステージの大トリを務めたほどの人気バンドである。

最近のUKロック・シーンに疎い私でも彼らの名前はいろんなところで見聞きしたし、YouTubeに上がっているPVもユーモアたっぷりで面白い。ワープ・レコードのテクノの牙城的イメージを瓦解させるドライヴ感溢れるギター・ロックを奏でる彼らのスタイルに80’sニューウェイヴの香りを嗅ぎ取って、フランツ・フェルディナンド、リバティーンズ、ブロック・パーティー、シザー・シスターズ、カイザー・チーフスなど”ポストパンク/ニュー・ウェイヴ・リバイバル”(英国では"Garage rock revival/Post-punk revival")と呼ばれる若手バンド群の中でも特にお気に入りだった。

そして今月初めにリリースされた3年ぶりの4thアルバム「ザ・ナショナル・ヘルス」を聴いて、狂おしく芳醇なメロディーの中から滲みだす進化を遂げたマキシモ・パークのエキスにさらなる希望の光を確信した次第。デビュー以来一貫してインディーであることに拘り続け、自らシーンを作り上げてきた彼らの自信に溢れたサウンドが天の祝福のように降り注ぐ秀作である。フロントマンのポール・スミス(ナイス・ネーミング!)は本作について「不景気のためか楽しく弾むような音楽が溢れている今、このアルバムは自分の人生に変化を与えるためのコントロールを取り戻すために、皆を後押しするような内容だ」「僕らの楽曲は多くの共感を得られるものだし、皆が求めているような不可欠な存在となることを期待している」と語っている。かつてのデーモン・アルバーンやギャラガー兄弟を思わせるビッグマウスぶりである。

▼「ザ・ナショナル・ヘルス」からの1st PV



▼2009年グラストンベリー・フェスティバルでのライヴ映像



当ブログの読者は恐らく私同様にアングラ系やベテラン(オヤジ?)系音楽に傾倒する方が多いと思われるが、このマキシモ・パークや先日レポしたTHE BAWDIESなど若手アーティストの動きにも興味を持っていただければ幸いである。彼らのオフィシャル・サイトで「ザ・ナショナル・ヘルス」の全曲ストリーミング試聴が出来るのでぜひ聴いてみていただきたい。

輝ける
80年代
取り戻せ

バンド名はキューバの首都ハバナに実在する歴史ある公園の名前に由来するという。この公園はドミニカ共和国出身のキューバの独立革命指導者マキシモ・ゴメスを称えたものである。そんな青臭い反骨精神が頼もしいじゃないか。
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割礼+工藤冬里@幡ヶ谷 forestlimit 2012.6.10 (sun)

2012年06月12日 00時45分36秒 | 素晴らしき変態音楽


割礼を観るのは1月の金子寿徳追悼イベント以来今年2回目になる。しかも工藤冬里さんと対バンではなく共演。ありそうでなかったこの組み合わせを見逃す訳にはいかない。冬里さんは前日9日に新宿シアターPOOにマヘル・シャラル・ハシュ・バズで出演したが、観に行った友人によると寸劇というか学芸会もどきの人を煙に巻くパフォーマンスに終始したらしい。LAFMSのリック・ポッツと共演した時は演奏前にリックが「Toriは何をし始めるか分からない」と半分不安がっていたらしいし、アングラ・ロック界随一の奇人変人といっていい。そんな冬里さんが割礼の空間を蕩かすサイケデリックな演奏にどう絡むのか楽しみだった。

forestlimitに行くのは3度目ですべて冬里さん絡みのライヴである。コンクリートの壁に四方を囲まれたスペースでステージがないので前列の人しか演奏者が見えない。意外に若いお客さんが多く満員に近い盛況ぶりだった。ステージ左手にエレピがセットしてあったので冬里さんが演奏することが分かった。私は逆側の山際氏のギターの真横から観戦。8:00PM開演だと思い込み友人と話し込んでいたら30分前にメンバーが出てきたのでちょっと焦った。

4人のメンバーは毎度のことだが慌てずゆっくりと準備している。チューニングが終わると宍戸氏が椅子から立ち上がりゆったりとしたアルペジオを奏で始める。照明代わりのビデオが壁面に映し出される。一瞬にして会場を妖艶な割礼ワールドに塗り替えてしまう。宍戸氏の水の滴るようなねっとりとしたヴォーカルと2本のギターの絶妙な絡み合い。超スローテンポな曲調を表情豊かにバックアップするリズム隊。これほど完成されたバンドも珍しいのではなかろうか。そこに冬里さんの鍵盤が混じりあう。時に上滑りするように別の世界で演奏していたかと思うと、隙間から懐へ侵入して真ん中で鳴ってたり、あちこち動き回る。それでも割礼の強烈な香りは濃厚に漂っている。特に20分に亘る「溺れっぱなし」の沈殿していくような演奏にはそのまま水中へ沈んでいくような強烈な磁力があった。冬里さんの奇矯さも割礼の前には形無しという印象。それでも比較的テンポの速い「ゲーペーウー」では鍵盤を上から下へ急降下する過激なプレイを見せたり、ヴォーカルに絡むようなフレーズを立ち上げたり冬里さんらしさは発揮されていた。

一番ウケたのは、終盤の恒例のドラムの松橋氏のMCの時。松橋氏が「こんにちは」と言うとすかさず冬里さんが「割礼です」と切り込んだ。狙っていたのに違いない。会場は大ウケ。長年の憧れの冬里さんと共演できた喜びを語りお約束の物販/ライヴ告知を終えると、次は冬里さんの曲を演奏。冬里さんが好きなオンリー・ワンズを思わせるメロディのしっかりしたロック・ナンバーだった。最後はアグレッシヴな「ラヴ?」、最近のエンディング・テーマ「崖っぷちのモーテル」。アンコールを求める拍手が続くが、松橋氏がひとり出てきて「もうネタはありません。おしまいです。本当にありがとう」と挨拶し終了。90分の演奏だった。



物販で宍戸氏のソロCDRを購入し、楽器を片付けている宍戸氏にサインを貰いつつ話を聞くと、今までいろんなアーティストと共演してきたが、全曲通しで共演したのはもしかしたら初めてかも知れない、とのこと。30年近い歴史のある彼らの貴重なライヴに立ち会えたのは幸運だった。


思いの外早く終わったので会場に来ていた冬里さん専任録音担当のN氏、灰野さんのデザイナー北村氏とその彼女の4人で食事に行った。いつもライヴ会場で顔を合わすだけでゆっくり話せないのでこういう機会は貴重だ。モダーンミュージックや冬里さんや灰野さんのいろんな話が聞けてとても楽しかった。

割礼の
歴史に残る
レアな夜

みんなが映画「ドキュメント灰野敬二」を楽しみにしていることが分かり嬉しかった。
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THE BAWDIES(ザ・ボウディーズ)@横浜 BLITZ 2012.6.9 (sat)

2012年06月11日 02時00分19秒 | ロッケンロール万歳!


この日はBar Issheeに坂田明さんを観に行くつもりでいたら、友人からメールでTHE BAWDIESの「ROCK ME BABY」TOUR 2012のチケットが余ってるので観ませんか、との誘い。以前から観たいと思っていたバンドだしチケット代は要らないというので、横浜まで出掛けることにした。

THE BAWDIESは2007年4月新宿Red Clothでsix、GO-DEVILSの対バンで観ている。彼らがインディーズ時代所属していたSEEZ RECORDS(sixも所属)のイベントで、2組のガールズ・バンドが他の男性バンドを蹴散らす、という趣旨のものだった。私は勿論sixとGO-DEVILS目当だったのでTHE BAWDIESを含む男性バンドの印象は殆どないのだが、当時ガレージロック系イベントによく通っていた記憶を辿ると、揃いのコスチュームで60'sブリティッシュ・ビート風のR&Rを演奏していたと思う。

バイオによるとSEEZ RECORDSで2枚アルバムを発表した後2009年にビクターからメジャー・デビュー、メジャーでは現在までに3枚アルバムをリリースしている。彼らが大きくクローズアップされたのは、2009年に始まった「本屋大賞の音楽版」と称される「CDショップ大賞」で第1回の
相対性理論に続いて2010年第2回の大賞に選出されたことである。マスコミ主導のレコード大賞等とは異なり、リスナーに最も近いCDショップの店員の投票で選ばれるこの賞は、不況に喘ぐ音楽業界の改革の象徴である。また2011年に伝説のUSガレージパンク・バンド、ザ・ソニックスの招聘に携わり共演ライヴを企画、一旦は震災で中止になったが、今年3月に実現させたことも彼らのロケンローへの熱意を証明している。

全編歌詞が英語で60'sソウルやR&B、ガレージパンクの影響を真っすぐ過ぎる程ストレートに打ち出したサウンドがかなり玄人っぽいバンドにも関わらず、武道館をSold Outにする人気の秘密は何処にあるのかとても興味があった。

横浜BLITZに行くのは10数年ぶり。川崎Club Cittaと並んで神奈川では人気のライヴホールである。冷たい雨の中会場へ着くと、Tシャツに首にタオルを巻いた10~20代の若者が列をなして並んでいる。こんな多くの人数が入れるのか?と思いググってみるとキャパは1700人、赤坂BLITZや恵比寿リキッドルームよりも大きく渋谷AXと同じ規模だった。私達の席は2階席の最後列。1Fはスタンディングで元気一杯の若者でギッシリだったので、ロートルにとって落ち着いて観られる2階席はプレミア・シートである。同行者の話ではTHE BAWDIESのお客さんは若い子が多いので開演時間が早く時間通りに終わるそうだ。この日は10分押しの6:10PM開演、終演はピッタリ8:00PMだった。時計で確認したから間違いない。見ての通りイケメン4人組だから7:3で女性ファンが多い。

ステージセットは何本かの照明スタンドの前にアンプとドラムが置いてあるだけのシンプルなもの。ドラムが高い台に乗っていてビートルズの武道館公演のセットを思わせる。4人が揃いのスーツ姿で登場すると大歓声が沸き上がる。1曲目からギター中心のガレージロックが鳴り響く。1Fの観客は前から後ろまで全員が腕を振り上げて飛び跳ねている。ルースターズ~ミシェルガン・エレファントの流れを引き継ぐガレージロックをイメージしていたが、歌詞が英語であることとモータウン直系のソウルフルで人懐っこいサウンドは、より洋楽風に垢抜けていていわゆるJ-ROCKの匂いがしない。2本のギターの絡みは初期ストーンズ風。ビートルズやストーンズ、ザ・フーやゼムなどのブリティッシュ・ビート、レイ・チャールズやオーティス・レディングなどのソウル/R&B、スタンデルズやザ・ソニックスのようなアメリカン・ガレージパンク、ドクター・フィールグッドや初期エルヴィス・コステロのようなパブロック....それらの要素がライヴ慣れした堂々とした演奏の中頭をよぎる。20代後半にして"おっさんロック"の域に達しているなと思ったが、ファンの熱気は凄まじく2階席まで熱が伝わり汗が流れる。

とても達者な曲間のMCはドラムのマーシー君をいじるネタが多く、客席は大爆笑だったが、その口調を聞いて気がついた。「新曲やってもよろしいですか?」という"ですます調"の丁寧語のMCは、正にライヴハウスのガレージパンク/60'sロック・イベントの典型なのである。特にこのシーンの第一人者であるGoogle-A(ゴーグル・エース)のリーダー、カマチガク氏のMCがすべて"ですます調"でそれがファンの熱狂的な反応を引き起こす。その光景をその何十倍も大きな会場で目にしているのだ。THE BAWDIESがかつて属していた小規模なガレージロック・サークルの流儀をそのまま継承していることが分かりとても嬉しくなった。とにかくロケンローが好きで好きで溜まらない連中の集まりである。武道館クラスに成長してもそのままのスタイルで演奏する4人は素晴らしい青年たちだ。そこには計算や恰好つけは一切ない。「好き」で「楽しい」からこそロケンローをやっている、という気持ちがストレートに伝わって来る。

2曲の新曲とレイ・チャールズのカヴァーを含みパワフルなロッケンロールのオンパレード。終盤にヴォーカル/ベースのロイ君が口にした「もっとはみ出しましょうよ。はみ出した部分をロックンロールと呼ぶんじゃないですか!」という言葉に感動した。これほど的を得た言葉を聞くのは久々だし、若いファンが全員大歓声で応えるのを見るのも壮観だった。終盤は波打つ観客の中にいくつか渦を巻く小規模なモッシュが起る。決して無鉄砲な馬鹿騒ぎじゃなく心からロッケンロールを楽しむ若者たちの姿が演奏以上に印象的だった。とにかく素晴らしいロケンロー・パーティだった。



ボウディーズ
忘れていない
初期衝動

年配のロック・ファンの若者ロケンローへの案内役としても最適のバンドである。

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魂を解放する魔術の横笛~フルート・ロック/ジャズ特集

2012年06月10日 01時55分02秒 | 素晴らしき変態音楽


フルートの練習をしなければならない。
一週間後に元ヘンリー・カウのメンバーによるバンド、アルトー・ビーツの即興音楽ワークショップに参加するためだ。

私がフルートを始めたのは小学5年生の時。2つ年下の弟が突然トランペットを習うと言い出し、それに対抗してフルートを選んだのだ。父がクラシック好きだったこともあり、幼い頃から音楽に囲まれて育ってきた。幼児の頃はヤマハ音楽教室に通いオルガンを習っていた。しかし小学生の時にはテレビで流行歌を覚えるくらいで特に音楽好きという訳ではなかった。それが何故フルートを選んだのか定かではないが、恐らく知っている楽器がフルートしかなかったのだろう。週1回自転車で10分の金沢高等音楽院(その頃は金沢に住んでいた)という学校に通い個人レッスンを受けた。本当は別に楽典の授業があったのだが、他の生徒が全員女子だったので落ち着かなくて行くのを辞めた。楽典を習っていればピアノも練習できたし音楽の基礎を学べたので今では行けば良かったと後悔している。フルートは弟への対抗心が動機だったから余り練習熱心ではなかったが、「小さい秋みつけた」が好きで発表会にその曲を選んだのを覚えている。中学に進学しクラスの仲の良い女の子がブラバンでフルートをやっており何度か誘われたのだが、軟式テニス部に入った。フルートのレッスンには中2まで4年間通ったからそれなりに基礎はできたと思う。

中3の時東京へ転校しブラバンに入部した。しかし楽器はサックスを選んだ。その頃には洋楽ロックやジャズを聴くようになり、FM番組をやっていたナベサダに憧れていたのだと思う。サックスをやってみて運指がフルートと殆ど同じことを知った。

ORANGE EXPRESS, MY DEAR LIFE / Sadao Watanabe


高校でもブラバンに入り今度はバリトン・サックスになった。ホーナーというドイツのメーカーのボロボロの楽器をあてがわれた。部活とは別に学園祭ではパンク・バンドをやっていたのだが、ブラバン特有の居心地の良さに甘え3年間バリサクを吹き続けた。アルトの女の子に密かに恋心を抱いていたせいもある。ジャズがやりたくてバリサクの第一人者ジェリー・マリガンのレコードを買って一生懸命コピーし、いきなりブルーノートを吹き始めた私の演奏を聴いた先輩が驚いていたのを思い出す。

Gerry Mulligan - Satin Doll


大学に入り念願のアルト・サックスを手に入れオーネット・コールマンや阿部薫や坂田明の真似を始めたのだが、音楽サークルではサックスとフルートが出来るというので重宝され、自分のバンドの他に山下達郎のカヴァー・バンドや洋楽ヒットチャート・バンドを掛け持った。新入生向けのオリエンテーションで武道館の舞台で当時のヒット曲のフルートを担当したこともあった。その前日がブライアン・フェリーの武道館公演で、同じ舞台に立つと思い興奮したものだ。

Men At Work - Down Under (Live, US Festival, 1983)


就職してからもギタリストとしてロック・バンドは続け、10年くらい都内のライヴハウスで活動していた。特に1989年に始めた自称サイケ・バンドFLOWER TRIPではライヴでフルートを吹きシタールと共演するインドっぽい演奏を取り入れていた。

FLOWER TRIP / お前に与えられた役をまず果たせ


1994年そのバンドが解散して以来フルートに触ることは絶えていたのだが、2001年から灰野敬二さんのライヴに通い始め、灰野さんが時折吹くフルート演奏に感化され7年くらい前に教則本を買ってきて久々に吹いてみた。音は出るし運指も覚えているのだが息が続かず2ヶ月で挫折。しかし懲りもせず昨年10月井の頭公園で開催されたオーケストラTOKYO-FUKUSHIMAにフルートで参加した。素人の集まりだから適当にこなしたが、楽器を演奏する喜びを再発見した。そして今回のアルト・ビーツのワークショップに繋がる訳だ。「ドレミの歌」とか「手のひらを太陽に」など単純なメロディは吹けるのだが、ジャズやロックのメロディは勿論、アドリブなんてもっての他。こんな有様でクリス・カトラー先生と共演してもいいのだろうか?不安は募るが当たって砕けろ精神で挑みたいと思う。

最後に私が好きなフルート演奏を紹介して拙稿を締めくくりたい。

▼ジャズ・フルートの神髄。彼を超える演奏者は50年間現れていない。

Eric Dolphy with Charles Mingus


▼マイク・オールドフィールドが10代の頃姉のサリーと組んでいたフォーク・デュオ、サリアンジー。サリーの透明な歌声に呼応するペンタングルのレイ・ウォーレイのフルートが美しい。

Sallyangie - Children of the Sun


▼ジェネシスのスティーヴ・ハケットの1stソロ「司祭の旅」よりサリー・オールドフィールドをヴォーカルに迎えた曲。スティーヴの弟ジョン・ハケットのフルートが幻想的。

Shadow Of The Hierophant


▼日本では何といっても木田高介氏のフルートが情念的な早川義夫氏の歌唱を引き立てるこの曲。

Jacks - Vacant World [ジャックス - からっぽの世界]


▼フルート・ロックといえばこの人。王選手を思わせる一本足奏法が余りにも有名。

Jethro Tull


▼1970年代英国サイケ界を象徴する霊的ジャズ・ロック・バンド、クインテサンスのサウンドの要はラジャ・ラムのフルート。彼は70歳を超えた現在でも「サイケデリックトランスのゴッドファーザー」してクラブ・シーンで活躍中。

QUINTESSENCE


▼灰野さんのフルートは別格。灰野敬二 (guitar, vocals, etc.), ナスノミツル (bass) ,一楽儀光 (drums)のトリオ、静寂での演奏。

SEIJAKU (静寂) with Keiji Haino @ Metro, Kyoto Oct. 12, 2010


フルートは
魔法の横笛
心に滲みる

暗い部屋にロウソクを点しお香を炊きながらひとり吹き語るのが理想の演奏法。

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DOMMUNEスタジオ見聞録 「『ドキュメント灰野敬二』を語る」~人間の記号を捨てて、魂っていう暗号になれ

2012年06月08日 00時40分05秒 | 灰野敬二さんのこと


DOMMUNEに灰野さんが2度目の出演。
「『ドキュメント灰野敬二』を語る」~人間の記号を捨てて、魂っていう暗号になれ
出演:灰野敬二、白尾一博(映画監督)、マイク・クベック(Super Deluxeエグゼクティブプロデューサー)

第1回目はロシアで起きたUstreamへのサイバー攻撃でライヴ配信が出来ず、後日録画配信したが、今回はマスコミ馬鹿騒ぎのAKB総選挙と被る事態になった。

映像作家/オーガナイザーの宇川直宏氏が主宰するDOMMUNE(ドミューン)のスタジオは青山にある。表参道から歩いて10分ほどなので、スタジオで観覧することにした。六本木通りからすぐの駒沢通り沿いの静かなエリアのカフェのB1にある。地下に降りる階段の上にひっそりと看板が出ているだけで、知らなければスタジオがあるとは思えない秘密クラブのようなスペースである。

宇川氏は5年前まで渋谷宮益坂近くのギャラリーNANZUKA UNDERGROUNDの奥にMixroofficeというスペースを開いていて、灰野さんのマンスリー・ライヴやクラブ系イベント、トークショーを開催していた。Ustreamの可能性に早くから目を付けた宇川氏は本格的にネット配信の出来るライブストリーミングチャンネル/スタジオとして2010年3月DOMMUNEを開局、最先端の感性でユニークな番組/イベントを開催。"ファイナルメディア"と称し、共同体を意味するCOMMUNE(コミューン)の先を目指した「Cの次のD」というのが「DOMMUNE」という名前の由来だという。昨年の震災後に遠藤ミチロウさん/大友良英氏/和合亮一氏による「プロジェクトFUKUSHIMA!」に連動して福島に開局した「DOMMUNE FUKUSHIMA!」や荒天のため残念ながら中止になった昨年8月のオールナイト・フェスティバル「FREEDOMMUNE0<ZERO>」など社会的に注目を集める活動を展開してきた。

スタジオの入口すぐ近くのソファに灰野さんと映画のプロデューサーの一人である裏窓の福岡氏が座っていた。挨拶すると灰野さんが「好きなだけ泣いていいからね」とひとこと。ブログを読んでいたようだ。分からないようにコメント欄に書いたのにな~、とちょっと赤面。番組スタートまで10分、と宇川氏が告げる。観客は7人。こんな近くで灰野さんを観れるというのも嬉しい。

スタジオ内はドリンク・カウンターのある核シェルターといった風情。奥の壁に設置されたプロジェクターの下のソファに出演者が座り、3か所にカメラを設置、左手にPA卓、対面する中2階にコントロール・ルームがある。カウンターにはモニターが置かれ実際の放送画面や視聴者のツイートを映し出す。宇川氏は出演者の正面のビデオ・カメラを覗きながらスタッフに指示を出したり、トークに参加したり、パソコンで番組内容をツイートしたり休む間もなく動き続ける。


おそらくこのブログを読んで下さっている方の7割は番組をご覧になったことと思うので番組内容については簡単に記すに留める。

最初に白尾氏とマイク氏が登場、お互いの灰野さんとの出会いやドキュメンタリー映画を撮影することになった経緯を語る。灰野さんは後方のソファで寛いでいる。灰野さん自身の映像アーカイヴからの蔵出映像を上映。1983年のライヴ映像。映画撮影のために借りてきた灰野さんのノート帳を披露。モニター画面には視聴者からのツイートが次々流れるのだがAKB総選挙とDOMMUNEを同時に観ている人も多いようだ。この時点で視聴者数はリアルタイムで750人、累計2000人くらい。

8時頃に灰野さんが登場。ノートに描かれた自分の考案した楽器の解説、1990年代初めの不失者のライヴやリハーサル映像を観ながら故・小沢靖さんの話などを語る。灰野さんが登場した途端に視聴者数が急上昇。煽りのツイートを打ち込む宇川氏も「このタイムライン凄くいいですよ」と漏らす。貴重映像の連発と灰野さん特有の含蓄溢れる言葉に時の経つのを忘れる。気が付くと第2部の出演者のイギリス人DJ達も到着してじっと灰野さんのトークを眺めている。最後に不失者の最新映像として去年2月の高円寺Club Mission’sでの亀川千代氏+Kiyasu氏とのトリオの演奏が流れる。ライヴの現場に私はいたが、これが不失者だとは灰野さんは言ってなかった。が、こうして”不失者”として映画にも登場するからにはこのトリオの演奏にかなり満足しているのだろう。ゆらゆら帝国のファンも映画「ドキュメント灰野敬二」は必見です。千代さんの御姿がたっぷり拝めますよ。
最終的に累計視聴者数は6000人を超え、その時点で全世界でのUstream視聴者ランキングでNo.1にランクイン。「これは凄いな~」と宇川氏も満足そう。



パソコンの画面では分からないスタジオの現場ならではの臨場感を体験出来たし、出演者の方々とも話せたので大満足。とても面白いのでお近くの方は気軽に足を運んでみて欲しい。

ユーストじゃ
分かり切れない
現場感

そういえば灰野さん@DOMMUNEの第3回目がいつなのか聞き忘れた。
その前に映画前夜祭ライヴがあるのをお忘れなく。

2012年6月16日(土) 高円寺 HIGH「ドキュメント灰野敬二」前夜祭
出演:七尾旅人、メルツバウ、ジム・オルーク&石橋英子、灰野敬二/不失者
開場 午後6時30分/開演 午後7時00分
前売 3000円+ドリンク/当日 3500円+ドリンク
前売り券は高円寺HIGH新宿裏窓店頭で発売中。


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Hair Stylistics/空間現代/2 MUCH CREW/TADZIO@六本木 Super Deluxe 2012.6.4 (mon)

2012年06月06日 01時31分04秒 | 素晴らしき変態音楽


中原昌也 お誕生会@Super Deluxe。
2月21日坂田さん、5月3日灰野さんと並ぶアングラ3大誕生日(?)の6月4日中原氏の誕生日イベントが今年も六本木SDLXで開催された。昨年はキノコホテルの実演会と被って観られなかったが、毎年中原氏お気に入りのアーティストを迎えて開催されるパーティである。今年は何度か対バン経験のある若手オルタナティヴ・ロック・バンド空間現代との共演を目玉に、ヒップホップの2 MUCH CREW、そしてデビュー前から中原氏が可愛がっているキューティー・ハードコア・デュオTADZIOが出演。

この日のSDLXの客席のセッティングはステージ前はスタンディングで左右にテーブルと椅子が置いてある。中原氏に「今日は椅子がないんだね~」とぼやくと「勝手に動かしちゃっていいですよ」と言うので、一脚ステージ前のテーブルの横に運んで座って観戦を決め込む。最初はガラガラだったが徐々に観客が増えてくる。30代中心で男女比は7:3。ミュージシャン仲間も多いようで気の置けない和やかな雰囲気。しかし!連中やけにタバコを吸いやがる。灰野さんや坂田さんの禁煙ライヴに慣れ切った身体にはちとキツい。テーブル横に座っているとモロにタバコの煙の攻撃を受けるので、結局立ってタバコを避けて流浪する羽目になった。

最初はHair Stylisticsのソロ。故障してたのが修理出来て今年から再び使い始めたEMSシンセ、膨大なエフェクター群、さらにエレキ・ギターがテーブルの上に寝かして置いてある。左右のアンプのスイッチを入れるといきなり大音量のハーシュ・ノイズが迸る。今年に入ってから4回目のヘアスタだが前3回はギャラリーでの演奏だったので、ちゃんとしたライヴハウスで中原氏の轟音ノイズを聴くのは半年ぶり。ゴーッという通奏ノイズの上に踊るような電子音やE-Bowを使ったギターのロングトーンが舞うユーモア感覚溢れるエレクトロ・ワールドはいつもながら楽しい。



30分程経ったところで空間現代のメンバー3人が登場。ダッ、ダダン、ダン、という断続的なリズムで名前通り空間を切り刻むような演奏を始める。彼らは何度か観たことがあるが、他のバンドにはないユニークな個性を感じたものの、いわゆる音響派特有の無機質な感触に今ひとつ入り込めなかった。しかしこの日の演奏はとても良かった。それはヘアスタとの共演のせいもあるだろうが、彼ら自身がより柔軟に変化してきた故である。メイヨ・トンプソンがギャング・オブ・フォーをバックに図形譜面を演奏しているような畸形のオルタナ感覚。実際、ギターの野口氏の裏声の歌はメイヨそっくりの脱力感が溢れており、演奏のシャープネスと好対照を成す。その立体的な音塊の中を縦横に泳ぎ回るヘアスタの電子音。スプーキー・トゥースとピエール・アンリの共演を極端に鋭角的にした世界だった。



セットチェンジの間はDJプレイ。いい感じのインダストリアル・ミュージックがかかっていたと思ったら突然ロキシー・ミュージックのダンス・リミックス、そして80年代ニューウェイヴの12インチ・ヴァージョンに雪崩れ込む。DJブースを見ると中原氏が回してした。なかなかナイスな選曲で観客も大ノリ。

続いて2 MUCH CREW。ラッパーふたり+3人のプレイヤーの5人組で2009年のお誕生会にも参加していた中原氏お気に入りのハードコア・ヒップホップ・ユニットである。毎回演奏形態を変えているようで、この日もバックの3人全員で電子楽器を弄ったり、生楽器を演奏したり、不定形なスタイルを見せる。ラップは中原氏の誕生日のことや自虐ネタで面白い。音楽的に論じることが阿呆臭くなる弾けたパーティ・バンドだ。



最後がTADZIO。彼女たちを観るのは1月末のギターウルフ、Bo Ningen等とのイベント以来だから4ヶ月ぶり。久々に会うリーダーと部長は相変わらず可愛くて、リーダーの衣装は背中が大きく開いていてセクシー。いつもながらドキドキしてしまう。2010年9月に中原氏の絵本「IQ84以下」出版記念イベントで初めて人前で演奏、しかもトリ、という衝撃的なデビューをした(当時の表記はTAZIO)彼女たちもCDデビューして早2年。精力的にライヴをこなし、今年5月にはイタリアのロック・フェスで海外デビューを果たした彼女たちはステージングには貫禄がついたが初々しい佇まいは2年半前と全く変わらない。キュートなワンピース姿でヘッドバンギングしながら「FUCK」を連発する歌とドスの利いたハードコア・サウンドを鳴り響く。



4曲演奏したところで中原氏をステージに呼び込みリーダーから誕生日プレゼント。包装を開けるとドキンちゃんのぬいぐるみだった。そこから共演が始まる筈だったが、中原氏の機材の電源が入っておらず、電子機器の代わりに角笛状のリード楽器をプープー吹いて共演。電源が入ってもプープーやりながら奇声を上げる中原氏。42歳のはしゃぎっぷりに観客も大喜び。全員で踊りまくり誕生日をお祝いした。

よんじゅうに
まだまだわかい
ノイズマン

来年もまた楽しくやれることを祈って乾杯!







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美メロと午前3時のファズギター~マイ・ブラッディ・ヴァレンタイン、リマスター盤リリースに寄せて

2012年06月04日 02時34分21秒 | 素晴らしき変態音楽


既に手にした人も多いだろうが、シューゲイザーの元祖マイ・ブラッディ・ヴァレンタインのオリジナル・アルバム2作と編集盤1作がリーダーのケヴィン・シールズの手によりリマスター再発された。畳み掛けるように来年2月の来日が発表され、往年のファンから若いUKロック・ファンまで巻き込みマイブラ再評価が盛り上がっている。各洋楽雑誌で特集され、Web版音楽ページでも広く取り上げられている。その多くが当時を知らない"後追い"の若手ライターのペンによる記事の中で、当時から英国ロックの渦中に身を置きで現場を見てこられたカメラマンの久保憲司氏の記事が解りやすいのでぜひお読みただきたい。マイブラの足取りや音楽性に関してはそれらを参考にしていただくとして、ここでは懲りもせず年寄りの昔話を綴ってみたい。

1970年代後半のパンク革命以降世界のロック・シーンの様相は大きく変わった。パンクからニューウェイヴに発展し、そこから様々なスタイルが派生していった。ニューウェイヴ系ではテクノ、ネオサイケ、ポジパン、カレッジロック、ネオアコ、インダストリアル、メビメタではNWOHM、プログレではポンプロック…....。特にイギリスのNMEやメロディメイカーなどの音楽紙は新しいムーヴメントをあげつらうのが得意でメディア主導の実体のない呼び名を作っては捨てていた。そんな中で私が好きだったのはザ・キュアーを始めとしたネオサイケと呼ばれる一団だった。エコー&ザ・バニーメン、アンド・オルソー・ザ・トゥリーズ、サッド・ラヴァー&ザ・ジャイアンツなど雑誌のレビューやレコード店のコメントに「サイケ」と書いてあるだけで聴きまくったものである。レーベルではFiction、4AD、Beggars Banquet、Red Flameなどを思い出す。アメリカに目を移せばNYアングラ・シーンを引き継ぐソニック・ユース、ジョン・スペンサー率いるプッシー・ガロア、J.マスシスのダイナソーJr.、カレッジロックの帝王REMなどがいてそのどれもが1960年代サイケデリアの遺伝子を多かれ少なかれ持っていた。

1980年代半ばイギリスで密かながら後にシーンに大きな影響を与える動きがあった。NMEからリリースされた「C86」というカセットである。プライマル・スクリーム、BMXバンディッツ、ウェザー・プロフェッツ、ジーザス&メリー・チェイン、ポップ・ウィル・イート・イットセルフ、ウェディング・プレゼント、スープ・ドラゴンズ、パステルズなど当時の新進気鋭の若手バンドのコンピレーションで、ロンドン以外のアーティストが多かったこともあり英国の地方都市のローカル・シーンの胎動を世界に知らしめた重要な作品だった。大手メジャー・レーベルに対抗してDo It Yourselfに拘るインディ・レーベルはRough TradeやStiffなどパンク時代から活発になったが、それが世界中に飛び火するきっかけとなったのが「C86」でありその手のバンドを示す総称として使われたのは「インディ・ロック」だった。

1980年代終わりにはマンチェスターのロック・シーンが「マッドチェスター」略して「マンチェ」と呼ばれザ・ストーン・ローゼズ、ニュー・オーダー、ハッピー・マンデーズ、ザ・シャーラタンズなどが注目を集め、地元のクラブ、ハシエンダで夜な夜な繰り広げられるレイヴ・パーティーは社会現象にもなった。この動きはリアルタイムで日本にも伝わり音楽誌を中心に大きく紹介された。

一方スコットランドのジーザス&メリーチェインが1985年にリリースした「サイコキャンディ」は耳をつんざくノイジーなギターと60年代キャンディ・ポップ風の甘いメロディで大きな話題となった。その影響でノイジーなギター+スウィート・ポップを奏でるバンドが次々登場しCreationレーベルを中心にひとつの流れを作っていった。マイ・ブラッディ・ヴァレンタイン、ライド、ラッシュ、ペイル・セインツ、スワーヴドライヴァー 、スロウダイヴなどのサウンドは後にシューゲイザーと呼ばれシーンに大きな影響を与えることになる。ところが当時日本ではこれらのバンドがひとつの流れとして捉えられることはなく、総称としてのインディ・ロックの一部として紹介されていた。記憶ではマイブラよりもライド、ラッシュ、ペイル・セインツの方が評価が高くセールス的にも善戦したと思う。「シューゲイザー」という呼称が日本でいつ頃から使われるようになったのか当時の知り合いやフェイスブック友達の久保賢司氏に問い合わせたのだがはっきりしない。少なくともシューゲイザーを代表する名作とされるマイブラの「ラヴレス」が発売された1991年には一部のマニア以外はまだその呼称は使っていなかったことは間違いなさそうだ。

ところで最近のマイブラの記事で「当時は裸のラリーズと比較された」と書かれていてひっくり返ったのだが、これは丁度ラリーズの公認CD3タイトルの発売が同じ1991年だったことによる勘違いで、1960年代から活動する老舗バンドと結成5年余りのひよっこバンドを単にファズ・ギターという共通点だけで比較するのは、モーツァルトとビートルズのどちらが偉大かを解りやすいメロディという土俵で論ずるようなものでナンセンス極まりない。確かにラリーズ人気は海外のサイケ・マニアの間では古くから根付いていたようだから、ケヴィン・シールズが影響を受けていたのは事実かもしれないが。

話が逸れそうなので元に戻すと、「ラヴレス」(当時の邦題は「愛なき世界」!)は今言われているような高い評価は当時は得ていなかったと思う。それなのに1992年にハウス・オブ・ラヴとの武道館公演が発表になったときはマジかよ、と思った。同時期に同じスマッシュ主催でハッピー・マンデーズとビッグ・オーディオ・ダイナマイトIIの武道館公演が実現したが、案の定客席は半分も埋まっていなかった。だからマイブラ側の事情で来日中止になったのはスマッシュにとっても幸いだったのではないか。深読みするとこの"無茶振り武道館シリーズ"はスマッシュのフジロック構想の前哨戦だったのではなかろうか。最近になってバブル期に金にあかせて無理矢理開催され大失敗に終わったコンサートが「伝説のコンサート~」としてDVD発売されているのは当時を知る者にとってはお笑い草以外の何物でもない。

マイブラを始めとするシューゲイザーの特徴はノイジーなギターよりも甘いポップ・メロディにあるような気がする。特にマイブラに女性がふたりいてビリンダ・ブッチャーがケヴィンと男女ツイン・ヴォーカルを聴かせるところが彼らをエヴァーグリーンな存在にしている。久々にライドのCD「ノーホエア」を引っ張り出して聴いてみたのだが、時代がかったノスタルジーが感じられただけだった。私は最近のシューゲ系でもアソビ・セクスやリンゴ・デススターなど女性ヴォーカルのバンド以外には興味を持てない。

そもそもシューゲ・バンドのギターを"ノイズ"ギターと表現すること自体が誤解を招いている気がしてならない。ノイズとは私に言わせればホワイトハウスでありラムレーでありメルツバウでありインキャパシタンツである。ノイズ・ギターとはJOJO広重さんやソルマニアの演奏を指すのであって、シューゲ系の甘いメロディを引き立てるためのフィードバック・ギターを"ノイズ"と呼ぶのは間違いだと思う。例えば広重さんの参加したカヴァー・ユニット、スラップ・ハッピー・ハンフリーの音を聴いてみれば、意志のあるノイズ・ギターと、スタイルとしてのファズ・ギターの違いは歴然としている。と書いて来ると私がマイブラ批判をしているように誤解されるかもしれないが、シューゲイザーであろうがなかろうが、彼らがロックの歴史に残る革命的作品を産み出したことは事実として認めている。リマスター3タイトルをディスク・ユニオンで購入し特典収納ボックスを貰ってほくそ笑んでいるし、来年の来日公演のチケットも予約した。結局なんだかんだ言っても好きなのである。



マイブラや
ローゼズや
ハピマンまでも
再結成

何よりも楽しいのはマイブラをきっかけに当時の知り合いと思い出話に華が咲くことである。マイブラも「懐かしロック」の仲間入りだ。


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