菊地雅章さん=通称POOさんは1950年代末聡明期の日本ジャズ界に登場。1966年に富樫雅彦さんと共に渡辺貞夫カルテットに参加しレコード・デビュー。数々の国内外の大物ジャズ・アーティストとの共演を経て1973年にニューヨークへ移住。以来本場の米国ジャズと日本ジャズの橋渡し役として高い信頼と尊敬を集める孤高のピアニストである。1981年にリリースした「SUSUTO」は1990年代にクラブDJにより再評価され、現在でもクラブ・ジャズのクラシックとしてターンテーブルを賑わせている。
私がPOOさんにのめり込むきっかけは1996年に甥のベーシスト菊地雅晃氏とアヴァンギャルド界の帝王ドラマー吉田達也氏と結成したSLASH TRIOである。ロック的な激しいインター・プレイの連発に一発でヤラれてしまった。横浜Motion Blueにライヴを観に行き、POOさんが息子ほどに歳の離れた二人と対等に渡り合う堂々とした演奏に痺れたものだ。
POOさんは山下洋輔さんや高柳昌行さんとは一線を画してフリー系の人脈ではない。マイルス・デイヴィス、ギル・エヴァンス、富樫雅彦さんといったジャンルに捉われない幅広いマルチな音楽性持つアーティスト性を継承する存在、というのが定評である。今年春ECMからリリースされた「サンライズ」は昨年急逝した人気ドラマー、ポール・モチアンの遺作ということもあり高く評価された。
POOさんがトーマス・モーガン(b/「サンライズ」にも参加)とトッド・ニューフェルド(g)との通称”TPTトリオ”で来日公演を果たした。POOさんの演奏を観るのは10数年ぶり。72歳という高齢でNY注目の新進気鋭のミュージシャンとどのような対話を繰り広げるのだろうか。外見的には15年前と殆ど変っていないPOOさんがステージに上がる。独特の思索するような丁寧な鍵盤さばき。同じピアニストでも洋輔さんの鍵盤上を駆け回る指と肘打ちの動きとは全く違い、鍵盤上に身体を折り曲げるように覆い被さって独特の唸り声を発しながら一音一音選ぶように弾く。そこから生れ出る音の粒が拡散し、トーマスの漂うようなベースとトッドのデレク・ベイリー的な音数の少ないギターと絡み合う。洋輔さんがアクション・ペインティングならPOOさんは点描画である。聴く者は意識的に浮遊する音の粒つぶから自分なりのフレーズを選び出して聴覚を刺激しなければならない。圧倒されるフリージャズの轟音とはまた違った、聴く行為に問題定義するような緊張感溢れる90分間だった。この空間的な演奏はまさにジャズは生じゃなきゃ分からない、ということを如実に証明していた。
POOさんは
ジャズを超えて
空を舞う
洋輔さんより3歳年上のジャズ界の大御所は俯きがちに楽屋へと消えて行った。ジャズ界のシューゲイザーか?