ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

発明023 ハンナギヒンナギ

2008年03月14日 | 博士の発明

 土曜日の昼間、天気も良いし、風も心地良いし、散歩がてらに先週行きそびれたシバイサー博士の研究所を訪ねた。
 ゴリコとガジポの遊び相手を一通りやって、まだ明るいのだが、時間に関係なく酒を飲んでいる博士の、その酒の相手をする。博士にとってはほとんど関心の無い事項とは思ったのだが、このところ噂の、マナの結婚話をちょっとした。

 「そういえばマナは、最近女らしくなったなあ。」と言う。
 「女らしく、男らしくなんて、最近流行らないみたいですよ。」
 「うーん、そうかぁ。はんなりとかひんなりとか、女の武器としてあった方が良かろうと思うんだがな。おっぱいが大きいとか、美人だとかいうのも武器になるが、はんなりひんなりもそれに劣らない武器になると思うがな。」
 「そうですね、私もそう思います。見た目の作りが少々不細工でも、所作の良い女は容姿もきれいに見えますからね。ところで博士、最近、何か発明はないですか?」
 「発明か、最近寒かったから、なかなか良いアイデアが浮かばないな。あっ、そういえば、はんなりひんなりといえばだ、昔、ハンナギヒンナギという機械を作ったぞ。」
 「ほう、ハンナギヒンナギですか。いったいどういう機械ですか?」
 「そうだなあ、まだ残っているかなあ。」と博士は立ち上がって、倉庫の方へ向かう。それを私は引き止めた。つまらない発明だったら、取りに行くだけ無駄だからだ。
 「博士、実物は後でいいです。話を伺ってからにしましょう。」

 博士は「あーそう。」と肯いて、座りなおした。少し気に障ったのか、ギロっと私を一瞥して、泡盛を一口飲んで、それからハンナギヒンナギの説明を始めた。
 「ハンナギヒンナギは、面倒なことになった時に、何もかもくしゃくしゃ丸めてポイっと捨てる機械だ。名前の説明は要らないな?」
 ウチナーグチの解る私に説明は要らないが、知らない人のために、ハンナギは「放り投げる」という意味。ヒンナギはそれから発生した言葉で、同じ意味。
 「その機械の前で悩みを打ち明ける。するとその機械がその悩みを吸い取って、それを文章にして、紙にプリントして、その紙をくしゃくしゃ丸めて、ポイっと捨てるわけだ。もう悩みたくない!って時に有効で、どんな悩みも一発解消となる。」
 「でも、それは、悩みを忘れただけで、悩みそのものが解決されたってわけじゃないですよね?」と、私は博士を傷付けないように遠慮がちに訊いた。
 「ふむふむ、もっともな質問だ。だがな、三十六計逃げるに如かずって言うだろ、何事もだな、もっとも有効な解決法はそのものから逃げるってことだ。悩みなんか悩んでいるだけ無駄っていう哲学的意味も含んでいる。カッ、カッ、カッ。」と博士は、発明品を説明する時はたいていそうであるように、今回も大いに得意げである。

 ここで博士は一息ついた。酒を一口飲み、鰹節を一齧りして、さらにもう一口酒を飲んでから、ハンナギヒンナギの話を続けた。
 「これにはまた、もう一つ機能がある。ハンナギカレンダーなるものを作ってくれる。例えば、仕事が辛くて、仕事から逃げたいとか、女房が煩くて、女房から逃げたいと悩んでいる人間がだ、そのハンナギカレンダーの日付を赤く塗ってしまえば、その日は仕事や女房から解放される。この世に責任を持たなくて良いというカレンダーだ。」
  「ほう、それはいいですね。そういう人は多いですからね。毎日赤く塗ってしまえば、毎日が自由の身ってことですよね。うん、それは面白いですよ。」
 「そういうことだ。それで全ての悩みから開放されるわけだ。ただしだな、あまり頻繁に赤い日を作ってしまうと、カレンダーが真っ白になる場合がある。」
 「真っ白って、どういう意味ですか?」
 「その日が来ないってことだ。つまり、この世に用無しとなるわけだ。悩みが無いってことは、すなわちそういうことだっていう哲学的意味も含んでいる。どうだい、カッ、カッ、カッ。」と、博士はさらにふんぞり返って、椅子から転げ落ちそうになった。

 博士の言う通り、ハンナギヒンナギは確かに哲学的であったが、悩みを捨てる代わりに死んでしまうんじゃあ、欲深い人間達の需要があるとはとても思えない。ハンナギヒンナギが倉庫に眠ったままであったことの理由が私には理解できた。倉庫までわざわざ取りに行かせなくて良かったと私は思いつつ、研究所を離れたのであった。
 あっ、そうそう、博士はハンナギヒンナギのコマーシャルソングも作っていて、その時歌ってくれた。『ハンナギ節』という題。これはなかなか良かった。
     

 記:ゑんちゅ小僧 2008.3.7 →音楽(ハンナギ節)


バカにするにもほど

2008年03月07日 | 通信-その他・雑感

 先日、日本の調査捕鯨船が、捕鯨に反対する団体に襲われた。自分達の主義主張を暴力で表現するなんて、とんでもないことだと私は思う。「言うことを聞かないなら痛めつけてやれ」と、まるでヤクザみたいだ。ニュース映像の中に、その船の船長が出てきた。胸を張って、朗らかに笑っていた。英雄気取りである。ものすごく腹が立った。

 動物を殺して、それを食うというのは、人の生き方としてはごく普通のことである。大昔からそうしてきており、それは文化なのである。日本人はクジラを食ってきた。それは日本人の文化である。絶滅の恐れがある動物なら、それは我慢もしようが、クジラは食料資源である。資源が枯渇しない程度に殺して、それをちゃんと食うのである。自然の摂理に則っている。遊びで野生動物を殺すような西洋人にとやかく言われる筋合いは無い。
 英雄気取りの船長の笑いが、多少手荒いことをしても日本人は何もできまいというバカにした笑いに見えた。日本の食文化までもバカにされているように思えた。

 話は私事になるが、住所変更届を出していないせいで、大学から来るお知らせ、電気店からのダイレクトメール、クレジットカード会社からの明細書などは、実家の方へ送られてくる。母が元気だった頃は、「あんたへの手紙や葉書、溜まってるよ。」と母から時々電話があって、私はそれらを取りに行っていた。
  去年の暮れのある日、実家へ行くと、私への郵便物が溜まっていた。その内の一つ、クレジットカード会社からの明細書が封を開けられていた。姉の仕業である。まあ、父へのものと間違って開けてしまったんだろうとその時は思った。ところが、先週、また同じクレジットカード会社からの明細書が封を開けられていた。どうやら、姉は私の金の出入が気になるみたいである。で、勝手に封を開けているみたいである。
 家族と言えど、勝手に封書を開くのは犯罪(※)である。腹が立った。弟は子分だ、弟の物は私の物だといった振る舞いだ。バカにするにもほどがあると思った。
 ※刑法77条、1年以下の懲役または20万円以下の罰金
          

 その少し前、二人の従姉、父、姉、私の5人で、家の将来について話し合いをした。母の一年忌の後、父が最終的な決断をするという前提で、先ず、私が意見を述べた。
 従姉の家が首里の緑の多い場所にあり、その家を建て替えて、1階を父の住まいとし、2階を2世帯のアパートにして、それぞれに従姉と私が住むという計画である。
 姉の意見は、自分が沖縄に帰ってきて家を守る。いずれは、息子の一人に家を継がせるとの計画。それについては「父が望めば、それで良かろう。」と私に異存は無い。
 ただ、そこで、姉はカチンとくるようなことを言う。決定権は父にあり、決定する時期は一年忌が済んでからということだったのに、もう自分の意見が通ったかのように、
 「あんたのせいで、私達夫婦が犠牲になるんだからね。感謝しなさいよ。」と。

  実家は、気の流れが悪いと私は感じていて、そこには住みたくないと思っている。だから、引越しなのである。また、そもそも、私には子供がいないので、家を継ぎたいとも思っていない。姉が継ぐというなら、それで良いのだ。が、姉からすると、「あんたが家を継がないから、私が代わって守ってやるんだ。」という気分なのであろう。
 「お前が亭主と別居生活になるのは、お前の意見を通すことからくる犠牲じゃないか。何で自分の意見を無視されている俺が感謝しなければならないんだ。」と私は思った。そして、それは口に出さなかったが、私の闘争本能には火が点いていた。
 「バカにするのもほどほどにせい!」と思いつつ、先々週、生歌生演奏の録音に四苦八苦していた一週間、さらに毎日3、4時間、睡眠時間を削って、設計図を書くことに没頭した。父に私の計画をプレゼンテーションするためだ。怠け者にも気合が入った。
          

 記:2008.3.7 島乃ガジ丸