ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

百か日の説教

2008年02月01日 | 通信-社会・生活

 先週金曜日は母の百か日であった。葬式後のナンカナンカ(周忌)が四十九日で終わって、その後に来る法事である。ナンカナンカと同じように朝、墓へ行き、お茶とお菓子と花を供え、線香をた立てる。これは男の仕事なので私が行く。
  沖縄にも落葉樹は多くある。この時期は落ち葉が溜まる。前回、四十九日で墓を訪れたとき、それに気付いて、次は箒を持って行かなくちゃ、と思っていたのだが忘れた。草抜き用のヘラを持っていたので、それを使って、落ち葉は大雑把に墓の片隅に集めた。が、それを素手で掴んでごみ収集場所に運ぶ気にはならなかった。大量なので「手で掴んで」だと時間がかかるのと、落ち葉が小便臭かったからである。
 我が家の墓の、隣の隣は無人墓となっているみたいで、そこには今、小さなあばら屋があって、自由人が1人、生活している。その人がどこで大便をしているのか知らないが、小便はおそらく、その辺りでやっている。我が家の墓も彼の小便場所なのであろう。

  供えた菓子を「ウサンデー」と言って食べる。ウサンデーは「おさがり」のこと。供えたものを「おさがり」として頂くのである。叔父から聞いた話であるが、ウサンデーする時間は、火を点けた線香が三分の一か四分の一残る頃となっている。あまり早いと、神仏が食べ終わらない内に横取りしたみたいになるとのことであった。
 で、その日も、私は線香が三分の一に短くなるまで待っていた。待っている間、こういった儀式もHPで紹介しようと、墓や供え物の写真を撮り、そのついでに墓の周囲にある草木の写真を撮っていた。その時、自由人に話しかけられた。
 彼と話すのは3度目である。彼は自分の生活道具である鍋や茶碗を我が家の墓の、囲いの塀の上に置いてある。去年だったか一昨年だったか、七夕の掃除の時に、彼の鍋や茶碗が邪魔だったので、どけてもらうようちょっと声を交わした。
 母の告別式の時に、同じことで声を交わした。その時、彼は、
 「そうやって言ってくれれば、きれいにしておくよ。」と紳士的であった。というわけで、私はその自由人に悪い印象は持っていない。で、百か日の日に話しかけられた時も驚くことは無く、しばらく会話しても良いかとまで思っていた。

 「そんな、木の写真だったら、ヤンバルへ行けばいいじゃないか。」と言う。
 「いや、ちょっと忙しくて、ヤンバルまでは。」という私の応え、その「忙しくて」が暇だと思われていると思っている彼の癇に障ったのかもしれない。表情が変わった。で、その後、10分ほど説教された。「お前のやっていることは偽善だ。墓に手を合わせて、それで良い事をしたと思っているのだろうが、心からそうしたいと思っているわけじゃないだろう。今の世の中の人間はみんなお前と一緒だ。」といった内容を長々と。
  百か日はそう大きな法事では無い。客が手を合わせに訪ねることは無くて、たいてい家族、親族だけで行う。坊さんを呼んでお経を唱えてもらうこともしない。ではあるがその日、私は坊さんでも無い人に説教されてしまった。
          
          

 自由人は空き缶や瓶拾いで少しの収入を得ているらしい。彼は筋骨隆々としていて、肌浅黒く健康的に見える。食べ物は飲食店のゴミ箱などから得ているのかもしれない。話もしっかりしている。友人のHに比べれば遥かに語彙も豊富である。
 「こう見えてもな、琉球大学法文学部を出てるんだ。」とのこと。それが何故?
 「オームに入って、周りから疎まれたんだ。」とのこと。あー、ここにも浅墓焼香の犠牲者がいたかと、焼香の終わった私は思ったのであった。
          

 記:2008.2.1 島乃ガジ丸