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ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

艦砲ぬケェーヌクシ

2010年12月03日 | 沖縄03音楽芸能・美術工芸・文学

 先週末、同僚のOさん、知人のGさんと三人で、東町に飲みに行った。
 店は、カウンターに5人とテーブル2つにそれぞれ4人ずつの、合わせて13、4人しか入れない小さなスナック。Gさんの行きつけの店で、その夜、招待されたのだった。
 Gさんは、私のアパートの近くにある水道工事会社の社長。時々、パソコンを教えに行っているので、そのお礼の招待だった。
 店には三線が置いてあった。Gさんは三線を習い始めたばかり。Oさんは上手。私もある程度は弾ける。で、その夜は民謡大会となった。
 店の従業員らしき人がママさんの他に一人いて、たまにアルバイトで役者の仕事もしているという男だか女だか判断が難しい人。最初はてっきり女だと思っていたのだが、オカマに間違われることがあるよっていうセリフを聞くと、男のようである。その声はまったく女なのだが、おっぱいはなさそうなので、どうやら男のようなのだ。
 彼もまた、上手くはないが三線を弾き、ソプラノの声で上手に民謡を歌う。その後、がっしりした体格のオジサンが入ってきた。出入りの氷の配達人だった。ママさんが、この人は上手よ、って言うのでリクエストしたら、2曲、歌ってくれた。上手だった。
 芝居仲間だというオジサンが入ってきた。彼もまた民謡を上手に歌った。そのオジサンに、かねてからの疑問を尋ねてみた。「艦砲ぬケェーヌクサー」の意味だ。
 私はてっきり、艦砲射撃の、ケェー(まったく)、の、クサー(後ろ)と解釈してて、艦砲射撃のすぐ後ろにいたんだ、という内容の歌とばかり思っていた。違っていた。
 「艦砲ぬケェーヌクサー」は、正しい表記ではケェーがクェーとなっており、艦砲射撃の、クェー(食う)、ヌクサー(残し者)という意味だった。戦争が終わって、生き延びたものの、しょせん我々は艦砲射撃の食い残しに過ぎないのさ、っていう内容の歌だったのだ。よく考えれば、重たい内容の歌なんだが、ウチナーンチュは、それを明るいリズムとメロディーで歌い飛ばす。感心した。
 今、上映されている映画「風音」を観た。これもまた、戦争が関わる重い内容の映画ではあったが、全体に流れる沖縄の時間のリズムが、なるようにしかならないといったおおらかさを感じさせ、久しぶりに感性を満足させてくれた。じつに良い映画だった。
     

 記:ガジ丸 2004.7.1 →沖縄の生活目次