トイレに入って雲子をした後、トイレットペーパーが無いことに気付く。私の部屋のトイレはヲシュレットでは無い。ペーパーは絶対必需品。一人暮らしを始めてから12年になるが、一人という油断があるのか、そういったことはこれまでに数回ある。
私の部屋のトイレは和式である。雲子座りから中腰になって、そのままドアを開け、棚にあるトイレットペーパーを取る。幸いにも、中腰のまま届く場所にある。しかし、そのみっともない格好、他人には見せられない。
トイレットペーパー、初めの頃はその大きさ、見た目なかなか変わらない。その形状からして当然と言えば当然なのだが、使っていくにつれてその小さくなるスピードが速くなる。そろそろ無くなるかなあと思ってからは、あっという間に、と思うほど速い。
コロコロ音を立てて巻き取られていくローリングペーパー、一巻き一巻きが時間みたいである。終わりに近づくにつれて時間は速く進む。そして、まったく、人生はトイレットペーパーみたいなのである。生まれてから20年位はとても長く感じ、それからはしだいに時間の進み方が速くなる。中年になってからの10年は、青春の頃の1年位に感じる。でも、だからこそ、1年1年を大事にしなきゃあなどと思うオジサンなのであった。
地球の環境汚染もおそらく、ローリングペーパーのようにそのスピードはどんどん増していくのだろう。人類の叡智がそれを止めてくれることを期待する。
地球温暖化で北極南極の氷が溶け、陸地が少なくなり、その少なくなった陸地を金持ちや権力者に独占され、私のような平民は、沖縄島と共に海中に沈んでしまう、というような状況にならない限り、そして、それに加えて、少なくとも私の周囲(世界平和まで考えないところが平民らしい)が平和でありさえすりゃ、私は何とか生きていける。神頼みなど普段はやらないが、「どうぞ今年も平和でありますように」と、新年になるとたいてい酒を飲みながら、テレビを観ながら、鼻毛を抜きながら、屁をこきながら思う。
記:2007.1.12 ガジ丸