ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

硫黄島からの手紙

2007年01月05日 | 通信-音楽・映画

 私は平和主義者であるが、防衛庁が防衛省になったからといって、別に不満に思うことは無い。まあ、50歩譲ったくらいの気分である。私は手を繋いで歩くことは嫌いであるが、女性が望めばそうすることが多い。50歩譲ったくらいの気分である。
 私の両親は悲惨な沖縄戦の頃、十代であった。死の恐怖を抱きながら少年少女は逃げ回っていたらしい。その両親からだけでなく、周囲の年寄りの多くから、その他、沖縄のテレビ番組、書籍などからも沖縄戦の悲惨を私は見聞きしている。そういった中から「軍隊は、時に狂気に振る舞い、しばしば民の敵になる」ということも知っている。というわけで私は、自衛隊が軍になることについては強い抵抗がある。それについては、万歩譲るくらいの気分となってしまう。万歩譲るは、諦めるに等しい。

 12月の初め頃に映画『蟻の兵隊』を観たが、年末には『硫黄島からの手紙』を観た。戦争関連の映画が続いた。60年も経った今、改めて平和について考える時代ということなのか。12月にはフジテレビで、硫黄島関連の特番をやっていた。あの時代に、市丸さんという偉い親分がいたのだということを知った。
  映画『硫黄島からの手紙』にも市丸さんは登場したが、チラッと出ただけで、その映画の中では重要な役ではなかった。硫黄島の日本軍は渡辺健扮する栗林忠道陸軍大将がトップにいて、市丸海軍少将はその下にあり、一小隊を率いた。負けが必至の戦場にいて、それでも兵たちの命を大切に思った偉い人なのであった。市丸海軍少将は、アメリカ大統領ルーズベルトに宛てた『ルーズベルトニ与フル書』を書いたことで有名になっている。
          
 
 映画を観る限りでは、栗林陸軍大将もまた立派な人であった。彼我(アメリカ人も日本人も)ともに同じ人間であることをよく承知しており、戦争に憂いを抱く人であった。また、市丸少将と同じく、兵隊の命を大切に思う大将なのであった。
 太平洋戦争の初期、海軍総司令官であった山本五十六は、アメリカと戦争することに強く反対した人であった。彼の言葉で強く印象に残っているものがある。
 「百年兵を養うは、ただ平和を守るためである」
軍隊は、戦争するためにあるのでは無く、平和を守るためにあるということであろう。

 山本五十六や、栗林忠道、市丸利之助などのように、戦争を憂い、人の命を大切に思う人間が、そういった人間だけが常に軍隊のトップにいるというのであれば、自衛隊が軍になることについて大きな抵抗を持たない。そういった人間”だけ”が”常に”軍のトップにいることはきっとありえないこと。「日本人の多くが正義の心を持っている」ということについては私も期待していて、概ねそうであると思っている。であるが、「日本人の多くが悪の心を持っている」ということにも気付いている。だから、自衛隊が、「時に狂気に振る舞い、しばしば民の敵になる」であろう軍になることには、強い抵抗を持つ。

 映画鑑賞の際、私は最後、館内が明るくなるまで動かない。エンドロールを見ながら映画の余韻に浸るのが好きだからだ。『硫黄島からの手紙』の時もそうしていた。
 私が座っている列にはカップルが1組、真ん中辺りに座っていた。そのカップル、エンドロールが始まるとすぐに立った。カップルの右側には誰もいない。が、出口はカップルの左側にある。左側には風采の上がらないオジサン(私のこと)が座っている。当然、ちょっと遠回り(といってもほんの5、6m)になるが、余韻に浸っているオジサンの邪魔をせぬよう右側から帰るのかと思ったら、二人は私の前を通って行った。
 余韻に浸っているオジサンのために5、6m余分に歩く損はしたくないということであろうか。こういった些細な損得に拘泥する人は、栗林や市丸にはなれないぜ!・・・などと、若者のちょっとした振る舞いに腹を立てる私も、栗林や市丸にはなれないぜ!

 記:2007.1.5 ガジ丸