ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

見聞録019 雨の国

2015年09月07日 | ケダマン見聞録

 ジラースーが珍しく金曜日にやってきた。金曜日に島にやってくることは稀にあるが、ユクレー屋まで足を運んでくるのは珍しい。
 「よー、何だ今日は、結婚記者会見でもやるつもりか?」と声をかけると、
 「何くだらんこと言ってやがる。ポッテカスーが。」と言って、ジラースーはカマジシヂラーしつつ、カウンターの、俺の隣の、ゑんちゅ小僧の隣に腰掛けた。ちなみに、ポッテカスーはアンポンタンと同じような意味で、カマジシヂラーは、カマジシが無愛想、ヂラーは面(つら)で、無愛想な顔といった意味。まあしかし、マナに比べると往生際が悪い奴である。まだ、とぼけようとしている。

 「金曜日だというのに、珍しいね。」(ゑんちゅ)
 「おー、このところやっと天候が良くなってな、で、漁に出てるんだが、今朝、アカジンが釣れたんだ。オバーに土産と思ってな、持って来た。」
 「そういえば、今年のオキナワは雨が多かったそうだね。」(ゑんちゅ)
 「2月の中旬まで晴れた日は3、4日くらいしか無かったんじゃないかな。」
 「ずーっと雨だったのか?」(俺)
 「うん、大雨ってのは少なかったが、ずっと雨か曇りだったな。」
 「雨ばっかり続くと気が滅入ってしまうよね。」と、マナが話に入ってきたので、
 「ほう、お前の心の中はずっと晴れっ放しだったんじゃないのか?ヘ、ヘッ。」とからかってやる。横目でジラースーを見ると、カマジシがさらにカマジシになっていた。

 「ずーっとずーっと雨が続いたら人間は生きていけないだろうね。」とマナが訊いたので、ある惑星の、ある国の話を思い出した。
 「ある星の話だが、ずーっとずーっと雨が続いてる国があったんだ。」ということで、今回はマナとジラースーに語るケダマン見聞録その19、『雨の国』。


 その星も元々は、地球と同じように晴れたり曇ったり、雨が降ったり雪が降ったり、風が吹いたり乾燥したりの、もちろん、これも地球と同じで、地域によって多少のばらつきはあったが、いずれにせよ、地域地域の生物が生きていけるような気象環境であった。しかし、科学が発達するにつれて自然環境が悪化し、っと、これも地球と同じだな。しだいに気象環境も変化していき、ある時ついに、劇的な大変化となった。
 劇的な変化は、暖冬冷夏局地的熱波寒波、集中豪雨などとなって現れた。さらに時が経つと、ある地域では乾燥が続き、ある地域では雨が続くという変化が起きた。
 乾燥が続く、雨が続くというこの「続く」は、今年のオキナワの1月、2月が雨続きだったという程度の「続く」では無い。ある国では1年のうちに雨の降る日が2、3日あるかないかで、それもほんのお湿り程度であった。別の国では逆に、雨の降らない日が2、3日あるかないかで、その日も概ね曇りで、太陽は常に雲の向こうにしかなかった。


 ここで、マナに訊いた。「どうだ、こんな世界に住んだとしたら?」
 「乾燥が続くとあれでしょ、植物が生育できない。植物が育たなければ動物も生きていけないでしょ。降雨地の方も、太陽が出なかったらやっぱり植物は育たないよね。第一、毎日雨だと気が滅入るしね。どちらも人間は生きていけないんじゃないの。」
 「いや、科学が十分に発達しているのなら乾燥地の方は何とかなるな。降雨地から水を引いたり、海水を淡水化したりして、水の需要は賄えるだろうな。」(ジラースー)
 「その通り、そういった過酷な条件下でも人は生きていった。」


 ある島国が、国ごとすっぽりと降雨地になってしまった。国家存亡の危機となってしまった。毎日毎日雨、来る日も来る日も雨、人々の活力も失われていった。
 水は十分にあっても太陽光が無いのだ。やはり植物は育ちにくい。動物も育ちにくい。手の平を太陽にかざすこともできない。僕らはみんな生きているを歌えない。元気が出ない。気分が暗くなる。初めの頃は雨の中で運動会、雨の中で遠足、雨の中でビーチパーティーなどをやっていたが、しだいにそんな元気もなくなってしまった。
 子供達は外で遊ばなくなった。ほとんど全ての子供が青白い顔で、筋肉の痩せたもやしっ子となってしまった。元気の無い子供が増えていった。


 「でしょ、やっぱり。そのうち生きる気力も無くなっていくのよ。」とマナ。
 「まあな、一時はそのようにも思われたが、ところがどっこい、そんな中でも人々は生き続けていった。子供達の元気は無くなったが、それも一時的なもんだったんだ。」

 寝ても雨、覚めても雨、息をしても雨の中で、やはり、科学が十分に発達していたお陰である。人々は屋内環境を充実させ、人工太陽光を屋内に設け、そこで植物を育てるようにした。それによって動物も育った。十分では無いが、食料は供給できた。
 家の中でゲームばっかりだった子供達は水を得た魚のように人工太陽の下で遊んだ。合羽を着て、雨の中ではしゃぐことは無かったが、屋内では元気に遊んだ。お陰で、降雨地になる以前よりもむしろ、子供達の体力は向上したのであった。
     

 「うん、なるほどね。で、話はどうなるの?」と再びマナ。
 「いや、話はそれだけのことだ。つまりだな、人生も同じってことだ。それまでどんなに辛い人生だったとしても、頑張れば幸せは得られるってことだ。」
 「それ、私のことを言ってるの?」とマナが訊いたが、それには応えず、
 「なー、ジラースー?」と、ジラースーに問いかけ、ニコニコとできるだけ優しい笑顔を浮かべながら奴の顔を見た。カマジシジラーがさらにカマジシっていた。

 語り:ケダマン 2008.3.7