ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

1歩はたったの50センチ

2006年02月03日 | 通信-社会・生活

 テレビはこのところ毎日、捕利益者(ほりえもん)の話題である。「金がこの世の全て」みたいな彼の考え方を支持したわけでは無いが、古い利権構造に対し果敢に挑戦する改革者であると期待していただけに、実はインチキな錬金術師であったことに対して、私は残念に思うのである。金儲けのためなら善悪を問わなかったのか、と溜息する。しかし、それにしても、彼を時代の寵児であるかのように持てはやしていたマスコミが、まるで掌を返すように、ザマーミロみたいな論調になっていることの方が、むしろ気分悪い。
 彼の住まいは家賃が月250万ほどするという。私の住まいの家賃は3万円。家賃を比較すると、捕利益者は私の約80倍。年収を比較するとその差はもっと大きくなる。少なく見積もっても100倍はあるに違いない。「人生は金だ」と言う彼の価値観に従って言うと、彼は彼の人生を、私の100倍の価値で歩いているというわけである。
 その価値を人生の長さとすると、彼の歩く1歩はやたら長い。彼の1歩は私の100倍である。私が精一杯頑張って歩く1歩を1mとすると、彼の1歩は100m。速いわけである。あんまり速すぎて、自身では制御できないほどであっただろう。見かねた東京地検に「ちょっと休みなさい」と言われたのであろう。まあ、頭良いし、金から金を産む能力には長けているようなので、また、一から出直して、頑張って欲しいものだ。できれば次回は、世の為人の為になるような錬金であることを望むが。
 知人のGさんは設備工事会社の社長。会社は小さいが仕事は多く、優良な経営状態を維持している。社長のGさん自身がよく働く。誰よりも早く出勤して仕事の段取りをし、社員と共に現場に出たり、役所へ書類を届けたり、時間をみては営業もし、帰ってからは図面引き、書類作りなどをし、誰よりも遅く退社する。会社の経営状態が優良なのは、彼のそういった努力のお陰なのだろう。
 Gさんはまた、勉強熱心でもある。50歳を過ぎてからパソコンを始め、衰えた脳味噌を叱咤激励しつつ頑張って、今では図面引き、書類作りなど仕事上の作業についてはほとんど支障の無いほどに使いこなせるようになっている。歳取ってからのパソコンはエライ難儀なことなのだが、毎日少しずつ努力をした結果なのである。Gさんの一歩はたったの50センチかもしれないが、少なくとも今は、捕利益者よりも社会の役に立っている。
 今年も早や一ヶ月が過ぎた。明日は立春。立春は春の始まりということ。立春の前は大寒であるが、二十四節気では、大寒が一年のうちで「大いに寒い日」と想定されている。そして、「大いに寒い日」からたった14、5日過ぎただけで立春。つまり、春が来るのであるが、二十四節気では別に、「春になれば暖かいです」などとは言っていない。立春は概ね2月4日にあたるが、気象観測の気温でみれば、その頃が一年で最も寒い日になる。立春はだから、「今がどん底です。これから暖かくなる予定です」くらいのことを言っているのである。したがって、「春は名のみの風の寒さ」は当たり前なのである。
 季節ならば「今がどん底です」と判っている。いずれは暖かくなると判っている。だから寒さも耐えられる。ところが、年齢による衰えというのは、死ぬまでどん底に向かっているようなもの。それでも、あすに向かって歩く50センチなのである。おそらく、きっと、日本の底辺を支えている力というものは、こんな小さな1歩の、でも、確かな1歩の寄り集まりである。これが大きな力となって日本国の底力となっているのであろう。

 記:2006.2.3 ガジ丸