3週間ほど前の日曜日のお昼前、私は朝から畑仕事、その日は畝の草抜きと土ほぐし作業、エダマメを植える準備だ。作業そのものは単純で疲れる労働だが、エダマメを収穫して、茹でて、ビールの肴になることを想像しながらなので気分は楽。
作業している畝は畑小屋に近いNO3畝(小屋から順に道路に向かってNO12まである)、作業に熱中している時、ふと、人の気配に気付く。顔をあげると、そこに近所の大先輩農夫N爺様がいた。道路側での立ち話はよくあるが、N爺様が畑の中、小屋近くまでやってくるのは珍しい。もう一つ珍しいことにN爺様は作業服では無かった。
「今日は畑仕事じゃないんですか?」と訊くと、
「うん、今日は教会、その帰りだ。」と答え、その後、息子への愚痴を言い、そして、
「もう死んでしまいたいよ、疲れたよ。」と弱音を吐いた。
先週木曜日、私は朝から畑仕事、その日は道路から最も遠い南東側の角、ゴーヤーを植えるための除草と土ほぐしをしていた。しゃがんでの作業、時間がかかり腰の痛くなるきつい作業だ。でも、コツコツとやる。その時声を掛けられた。黙々と作業を続ける私の後ろに立っていたのはN爺様であった。まだお昼前の11時頃であった。
「何している?」と訊くので、
「ゴーヤーの種播きの準備です。」と答え、そして、「たまにはのんびりコーヒーでも飲んで行きませんか?」と誘った。それまで誘っても「コーヒーは夜眠れなくなるから」などと言って断っていたのに、その時は、「そうか」とすんなり応じた。
小屋前のベンチに座って、お湯が湧く間、世間話をする。コーヒー(インスタント)を入れ、それを飲みながら、私は敢えて、爺様の若い頃の話を話題にした。座ってじっくりとN爺様と話をするのは初めてだ。爺様の方がじっくりのんびり話するのを好まなかったのだと思う。「先が短いんだ、のんびりしている暇は無いよ」なのかもしれない。
でもその時は1時間半も座っていた。1時間半の話題はほとんど、爺様の若い頃、戦中戦後の話となった。私からそう仕向けた。初めてコーヒーに応じ、初めてゆっくり会話となったのはおそらく、爺様が話をしたかったのだと思う。息子と何かあって、そのこと、あるいは、息子への不平不満を吐き出したかったのかもしれない。そうは思ったが、そういった話は聞いていて楽しくないので、また、そういった話を語る爺様の心も暗くなるだろうと思ったので、敢えて私は、爺様の若い頃の話を話題にしたのであった。
N爺様は財産持ちである。今住んでいる家土地の他に100坪ほどの宅地があり。私が聞いただけでも畑地は1000坪以上ある。その宅地を息子が勝手に人に貸し、返せと言っても応じてくれないらしい。これが息子との諍いの種となっている。奥さんはもう亡くなっているが、爺様には息子3人と娘1人の子がいて、聞いてはいないが、たぶん、孫も曾孫もいるであろう。だけど爺様は独り暮らしだ。時々息子がやってくるが、「あいつは家にやってきて、勝手なことばかりしている」と、これも愚痴の種になっている。
財産があり子や孫がいる。普通なら幸せな老後だと思うが、だけど、時々耳にする爺様の愚痴を聞くと、あんまり幸せそうじゃない。私のように失うものが無い、子や孫との愛憎も無い、そんな呑気な生き方が幸せとなる場合もあるみたいだ。
記:2015.4.17 島乃ガジ丸