6月17日付ガジ丸通信『懐かしの漫画青春』でガロという漫画雑誌に触れたが、「ガロって今もあるのかなぁ」と思ってインターネットで調べた。ガロは残念ながら既に廃刊されたようだ。その後継雑誌はあるようだが、私は既に漫画への興味が薄れている。
インターネットでガロを調べている時、「ガロ系」という言葉を見つけた。ウィキペディアによるその説明は「漫画雑誌『月刊漫画ガロ』および1998年から青林工藝舎によって刊行されている漫画雑誌『アックス』などに掲載された特殊な漫画作品、ないし、その作家である個性派の特殊漫画家、またその作風を指す特殊な表現」とのこと。
ガロの好きだった私は、「そうか、俺は個性派が好きなんだ」と簡単に片付けてもいいのだが、何故、私は個性派が好きなのかをちょっと考えてみた。
自分の感性、思想を絵や文章で表現し、表現したものを世に出し他人の評価を得るということをガロに投稿する作家たちはやっている。私が考えるに、おそらく彼らの優先順位は第一に「表現すること」、次に「世に出すこと」、最後に「他人の評価を得る」ことではないかと思う。売れる漫画を描くのではなく描きたい漫画を描くということ。「俺の漫画が一般受けする訳が無い、だからガロに投稿しよう」という人もいただろう。
私は漫画に精通しているわけではないので、上の考えが正しいかどうかについては自信が無い、私がそう思っているというだけである。同じ考えで、私は美術に精通しているわけではないが、私の好きな画家、熊谷守一も私が思うに、彼の優先順位の第一は「表現すること」であって、売れる絵を描くのではなく描きたい絵を描いたのだと思う。
私はまた、音楽に精通しているわけでもない。私の流行歌はキャンディーズ、ピンクレディー、吉田拓郎、井上陽水あたりで止まっている。その後私の音楽趣味は高田渡、友部正人、いとうたかお辺りへ向かい、オジサンと呼ばれる年齢になってからはクラシック、ジャズ、沖縄民謡となり、洋楽も和楽もポップスはほとんど聴いていない。
そんな私がまたも大胆なことを言うと、流行歌(ポップス)のほとんどは建前の歌ではないかと思っている。「他人の評価を得る=売れる」を第一の目的にしたもの。私の評価ではそんな歌はつまらない。私が聴いて面白いと思うのは本音を語った歌となる。
若い頃好きだった女性がいる。彼女とは恋人付き合いではなかったが、何度かデートをしており、これまでの私の人生で手紙葉書のやり取りが最も多い人だ。彼女とは高校生の頃からの付き合い。何故手を出さなかったんだというと、今考えるとバカみたいなことなんだが、彼女が「私、さだまさしの歌が好き」と言ったことも理由の1つ。
「えっ、何であんな変なの?感性が俺とは離れている」とバカな男は思ったのである。私は、ファンの方には申し訳ないが、少年から青年の頃の私は、彼の歌は気持ち悪いと感じていた。ゴキブリが好きという男とは付き合えないというのと一緒、かな?違う?
何はともあれ、今考えるとそれは全くたいしたことでは無い。音楽の好みのほんの1つに過ぎない。しかも、好みは年を経て変わることもある。その人の感性の本質を表すものでは無い。・・・と今では判断できるのだが、少年はバカだったのである。
彼女と2人、A先輩から高田渡、友部正人の存在を教えて貰い、そのレコードを借りダビングしてくれたのは彼女だった。私の本音を言うと「後悔している」となる。
記:2016.10.14 島乃ガジ丸