ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

子供たちは空を飛ぶ

2009年10月02日 | 通信-社会・生活

 学校が夏休みであった8月下旬の1日、従姉の孫、男の子二人(7歳と5歳)を遊びに連れて行った。才色兼備の彼らの母親も一緒で、彼女の車、彼女の運転で出かける。
  場所は、私がトンボ公園と呼んでいる沖縄市の公園。子供達や美人妻にとっては初めての場所で、私も約1年ぶり。トンボ公園はしかし、池の水が半減していて、そのせいか、昆虫の数も激減していた。去年は多くの種類、多くの数のトンボが乱舞していたのに、ハチやアブ、チョウやバッタも多くいたのに・・・、あてが外れてちょっとガッカリ。

 子供達も少々不満が残ったに違いない、いつかその埋め合わせをしなくちゃあと思い、今度は近場だが、那覇市の原生林が残っている末吉公園へ連れて行こうと考えた。
 9月になって、子供達の母親、才色兼備のアラサーにその旨メールした。子連れの美人妻と不倫デート気分も悪くないのだが、「できれば亭主も一緒においで」と追記した。すると、「一人で子供二人の面倒をみるのは大変ですか?」と返信がきた。
 私がこれまでに遊び相手をした甥たち、友人の子供達に比べると、彼女の子供達は「女の子か?」と思うほどに大人しい。なので、面倒を見るのは楽勝である。ただし、大人しいといえど子供は子供、子供は空を飛びたがる。その行動を常に注意して見ておかなければならない。目を離すと、どこへ飛んでいくか分からないからだ。

 自分の欲求が満たされないと駄々をこねる。泣き喚いて自分の要求を通そうとする。周りの迷惑を顧みず我儘にふるまう。こういったことは子供のすることである。子供のほとんどは、感情を押さえつけて我慢することができない。感情を抑えて我慢するという修行はこれからである。その修行を積んで、彼らは大人になっていく。
 ただし、感情を押さえつけて我慢することは、人として身に付けるべき力だが、感情を思いっ切り発散することもなければ、豊かな感性は育たないのではないかとも思う。自由に空を飛び回るような心の開放が、子供たちには必要だと思う。
 というわけで私は、我儘で自己主張の強いアメリカ育ちの甥や、比類なき暴れん坊(かつて保育園から退園処分を受けたほど)の友人Hの息子たちを遊びに連れて行った際は、できるだけ、彼らの行動の、制限のハードルを低くした。
  子供達は動き回る。我儘と暴れん坊は大人が予想しない行動を取る。彼らの動きを追いながら、ここまではいいが、これ以上はダメということも考えながら、常に監視する。大人たちは心の休まる暇が無い。子供達の体をロープで縛って、一方を木に括りつけて、ロープの長さの範囲外には行けないようにしてやろうと、何度思ったことか。
 そんな子供達も、感情を抑えて我慢するという修行を積んで、大人になった。暴れん坊は大学を卒業し、親の店を手伝い、これまでいい加減だった経営、経理について、親に意見し、教育をするまでになっている。見事な育ちっぷりである。

 さて、去った日曜日の午後、従姉の孫二人とその父親を連れて末吉公園を散策した。子供達はバッタ、チョウ、トンボ、カエルなどを見つけ、遊具で遊んだりもして、たっぷり楽しんだ。彼らの心は空を飛ぶことができたと思う。二人の監視は父親がしっかりやっていた。お陰で私は概ね自由、オジサンもまた、気持ち良く空を飛ぶことができた。
          
          

 記:2009.10.2 島乃ガジ丸