ガジ丸が想う沖縄

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北島角子

2017年05月05日 | 沖縄03音楽芸能・美術工芸・文学

 沖縄のオバサン
 
 沖縄のローカルラジオ番組である「民謡でちゅううがなびら」が好きで、高校生の頃から聴いている。今は平日の午後4時からの開始だが、数年前までは平日の午後3時からの開始だった。平日の午後3時なので高校生の頃だと春休みとか夏休みとかに聴いていたのだと思われる。浪人生(宅郎だった)になると聴ける機会は多くあった。
 私は、沖縄民謡が好きというよりも興味があった。沖縄に根付く音楽、今でも新しい民謡がどんどん生まれている音楽、土着の気分に合う何かがあるはずだ。民謡番組の「民謡でちゅううがなびら」は民謡が多く流れる。ところが私は、「民謡が大好き」というわけではないので、民謡が流れている時間、熱心に耳を傾けていたのではない。私が熱心に耳を傾けていたのは民謡が流れていない時間、出演者たちのユンタクの時間だった。

 高校、浪人の頃は出演者が誰だったか覚えていないが、大学を卒業して沖縄に帰ってからは、配送の運転手をしていたこともあってラジオを聴ける環境にあり、「民謡でちゅううがなびら」もよく聴いていて、出演者も上原直彦、八木政男、北島角子であったと覚えている。ただ、八木政男、北島角子は子供の頃から知っている。2人とも俳優。
 子供の頃、テレビで沖縄芝居を放送する番組があった。確か、「水曜郷土劇場」とかいう番組名だった。はっきり覚えてはいないが、八木政男も北島角子も時々その番組に出演していたのではないかと思う。最近観たDVD(図書館から借りたもの)では『丘の一本松』に2人共出演していた。そのDVDは舞台演劇を撮影したもので制作年月日は不詳だが、おそらく、画面の北島は60歳超えていて、見事なオバー(お婆さん)役を演じている。私が小学生の頃なら、北島は30代半ばだ。その頃の印象はよく覚えていないが、北島角子は私にとってずっとオバサンだった。見事な沖縄のオバサンであった。
     

 会社をリストラされて農夫になった2012年夏からは「民謡でちゅううがなびら」をほぼ毎日聴いている。放送時間が午後3時から午後4時へとなったのはその後だと記憶している。そして、去年のたぶん今頃から、「民謡でちゅううがなびら」に北島角子の声が出なくなった。「歳が歳だけに体のことを考えての引退かな」と思った。そして、
 1月ほど前の今年(2017年)4月10日、午後4時、私はその日、介護施設のバイトで、デイサービスにいるご老人達を宿泊施設へ送り届けるため車で待機中、車で待機中はいつもラジオを点けている。午後4時になると「民謡でちゅううがなびら」に周波数を合わせる。一緒に乗るご老人方の多くも民謡が大好きだ。「民謡でちゅううがなびら」はいつものテーマソングで始まったが、その後の出演者の声はいつものようではなかった。メインの上原氏から「北島角子さんが亡くなった」旨の報告があった。

 北島角子が私にとって身近な人だったなら「煩ぇオバサンだ」と、自由大好き私はきっと思うだろうが、それと共に、その凛とした姿勢と言葉に「面白ぇオバサン」だとも思ったに違いない。もしかしたら仲良しになったかもしれない。私にとってはいかにも沖縄の元気なオバサンというイメージのまま4月9日他界。享年85歳とのこと。合掌。
     

 記:2017.5.5 ガジ丸 →沖縄の生活目次