父が半年に渡るアメリカ旅行から帰って来た。金曜日の夜遅く、空港に迎えて、家まで送り届けると、「話がある。明日も来てくれ。」と言う。で翌日の午後に訪ねる。財産や跡継ぎといった難しい話なら第三者もいた方が良いと思い、従姉に同席してもらう。
「話がある」の話は後述するが、その日、話もだいぶ進んで、一段落した頃、
「コーヒーを入れてくれ」と父が言うので、入れてあげたのだが、
「砂糖が入ってないじゃないか」と文句を言い、従妹が砂糖を入れてあげると、
「甘過ぎる」と、また文句を言う。
「自分が飲むコーヒーは自分の好きなように自分で入れろよ。」と私は思う。
他にも、自身の近くにあって、どこにあるのか知っているものを、自分より離れた位置にいる私に持ってきてくれと言う。どこにあるか分らない私は探す。「目の前さあ、分らんのか!」と文句を言う。まったく、腹の立つ親父なのである。
母は他人に頼ることを好まない性格であった。その性格を私は好んだが、甘えたがりの父の性格は好きでない。父の甘え癖は、母も嫌がっていた。
先週、行きつけの喫茶店でオバサンたちにその話をすると、大いに賛同を得た。
「私の父もそうだし、亭主もそうなのよ。男とはそういうもの、女とはそういうものなんて思っているのかもしれないさあ。」とのこと。翌日、友人のE子に同じ話をすると、「亭主関白が当たり前と思っている世代なんじゃないの、私達の世代でも半分はそういう男だと思うよ。」とのこと。亭主関白とは女房を顎で使うということみたいである。
30年ほども前になるか、さだまさしの『関白宣言』という唄が流行った。浮気もちょっと覚悟はしておけという辺りまでは許せるが、その後の優しさ宣言みたいな歌詞が私は苦手で、その他の作品も概ねそうであるため、私はさだまさしの唄が苦手である。
などと、今回はかんぱく宣言の話では無い。「かんぱく」では無く「かんぱい」。かんぱいと言っても、飲み会でやるあまり意味の無い乾杯についての話でも無い。
その日の父の話は、「今の家から離れる気は無い。」ということであった。アメリカへ行く前、私が夜中までかけて作った『年寄も元気で暮らせる新築計画』という設計図を見せたら、大いに喜んで、「話を進めてくれ」とまで言った父が、「この家は母さんと私の血と汗の結晶だ。」なんて、父に似合わないセリフまで飛び出た。
私の計画は、父の楽しみである畑仕事ができ、バリアフリーであり、私や従姉が近くにいて、この先、10年か20年、父が楽しく生きていけるように考えた計画。ついでに、家が老朽化して困っている従姉(この日一緒の従姉とは別)も幸せになる計画だ。将来、田舎で農夫を予定している私としては、老後、そこに住むわけでは無いので、特に恩恵を受けることの無い計画だ。父が望まないのであれば、それでも構わないのである。
それにしても、「話を進めてくれ」から「血と汗の結晶だ」への変化には驚く。姉に説得されたのであろうが、その洗脳振りは見事というしかない。敵ながらあっぱれである。良い計画だという未練は少し残るが、この件については私の完敗である。
というわけで、今回は完敗宣言。
記:2008.9.19 島乃ガジ丸