台風22号のせいで中止になったが、先週土曜日(28日)今週日曜日の2日間の予定で『第31回日本高齢者大会』が沖縄であり、その中の企画の1つ、沖縄国際大学で行われる2日目の学習会に私は参加するつもりで、その参加証も入手していた。
私が参加する予定だった学習会のテーマは『高齢者の貧困と下流老人問題』。私がそうなる予定でもあるが、私はまだ、少ないながら年金が貰え、65歳からは家賃3万円程度の安アパートに住み、質素倹約すれば光熱費、通信費も支払える。65歳からの私の年金は厚生年金だから何とかなる。しかし、国民年金だけの人は生活できないのではないだろうか、そういった人達はどうやって暮らしを立てるのだろうかと疑問を持っていた。
現在私が借りている畑(ナッピバルと名付けた)は300坪弱あり、体が動く限りで言えば、私はそこで農作業をし、少なくとも自分が食べる分は生産できる。しかし、私のやり方(無農薬無肥料で概ね自然栽培)で現金収入を得るのは難しい。先輩農夫で、農夫として成功している友人のNが言うには「露地栽培では難しいよ、ハウス建てなきゃ」とのことである。しかし、ハウス栽培だと無農薬無肥料では作物を育てるのは難しい。
さらに、ハウスを建てるには金がかかる。現役の頃の蓄えが無く、国民年金のみが収入源のお年寄りたちだと、土地を借りての小作農では生活が成り立たない。ハウスを建てる金も無いのであれば、労働に長い時間をかけて、やっと食えるだけの老後となる。
ナッピバルを始めて1~2年経った頃、私は畑に置いてあった脚立を2台盗まれた。大きなシンメーナービ(ヒージャー(山羊)汁を作るような大きな鍋)を盗まれ、昭和の時代洗濯に用いていたタライも盗まれた。「まさか、他人の畑に入ってまで物を盗む人はいないであろう」という、私の甘い考えに気付かされたのであった。
資源ゴミの日になると朝早くから自転車に乗った、あるいは軽トラックに乗ったご老人方が資源ゴミを拾得して回っている。彼らは資源ゴミの中から空き缶や紙類を持って行った。空き缶も紙類も金になると、数年前、彼らの1人に聞いたことがある。
資源ゴミの日はだいたい週に1回、その日に家々の前を回って空き缶や紙類を集め、それを売っていくらかの現金を得る。資源ゴミを集めるご老人方はその地区にたいてい数名はいるので競争率も激しい。1人の集めた分では大した額では無いと思われるが、それでも、その現金が家計の足しになっているのであろう。そうやって生きている。
私が盗まれた脚立や鍋、タライなどもそういったご老人たちが「これは地面の上に落ちているものだ」と見なして持って行ったに違いない。であれば、私が3千円で買った脚立を100円200円で売られたら腹も立つのだが、その100円200円でご老人たちが糊口を凌げるのであれば、そのご老人たちが爪に火をともすような生活をしているのであれば、私にとっては多いなる損害でも、彼らを責めることはできない。
爪に火をともすような老後の暮らし、私だって例外では無い。この先、荒れ心臓総理の思惑通り物価が上がって、私の少ない年金では暮らしていけないかもしれない。
ちなみに、「爪に火をともす」は「蝋燭のかわりに爪に火をともすほど、過度に倹約する」(広辞苑)、「糊口を凌ぐ」は「かろうじて生計を立てる」という意。
記:2017.11.3 島乃ガジ丸