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ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

愛媛高知の旅2006春-高知編

2014年02月18日 | ガジ丸の旅日記

 15、足りなかった酒と肴

 宇和島から江川崎へ向かう電車「しまんとグリーンライン」では、予想に反して車内での飲み食いができなかった。電車に慣れないウチナーンチュなのであった。で、中村から高知へ向かう特急に乗る際には、乗る前に駅前の観光案内所へ行き、
 「次の特急に乗るんですが、その中で飲み食いはできますか?」と訊いた。案内所のきれいな若いお姉さんは
 「え?それは・・・できますけど・・・。」と怪訝そうな顔をして答えた。最初に「電車に慣れないウチナーンチュなんですが」と断りを入れた方が良かったかもしれない。特急の車内で飲み食いは普通のことで、「何訊いてるのこのオジサン。何か特別なものを食べたり飲んだりするのかしら?」という怪訝だったかもしれない。

 ビール500ミリリットル1缶と干し貝柱を買い、9時21分発高知方面行きの特急に乗る。高知へは10時58分着の予定。予想していたことではあるが、約1時間半をビール1缶、干し貝柱(小)では全然足りなかった。
  去年までは、1時間以上の電車の旅がある場合は、ビール1缶に加え、日本酒2合も飲んでいた。肴も乾物では無く、駅前のスーパーで煮物や揚げ物などの惣菜を買って、それらを酒の肴としていた。が、今年はそれを控えた。今回、酒と肴が足りなかったのは私のうっかりミスでは無く、そうしようとの私の意志なのである。
 オジサンは知能や体力も落ちているが、酒にも弱くなってしまった。去年の旅では電車移動中の酒が効いて、美術館のベンチで鼾をかいて寝てしまった。静かな館内での鼾は他の客に迷惑であろうと、今年からは昼間の酒は控えるようにしたのである。

 土佐くろしお鉄道もまた、松山宇和島間と同じく山越えであった。途中トンネルがいくつもあって、景色を楽しむということもあまりできなかった。飲む酒も無いオジサンは少しウトウトする。車内案内の声は若い女性の声であった。「お出口は右側です」の「出口」のグと、「右側」のガにアクセントのある柔らかい口調が、耳に心地良く残った。
     

 16、偉人の出る土地柄

 高知では、牧野植物園、高知県立美術館、桂浜の3ヶ所を巡る予定である。高知駅に着いて、駅前の観光案内所へ行く。予定している3ヶ所の交通の便や所要時間などを訊き、どこをどのように回るかスケジュールを決めるつもりである。

 観光案内所のオジサンはぶっきらぼうな人で、訊かれたことに答えるだけ。まあ、それで十分なのではあるが、あまり親切な感じでは無かった。で、訊きたいことだけを訊いた私もさっさとその場を離れたのであるが、10mほど行ったところで、後ろから怒鳴る声が聞こえた。振り返ると、さっきまで私が立っていた観光案内所の窓口の前で、土地の人らしきオジサンが私の方を見て怒鳴っている。ここは『極道の妻たち』の土地である。「やばいかも」と思った私は、ちらっと見て、あとは無視して歩き続けた。すると、そのオジサンはさらに大声で怒鳴った。また振り返る。やはりこっちを見ている。「やはり俺か」と観念して、オジサンを、今度はしっかりと見る。オジサンは手に何か持って、それを私に向かって振っている。よく見ると、それは私のスケッチブックであった。

  旅にはスケッチブックを持って行く。旅の記録がそれには書かれてある。絵日記風にしようと思ってスケッチブックにしたのであるが、今までに絵を描いたのは3度しかない。いずれにせよ、記憶力の不安な私にとっては大事なもの。それをうっかり落としてしまったようだ。見ると、バッグのチャックが開きっ放しになっていた。
 スケッチブックを拾ったオジサンは怒鳴っていたのでは無い。怒っているように見えたその顔も怒っていたのでは無い。私には高知弁がそのように聞こえ、大声を出すその顔がそのように見えたようなのである。「男じゃけん。意思表示は大声ではっきりと。」ということなのかもしれない。意思の強さ、押しの強さなどを持っているからこそ、この土地から歴史に残る偉人が多く輩出されたのであろう。
 ちなみに、隣の愛媛の言葉はのんびりした感じで、柔らかかった。
     

 17、旅人の心得

  駅前から路面電車に乗る。はりまや橋で乗り換えて県立美術館へ向かう予定。で、はりまや橋に着いて、運転手のいる側の降り口へ行き、200円を出す。電車賃は190円である。若い運転手だった。彼はムッとした顔をして、言う。
 「ここでお釣はでません。」
 「どこで両替するんですか?」
 「後にいる車掌が両替します。」ということなので、最後尾の車掌のところへ行って両替してもらい、再び前の運転手のところへ行き、乗り換えの方法を訊いて、金を払う。運転手はあからさまに嫌な顔をしている。「モタモタすんなオヤジ、オメェのせいで電車が遅れてるんだぞ!」とでも言いたそうな顔であった。
 電車の乗り方、運賃の支払い方、乗り換えの仕方などは事前に調べておくのが旅人の心得なのであったかと、私は高知で初めて気付かされたのであった。

 18、老眼のせいで

 はりまや橋で降りて、県立美術館方面行きの停留所へ向かう。路面電車の運転手に「乗り換えの電車はどこで待てばいいですか?」と訊いて、彼が面倒臭そうに「あっち」と大雑把に指差したところに停留所はあり、そこへ行った。が、そこは逆方面行きの停留所であった。見ると、すぐ近く、運転手が大雑把に指差した範囲内であろうところにもう1つの停留所があり、そこが美術館方面行きであった。道を渡り、そこへ向かったが、あと十数メートルというところで、美術館行き電車は出て行ってしまった。
     

  その日宿泊するホテルは、はりまや橋から美術館へ向かう途中にあり、地図で見ると歩いて10分くらいの距離である。次いつ来るか分らない電車を待つよりはと思って、ホテルへ向かう。チェックインの時間までには3時間ほども早かったのだが、ホテルの受付の女性は親切で、部屋を準備してくれた。「なんだ、高知の人も親切ではないか」とホッと一安心。バッグの中身の大方を部屋に置いて、身も心も軽くなって、美術館へ向かう。
 地図で見ると、美術館はホテルから歩いて20分ほどのところにある。路面電車に乗って、また嫌な思いをするよりはと、歩いて行くことにする。
  高知県立美術館という案内標識を探しながら歩く。地図だとこの辺りではないかと思われるところまで来ても、そのような標識は無かった。さらに歩く。数百m歩いても標識は無い。「おかしい」と、改めて地図を見る。めったにかけない老眼鏡をかけて見る。
 ガイドブックの小さい地図に「高知県立美術館」という文字がある。高の前にP.156と書かれてある。そのP.を、老眼鏡をかけない私は美術館の位置だと思ったのだが、館の後に何やら羊の顔みたいなマークがあり、それが美術館の位置なのであると、老眼鏡をかけた私は気付いたのであった。P.と羊の顔との間は1キロ以上離れている。
 美術館に着いたのはホテルを出てから40分を過ぎていた。汗をたくさんかき、少々疲れていた。40分も離れているなら電車にすれば良かったと後悔したのだが、初めに、老眼鏡をかけるのを面倒臭がった私が悪いのである。

 19、おたく文化

 高知県立美術館では『造形集団海洋堂の軌跡』という企画展をやっていた。海洋堂についての知識はまったく無い。ポスターを見ると、どうやらフィギアのメーカーみたいである。ウルトラマンでいえばウルトラセブン、仮面ライダーでいえば初代藤岡弘の世代である私は、それ以降のヒーロー物をあまり知らない。子供の頃から漫画は大好きだったが、人形で遊ぶことをあまりしなかった私は、フィギアに対する関心は薄い。
  展示内容はヒーロー、アイドル、怪獣、動物、美少女、エロ少女までさまざま。確かにそのオリジナリティー、細部に至るまでの精巧さは芸術の域に達しているのだと感じる。日本の漫画やアニメが今はもう世界的に受け入れられて、一つの文化をなしているように、海洋堂のフィギアもまた、おたくの産んだ文化となっているのだろう。
 展示物を一通り見て、初め、ただの妄想の産物に過ぎないとの感想を持った私は、私が妄想するガジ丸のキャラクターと同じじゃねぇかと思って、そして、気付いた。
 「そうか、海洋堂の作家たちも私と同じ妄想族なんだ。ただしかし、彼らのは多くの人に受け入れられる妄想で、私のは自己満足の範囲内にしかない妄想なんだ」と。

 海洋堂のフィギアは、私が知らなかっただけで、とても有名で、人気があるらしい。アキバ系と呼ばれる人たちだけのものかと思っていたが、多くの子供たちをワクワクさせ、ドキドキさせるものらしい。子供たちに夢を与えているらしい。偉いのである。
 それにしても海洋堂の女性のフィギアは、裸体に近い女性も服を着た女性も、もえーな女性も女子高生もそのほとんどが、おっぱいが異常に大きい。私の妄想の女性のおっぱいは概ね手頃な大きさ(ユーナは小さい)なので、少し驚く。
 異常に大きいおっぱいが一般受けするのかと思い、エンマン大王の付人におっぱいの大きな女性を登場させることにした。で、描いた。2時間ばかり努力したが、どうもおっぱいが大きいと全体のバランスが取れない。実際のモデルがないと描けないみたいだ。が、私の知っている人には大きなおっぱい・・・がいた。子供を産んだばかりのM子が今、大きなおっぱいだ。が、見せてと言ったら殴られそうである。諦める。
     

 20、後姿もカッコイイ

  美術館からバスに乗って桂浜へ行く。日本の歴史上の人物で、これからあるべき国の形をしっかりと見据えていた人物の一人、坂本竜馬に会いに。
 桂浜に着いてすぐに竜馬像のある場所へ向かう。階段を上りきって、眼前に海が広がる崖の上にそれはあった。初対面の竜馬は後姿であった。午後の陽射しに照らされていた。竜馬は海を眺めている。その姿は、しっかり明日を見て、悠然と立っているみたいで、後姿もカッコイイのであった。背中が男を表現している。写真を撮る。
 その顔も拝もうと前に回ったのだが、逆光で顔がよく見えない。写真を撮るが、写真でも暗かった。でも、まあ、いいのである。背中だけで十分竜馬のオーラが私には伝わったのである。こんな男が日本にはいた、というだけで何か嬉しいのであった。
     
 
 桂浜は全体に大きな公園となっており、浜辺から樹木の生い茂った中を、写真を撮りながらブラブラした。その後、坂本竜馬記念館へ行く。竜馬に関する資料は観ておきたい、さらに、竜馬を理解できるようになりたい、などと思ってのこと。
 記念館へ入ろうとしたら、その入口に警備員が出てきて、「閉館まで15分しかありませんが」と申し訳無さそうに言う。そうであった。またも私はうっかりしていた。こういった場所が5時頃には閉まるのであることを忘れていた。竜馬像を観たり、桂浜を散策する前に、先ず、ここに来なければならなかったのだ。たくさん後悔する。
      
     

 21、ちょっとだけ役に立つ

  竜馬像の前に浜へ下りる階段があった。せっかくの階段なので下りてみる。桂浜の浜がそこにはあった。沖縄とは違う浜辺の景色。波が高く、砂が黒い。
 浜辺をブラブラ散歩していると大きな犬に出会った。「おー、これが土佐犬か。」と、土佐犬なのかどうか確認したわけでは無いが、そう確信するほどの堂々とした体躯に私は、「うん、こいつは強い。ケンカしたら負ける。木刀持っても負ける。真剣なら互角。」などと妄想する。主人にリードを持たれた姿であったが、そのオーラはしっかり感じた。
     
     

  この旅の初日、松山城を散策している時に蚊にたくさん刺された。二日目の宇和島城でもたくさん刺された。で、宇和島で虫除けスプレーを買った。三日目の四万十川トボトボ旅では、バッグの中に虫除けスプレーはあったのだが、意外にも四万十川では蚊に刺されることが無かった。で、虫除けスプレーは使わずに済んだ。
 桂浜は全体に大きな公園となっており、浜辺からその公園内を散策することにした。その多くは藪の中であった。藪の中なので蚊が多い。宇和島で買ったスプレーがこの時初めて役に立ってくれた。のんびり歩くことができ、じっくり写真を撮ることができた。
 翌日、高知城を散策した時にも蚊はたくさんいた。私はたくさん刺された、何故?
 とんまな私は、高知城へ行く前にバッグをコインロッカーに預け、バッグの中に虫除けスプレーを入れたまま忘れたのであった。虫除けスプレーは桂浜の公園を散策しているほんの1時間ばかり、ちょっとだけ役にたっただけということになった。
     

 22、たった五切れです

  高知の夜は、今回の旅の最後の夜。旨いものを食べようと、はりまや橋近辺で飲み屋を探す。看板に土佐料理、または郷土料理と書いてある店を探す。「いかにも」という大仰な店がいくつかあったが、そこは避けて、割合小さな店を選ぶ。
 落ち着いた、イイ感じの雰囲気の店。まだ6時過ぎという早い時間だったせいか、客は少なかった。ために、落ち着いた上に静かであった。私好みとなっていた。

 先ずは生ビールを頼む。それからメニューを開く。店を探し回っている間に既に気付いていたが、 土佐と言えば鰹のタタキである。メニューの本日のお勧めに鰹のタタキはあった。今が旬なのであろう。旬といえば、その隣に鱧(はも)料理もあった。両方食べたいし、他にも焼き物や煮物料理も食べたかったので、小食の私は念のため、
 「鰹のタタキって量は多いですか?」と女将さんらしき人に尋ねた。
 「いえ、たったの五切れですよ。」と彼女が言うので、たったの五切れなら大丈夫かと思い、とりあえず、鰹のタタキと鱧の唐揚げを頼む。
 しばらくして、出てきた鰹のタタキは、確かにたった五切れではあった。が、その一切れは、沖縄で 食べなれている鰹の一切れの3倍くらいの大きさがあった。鰹のタタキと鱧の唐揚げを全部食べたら、腹いっぱいになってしまった。店を出る。
     
     

 そうそう、その店の壁に貼られていたメニューの中にゴーヤーチャンプルーがあった。こんなこと、数年前までは想像もできなかったこと。日本の、南の果ての田舎の料理が、今はもう全国的に市民権を得たということだ。ちょっと嬉しかった。
     

 23、言うこと聞かない売り子

 腹はいっぱいになったが、酒は飲み足りない。かといって、どっか店に入るのはちょっと面倒に感じる。カメラのメモリーカードがほぼ満杯になっていたので、写真の整理もしなければならない。で、ホテルの部屋で飲むことに決めた。
 まだ8時前、デパ地下が開いていた。日本酒二合瓶を買う。酒だけでは淋しいし、これからホテルへ戻って、風呂に入って落ち着いた頃には、胃の中のものもいくらかは消化しているだろう。肴もちょっと買うかと店内を物色する。

 「全部半額だよー」と声がする方へ行くと、野菜や肴の唐揚げを売っている惣菜屋があった。バラにあるものをいくつか詰めたパックが600円のところを300円らしい。だが、そのパックに入った量は多すぎる。
 「多すぎるので、減らしてください。魚の唐揚げは要りません」と注文する。ハイハイと売り子のオバサンは肯きながら、魚の唐揚げを出す。出したかと思ったら、
  「イカも美味しいよ」と言って、イカを入れる。
 「多いです」と重ねて言うと、「多いの」と答えつつ、イカを出す。出したかと思ったらまた、今度は鶏を入れる。言うこと聞かない売り子なのである。そして、こっちが口を出す前に、輪ゴムでパックを閉じ、袋に入れ、
 「ハイ、600円をおまけして500円でいいよ。」とおっしゃる。500円出す。デパートを出てから、「全部半額だよー」を思い出したが、後の祭りであった。商魂逞しいっていうのか、何だか、生き馬の目を抜かれたような気分であった。
 ホテルに戻って、風呂に入り、窓を全開にして、パンツ一丁の姿で椅子に座り、夜空を眺めながら酒を飲んだ。酒は旨かった。腹は立ったが、惣菜も旨かった。
     

 24、牧野には縁無く

 HPで植物を紹介するようになってから1年半ばかりになるが、最近は植物の学名にも興味を持つようになった。牧野富太郎の名前はずいぶん前から知ってはいたが、学名に興味を持ってからはずっと身近に感じるようになっていた。
 今回の旅の目的は漱石、子規、山頭火、竜馬、四万十の鮎などあったが、その第一は、高知にある牧野植物園を訪ねることにあった。日本の植物学の大権威である。彼の名を冠した植物園は、ぜひ、観ておかなければならない。

 高知駅の観光案内所で尋ねた時、そこのぶっきらぼうなオジサンが、「今日は無いが、明日の土曜日ならはりまや橋から植物園までバスがあるよ」と教えてくれた。土曜日は帰る日だが、帰りの飛行機は午後2時10分発。午前中たっぷり植物園を見学できる。
 で、土曜日の朝。ホテルの近くにもバス停があったが、念のため、ホテルの人に訊く。すると、植物園行きのバスは特別なバスで、そのルートにある全てのバス停には停まらないとのこと。ホテルの近くのバス停には停まらないとのこと。そこからもう一つはりまや橋よりのバス停には停まるとのこと。訊いて良かった。ラッキーであった。
  で、そこのバス停まで歩いた。予定の倍の時間がかかってしまったが、バスが来る5分前には着いた。旅の最終日はラッキーな事が続きそうだと予感された。ところが、
 バス停の標識をボーっと眺めていると、「このバスを利用する際はカードが必要です」と書かれてある。しかも、「カードはバス内での販売はしておりません」とある。そして、カードを販売している最寄の場所が地図で示されてある。そこは、バス停から見える場所にあった。見えてはいるが、道を渡った向こう。往復5分ではとても行けない距離。次のバスは1時間後、帰りの飛行機を考えると、植物園見学は1時間半しかできない。どーする、としばし悩んだが、結局、牧野植物園は諦めることにした。

 第一の目的であった牧野植物園ではあったが、牧野には縁の無い旅となってしまった。今回の旅、ついてないことが多かったが、やはり、最終日もそうなった。

 25、違いの判らないオジサン

  牧野植物園見学を諦めたことで、時間がぽっかり空いた。「土佐二十四万石博」なるものが高知城公園で開かれているらしいことを、どこかで、そのポスターを見て知っていたので、そこへ出かける。他に行くところは思いつかなかった。
 私は若い頃、歴史小説が好きで、特に司馬遼太郎が好きで、その作品はいくつも読んでいる。で、坂本竜馬が活躍していた頃の土佐藩主は山内容堂である。土佐山内家の始祖は山内一豊である。などといったことを承知している。
     

 今やっているNHK大河ドラマの主人公が山内一 豊の妻らしい。ドラマの原作は司馬遼太郎の『功名が辻』ということは知っているが、その内容はほとんど覚えていない。山内一豊の妻がおりこうさんであったこと、持参金で馬を買って、その馬が一豊の出世に大いに役立ったことくらいが記憶に残っている。そのおりこうさんの役を仲間由紀恵がやっている。ウチナーンチュの女優だ。ウチナーンチュだからといって私に縁は無い。
 ウチナーンチュの女優といえば仲間由紀恵の他に、『ちゅらさん』の国仲涼子も有名だが、国仲涼子は、私の実家近くにあるぜんざい屋さんでバイトをしていたらしい。そこで顔を合わせたかもしれない。また、『ちゅらさん』で彼女が演じていた女子高生は首里高校のセーラー服であった。私は首里高校出身である。というわけで、彼女とは僅かに縁があると言える。そんな彼女が先日テレビに出ていて、「加藤ローサ」と紹介された。「え?改名したの?」と一瞬疑う。そう、私は彼女と加藤ローサの区別がつかないのである。二人は似ている。ちなみに、私は、モー娘の辻ちゃんと加護ちゃんの区別もつかない。
     

 26、城が呼んでいる

  大河ドラマの主人公をウチナーンチュがやっている、ということには興味あるが、テレビドラマ(民放も含めてドラマはほとんど観ない)には興味が無いので、せっかくやってきた土佐二十四万石博の会場であったが、そこは素通りする。高知城へ向かう。
 城郭に興味を持っていたわけではない。今回の旅はしかし、不思議に縁があった。たまたま愛媛城を見学し、宇和島でも時間が空いて、たまたま宇和島城を訪ねた。そして高知城となる。興味が無いので何という感想も無いのだが、ただ、美しいとは思った。ヨーロッパの城などよりこっちの方を 私はずっと好む。そこで、「あっ」と思う。
 植物動物、食い物ばかり見てないで、日本の伝統美にも目を向けなさいということかもしれない。「日本建築もなかなか良いですよ」と城が私を呼んだのかもしれない。
 そうなのである。日本の古い建物は伝統美なのである。それがそこにあるだけで独特の空気を作ってくれる。仏像に興味があって、京都奈良の仏閣を訪ね仏像を観て来たが、その仏像を包んでいる建物に私はこれまで目が届かなかった。建物が、じつは、日本の景色を、日本らしい美しさとして表現しているアイテムであると、今回少し気付いた。
     
     

 27、忘れるオジサン

 高知城は広くて、2時間余の散歩となった。木立の中は薄暗くて、そこでたくさんの蚊に刺された。こんな時のためにと買った虫除けスプレーは、はりまや橋のコインロッカーに預けたバッグの中であった。途中、デジカメのメモリーカードが満杯になった。予備にと持ってきたカードもまた、バッグの中であった。
 「何か忘れ物ばっかりしてるなあ」と思いながら、ベンチに座って、カメラのメモリーから要らない写真を消去する作業を、老眼の目をシバシバさせながら(老眼鏡もバッグ)やっていて、ふと、もう一つの忘れ物に気付いた。

  前夜、はりまや橋の飲み屋で飲んだ後、デパ地下に立ち寄ったが、そこでお土産も少し買ってあった。自分用の土産で、魚の干物と漬物。どちらも要冷蔵だったので、ホテルの冷蔵庫に入れて、そして、それをそっくり忘れてしまっていたのだ。
 ホテルに電話して、部屋の冷蔵庫に忘れ物が残っていることを確認して、取りに行く。そこからはりまや橋に戻って、コインロッカーから荷物を取り出し、近くのベンチでしばし休憩。歩きっ放しだったので少し疲れていた。飲み物を買い、タバコに火をつける。  タバコもバッグに入れっ放しであったが、これは忘れたのでは無い。散歩している間は吸うことも無かろうと持たなかったのだ。2、3時間吸わないのはよくあること。その後のタバコがまた美味いのである。疲れていると尚更なのである。
 横に灰皿のあるベンチに座って、冷たい飲み物で喉を潤して、そして、タバコを咥え、ライターを点ける。ついてないオジサンは、ここでもついてない。ライターはガス切れとなっていた。ついてないオジサンは、ライターの火も点かないのであった。

 28、余裕のクリハラさん

  高知竜馬空港とは、何ともカッコイイ名前である。いったいいつから高知と空港の間に竜馬が入るようになったのか。バス停で、私と同じく空港行きバスを待っているらしい人に聞いた。「2、3年前かしらねえ」とのこと。
 空港には12時20分に着く。飛行機の出発時間は14時10分なので相当の余裕がある。いつも慌てる私にしては、そうはないこと。空港内を散策し、レストランでエダマメを肴に生ビールを飲み、空港の外を散策し、土産物を買い、搭乗口へ入る。

 隣の搭乗口は東京行き。機内への案内が始まっている。そこにいた全ての客が機内へ入った後に、アナウンスがあった。「東京へご出発のクリハラ様、いらっしゃいましたら急ぎ・・・」と呼びかけている。客の一人であるクリハラさんがまだ来てないようである。呼びかけは何度か繰り返されたが、出発の時間となったようで、呼びかけもなくなった。するとその時、白いスーツ姿の紳士が現れて、沖縄行き搭乗口に立った。そこの係員に東京行き搭乗口を指差されて、彼はそこへ向かった。走ってはいない。
 おそらく、白いスーツの紳士はクリハラさんであろう。なんとも余裕なのである。どうやら、紳士は遅れても慌てないようである。私のように全力疾走し、息を切らして、係員の前で頭を掻いたりはしないようである。見習わなくちゃ、と思った。

 那覇空港に着いて、飛行機を降りる前に、何人かいたスチュワーデス(今は違う言い方だが、何度聞いても覚えられない)のうち、もっとも可愛い(私の主観)人が出口で挨拶していたので、彼女に話しかけた。
 「高知空港はいつから高知竜馬空港になったんですか?」と。彼女はちゃんと答えてくれた。であるが、私は彼女の顔に集中していて、その言葉をテキトーに聞いていたみたいで、「○○年です」の○○が何であったのか覚えていない。
     

 29、ついていない旅もまた楽しく

 空港からモノレールに乗る。モノレールのホームへ上るエスカレーターの入口で、小さなバックを左脇に抱え、大きなバッグを右肩に担いだオジサンが、その大きなバッグがエスカレーターの壁に引っかかってモタモタしている。体を斜めにして、やっと通る。その後もオジサンは、さすがウチナーンチュで急がない。エスカレーターを歩いたりしない。途中で、「まもなく発車します」というアナウンスが聞こえても動かない。オジサンと私がホームに立ったとき、モノレールのドアが閉まり、去っていった。
  のんびり屋の私もこの時は「あーあ」と思った。別に走らなくても、エスカレーターを歩いて上るだけでも間に合ったはずだ。オジサンに邪魔されない階段を使えば良かったと後悔する。家に着いてすぐ、友人の店に行き用事を済ませ、戻ってシャワーを浴びて、飲み会へ行く、というのがこの日の予定。なるべく早く家に帰りたかったのであった。

 首里駅からバスに乗り、家の近くのバス停で降りる。沖縄は雨、ずーっと雨だったらしい。バス停から家までは徒歩10分。その間、運悪くずーっと土砂降りで、四万十で使った際に壊れた傘を差して、バッグを濡らさないように歩いたら、体の前半分は濡れてしまった。まったく、最後の最後までついていない旅であった。まあ、でも、こうやっていろんなことがあるから楽しいとも言える。こんなのが思い出になるのである。
 最後に、高知の悪口みたいなことをたくさん書いてしまったが、良くないことが話のネタになりやすいのでそうなった。悪意はまったく無い。高知に対し嫌だと思う感情もありません。おそらくまた近い内に高知を訪ねるでしょう。牧野植物園を目的に。

 以上で2006年愛媛高知の旅日記は終わり

 記:ガジ丸 2006.6.24~6.30 →ガジ丸の旅日記目次