私の家は、祖父の放蕩が原因で一時期田舎暮らしを余儀なくされたが、私が小学校2年の時に代々の住処である那覇市泊に戻ってきた。私の父はトゥマインチュ(泊人)であることを誇りに思っているらしく、「今の土地と家を売って、田舎に越して、畑仕事をしながらのんびりくらせば。」と従姉や私が勧めても、頑としてきかない。都落ちするという感じがして、それは恥ずかしいことだとも思っているみたいである。
今は安謝港で行われている、観光行事としても有名な那覇ハーリーは、元は泊バーリーと言い、泊港で行われたものだったらしい。泊村、久米村、那覇村の3村対抗のボート競走で、現在も泊地区、久米地区、那覇(現在の真和志)地区の対抗戦となっている。
トゥマインチューの父であるが、ハーリーに参加したことは無いと言う。那覇ハーリーは約600年の歴史を持つが、中断された期間が長い。1879年の廃藩置県の折に途切れ、大正後期から昭和初期の7年間、泊(トゥマイ)バーリーとして一時復活したが、それ以降はまた長く途絶えた。というわけで、私の父が若い頃は、ハーリーが無かったのである。よって、父はハーリーに参加することができなかったわけである。
多くのトゥマインチュの尽力によって、泊バーリーは、那覇ハーリーと名を替えて再復活した。1975年のことである。以来ずっと続いて、今年が30回目になる。その30年の内、半分の15年を私は泊で生活している。私のその15年は、泊青年会に入っても何ら不都合の無い年齢であった。が、私はちっとも誘われなかった。その頃の私は今で言うフリーターで、身分が安定していなかったために青年会も声を掛けなかったのであろうと想像される。で、私もまたハーリーに参加することはなかったのであった。
腕力にも体力にも精神力にも、ある程度自信を持っていた私は、「俺を雇わない会社はバカである」などと言う就職試験に落ちた若者と同じように、「ふん、あんなもん。」と那覇ハーリーをバカにして、これまで一度も観に行ったことは無かったのであるが、今年になって初めて出かけた。主な目的は、このHPで紹介するため。
ハーリー会場は賑やかだった。3日間で25万人が訪れるらしい。観客のほとんどは地元のウチナーンチュと思われる家族連れ、カップルなどであったが、観光客も多く、外国人(アメリカ軍人、軍属など)もたくさんいた。翌日の新聞を読んで知ったが、泊、久米、那覇が争う本バーリーの前座としていくつものレースがあり、職場のチーム、学校のチームなどたくさんのチームが参加しているらしい。アメリカチームは8チームもあって、他に中国チーム、インドネシアチームもあり、国際的にもなっているようだ。
それにしても、アメリカチームが8チームなんて。 そういえば、護岸にはアメリカ人の子供たち、年寄りたちも多くいた。我がチームを応援していた。いや、応援する人たちは別にいいのだが、なんでまた、海兵隊チーム、海軍チーム、陸軍チーム、空軍チームなどが来ているのだ?彼らは今日、仕事の日なんじゃないか?金曜日はペイデー(給料日、彼らは週給制)だろ?お金貰いに行かないの?などと私は不思議に思った。
「ウチナーンチュが楽しんでいる祭りだぜ。俺たちも参加しようぜ。」と望むたくさんの軍人がいて、皆で有給休暇を申請して、上官も、「祭りに参加するのであれば許可せざるを得まい。私も応援に行く。」などと、たぶんなっているのであろう。そういうことであれば嬉しいことである。基地を嫌うウチナーンチュは多いが、そこで働く人間を嫌うことは無い。イチャリバチョーデー(出会えば兄弟)である。基地は撤去して欲しいが、まあ、いる間は仲良くしようね、ということである。
ハーリーは那覇ハーリーだけで無く、県内のあちらこちらで行われる。特に、漁師の街糸満のハーリー(糸満では確かハーレーと言った)は有名である。那覇とは違って、糸満では戦後すぐの1946年には再開されたらしい。糸満はまた、昔の伝統そのままに旧暦の5月4日に行う。漁師にとっては旧暦(月の運行)が大切なのだ。その日、地域によっては仕事や学校が休みになるところもあるらしい。あっぱれ!糸満。
ハーリーで使う船は爬竜船(はりゅうせん)といい、普通のサバニ(沖縄の漁船)より大きく、色形ともに派手に装飾されている。競争は3艘で行われるが、3つの船は色分けされていて、那覇ハーリーの場合は泊が黒、久米が黄色、那覇は濃緑色となっている。地域によって乗船する人数は違うようだが、リズムを取る鉦を叩く係りと舵を取る係りが前後に立ち、12~32人ほどの漕ぎ手は左右に分かれて、櫂を操る。レースの途中で、一度転覆すると聞いている。転覆したものを立て起こす速さも勝負のうちらしい。今でもそうなのかは、その日、肝心の本バーリーを見逃してしまったので、不明。
記:ガジ丸 2006.5.12 →沖縄の生活目次
参考文献
『沖縄大百科事典』沖縄大百科事典刊行事務局編集、沖縄タイムス社発行