我が家の墓の隣に住む浮浪者のことを、私は浮浪者ではなく自由人と呼んでいる。その理由については先週の『沖縄の生活』の記事『沖縄の浮浪者』で書いた通りだが、記事を書いている最中、「浮浪者って何?」などと疑問を持ち、改めて広辞苑で確認した。
浮浪者は「一定の住居や職をもたず、方々をうろつく者」、ホームレスは「住む家のない路上生活者」、宿無しは「一定の住家のないこと。また、その人」、物貰いは「食物などを人からもらって生活する者」、乞食は「食物や金銭を恵んでもらって生活する者」、広辞苑ではそれぞれをそのように定義してある。墓に住む自由人は墓という住む場所があり、食物は拾っていて、空き缶集めなどをして現金を得ているらしいので以上のどれにも当てはまらない、というわけもあって、彼のことは自由人と呼んでいる。
私はもちろん、浮浪者でもホームレスでも宿無しでも物貰いでも乞食でも無いが、収入がほとんど無い(去年の野菜の売上げは1万円程、その他バイトで数万円稼いだだけ)。それでも生命保険を解約したお金が貯金としてまだ残っており、今のような質素な生活を続けていればあと2年ほどは浮浪者にも乞食にもならないで済むはず。
記事『沖縄の浮浪者』で私が書いた自由人の定義とは、「金を稼がなければならない、働かなければならない、結婚し、子孫を残さなければならない、家を建て、家族を守らなければならないといった決まりから自由である」となっている。その定義から言えば、私はまた、自由人とも呼べない。後半はともかく、私はまだまだ働かなければならない。
雨の降っていない日は毎日8時間ていど畑仕事という肉体労働に汗をかいている、収入にはほとんどなっていないが、私が食べる分の、野菜はほぼ全て、穀物は約3分の1を得ているので、それは働いているといっても差支えなかろう。今はまだできていないが、畑から生活費も得るつもりでいる。現金収入がないとこの世で生きていけない。
私はこの先も「金を稼がなければならない、働かなければならない」人間である。というわけで、私は自由人にはなれない。すると私は何になるのか?あるいは、自給自足芋生活を目指している私は、この先何になろうとしているのか?と考えてみた。
私は日常、人と会って話をするという機会が少ない、平均して月に数時間しか人と話をしない、なので、隠者、世捨て人などという言葉が浮かんだ。広辞苑によると、
隠者は「俗人との交際を絶って山野などにひっそりと隠れ住む人」で、世捨て人は「世の中を見捨てて隠遁または出家した人」のこと。それだと、私はそのどちらでもない。私はいったい何なんだとさらに考えて、そして閃いた。自給自足芋生活が成功した暁には、私は自然の恵みで生きる人、それは「野生人」と言ってもいいのではないかと。
話変わるが、ホームレスやら浮浪者やら乞食などのことを広辞苑で調べていたら、「乞食の断食」という言い回しを見つけた。「乞食の断食」とは、例えば私のような者の場合なら「貧乏人の芋食生活」と言い換えても良い。「健康のことを心掛けて俺は芋食にしているのだ」と私が言ったなら、「何を言っていやがる、お前の芋食は乞食の断食じゃねーか」と罵ることができる。「乞食の断食」とは「止むを得ずしている事を、ことさらに心掛けたように殊勝げに見せかけることのたとえ」(広辞苑)という意味。
記:2016.5.13 島乃ガジ丸
プロローグ
いつも楽しい夢を見ている私が、今年(2016年)の3月はしばしば楽しくない夢を見て夜中目を覚ますことがあった。そんな夢、いくつもあるが2つ例を挙げると、
夜、繁華街を歩いていると、爺様がチンピラに殴られていた。爺様は仰向けになって倒れ、それに馬乗りになったチンピラが爺様を殴っている。それを見た私は走って近寄りチンピラの顔を蹴り飛ばした。蹴り飛ばされたチンピラは傍に倒れピクリとも動かない。私は爺様を近くの店へ運んで手当てを頼んでその場を去る。しかしその後、チンピラが起き上がって私を追いかけてきた。彼は手にナイフを握り「殺す!」と叫びながら私に向かってくる。私は逃げた。追われる夢、殺されるかもしれない夢、その恐怖で目が覚めた。
もう1つは、高校の同級生が何人も出てくる夢。同級生のA男が化け物になっていて、隣の家にいる。「あんた、彼に狙われているから逃げた方がいい」とE子やH男にうながされ、私はそっと家を出るのだが、A男に見つかる。彼は大きなカニの姿に変身して、仮面ライダーに出てくるショッカーみたいな数人の子分に私を襲わせる。私は戦う。子分を何人も倒した後、ついにカニと対峙する。カニのハサミは大きく鋭い。大きいくせに動きは速い。「勝てねぇ、俺の命もここまでか」と観念したところで目が覚めた。
4月に入ると楽しくない夢も少なくなって夢で起こされるということはほとんどなくなったが、4月後半に入ると変な夢を見るようになった。変な夢とは結婚する夢、4月後半の2週間で4回も見てしまった。結婚生活には不向きの性格である私が、結婚生活には不能の財力と金玉力の私がそんな夢を見た。潜在意識の願望なのだろうか?
結婚する夢はそれぞれ日を置いて4回だが、相手は4回とも異なっている。そして、4人とも私の知っている女では無い。結婚相手なら真っ先に静岡の才媛K女史が出てきそうなものだが、彼女では無い。あるいは、既婚者ではあるが、子供の頃から仲良しの従妹Tや、従姉の娘Mや、従姉の息子嫁Mらが、「離婚したよ」と言って私に抱きついてくることも(私の願望として)考えられるが、彼女たちの誰でも無い。そして、私の知っている美人女優とか美人歌手とかでも無い。そもそも4人とも特に美人ではない。
4人とも違う人だが、歳は概ね30歳くらい。美人ではないが大人しめの顔立ちで、上流階級では無いが精神に上品さがあり、謙虚さが顔に出ているような雰囲気。
何はともあれ、結婚する夢を2週間で4回も見たというのが私にとって特別なことなので、これはいかなる意味を持った夢なのかとしばし考えた。妄想癖のある私は考えている内に妄想に走った。妄想は膨らんで物語となった。それが以下。
1、名前?・・・無ぇよ
「魔法使い」というと聞こえがいいが、ウチナーグチ(沖縄口)でいうとマジムン、魔物という意味。墓に囲まれた家に住んでいると、そういう類の者が現れやすいようで、既に何人(匹?)かのマジムンがやってきている。面倒なので見えないふりをし、なるべく相手にしないようにしている。であったが、ある夜、台所から、
「旨ぇなぁ、この酒」と、マジムンらしからぬはっきりした声が聞こえたので、人間かと思って「誰だ?泥棒か?」と思いつつ台所を覗くと子供(小学校4、5年生くらいの男の子)が一人食卓の前に座っていた。見た目は人の子だが、雰囲気からマジムンだとすぐに判った。座って私の作った日本酒を飲んでいた。冷蔵庫から勝手に出したようだ。
「あっ、お前、俺の大事な酒を、勝手に飲みやがって!」と私は声を上げ、食卓の上の四合瓶を奪い取った。まだ飲み始めたばかりのようで、さほど減ってはいなかった。
「ケチケチするなよ。いっぱい入っているじゃねーか。」
「ケチケチだとー、この糞ガキ!人の家に勝手に入って来やがって!」
「大声出すんじゃねーよ、さあ、注いでくれ、コップが空だ。」
「注いでくれだとー!ガキのくせに酒飲みやがって。」
「ガキじゃねーよ、お前ぇよりずっと長く生きている・・・生きているというのは可笑しいかな、まあ、何というか、取りあえず存在しているよ。」
ここまで会話して、やっと私も落ち着いてきた。「そうか、やはりマジムンか」と心で思い、「しまった、相手してしまった」と少し後悔したが、もはや手遅れ。しょうが無いので自分用のぐい呑みを出して、彼の対面に座った。
「そんじょそこらにある酒じゃないんだ、俺が自分で作った大事な酒だ、もう一杯だけだぞ。足りなければ、市販の酒が別にある。それを飲め。」
「あー分かったよ。そうか、自分で作ったのか、うん、それでか、造り酒屋に似た甘い匂いが漂っていたんだ。それで俺もついフラフラと入ってしまったんだ。」
「褒めてくれてありがとう。酒の味が判るマジムンなんだな。さあ、注いでやる。」
「ほいほい、なみなみと注いでくれ。ありがたやありがたや。」
大事な酒を彼のコップに注ぎ、それから、自分のぐい呑みにも注いで、一口飲んだ後、彼の顔をマジマジと見た。全体の見た目は人間の、日本人の男の子だが、目が人間とは違う。鈍く青く光っている。見つめていると引き込まれそうな深さがある。
なるべく彼の目を見ないようにして、大事な酒は言った通り、それ一杯にして、あとは別の酒を出し、それを飲みながら会話を続けた。
「マジムンが酒を飲んで、飲んだものはどこへ行くんだ?小便もするのか?」
「小便なんてしねぇよ。飲んだものは体全体に行き渡って、その内蒸発する。」
「旨いって言っていたが、味は判るのか?」
「舌に味覚はあるから旨い不味いの感覚はある。」
「ふーん、そうなのか。あー、そんなことより先に、名前を聞かせてくれないか?」
「名前?か、そんなの必要無ぇだろう?」
「えっ、マジムン同士で呼び合ったりしないのか?」
「そいつを意識すればそいつが応じる。お前ぇ後ろ向きになってみろ。」というので、彼の言う通り椅子ごと後ろ向きになってみた。すると、すぐに彼に呼ばれた・・・気がした。名前を呼ぶのが耳に聞こえたわけでは無く、「おい」とか「ちょっと」とかいった呼びかけでも無く、私の存在そのものに声を掛けられたような感じ。
「なるほど、そういうことか。でも、俺みたいな人間からすると名前はあった方が便利だ。混沌の中から一つの形を作り出せる。そのもの本質を表すわけではないがな。」
「ふーん、そいうもんか。だったら、お前ぇが勝手につけたらいいさ。」
「そうか、ならそうしよう。でも、何か名前の根拠となるようなヒントが欲しいな。」
「何だそれ?」
「お前を代表する性質みたいなもんさ。例えば、見た目が牛の様であったら牛次とか、犬の様だったらケン太とかなるんだが、お前の見た目はどこにでもいそうな子供で特徴が無いから、何か得意技とか、独特な魔法が使えるとか無いのか?」
「得意技?・・・なんてものは無いな。酷い魔法や強い魔法なんてのも俺は使わないしな。俺がやっているのはたいていはイタズラ程度の、痛くも痒くもない、だけど、ちょっと笑えるかもしれない程度の魔法だ。それもたまにだがな。」
「笑える魔法か、それは面白いかも。最近ではどんなイタズラをした?」
「最近だと、そうだなぁ、・・・あっ、一週間くらい前だったかなぁ、あー、ちょうど清明の頃だったよ。女が一人墓参りに来て、このすぐ後ろの墓だ。その墓の前で「結婚相手が見つかりますように」なんて呟いていたからよー、魔法をかけてやった。」
「どんな魔法をかけたんだ?相手がすぐに見つかるような魔法か?」
「あー、そうだ。これから出合って、お前と話をするような状況になった男の中で、最初に「あい」という言葉を発した奴にお前は惚れる、っていう魔法だ。」
「ほう、それは面白いな。で、その女は結婚できそうな女か?つまり、若いか?」
「歳か、お前ぇよりはずっと若ぇよ。30くらいかなぁ。」
「それで、上手く行きそうなのか?」
「そりゃあ当然、上手くいくだろうよ。俺の魔法はなかなかのもんなんだぜ。」
「ふんふんふん、そうか、そういうイタズラをするのか。そうか、・・・ちょっと待てよ、・・・よし、決まった。お前の名前はカリー・ヒッターだ。」
「何だそれ、ハリーポッターのもじりか?」
「そうだ。けれど、ちゃんと意味はある。カリーは沖縄で「目出度い」という意味だ。それをヒットさせる奴ということになる。どうだ?」
「勝手にしろよ。」
ということで、私の大事な酒を盗み飲みしたマジムンの名前はカリー・ヒッターとなった。私も不本意ながら、マジムンの知合いができてしまった。カリーはそれ以降も時々やってきて、勝手に家に入ってきて、勝手に私の酒を飲むようになった。マジムンの知り合いが出来てしまった。それが幸か不幸なのかは今のところまだ不明。
2、魔法にかかった女
カリーが消えた後、「マジムンと知合いになってしまったなぁ、面倒なことにならないかなぁ」とくよくよ考えながら寝床に着いた。その時ふと、
「一週間くらい前に、結婚したがっている女に相手がすぐに見つかるような魔法をかけた」とカリーが言っていたのを思い出した。「一週間前」、「30女」ということから、そういえばと思い出した。一週間前のできことを。
いたずら好きの魔法使いカリーヒッターと出会う一週間前のこと。行き付けの銀行へ用があって出かけた。従姉の娘Y子が銀行員で、たまたま去年からその銀行が勤務先となっていて、投資とかいった面倒な用の時は彼女を指名して相談している。
その彼女がそういえば、この間変なことを言っていた。
「ねぇ、おじさん、私と結婚してくれない?このままだとずっと独身で、子供を産まないまま人生が終わりそうさぁ。」と。彼女はもう30になっているが、まだ独身。
Y子は美人、私から見ると「とても可愛い娘」の類に入る。彼女が赤ん坊の頃から可愛がっていて、彼女も私のことが大好きで、彼女が小学生から中学の頃までは時々デートもした。映画に連れて行ったり、食事に連れて行ったりだ。高校を卒業した後も飲みに連れて行ったりした。大学を卒業して社会人になってからは彼女も恋に忙しく、私もそれを邪魔してはいけないという配慮をし、デートに誘うことも無く、親戚の集まりなどで「たまに会う」程度であったが、それでも、親戚の中ではごく親しい間柄は続いていた。
Y子は美人なので恋人ができないということは無い。詳しくは聞いていないが、大学の頃にごく親しく(肉体関係のある)付き合う男ができ、その男と別れてからも、社会人になってからも数人の付き合う人(肉体関係まで達しない人も含め)がいたらしい。
ところが、何が悪いのか、彼女はまだ独身である。性格に欠点がある?とは思えない。美人にありがちな多少のタカビー(高飛車)はあるが、基本的に優しい。
そんな彼女からの「結婚してくれない?」発言に冗談だろうと思いつつも、恋愛にも結婚にも慣れていないオジサンはアタフタしてしまった。
「何言ってるんだ、娘のような歳の女とどの面下げて結婚できるというんだ。いくらこの歳で独身だといってもだ、俺にも世間体というものがあるんだ。」と応えると、
「だよね、私にとっておじさんは最後の最後の滑り止めなんだけどさ、滑り止めを選ぶにはまだ早いね、もう少し婚活、頑張ってみるよ。」としゃあしゃあと言う。やはり冗談であった。ということで、魔法使いカリーの魔法にかかったのはY子ではない。
その日その時のことをよーく思い出し、初めから振り返ってみる。朝、畑仕事を少々やって、畑小屋で作業着から普段着に着替えて、そこから車で銀行へ行った。銀行へ着いたのは昼前、11時頃だった。番号札を取り、待合のソファーに座りのんびりと順番が来るのを待った。畑を出る前に電話してY子に予約してあった。
2、3分も待たずにY子がやってきて、「おじさん、あそこのテーブル席で話しましょう」と言い、彼女が指差した方向にある衝立の向こうに案内された。投資の話を始める前に、上述の、オジサンがアタフタするような話となったのだが、その後すぐ、別の女子行員が我々のテーブルにコーヒーを運んできた。
「いらっしゃいませ」と言って、私に向かいニッコリとほほ笑む。可愛い娘だ、その顔はしかし、見覚えがある、つい最近どこかで会っている。
「私と同期のK子、可愛いでしょ、私と同じ歳で彼女も独身。」とY子が紹介する。
「こんにちは」と言って、彼女も気付いたのか、「あっ!」という顔になった。そこで私は思い出した、つい最近、というか、昨日、私の家で会っている。
「あい、あんた、昨日墓参りしていた人じゃないの?」
私の家の周りにはいくつもの墓があって、彼女は昨日、墓参りの後、手を汚したと言って私の家に水道を借りに来ていたのだ。私の問いに彼女はすぐ、
「はい、昨日はありがとうございました。」と答えた後、私を見て、私の顔をしばらく見つめて、そして、困惑したような表情を見せつつ、その場を去った。若い女性に見つめられるなんて何十年も無かったこと、オジサンの私も少しドギマギしたが、こんなしょぼくれたオジサンにまさかのことは起きるまいと思い直し、そのことは忘れた。
ところがだ、カリーが魔法をかけたのは私の家の近くにある墓で、「一週間前」で、かけた相手は「30女」ということだ、どれもがK子に当てはまる。そしてカリーは、
「これから出合って、お前と話をする男の中で、最初に「あい」という言葉を発した奴にお前は惚れる、っていう魔法をかけた」と言っていた。私は確かに「あい」と言った。私の「あい」は愛という意味ではなく、ちょっと驚いた時に発する「あらっ」と同じ意味の沖縄語「あい」だ、それもカリーの言う「あい」に違いないということか?
それから4日経った金曜日の夜、Y子から「おじさん、今家にいる?ちょっと寄って行きたいんだけど。このあいだ紹介したK子も一緒だけど。」と電話があった。
エピローグ
2週間で4回も結婚する夢を見たのだ、貧乏農夫の私でも惚れてくれる女がいるかもしれない。結婚不適応者の私でも「結婚して」と言ってくれる女がいるかもしれない。そんな、彼女にとっては迷惑な魔法にかかった女にこれから出会えるかもしれない。
しかし、その前に私は、女に魔法をかける魔法使いカリー・ヒッターに出会わなければならない。マジムンに出会う・・・のか?マジムンと知りあう・・・のか?マジムンと酒を飲みながら語り合う・・・のか?・・・うーん、それはちょっと嫌だなぁ、ということで、自身で長々と書いておきながら、この話は無かったことにしたいと思う。
記:2016.5.7 ガジ丸 →ガジ丸のお話目次
1、序章
沖縄県は概ね沖縄島から南西に向かって島々が連なっている。それらの島々へ行くには航路空路共に概ね那覇から出発する。北東の風が吹いている日にプカプカ雲のように空に浮かんで流れてみれば、先ず、慶良間諸島(那覇からも肉眼で良く見えるが)があり、次に渡名喜島、久米島、宮古諸島、多良間島、八重山諸島、与那国島と続く。
那覇から東の方向に南北大東島、北部の海洋博公園がある本部町から北方向に伊是名、伊平屋島がある。それらの島々、及び南西方面の多くの島々は、私もその存在を若い頃から知っており、慶良間諸島、久米島は何度も、八重山も3度は行っている。
私がもうオジサンと呼ばれる歳になってからだと記憶しているが、沖縄で画期的な塩が発明された。どう画期的なのかは後で述べるが、その名を『粟国の塩』と言った。粟国島という所で作られているとテレビのコマーシャルで知る。「粟国島ってどこ?」、「さぁどこだか、慶良間辺りかなぁ」などと、私も私の友人たちもその場所を知らなかった。
10年ほど前になるか、『なびぃの恋』という沖縄映画が沖縄でヒット(全国的にヒットしたかもしれないが、詳細は不明)した。その映画の舞台が粟国島であった。私もその映画を観て、「面白い」と満足し、粟国島に興味を持って、ネットで調べ、その時にやっと粟国島の位置を確認した。粟国島は那覇から北西の方向、距離約60キロメートルに位置し、他のどの島からも離れて東シナ海にポツンと存在していた。
周囲12キロ程の小さな島だが、他の島々と離れてポツンと存在する島は独特の空気が流れているかもしれない。塩やなびぃだけでなく他にも何か面白いものがあるかもしれない。いつかは行ってみたいと思い、そして、2012年4月、その機会を得た。
2、恋でも故意でも無い美女と二人旅
埼玉在の友人Kから「GWに沖縄へ遊びに行く」とメールがあったので、「粟国島へでも行くか?」と返信し、「行こう」となった。
まだデビューの目途も付かないバンド、各自腕は確か(私は入っていない、腕が不確かなので作品の提供だけ)だが、忙しくてなかなか合同練習のできないバンドのボーカル、26歳の美女A嬢を誘った。「オッサン二人と一緒だけど、指一本触らせないのでその方面はご安心を」と言うと、思いの外気安く「OK」の返事があった。
出発日を4月29日の1泊2日とし、その旨をA女に伝え、「OK、仕事の休みも取れた」と返事を得て、船便、宿泊場所の手配をしつつ、Kにも計画を伝える。
「えーっ、俺が沖縄に着くのは30日だよ、29日に粟国は無理だよ」との返答。「GWに」ということから29日だと私が早とちりしたようだ。でももうしょうがない。
「分かった、飛行機も飛んでいるので30日に粟国へ来たらいい、その日いっしょに遊べるだろう」と提案したが、結果は30日の飛行機にもKは間に合わなかった。
ということで、粟国の旅はA嬢との2人旅となった。夫婦でも恋人同士でも無いのに申し訳ないという気分。言い訳するようだが、私に邪な下心はない。A嬢は私にとって娘のようなもの、彼女の幸せを願っており、傷付ける気は少しも無い。
3、むんじゅるの島
4月28日、9時55分那覇泊港発フェリー粟国に乗船。のんびり船旅をA嬢とたくさんユンタク(おしゃべり)しながら楽しんで12時00分粟国島到着。船に「がんばろう日本」とあるのは1年前の大震災後に書かれたもの、被害を受けた人々へのエール。
港の看板に「むんじゅるの里」とある。「むんじゅるって何だ?」と気になる。
宿にチェックインして、その後小雨の中を傘を差して、A嬢とユンタクしながらのんびりと粟国島を歩く。先ずは粟国村観光協会へ行って、そこにあった観光資料を参考に何を見るかどう歩くかを考えて、大正池、洞寺、むんじゅる節歌碑の順に見て歩く。
「むんじゅるって何だ?」は観光協会にあった「むんじゅる節歌碑」の説明で知る。ムンジュルとは麦藁のことで、粟国島はムンジュル笠(麦藁帽子)の産地とのこと。あっそういえばと思い出した。民謡「スーキカンナー」に「ムンジュルカサグヮー、コウミソーラニ」という歌詞があった。「麦藁帽子、買いませんか?」という意味だったのだ。
観光名所を観ながら畑中、町中も散策する。すれ違う小学生たちが「こんにちはー」と大きな声で挨拶する。オジサンは慌てて会釈する。今夜の寝酒を買おうとスーパーに寄ると、酒は久米仙しかない。店の人に訊くと「島人は久米仙が大好き」とのこと。
久高島もそうだったが、粟国島にも未耕作の畑が多くあった。空き家と思われる家屋も多くあった。ここで自給自足生活ができるのではないかとオジサンは思った。
小さな頃から知っているA嬢、骨の持病を持っていて、子供の頃まではそのため何度か手術したことも私は知っている。そのため歩くのは苦手であることも知っていたが、うっかり、オジサンの散歩に長く付き合わせてしまった。歩き始めて3時間が過ぎていた。A嬢の顔を見ると、微笑んではいたが、疲れていそうだと感じて5時には宿に戻った。
「ゆっくり休む」と言うA嬢を残して一人で近くを散策、「海岸に遊歩道があって、観光名所だったけど、去年の台風で大破した」と宿の人から聞いたので海へ向かって歩く。宿の人が仰る通り、遊歩道は大破していて、残念ながら歩くことはできなかった。
1時間余りブラブラして宿へ戻って、シャワーを浴びた後、A嬢と夕食。A嬢との初デートは彼女が高校2年生の時だったと覚えている。その頃から彼女は、そう多くでは無いが酒が飲めた。その日の夕食でも一緒に少し飲んで、9時頃にはお互いの部屋へ。
4、なびぃの島
4月29日、朝早く起きて宿の近くを1人で散策する。宿の近くに粟国小中学校があって、その運動場にたくさんの鳥が群れているのに気付いた。私は校庭に入って、ゆっくり近付きながらそっとカメラを構えた。その時、カメラを抱えたオッサンが校庭に入ってきて鳥の群れに近付いて行った。「待て!少し辛抱せぇ!」と私は怒鳴りたかったが、もう既に遅かった。鳥の群れは遠くに離れて行った。よって、私の写真も遠景となる。
前日、A嬢が仔ヤギを見つけて、それを追いかけるのをオジサンはニコニコ笑って見守った。「あー、逃げた」と残念がるA嬢に、「追うから逃げる、待っていれば寄ってくるはず」とオジサンはニコニコ笑いながら助言した。粟国小中学校の運動場で鳥を追いかけたオッサンにも事前にその助言をしておけばよかったのだと思った。
それはさておき、前日の(かどうか?)仔ヤギ、その日にも出会った。ゆっくり歩いて、静かにカメラを構え、シャッターを押す。その後、雄親ヤギに会い、仔ヤギに乳を与える母ヤギにも出会った。「野良ヤギ、多いなぁ、食べないのかなぁ」と思った。
宿に戻って朝食を食べ、9時頃、A嬢と2人で散策に出る。今回の旅は「なびぃの家を見に行こう」の他に「これが見たい」という特別なものはなく、粟国の空気が感じられれば良しといった気分だったので、A嬢との散歩はその通り、のんびり散歩。
「ヤギが見たい」と言うA嬢、3時間前1人で散歩している時に仔ヤギと出会った場所に向かう、仔ヤギはその近くにいた。「いたーっ!」と喜ぶA嬢に、人生経験が彼女の2倍はある老獪なオジサンは「静かにしてじっと待っているんだよ」と諭す。
粟国島は、私が「面白い」と満足した映画『なびぃの恋』の舞台である。「なびぃの家を見に行こう」が今回の旅の目的の第一であった。宿の人にその場所を聞いて、そこへ向かった。似たような赤瓦の家はいくつもあったので、ここだと断定はできなかったが、たぶん、ここであろう家を2軒見つけて、家の前にA嬢を立たせて写真を撮った。
5、雨の粟国島
可愛いA嬢と二人でのんびり散策、それだけで私は十分幸せ。であったが、11時頃雨に振られ木の下で雨宿り、その後も雨宿りしながら12時頃宿に戻る。雨が断続的に降るので、外のベンチでボーっとしてる。ちょっと晴れたので買い物ついでに散策。
1時45分頃、船に乗る。その時に大雨になって濡れてしまう。船から島の写真を撮ろうと上のデッキに上がった時、大波をかぶってもっとひどく濡れてしまった。
雨と波で体を濡らしてしまうという災難もあったが、美女と二人一泊二日の旅は、オジサンには楽しい旅だった。「もしも襲われたらどうしよう」と不安を持ち、父親から護身術を教わってきたかもしれないA嬢だったが、その護身術は披露せずに済んだ。私もキンタマを蹴られずに済んだ。めでたしめでたしの旅だった。
6、粟国島の動植物
粟国島は沖縄島に近く、動植物の分布はほぼ同じで、粟国島で「初めまして」の動植物はほとんど無かった。動物では上述した2日目の朝、小中学校の校庭で見つけたアマサギと、初日の夕方、野原で見つけたアカガシラサギだけ。植物ではイソフサギとノビルの2種だけ。その他、沖縄の草木で紹介しているモチキビの写真は粟国島で撮ったもの。ただし、植物は不明のまま放置されている写真がなお十数枚ある。
7、以下は粟国島のHPからの抜粋
粟国島は、沖縄本島那覇市の北西約60kmに位置し、周囲12km程度の小さな島です。近くに島はなく、久米島やケラマ諸島とは、地図上で大きな 三角形を形作っているのが特徴です。島では牧畜が盛んで、島の西部には草原が広がり小さな牛小屋をいくつも目にすることができます。
特産品:粟国の塩、ソテツ味噌、あぐにようかん、もちきびかりんとう、黒糖。
追記(ガジ丸)
粟国の塩はとても有名。発売当時、私も買って食している。塩そのものが酒の肴になるほど美味しい塩、値段が高いので貧乏になってからは縁遠い。
初日の散策で、道端にソテツの実のガラが山積みされているのを見つけた。「食べるの?」と不思議に思ったのだが、ソテツ味噌という特産品があることを後で知った。
粟国島にはウージ畑が多くあった、ウージが基幹産業のようである。製糖工場もある。
記:2016.4.17 ガジ丸 →ガジ丸の旅日記目次