ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

不感の達観

2010年11月19日 | 通信-社会・生活

 表題は「四十にして不惑」の不惑では無い。不感症の不感、「感覚が鈍かったり慣れてしまったりして感じないこと」(広辞苑)のこと。達観は「何事にも動じない心境に到ること」(〃)のこと。不感の達観はつまり、「感じないから動じない」となる。

 銀行の、父が残した債務の相続手続きで、銀行側に長い期間(もう半年だ)振り回されている。銀行から要求された書類の全てを出し終え、これで終わったと思って、「はーーーれたそらーーー」なんて歌う気分になって、そんな気分を一文にして、このガジ丸通信に書いたのは10月22日。その後、「書類に足りないものがありました」と銀行の担当者から連絡があり、それから4週間、なおも振り回され続けている。

 「抵当権の名義もお父さんからあなたと弟さんへ変更する必要があります。それが済んだという証拠になる登記謄本がなければ、債務相続の承認がおりません。」という。で、法務局へ行き、相談係に相談して、抵当権変更のための資料を貰い、資料を読み、登記申請書と登記原因証明情報なる書面を作成する。時々、どう書いていいのか判断に悩むと、ちょっとイラっとして、煙草に手が伸びる。お陰で煙草の量が増えてしまった。
  「これで、肺癌にでもなったら銀行のせいだからな」などと思いながら書き進めていたのだが、その途中、登記原因証明情報なる書面を書いている時に大きな矛盾に気付いた。で、すぐに銀行へ電話し、矛盾点(具体的に書くと長くなるので省略)について説明を求める。答えは、「よくわからないので、もう一度調べてみます。」であった。
 その日(先々週月曜日)、上記の銀行との電話は昼過ぎで、その後、友人Hの店へ出かけた。そこにたまたま大学の大先輩(15、6年先輩)のAKさんがやってきた。
 AKさんは誰もが知っている倭国の大手銀行、その東京の本店に長く勤め、幹部までなった人。銀行の仕事に関してはプロ中のプロだ。で、「怒ったり怒鳴ったりしないから舐められているのか、貧乏人だからと侮られているのかしらないけど、銀行の若造に振り回されて難儀しているんですよ。」などと愚痴を聞いて貰う。
 「債務相続や登記移転などの相談は銀行の業務として普通にあること、そのやり方についてお客へ適切な助言ができないなんて、それは銀行マン失格だ。」とのこと。やい、聞いたか若造、・・・なんて言ったって、若造がこのブログを読むことはあるまい。
          

 先週月曜日、銀行へ行き、若造と協議する。その前に法務局で「債権者の住所が変わっている。その変更手続きも別途やらなければならない。」と言われていたので、その旨報告すると、「あっ、そうですか、それも必要なんですか。」なんて仰る。
 債権者は沖縄振興開発金融公庫だ。ウチナーンチュのほとんどが家を建てる時には世話になっている所だ。「銀行員ならそこの住所が変わっており、債務相続手続きの際にはその変更が必要なんてことは当然知っておくべきことだろう!それを、あーそうですかで済ますつもりか!」なんて普通は怒鳴るところかもしれないが、私は怒鳴らない。
 私は怒鳴らない。法務大臣がバカ発言しても怒らない。怒るのが面倒なのだ。面倒は楽しくない。楽しくない事はやりたくない。そうやっていつのまにか、私の心は不感症になっているのかもしれない。感じないから怒らない。これがつまり、不感の達観。 
          

 記:2010.11.19 島乃ガジ丸