ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

玄人に素人が物申すの?

2010年04月23日 | 通信-社会・生活

 先週月曜日(12日)、突然父の体調が悪くなり、以来ずっと実家へ通っていた。それまで父は、一人で杖をついて歩くことができ、手摺を頼りに階段を上ることもできていたのだが、足がむくんで歩き辛くなり、その状態は日増しに悪くなっていった。
 火曜日、杖では歩けなくなって、歩行器を使うようになり、歩行器やその他の器具が無ければ椅子から立ち上がれなくなり、ベッドからも起き上がれなくなってしまった。木曜日には階段を上れなくなった。金曜日には歩行器を使っても足元が覚束なくなった。
 足のむくみはそのうち治ると医者は言っていたが、いったん引いても、また元のようにむくんだりして、治る気配が無い。で、土曜日の午前中、病院へ連れて行く。

 実は、月曜日(12日)に従姉Mが父を病院に連れて行き、診て貰っている。その時の診断は、「レントゲンを見る限り、骨には何の異常もありません。むくみは足を下げた状態が長く続いたせいです。」とのこと。整形外科の医者であった。
 「座る時も足を上げてください。湿布薬を処方するので貼ってください。」という医者の指示を守ったのだが、以降、父の症状は改善しない、どころか、上に述べたように体力がどんどん衰弱していく。「何で?」と医学的素人の私は思う。
 「内科的な病気かもしれないから血液検査をして貰ったら。」と従姉の夫から助言を貰う。で、土曜日、内科である父のかかりつけの病院へ行き、血液検査をして貰った。その結果は数日後と言うので、その日はそのまま帰る。
 そのまま帰って、父に食事をさせる。食後に父はコーヒーを飲む習慣がある。たいてい自分で入れて飲む。その時も、歩行器を使って、コーヒーメーカーのある場所まで歩いて行った。私は近くにいたが、父から目を離していた。突然、「あい、あい、あい、」という声がして、見ると、父がゆっくりと床の上に倒れいった。土曜日のお昼後の事、その時から、父は歩行器を使っても歩けなくなってしまった。
 日曜日(18日)の朝になると、父はベッドから全く動けずにいた。抱き上げて、両手に歩行器を握らせて、両足を床に付けてみる。手を離すと、父は崩れる。父はもう歩くどころか、つかまり立ちさえもできなかった。

  父はどんどん衰弱していく。日曜日の午後、従姉Hの助言で、父を救急に連れて行く。病院は前週の月曜日に行ったのと同じ病院。そこでは、前回と同じく整形外科医が父を診た。診断も前回と同じ。「父はもう立てない程衰弱しています、腿が痛いとも言っています。」と訴えると、「体を動かさないので筋力が衰えているのです。腿の痛みは腿の筋肉が衰えたせいです。」と答える。プロがそう言うならそうなのかと、病院とはほとんど縁のない私は、多少疑問を持ちながらも納得してしまった。
 玄人の医者に素人の私が、「先生、お言葉を返すようですが、父の不具合は外科では無く、内科の問題ではないですか?」とは物申せなかった。私としては、医者ならば、人間の体を見る玄人ならば、父の不具合が内科的問題であるとしたら、「これはもしかしたら内科の問題かもしれません。」と見抜くものと思っていたのだ。
 翌日、従姉Mの助言もあり、父のかかりつけの病院へ行き、紹介状を書いてくれるよう頼んで、やっと、内科の検査を父は受けることができた。即、入院となった。
          

 記:2010.4.23 島乃ガジ丸


男の力と女の気遣い

2010年04月23日 | 通信-社会・生活

 先週月曜日(12日)から父の体調が悪くなり、以降、父は急激に衰弱していった。杖を使っても歩けなくなり、寝た状態から起き上がることができなくなり、歩行器を使っても体を支えることができなくなり、寝返りすることもできなくなっていた。

  日曜日(18日)の朝、父はベッドの上にいた。ベッドは従姉Hの家から持ってきた介護用のベッド、ベッド全体が上下し、頭の部分が起き上がるもの。その頭の部分を60度くらいに上げた状態で、父を私の方を見て、「動けない」と言う。
 父を動かし、ベッドの端に腰かけさせ、歩行器を握らせ、自力で立たせてみる。まったくできない。抱き上げて、両手で歩行器を握ったまま、両足を床に付けてみる。手を離すと、父は崩れる。父はもうつかまり立ちもできなかった。
 父の急激な衰弱に、私はどう対処していいのか戸惑った。で、従姉Hを呼ぶ。父に紙おむつの使用を承諾させて、Hに紙おむつを買って来て貰い、彼女に父の介護を頼む。Hは父の濡れた服を脱がせ、風呂に入れて体を洗い、紙おむつを穿かせ、服を着させ、食事を摂らせ、歯を磨き、髭を剃ってあげ、ベッドに寝かせた。

 太ったオバサンのH、いつもはトロトロした動きなのに、この時はテキパキしていた。何とも頼もしい奴と、普段、そのノロマをバカにしていた私は大いに見直した。
 「頼りになるね、ありがとう。」と言うと、
 「私は十分経験しているからね。」と答える。
 彼女は既に彼女の父親と母親の介護を経験済みであったのだ。ただしかし、その経験は動作だけでなく、心遣いにもあった。彼女の言葉は優しかった。父の心を傷つけないように心を配っていた。幼い子を諭すような言い方であった。母性?と思った。
 しばらくして、「紙おむつ換えようか?」と、私が父に訊くと、息子に下の世話などと思ったのか、「まだいい。出ていない。」と父は答える。その日、私は実家に泊った。翌朝、父はベッドの上に寝たままであった。紙おむつを換えなければと思ったが、父は嫌がった。で、また従姉Hを呼ぶ。Hはテキパキと動き、おむつを換え、着換えさせた。

 Hが帰ってしばらく経った後、父がトイレに行きたいと言う。雲子のようであった。父が一人で便器に座り、一人で用を足すことができるとは思わなかったが、紙おむつに雲子をした後、どのように処理をすればいいのか私には見当がつかなかったので、父の言う通りにしようと、父を抱き上げて、便器に座らせた。体重50キロ弱の父であったが、その体を持ち上げるのは大きな労力であった。大汗をかいた。
 用を足した後の父の尻を、私はちゃんと拭くことができなかった。親父の糞を拭きとることに大きな抵抗があった。で、おざなりに拭いて、紙おむつを穿かせた。私には、Hのような気遣いも無かった。父の心を傷つけたかもしれないと、後で思った。
 その日の午後、Hの姉である従姉Mに来て貰い、父の面倒を見て貰う。Mもテキパキしていた。そして、優しかった。HもMも父への気遣いが十分あった、その気遣いが私には不足していた。しかし、父を抱き上げることは、私にはできても彼女たちにはできない。介護は、男の力と女の気遣いが必要なのだと思った。介護は大変な仕事である。
          

 記:2010.4.23 島乃ガジ丸