ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

発明035 ほうしぼうしぼうし

2009年06月05日 | 博士の発明

 ケダマンがいなくなって、話し相手がいなくなって、ちょっと寂しい気分だが、まあ、ケダマンがやってくる前の状態に戻っただけのこと。私はいつものように村を散歩して、瓦版のネタ探しをしている日々だ。ただ、週末はちょっと暇になった。
 そんなところへ、「新しい発明が完成した。」とシバイサー博士から連絡があった。早速、研究所へ向かった。博士は在宅、私が来るのを待っていたようだ。

 「今回はどういった発明ですか?」
 「巷では新型インフルエンザなるものが流行っているというのは知っているな?」
 「はい、世界中に広まっているようですね。」
 「春になると花粉症が猛威を振るうってことも知っているな。」
 「はい、倭国の話ですね。オキナワには無いようですが。」
 「新型インフルエンザも新型と名の付くくらいだから、今までに無かったもの。花粉症も昔はあまり聞かなかった。地球環境が変化すると、今までに無かった病気が発生するということだ。それは、これからも増えていくだろう。」
 「そうですね、それは予想できます。」
 「で、私が予見するところ、新型インフルエンザは、新・新型インフルエンザとなり、新・新新インフルエンザとなって、これからも新しいのが出てくるであろう。それはその都度ワクチンを開発して、人類は対処していくことになる。」
 「そうですね。大変ですね人類も。で、博士はそれを助けるつもりで、万能ワクチンでも発明したというわけですか?」
 「そんなもんは発明しない。どんなウィルスが発生するか分からないのに、それを予想して、それに効果のあるワクチンを予め作るのはとても面倒だ。」
 「あー、それじゃあ、花粉症の特効薬ってことですか?」
 「それもそのうち人類自ら作るだろう。私がわざわざやることでは無い。」
 「ん?それじゃあいったい、何なんですか?」

 「花粉症もだな、世間ではスギ花粉がどうのヒノキ花粉がどうのと言われているが、実は、もっとやっかいなアレルギー物質があるのだ。」
 「やっ、それは知らなかったですね。倭国のことですか?」
 「いや、まだ症状となって現れているところは無い。まだ無いが、将来現れる可能性がある。これは、人知れず静かに蔓延するから厄介なのだ。」
 「何なんですか?それ。」
 「シダ植物の胞子だ。これがそのうち突然変異を起こし、空気中にあるさまざまな科学物質と反応して毒性を持つようになる。そうなると厄介なことになる。で、それを見越して、シダの胞子を寄せ付けないものを発明したというわけだ。」
 「はー、それは大発明じゃないですか。」
 「うん、名付けて『ほうしぼうしぼうし』だ。カッ、カッ、カッ。」と博士は高笑いする。胞子防止帽子という語呂合わせのネーミングがきっと自慢なのであろう。

  胞子防止帽子はしかし、帽子というよりは小型扇風機だ。ドラエモンのタケコプターに似ている。帽子としては見た目に格好悪い。需要は少ないのではないかと思って、
 「博士、それを頭に付けるより、マスク型にして、鼻と口の周りだけに風を送って、胞子が近付かないようにした方がいいんじゃないですか?」と率直な意見を言う。
 「あー、それはそうだが、マスクの駄洒落が思い付かんかった。」とのこと。実用性よりは駄洒落を優先するのが博士の発明だ。それはいつものこと。
 「ところで、博士、シダの胞子が毒性を持つようになるのはいつ頃ですか?」
 「それは全くの不明だ。10年後になるか、100年後になるか、あるいはもっとずっと後になるか、もしくは、そういう日は来ないかもしれない。」とのこと。
 あるかないか判らない病気のための機械なんて、と私は思った。博士の発明は今回もまた、とりあえずしばらくは、役に立たないもののようであった。
     

 記:ゑんちゅ小僧 2009.6.5


他人の感性

2009年06月05日 | 通信-その他・雑感

 加齢臭を発散して周囲に迷惑をかけているかもしれないのに、私は、私が臭いなどとはちっとも感じない。人間の鼻は自分の匂いには気付きにくいらしい。
 また、自分の書いた文章の誤字、脱字、誤用などには気付かないのに、他人の文章だとすぐに間違いに気付いて、「バカだなぁ」などと思う。
 自分のことには気付きにくい。これは、「他人の感性で自分を見ること」が難しいからだと思われる。他人の目で自分を見る、つまり、自分を客観視するということだが、客観視するもう一人の自分が自分と同じ感性のままではまだ足りないのだ。

 今年5月に亡くなった私の好きな漫画家やまだ紫は、他人の目で自分を見つめることのできた人なのであろうと思う。先日、彼女の作品をいくつか読み返したが、「冷たい」と感じるほどに彼女は自身と家族を客観視する。生きることに対する厳しい姿勢の表れなのかもしれない。「自分は正しく生きているか」と問う姿勢。
 テーゲー(いい加減)で生きている私にも私を客観視する目が必要ではないかと、最近思うようになった。例えば、私は常に男の感性で私を見ているので、私の考え、行動はたいてい正しいと判断される。が、女の感性で私を見たならば、「それ、ちょっとおかしいんじゃない?」というようなことが多々あるかもしれない。
 まあ、女の感性にまでならずとも、血液型O型の私がA型のような細かい神経を多少は持って、自身を見つめてもよいのではないかと、ちょっと思うのである。
          

  この頁はガジ丸通信というブログに載せているが、その他に私は、ガジ丸の島というホームページを持っていて、そこでは沖縄の動物や植物を紹介している。ガジ丸通信でもガジ丸の島でも私は根拠の無い非難中傷はしないという自主規制を設けているが、そうでない限りでは、「言いたいことを言っちゃえ、書きたいことを書いちゃえ。」という姿勢でいる。書きたいことを書かなかったら楽しくない、日本の外れに住む無名のオジサンが書くことなどたいして影響はあるまい、などという理由から言いたい放題、書きたい放題なのだが、それを今、「少々調子に乗りすぎたかな」と反省している。
 権力者(政治家など)に対しては特に遠慮なく辛辣な意見を述べてきた。政治家への苦言は、一有権者の権利としてある程度許されることだと思う。だが、傍観者には傍観者なりの遠慮が必要であろうと今反省している。それから、もともと好きなので、下ネタも好きなように書いてきた。が、下ネタは特に、遠慮が必要だと思っている。

  ガジ丸の島で紹介している沖縄の植物や動物を子供たちが見ているらしい、のだ。ごく一部だが、その中でも私は下ネタを書いている。子供たちにとっては、植物や動物のことを知りたいのに、下品なことまで知ってしまう。これはいけない、と反省。
 で、先ずは動物からと、今年の初めから記事内容を確認し、下ネタがあれば削除する作業を行っている。読み返すと誤字脱字、誤情報がいくつもあるのでそれらも訂正する。日常のやることは他にもたくさんあるので、その作業は少しずつしかできない。五ヶ月でやっと、動物の内のチョウ・ガを終えただけ。夏休みに入るまでは少なくとも動物は終えたいと思っていたのだが、道は遠い。お調子者は調子に乗って、後悔している。
          

 記:2009.6.5 島乃ガジ丸