ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

発明028 クラスター楽団

2008年08月29日 | 博士の発明

 午後、シバイサー博士の研究所を訪ねた。旧盆の日にも行っているので2週間ぶり。前回熟睡中であった博士は、今回もまた熟睡中であった。ために、話を聞くことができず、ゴリコとガジポがいれば、その遊び相手をしてやろうと思ったが、彼らもまた、お昼寝中であった。よって、何の収穫も無いまま帰ることになった。
 ユクレー屋に向かう。海岸沿いを散歩しながら、のんびり行ったのだが、夕方にはまだ間がある時刻に着いてしまった。まだ厳しさの残る陽射しの中、歩いている間も時折聞こえていたが、ユクレー屋の庭でも聞こえた。夏の終わりを告げるジーワが鳴いていた。

 「もう8月も終わりだね、ジーワが鳴いてるね。」(私)
 「ジーワって、今鳴いているセミのこと?」(マナ)
 「あー、そうだ。和名ではクロイワツクツクという。」(ケダ)
 「夏の終わりを告げるセミだよ。」(私)
 「うん、そういえば、夏休みの終わりが来たって感じがする。」(マナ)

 などという会話から始まって、いつものようにビールとなる。それからしばらくして、もうすぐ夕陽が沈もうかという頃に、珍しくシバイサー博士がやってきた。

 「やー、博士、週末のこんな時間に珍しいな。」(ケダ)
 「何か新しい発明はありませんか?って訊きに来る奴が最近姿を見せないんでな、しょうがなく、自ら姿を現したというわけだ。」
 「って、私のことですか?私なら今日も行ったんですよ。寝てる博士を起こさなかっただけです。それにしても、わざわざ来たってことは何か発明したんですね?」(私)
 「その通り。これだ。」と、博士は手に持っていた物体をカウンターの上に置いた。それは見た目、ミサイルのような形で、50センチほどのものだった。
 「何ですか、これ?」(私)
 「ユーナが喜びそうなものを作った。彼女が帰ってしまったのは残念だが、まあ、誰が見ても面白いと感じるものだ。簡単に言うと爆弾だ。」
 「爆弾?って、ドカーンの爆弾?危なくないの?」(マナ)
 「そう、ドカーンの爆弾。しかも、あの悪名高きクラスター爆弾を真似たものだ。ではあるが、ちっとも危なくない。むしろ、愉快な爆弾だ。」
 「危なくは無いんだ。なら、いいね。で、さ、その悪名高きクラスター爆弾っていったい何なの?原爆みたいな怖いものなの?」(マナ)
 「大きな爆弾から小さな子爆弾が大量に飛び散って、無差別殺傷できる爆弾さ。非人道的と言われている。なわけで、確か、今年の5月に禁止条約が締結されたよ。」(私)
 「そんなものが実際に使われていたの?」(マナ)
 「あちこちの戦場でたくさん使われたみたいだよ。その子爆弾には不発弾も多くてね、第二の地雷とも呼ばれてるんだ。それによる悲劇も多いみたいだ。平和国家である日本の自衛隊も大量のクラスター爆弾を所有しているそうだよ。」(私)
 「ひえー、恐いね。そんな恐ろしい爆弾を真似たって、どういうことさ。」と、マナは博士に問い詰めるように言う。が、博士はニタニタ笑いながら、それを無視して、
 「マナ、とりあえずのビールをくれ。」と言って、カウンター椅子に腰掛けた。

 博士はビールをゴクゴクと喉に流し込んで、プハーっと息を吐いて、久しぶりの発明品の話を、もちろん、いつものように大いに得意げな顔になって、始めた。

  見た目が爆弾で、中から爆発的に大量のあるものが出てくるからクラスター爆弾に似ているというわけだが、もちろん、爆発することは無い。空から降ってきて、地面に突き刺さったら扉が開いて、中から小さな玉がたくさん飛び出てくる。小さな玉はそれぞれがパカっと割れて、その中から、おもちゃの兵隊ならぬ、おもちゃの音楽家が出てくる。
 おもちゃの音楽家はそれぞれが楽器を持っており、それを演奏する。出てきた順に、最初は一人で、すぐに三人、十人と人数が増えていって、最後には50人編成くらいのオーケストラとなって、見事な演奏を聴かせてくれる。これを名づけて、「クラスター楽団」という。どうじゃ、カッ、カッ、カッ、愉快だろう。

 ということであった。確かに愉快だ。こういうのが実際の戦場で使われて、命のやり取りをしている兵士の前で演奏会をする。モーツアルトの交響曲なんかを演奏する。そしたらきっと、平和な気分になるに違いない。「戦争やーめた。」になるかもしれない。
 「博士、いいですね。これは最高ですよ。早速、役に立てましょう。」
 「フッ、フッ、フッ、そうか、君もそう思うか。ヘッ、ヘッ、ヘッ。」

 これを使えば世界平和も夢じゃない、博士にしては珍しく役に立つ発明だ。と私は思ったのだが、後日談。ガジ丸に頼んで、ある戦場で試してみたらしい。昔の兵隊ならその音楽に耳を貸したかもしれないが、今の兵隊にはそんな余裕は無いみたいで、おもちゃの音楽隊が出てきて演奏を始めたとたん、ことごとく機関銃の的となったらしい。
     

 記:ゑんちゅ小僧 2008.8.29


感動の2016

2008年08月29日 | 通信-社会・生活

 夏の間、休肝日を週休2日にしていた。それまでは月~水の3日が休肝日であった。夏になって、夜11時を過ぎても室温が33、4度あり、酒でも飲まないと眠れなかったからだ。で、馬鹿笑いできるバラエティー番組のある水曜日を働肝日に追加していた。
 先週の水曜日もそのつもりで酒の肴を準備し、飲む態勢を万全に整えて、夜7時テレビをつける。新聞を取っていないのでテレビ番組の内容は詳しく知らないが、その時間、いつもなら島田紳介が顔を出す。ところが、その日はプロ野球ヤクルト球団元監督の古田さんが出ていた。オリンピックの放送のようであった。「なんだ、しょうがねぇなあ。」と思いつつ、テレビを消し、オーディオのスイッチを入れる。

 日本人選手にどうしても勝って欲しいという情熱を持たないので、私はオリンピックの試合を観てもわくわくしない。わくわくしないので退屈である。よって、オリンピックの試合をほとんど観ていない。「勝負は勝たなければならない」などとは思わない。「オリンピックは参加することに意義がある」の方に私は組したい。選手には、思いっきり力を発揮して、勝っても負けても自分自身のために楽しんできてね、と願っている。
 テレビで試合そのものは観ないが、夜のニュースや朝のめざましテレビなどで、その結果を知る。水泳の平泳ぎや柔道、レスリング、ソフトボールなど日本人が勝利するシーンを観て、「よかったねぇー」と心の底から思う。一方、期待通りの活躍ができなかった選手たちにも「よくやりました」と言ってあげたい。勝った喜びも負けた悔しさも彼らの財産である。オリンピックに向けて4年間練習してきた努力の賜物である。その意味では、一所懸命努力したであろう他国の選手たちにも拍手を贈りたい。

 月曜日(25日)のめざましテレビで、オリンピックで最も感動した競技のベストテンをやっていた。その10位から2位までは同感だったかどうか、今、それが何だったのかも記憶に無いのだが、1位は私も同じであった。女子ソフトボール。
  ソフトボールもその試合はちっとも観ていない。決勝戦も、その前日の、1日2試合をやって上野投手が連投したというのもニュース映像(各1分間位か)で観ただけだ。上野投手が、前日たくさん投げて指の皮が剥げているという情報も踏まえながら、決勝戦のニュース映像を観た。ほんの1分間の映像だったが、感動した。
 表彰式が終わった後、金銀銅の3チームが集まって、並んで、その前にソフトボールのボールで2016と書いた場面があった。私はそれにはさらに感動した。勝ち負けは二の次、我々はオリンピックで試合がしたいんだという意思表示。さっきまで戦っていたチーム同士が同じ気持ちで協力し合う。協力は互いに尊敬しているからできること。
  このところのオリンピックは、商業主義に成り果ててつまらなくなった。が、ソフトボールの2016は、オリンピックは平和の祭典という言葉を思い出させてくれた。

 さて、オリンピックにあまり興味が無かったので、私はオリンピックに関する画像を何も持っていない。で、写真はオリンピックとは全く関係の無いもの。
 ステンレスの壁を上れなくなってしまった情けないヤモリと、死んでも手を離さない根性あるヤモリ。情けないヤモリに声援を送り、根性あるヤモリには感動した。
          
          
          

 記:2008.8.29 島乃ガジ丸