珍しく週末、それも暗くなってからシバイサー博士がユクレー屋にやってきた。カウンターのケダマンの隣の、私の隣に腰を下ろしながら、
「ユーナ、ビールくれ。」と声をかけた。
「あれ、博士、マナがいないって知ってたんですか?」と訊く。
「あー、マナは私のところでボーっとしているよ。」
「ほう、そりゃあまた、何で?」とケダマン。
「何か随分沈んだ顔をしていたからな、あんまり思い詰めると脳汁が出てしまうぜと脳汁節を歌ってやったんだ。実際に脳汁を出しながらだ。そしたら、余計モヤモヤしてきたと言うもんでな、モヤモヤ吸取り機にかけた。で、今、自分の脳から出たできたてのモヤモヤを眺めながらボーっとしている。これからどうするかを考えているのだろう。」
「脳汁節って何?」とユーナが訊いたので、博士がここでも歌った。
「目から鼻から耳から口からん、あね、汁ぬ出(いじ)ん、脳汁ぬ出(いじ)ん・・・(以下略)。」と歌いながら、博士はここでも脳汁を出した。
「うげっ、止めてよ!気持ち悪い。」とユーナは言うが早いか、手に持っていた布巾を博士の顔めがけて投げつけた。その布巾で、目鼻耳口から出た脳汁を拭きながら、
「えっ、そんなに気持ち悪いか?・・・うーん、そうか、そんじゃあマナも、気分が悪くてボーっとしているのかもしらんなあ。」と博士は言う。しかし脳汁節、私は興味を持った。面白いと思った。ケダマンも私と同感のようで、
「博士、その歌、博士が作ったのか?面白れぇな。もっと聞かしてくれ。」
「いや、ガジ丸の作詞作曲だ。私はさっき歌った触りの箇所しか知らない。」
「どんな内容の歌かは覚えていますか?」(私)
「うーん、もう何年も前に聴いただけだからなあ、はっきりは覚えていないが、あんまり思い悩むと脳汁が出るって歌だったと思う。詳しくはガジ丸本人に聞いてくれ。」
などと我々が会話している中を、ユーナが割って入った。
「いいよもう、そんな気味悪い歌の話は。それよりさ、マナが使ったっていうモヤモヤ吸取り機って何よ。できたてのモヤモヤって何なのさ?」
それについては私も興味がある。
「何なんですか博士、モヤモヤ吸取り機って?」とユーナに続けて訊く。
「思い悩んでいることを脳から吸い出す機械だ。」
「何の役に立つの、それ?」とユーナは訊くが、聞かなくともマジムン(魔物)の私には大体解る。同じくマジムンであるケダマンも解っているようで、
「人間の悩みなんてのはな、たいてい大したこたぁ無ぇんだ。死んでしまいたいと思うほどの悩みでもな、客観的に見れば屁みたいなもんなんだ。だからよ、思い悩んでることを吸い出して、それを外から眺めてみようってこった。な、博士。」
「その通り。」
「ふーん、そうなんだ。で、吸い出した悩みって、どんな形してるの?」(ユーナ)
「モヤモヤしている。だから、モヤモヤ吸取り機なんだ。」(博士)
博士によると、一つの悩みは、たいてい一つのモヤモヤとして出てくる。そのモヤモヤは、たいてい一本の糸がぐちゃぐちゃに絡み合ったようにして出てくる。ぐちゃぐちゃに絡み合ったものを丁寧に解いていけば、その悩みの正体が明白になり、すっきり解決できるのだが、あまりにもぐちゃぐちゃしているので、たいていは解くのを諦める。で、さっぱりきっぱり、思い悩んでいたことを忘れてしまうというわけらしい。
「じゃ、つまりさ、思い悩むってことはさ、ぐちゃぐちゃに絡み合った糸を解こうとする作業ってことなの?そりゃあちょっと面倒臭そうだね。」(ユーナ)
「そう、その通り。」(博士)
などという話題を中心に、ユーナが帰ってきた日、マナがいないままのユクレー屋の夜は更けていったのであった。
記:ゑんちゅ小僧 2007.8.17