このガジ丸通信はここ3ヶ月ばかり、引っ越しに伴うあれこれ思うこと感じたことを中心に自分のことばかり書いているが、世間で起きていることについて何も思わず、何も考えなかったというわけではない。引っ越しに伴うあれこれに脳味噌が忙しく、引っ越しに伴うあれこれがたくさんあって、物事について私なりに深く考察し、私なりに深く考え、私なりの意見を述べるには「深く~する」時間と心の余裕があまりなかったわけ。
世間で起きたことで、かつ、大騒ぎになったことで知っていることは、ポケモン号というゲームが流行って、それに夢中になって交通事故も起きたということ。人気グループのスマップが解散したということ。アメリカ合衆国の次期大統領がトランプ氏に決まって、今年1月新大統領に就任し、早速独自路線を歩み始めているということ。そして、沖縄の辺野古新基地の工事が再開されたということなどなど、いくつもあるが、
ポケモン号とスマップ解散については、私にとってどうでもいいことなので何も思わないし何の意見も無い。アメリカ合衆国新大統領トランプについては、どんな顔をしている人なのか私には不明であり、どんな思想の持ち主なのかもよく解らないので、もう少し調べてから、顔も見てから、その上で意見があれば後日述べたいと思う。
毎日数回は聴いているラジオからのニュース、私の関心事は、もちろん天気。昔、「土方殺すにゃ刃物は要らぬ 雨の三日も降ればいい」なんていう歌の文句だかなんだったかがあったが、農夫の生活も天気に大きく左右される。できそこない農夫の私でも天気は大いに気になっていて、ラジオでもっとも注意深く耳を傾けるのは天気情報。
天気情報の次に注意して聴いているのは一般のニュース。芸能スポーツには全く興味は無いが、経済ニュースにもあまり興味は無いが、政治向きの、特に沖縄関連のニュースには大いに興味があり、その方面のニュースがあると作業の手も止まる。
今週は私にとって、及び平和を愛する多くの沖縄県民にとって、悔しくて残念なニュースがあった。辺野古新基地建設再開というニュース。
「お願ぇしますだ、沖縄にもうこれ以上基地は要らねぇですだ、工事はしねぇでくれ」と頼んでいるのに、「煩ぇ、お上に盾突くんじゃねぇ!」と国は「何が何でも辺野古」とばかりに、強引に前に進む。それを阻止しようとする庶民に対し、「無礼者!」と刀を抜き、切り捨て御免、なんて江戸時代のバカ侍みたいな気分にいるのかもしれない。
辺野古新基地建設再開というニュースの中で、例のおとぼけ官房長官がまたもおとぼけ発言をしていた。「地元は反対と言っているが、辺野古地区住民は条件付き賛成だ」といった内容の発言だった。頭が悪いのか、あるいは頭が悪いふりをして、相手を油断させようとしている狡猾者(能ある鷹は・・・みたいな)なのかしらないが、
首都圏の電力は首都圏で責任をもって賄おうと、神奈川県が東京湾に大規模原発受け入れを表明した。危険なものが近くにあるのは気持ち悪いので東京都は猛反対した。
「地元が賛成している、工事を着工する」と電力会社は問答無用の態度。
「地元は賛成って、場所は神奈川でも影響は東京都も受ける、東京も地元だ!」と反論したが、電力会社のおとぼけ担当者は「煩ぇ!決まったことだ」と吐き捨てた。
記:2017.2.10 島乃ガジ丸
「メタボリックナンバーワン 取り戻せ超獣ウチナー」と始まる歌がある。3、4年ほど前くらいからラジオからよく聞こえていたので、出だしだけだがそのメロディーと共に耳に残っている。歌のタイトルや歌っている歌手名などは知らないが、これが『1キロ減らそう運動』のテーマソングであるということは、ラジオ番組で聞いている。
『1キロ減らそう運動』とは「体重を1キロ減らして健康になろう」だと思われるが、沖縄県民がメタボリック率ナンバーワンになり、長くナンバーワンの地位を守り続けてきた女性の平均寿命もその地位から滑り落ちたということで、おそらく県が率先しての『1キロ減らそう運動』なんだと思う。沖縄男性の平均寿命も、かつては上位に位置していたであろうが、もう20年くらいも前からベストテンにも入っていない。ネットで調べると一昨年は47都道府県中30位とのこと。確かに、沖縄男性にメタボは多い。
大晦日の昼間、その夜の食い物となるおでん(の材料あれこれ)、夜中の食い物となる蕎麦、袋入りの山芋とろろ、明日の食い物となる数の子、黒豆などを買う。
その後、用があって友人Oの家に行った際、友人でありOの女房でもあるE子からサーターリンガク(タイモ(田芋)のきんとん)、みかん、りんごを頂く。
家に帰っておでんを作り、飲む準備ができた夕方、玄関のチャイムがピンポンと鳴る。大家さん(隣に住んでいる)だ。「正月料理、あなたの分もついでに買ってきたわよ、これ食べて」と差しだしたのはオードブルと沖縄で呼ばれる正月の食べ物。ボリュームたっぷりのそれは、おそらく私のおでんや蕎麦より、E子のサーターリンガクより日持ちしないだろうと思われたので、他は延期し、その日はそれを肴とした。
ボリュームたっぷりのオードブル、9種類の料理が入っていた。肉だんご、串カツ、手羽元唐揚げ、鶏肉南蛮揚げ、鶏肉とニンジンのフライ、シューマイ、オムレツ、ウズラ玉子フライにマカロニサラダが少々。肉、肉、肉、肉、肉、肉、玉子、玉子、そして穀物。オムレツの中にも挽肉が入っていた。ウチナーンチュはこんなにも肉を食う。肉が大好きなのだ。また、9種類の内5種類は揚物。ウチナーンチュは揚物も大好きなのだ。
沖縄が昔貧乏だった頃はこんなにも肉は食えなかった。肉はあまり食わず芋や野菜を多めに食っていた。だから、女性だけでなく昔の沖縄男性は健康だったのだと思われる。そしてまた、沖縄が昔貧乏だった頃は沖縄男性もよく動いたであろう。タクシーなんぞ滅多に乗らなかったであろう、バス停も2つ3つなら歩いたであろう。それが今は徒歩5分のコンビニでも車で行く。肉が大好き、揚げ物が大好き、動くのは嫌いときたもんだ。その報いは当然ながらやってくる。メタボとなって、病気となって、短命となる。
ボリュームたっぷりのオードブル、オジサンとなってから粗食小食の私は、後期オジサンとなってから揚物をあまり食べなくなった私はもちろん、一遍には食えない。頑張ったが、6割方腹に入れた所でギブアップ。残りは翌日の昼飯となった。
粗食小食、揚物あまり食わない私が健康かというと、それも大いに疑問はあるのだが、その話はまた別途考察するとして、肉食だからといって沖縄県民が攻撃的かというとそうでもない。沖縄男性は穏やかな人が多いと私は感じている。肉食系穏やか人種である。いや、ただ単に、怒るのも面倒臭がっている怠け者ということかもしれないが・・・。
記:2017.1.6 島乃ガジ丸
私は大したことではないと思っていたが、世間(沖縄の巷)では大きなニュースになっているみたいなのでちょっと触れる。大阪府警の「支那人、土人」発言について。
土人については、私は何の違和感もない。土着民という意味であると捉えている。しかしながら、支那人についてはモノ申したい。それが中国人のことを卑しめて呼ぶ語であるとしたら、公職にある者が差別用語を使うことに違和感がある。そして、支那人という呼び名が卑しめることなく中国人を指していたとしても違和感は大いにある。
沖縄人は日本の南端の島々に古くから住む土着民である。中国からの渡来民では無い。倭人の方がむしろ、中国や朝鮮からの渡来人が多く、DNA鑑定をすればおそらく、中国人に近いのは沖縄人ではなく倭人の方であろう。中国人、朝鮮人、倭人、沖縄人の代表的顔を並べてみれば、一重瞼の薄っぺらな顔の中国人、朝鮮人、倭人に比べ、沖縄人は眉毛太く、掘りの深い顔立ち、いかにも縄文人といった顔。琉球列島(奄美から八重山まで)が日本国であるならば、大昔からそこに住んでいる沖縄人は日本原住民である。
それはさておき、いかにも沖縄人といった特徴ある顔をウチナーヂラー(沖縄面)と呼ぶが、見た目だけでなく性質にも、いかにも沖縄人といったものがあるだろうと、ウチナーンチュの特徴的な、あるいは、目立つ性質、または、行動を考えてみた。
若い頃の5年間、東京暮らしをしていた時に「何か違うなぁ」と私が感じたことに「東京の人はきちっとしているなぁ」ということがあった。エレベーターでは常に右側が空いているし、電車を待つ列にはちゃんと並ぶ。今では沖縄でもだいたいそうなっているが、私が若い頃はエレベーターはゴチャゴチャ、バス停で並ぶなんてこともなかった。
東京で車を運転することが何度かあった。その時も「東京の人はきちっとしている」という感想を持った。沖縄に帰省して車を運転すると、私はイライラすることが多かった。交差点で信号が青になっても先頭の車がモタモタしている。方向指示器を点けずに右折左折する車が多い。東京ではほとんど経験しなかったことだ。
東京だと「青だぞ!何モタモタしていやがる!」とけたたましくクラクションが鳴るであろうが、沖縄だと数秒は待ってから「青ですよ。」と軽く鳴らすだけ。ウチナーンチュにはボーっとしている人が多いので「お互い様」といった気分なのだと思う。
私は優しい(自分で言う)ので、脇道から大通りへ出る際は歩道の手前で一旦停車し、左右の車が途切れて大通りへ出るチャンスであったとしても、歩行者がいれば彼を優先して「どうぞ」と手で合図し渡り切るまで待つ。ウチナーンチュの年寄りは「ありがとう」という表情を見せ、小走りする。「ゆっくりでいいのに」と私は思う。
これが倭人の場合はそうはいかない。彼は「法律上俺が優先である」とばかりに「ありがとう」という表情はまったく無く、ゆっくりと渡って行く。私はしかし、「これが法律だ」といった倭人の感性より、ウチナーンチュの緩い感性の方が好き。ちなみに、ウチナーンチュでも女子高生は別。彼女たちは複数でいると最も威張った歩行者だ。
沖縄では決まりごとより優先するものがある。それは「思いやり」。カッコよく言えばそうなるが、実は、「どうでもいいさぁ、楽しければいいさぁ」といった気分かもしれない。いや、それも私が若かった頃はそうだったかもしれないが、今はどうも・・・。
記:2016.10.28 島乃ガジ丸
先週金曜日(16日)、国と沖縄県が争う裁判の判決があった。何が何でも沖縄に米軍基地を押し付けようとする国の言い分を裁判所も支持した。南の島の呑気なオジサンである私だが、そんな私もその結果を残念に思った。しかし、呑気なオジサンは呑気なので、家で料理をしながらラジオでそのニュースを聞いて、替え歌を思いついていた。
元歌のタイトルは「可愛いスーチャン」、古い歌だ、調べると1945年頃に流行ったとのこと。私がこの世にやってくる前の歌だが、私はメロディーははっきり、歌詞は1番だけ覚えており、ギターを弾いて歌うことができる。その替え歌、
お国の為とはいいながら 人の嫌がる軍基地を
押し付けられてる哀れさよー 愛しいウチナーよ何処へゆく
替え歌の次は妄想。
嘉島仙世の先祖は小作人を数多く抱える大地主であった。先祖代々の土地は戦中戦後の混乱期に地籍が不明となったものもかなりあったが、それでもまだ、多くの土地が残されていた。それらのほとんどは畑では無く住宅地となって、民家が立ち並んでいる。
戦後の混乱期、嘉島家の土地に承諾を得ず勝手に工場が建てられた。当時の家長であった祖父は文句を言ったが、工場は国の後ろ盾があり、借地料も支払うということで渋々認めることになった。工場で働く人の住まいのため祖父はさらに多くの土地を借地として提供した。仙世の父の代になると、嘉島家の土地以外にも人々が住み着くようになり、大きな道路ができ、住人のための店舗、病院、学校などもでき、辺りは賑やかになった。
祖父の代に建てられた工場は町のほぼ中心にあった。化学薬品を製造する工場、煙突からは煙を出し、大量の汚水が下水へ吐き出された。公害が社会問題として大きく取り上げられた頃、父は工場から排出される煙や水について調査を求めたが、工場側は、最新の浄化装置を設置したので安全だということのみ言い張り、調査はうやむやにした。
で、住民は怒った。工場撤去せよの運動が起こった。そして、工場側もついに移転を表明した。実は、工場側にとっては、老朽化した建物の建て替えと新設備導入が必要なことだった。しかし、そのことは伏せて「住民の安全のために我々は移転を決意しました。」と宣言し、「移転のためには新たな土地が必要です。町外れで良いので十分な広さの土地を提供して下さい。そうすればすぐに移転しましょう。」との条件を出した。工場側のこの手前勝手な提案に工場撤去を要求している住民達は怒りの声を挙げた。
「何で我々が工場移設の為の土地を提供しなければならないんだ!」
「たとえ町外れに移設したとしても、町外れに住む人々もいるんだ、国の利益のためならそういった一部の人間の犠牲はしょうがないということか!」
「長い間、この町は工場のために不利益を被ってきたのだ、その不利益は国全体が責任を覆うべきものだ、なんでこの町だけが犠牲になるんだ!」などといった声。嘉島仙世は工場撤去運動市民団体の代表者の1人でもある。彼もまた声を挙げた。
「私は自分の土地に公害の元凶があり、町の人達に迷惑をかけていることを心苦しく思っている。なので私は私の土地を返せと言っている、これは正当な要求だ。」と。嘉島仙世の怒った顔がスクリーンに大きく映って・・・ここで私の妄想はお終い。
記:2016.9.23 島乃ガジ丸
私の部屋のすぐ傍は畑になっていて、夜になるとそこに住むカエルが大合唱を始める。夜中目を覚ますたんびに聞こえるので、おそらく一晩中鳴いているのだろう。
朝5時過ぎになると、カエルの声は止み鳥の声が聞こえるようになる。この時期は、ヒヨドリの声も聞こえるがメジロの囀りが大きい。たまにはホトトギスの声も聞こえる。5時半頃になると、鳥の声をかき消すかのようにアブラゼミが大合唱を始める。
夏農夫は、朝6時までに畑へ着きたい、そのためには4時半起床しなければならない。しかし、私が目覚めるのはメジロの囀りが聞こえる頃、目覚めてもすぐには起きず、ベッドでグダグダして5時半頃に起きている。何でグダグダしているのかというと体がだるいから。連日の暑さの中、暑さに耐えながら畑仕事を続けた、その疲れだと思う。
日曜日も激しく暑かった。休憩する回数が増えて、1回の休憩時間も長くなる。午後1時、昼飯食った後も小屋前テントの陰でグダグダしていたら、ラジオで「県民大会」の実況中継をやっていた。「ぞくぞく人が集まっている」と言う。この糞暑い中、一般市民がぞくぞく集まっているようだ。開会は午後2時、閉会は午後3時半、この糞暑い中、早く着いた人は2時間半も炎天下に立つ。その情熱に私は大いに敬意を表したい。
大会のラジオ中継は午後1時から3時半頃までだったが、その間の1時間ほどを私は聴いていない。「何をしていたんだ?」って、もちろん、畑仕事だ。炎天下で肉体労働だ、おそらく、会場で立っていた人達よりも多くの汗を私は流したと思う。
「俺も大変なんだぜ」という大会へ参加しなかった私の自己正当化はともかく、聴いていなかった1時間のことも気になったので、火曜日(21日)、ネットのできる環境へ行って大会の事、その内容、大会に対する意見などを伝える新聞記事に目を通した。
沖縄タイムスの記事によると、「元海兵隊員による残虐な蛮行を糾弾!被害者を追悼し海兵隊の撤退を求める県民大会」(主催・オール沖縄会議)が19日午後2時から、那覇市の奥武山公園陸上競技場をメーン会場に開かれ、主催者発表で6万5千人が参加した」とのこと。写真も載っている、やはり炎天下だ、そこに6万5千人。沖縄の未来を何とか良い方向へ持って行きたいと願う人々が集まったのだと思う。真摯な情熱だ。
関連するネットニュースをあれこれ見ていると、おとぼけ官房長官がまたもおとぼけコメントをしていた。朝日新聞の記事による。
菅義偉官房長官は20日午前の記者会見で、元米兵による女性殺害容疑事件に抗議した沖縄県民大会に自民、公明両党が参加しなかったことに関連し、「よく県全体(の大会)という話がされるが、それはまったくあたらない。沖縄にある11市のうち9人の市長が出席していない。自民、公明、さらに維新も出席しなかった」と述べた。
とのこと。もしも官房長官が、「誠に痛ましい事件だ、あってはならないことだ」と本当に思っているのなら、炎天下に集った6万5千人の想いに先ずは言及し、そして、「大会は被害者の追悼だけなく基地撤去も謳っていた。基地は沖縄に押し付けるというのが自民党の考えなので、残念ながら参加できなかった」となるのではないだろうか。
炎天下の情熱は並々ならぬものがあると、炎天下で「糞暑い!」と叫んでいる農夫は理解している。大会に出席しなくても出席した人達と同じ想いの県民はさらに多くいる。
記:2016.6.24 島乃ガジ丸