昆布などの売れ行きは いまいちでした。
農業祭 - 福祉農園 野菜の 日記 - Yahoo!ブログ
JR土呂駅駅を降りて無料シャトルバスに乗って農業祭の会場へ
農業祭参加者の車が駐車場に入りきれず周辺の農道にまであふれていた。
前日の雨で賑わいのない祭りだったが、
今日は晴天に恵まれ農業祭は盛況だった。
会場で農園スタッフと合流し福祉農園のブースへ
ミャンマーの小数民族カチン族の料理と
サツマイモチップを販売する風の学校のメンバー
会場では清水さんや井上さんなど
福祉農園のご近所の農家が苗木や野菜の販売を行っていた。
清水さんにゆずの苗木を安く分けて頂く。
その後は、スタッフの車で農園へ戻る。
突然の雨、
雨上がる。
2010年11月 - blog 福祉農園通信・龍神伝心
東京電力福島第一原子力発電所の敷地内が12日、
事故後初めて報道陣に公開された。
事故収束にあたる吉田昌郎(まさお)・同原発所長(56)は
「(震災が発生した)3月11日から1週間が一番厳しかった。
死ぬかと思ったことが数度あった」と、
当時の緊迫した状況を報道陣に初めて語った。
福島第一原発では、
地震による津波が到達した11日午後3時半すぎに、すべての交流電源が喪失。
原子炉の冷却機能がなくなり、1号機は翌12日午後、
水素爆発を起こして原子炉建屋が大破した。
この爆発音を聞いた吉田所長は、
現場から戻るけが人を見て
「(原子炉を覆う)格納容器が爆発しているとなると、
大量の放射能が出てくる」という最悪の事態を想定。
原子炉内の圧力が高いため燃料を冷やす水も思うように注入できず、
「次がどうなるか想像できなかった。
メルト(燃料の溶融)も進んで、コントロール不能となる状態を感じた。
そのとき、終わりかなと(思った)」とも話した。
(2011年11月12日20時50分 読売新聞)
3月11日以降、
官房長官や東電、保安院や御用学者さん達が言っていたことが嘘だたことがはっきりした。
福祉農園のスタッフも調査団に参加した、
コマリン地区の情報センターにある放射線に関する書物を
ビデオやカメラに収める調査団員
正しい情報 不安払拭 発信へ「拠点」必要 - 東日本大震災|福島民報
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PRIME連続講座「東日本大震災と私たち」 第12回
「青森から原子力政策を考える
~六ヶ所、東通、大間、むつ~」
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福島原発事故により、日本と世界における平和的生存が危機に瀕している。
今回の講座では、日本社会が、なぜこのような巨大なリスクをもった
原発を受け入れてきたのか、周辺化された地方である「青森」の視点から考える。
■発題者
矢澤秀範さん(毎日新聞記者)
2007年4月毎日新聞社入社。2011年5月まで青森支局に勤務。
原子力政策を担当する。現在は、三重県名張支局に勤務。
学生時代は、見沼田んぼ福祉農園のボランティアとして営農活動に励みつつ、
全国の農村を回っていた。
■コーディネーター
猪瀬浩平(PRIME所員)
日時 :12月6日(火)18:30~20:30(開場18:15)
会場 :明治学院大学 白金校舎8階 81会議室
http://www.meijigakuin.ac.jp/access/shirokane/
参加費 :無料 *事前申込み歓迎
会場アクセス:
最寄駅は、JR品川駅・目黒駅よりバスで約10分、東京メトロ白金高輪駅、白
金台駅、高輪台駅より各徒歩約7分
申込み先:主催:明治学院大学国際平和研究所(PRIME)
E-mail: prime@prime.meijigakuin.ac.jp
TEL:03-5421-5652 FAX: 03-5421-5653
http://www.meijigakuin.ac.jp/~prime/
晴耕雨読人類往来記
きょうの共同作業日も 一人ひとりにあわせた違ったことをしました。
S氏伐採された枝を運びます。
半そでで作業、歳に似合わず?元気です。力仕事はまかせて。
竹の移動もTさんと。良いコンビです。↓
たけのこいもの皮むき。残っているのは小さいのばかり。
細かい作業はまかせて。
朝、電話あり見沼南部領辻へ
見沼南部領辻自治会有志が行っている
ボランティア水田のお米を「見沼の新米を食べる会」のために頂く。
帰りに偶然出くわした市民による「放射能自主測定の集い」
風の谷農場の測定をするという
風の谷農場は以前から興味があったので参加させて貰う。
風の谷農場
若衆宿、お疲れ様でした。
9時過ぎに高知県四万十町/有機農業者
島岡さんから無事帰還という連絡をいただきました。
講師の島岡さんの存在感と、魂のこもった語りが基軸でした。
そこにスタッフそれぞれの仕事が重なってとても濃い二日間になりました。
たけのこ防衛線をはじめとして、作業が進んだということが一つ。
島岡さんが残した野太い畝が何本も農園に残されています。
島岡さんをはじめとする様々な人々の問題提起によって議論が活発に起こり、
問題意識が深まったように思います。
参加したスタッフ、支えてくれたスタッフの一人一人に感謝します。
原発事故によって、
あるいは原発事故前後のさまざまな種類の管理よって
多くの人が飼い慣らされていく状況の中で、
私たちの生き方を決めるのは、私たちで、
そのための研究と、議論を、如何に共同
しておこなっていけるのかが、
これからの風の学校の存在意義でしょう。
なぐさめではなく、思い出の共有でも、傷のなめ合いでもなく、
深刻な現実を直視し、課題を共有し、
議論を重ねて志を共同し、これからの暮らしを、農園から、
見沼から、その周りの町からつくっていく……。
風の学校は来年の1月で10年を迎えます。
これから先の10年は、
風の学校のメンバー一人一人のおもいの先です。
そしてその一人として、自分は見沼に生き、
世界のあちらこちらにつながりたいと思います。
これから、個人として、
風の学校の事務局長として、さまざまな決断をしていきます。
一人でもやりぬくつもりですが、
意志のある知恵と力をかしてもらえれば、
より面白いことが出来るだろうと思います。
by 見沼・風の学校事務局長
伐採完了 - 福祉農園 野菜の 日記 - Yahoo!ブログ
1996年、
韓国で3度目の大きな原発事故が全羅南道霊光(ヨングァン)原発2号機で発生した。
温排水が大量に東シナ海に流出。
サバ、イワシ、アジなど沿岸魚とアワビなど貝類3万?が死滅する大惨事だった。
怒り震える地元漁民、住民を中心とした反原発の雄叫びの輪の中に私はいた。
その8年前、高知県民世論を二分した窪川原発闘争が推進派町長の誘致断念表明、
町議会での「原発論議終結宣言」によって封印されたことを受け、
窪川での反原発の闘いの先頭にいた農民の私は、
ノーニュークスアジアフォ-ラムの一員に加えられていた。
窪川から霊光、光州への度重なる反原発の旅。
霊光、光州での私の演説は日本語、嫌、たぶん土佐弁だったのだろうが、
韓国の仲間たちはハングルでなくとも、私の体から噴きだす怒りを受け止め、感動してくれた。
農も林も漁もいのちを与えるものを壊すことは許さじ--。
農に生き続ける私にあらたな決意が生まれたときでもあった。
そして、1998年、タイ、カンボジア国境地帯で地雷を踏んで年間に1000人が死傷、
その90%が農民であるという記事に触れた。
「なぜ、いのちを育む農民が戦火や苛政の犠牲になり続けなければならないのか」。
大地を守る会国際局から
タイ東北地方のコンケーン県バンタラート村への派遣要請があったのはこのころだった。
東北タイはコメ輸出世界一の国を支える農業地帯。
その地のかつての姿は広大な森林に覆われ、深い森に棲むトラやオオカミが出没。
森林のもたらす肥沃な土地の恩恵を受けるスローフードの地であった。
その平和な風景を破壊したものがあった。
ベトナム戦争だ。 アメリカ軍の全面介入によって、
幅広い軍用道路が縦横に森林を切り裂き、北ベトナム爆撃基地が幾つも造られた。
南ベトナム反政府ゲリラの掃討に森林はなぎ倒され、
日本はその木材の最大の輸入国でもあった。
ベトナム戦争が東南アジア住民の沃地を収奪したのみならず、
日本の林業の構造的崩壊を呼び起こしたものであることを私は知らなかった。
ベトナム戦争後、タイ農業が受けたのはアメリカ多国籍企業の収奪だった。
アメリカの支援の名の下に展開された農村近代化開発事業。
しかし、それによる芋、キャッサバ、ジュート、トウモロコシ飼料のメーズ栽培は土地をさらにやせさせた。
広大な森林を切り開いたとき、それまで森林の生み出していた自然はどうなるのか。
水蒸気は消え、霧は発生しない。雲も湧かない。
夏期には南シナ海や太平洋からの湿った熱い風とモンスーンが激しい雨をもたらすが、
大陸から吹き出す冬の季節風は一滴の雨ももたらさないようになった。
長年、アメリカの支援の下に展開された焼き畑農業によって、
有機物を還元されない土地は太古、
この地方が入り江で海であった名残の塩分を白く吹きだし、
作物を育てることはおおよそ不可能にさえなっていた。
タラート村で始まった私の農業講座に、
現地の村長は「島岡農業塾」の名前をプレゼントしてくれた。
農家各戸にため池を掘る。
ため池の周囲にバナナやジャックフルーツ、パパイア、マンゴーなどの果樹園、
野菜園を育て、池ではテラピアやナマズ養殖。
牛、豚、鶏の家畜飼育、水稲かんがい。
「立体農業」の展開だ。高知から持ち込んだ野菜の種が豊かな恵みに変わり、
釣具屋さんの協力得て集めた釣り針と釣り糸が活躍する、
村の開発委員会が私の用意した資金を管理して、
ため池を掘るための島岡基金とした。
私が行く度にちょっとずつ増える島岡基金とともに笑顔が増える村人の表情こそ農の役割、
平和の意味を教えてくれた。
日本はかつて利権を求め、覇権を求めて韓国、
中国をはじめ東アジアから東南アジアにかけて侵略戦争を行い、
2000万人の命を奪い、日本という地域に住む330万人の犠牲も伴った。
しかし、敗戦後60年をすぎても、次第に大きく聞こえるようになってきた軍備増強の声は、
軍国主義のいらざる芽としか思えない。
クラスター爆弾や劣化ウラン弾によって破壊され、
戦車や重火器車両によって蹂躙され、軍靴に汚された土地に人類の糧は育たない。
農民は食を育て、緑を守る人類の守護者と自負する。
大地の地中にあって、有機質を食べ、体中から分解酵素を出し、
樹木や稲や大根や野菜など作物の根の繊毛が吸収できる糞(栄養分)を供給してくれる蚯蚓(ミミズ)。
爆弾によって、戦火にさらされた土地にミミズは棲むことはできない。
9条が私を行かせてくれたタイの奥地は老いを感じ始めた私の体に新しい試練を与えてくれている。
私が窪川で有機無農薬栽培をはじめて30年以上の時がたった。
いま、日本に住む人たちがやっと気づき始めた食の大切さ、
食の安全--幸せに生きるには何が一番必要なのか。健康もすべては食から、農から。
農はミミズの存在から。ミミズは戦火なき平和の土に生きる。
こんなメカニズムを多くの人は忘れていないか。あるいは知らないのか。
ならば、知らせねば。ならば、声を大きくしよう。「9条こそミミズの生みの親と」
島岡幹夫(しまおかみきお)さんのプロフィール
1938年高知県高岡郡四万十町生まれ。
近畿大学法学部(二部)中退。大阪府警察官を経て、25歳から農業を営む。
1975年に表面化した窪川原子力発電所建設計画の阻止へ立ち上がり、
窪川町原発反対町民会議代表として活躍。
1987年、推進派の計画断念に持ち込む。
原発阻止闘争と同時期から有機・無農薬農業に全国のリーダーとして取り組む。四万十町在住。
高知新聞ブックレット『9条 しあわせの扉』
(2008年11月、高知新聞社から刊行)に論稿「タラート村の光景」が収載。
蚯蚓(みみず)と憲法9条
四半世紀以上前に原発計画を止めた男、
窪川(現四万十町) の島岡幹夫さん来園、私にとって1988年以来の再会
「人類はアブナイモノを作りすぎた、これから農業」この言葉が
島岡さんと私の共通のテーマ。
島岡幹夫さんは原発に依存しない美しい地域づくりを目指して、
耕作放棄された棚田の再生や森林保全、自然エネルギーの創造と、
" どこよりも美しいふる里づくり " への挑戦を続けている。
島岡幹夫さんによる農業指導。
原発なんかないほうが、豊かになる。そのことを島岡さんは生き方では証明してくれている。
大地を守る会のエビちゃん日記 “あんしんはしんどい”
竹の根がハウスの下から清水さんの苗木畑に広がる可能性が出てきたので
急ぎ根を掘り出しトタンを植えて阻止線を敷く。
隣の造園農家の畑を日陰にしていた樹木をぺんぎん村のスタッフが3日かけて伐採した。
伐採した木をが薪にする作業をする風の学校のスッタッフ。
夜は焚き火を囲み、島岡幹夫さんは土に生きる農業者として原発との戦いを語ってくれた。
11月23日(水) 勤労感謝の日 恒例 第26回 見沼の新米を食べる会 第13回見沼田んぼ福祉農園 収穫祭 |
見沼田んぼ福祉農園の芝生広場で、 午前12時頃より開催いたします。 参加費は、いつものように500円。 見沼田んぼの新米のご飯と、 農園で育った野菜がいっぱい入った豚汁をつくってお待ちしています。 いつものように茶碗や箸等の食器と副食品をご持参下さい。 ゴミは、いつものようにお持ち帰り願います。 Mail: fwic3195@nifty.com 猪瀬まで アクセス:JR東浦和より国際興業さいたま東営業所行き 総持院下車 徒歩4分 東浦01 浦04-2 浦04-3 東浦81 東浦02
1986年に見沼田んぼを愛する会、 「見沼の新米を食べる会」は、今年で26回になります。 今まで一度も雨に降られたことがありません。 見沼田んぼ福祉農園通信 |
農的若衆宿2011 百姓の底力
高知県四万十町/有機農業者 島岡幹夫さんをお招きしてー
講師 島岡 幹夫さん(高知県四万十町/有機農業者)
「窪川原発反対運動から、わがさとづくりへ」
2011/11/12~13(12日10時開始/13日12時終了)
高知県窪川町(現四万十町)。
四万十川流域に広がるこの自然豊かな農村に、
原発建設が計画されたのは今から30年ほど前のこと。
生命を育む農的の論理と、生命を脅かす原発の論理とは相容れないと、
農民や漁民を中心に保革を越えて多様な住民たちが反対運動に立ちあがり、
10年間のたたかいの後、計画を白紙撤回させました。
このような反対運動と、
それを支えた住民の自主的学習の延長で、現在、窪川―四万十町では、
豊かな環境資源を保全・活用・創造するため様々な仕事づくりや、
住民自治活動が展開されています。
今回の農的若衆宿では、窪川原発反対運動のリーダーで、
有機農業者でもある島岡幹夫さんをお招きします。
島岡さんが原発を如何に拒否し、国内外の仲間と<たたかい>を組織したのか、
<たたかい>の後に、今どんな社会的な事業を企てているのかを伺います。
そして、原発危機の中に生きる私たち、
今、何をなすべきか、見沼田んぼの大地の上で考えます。
会場 見沼田んぼ福祉農園
東浦和駅より、国際興業バスさいたま東営業所行きバス乗車。「総持院」下車
場所の詳細は、見沼田んぼ福祉農園ホームページを参照のこと。
参加費 3000円 (一泊 三食込み)
主催 見沼・風の学校
申込 見沼・風の学校事務局
kazekoukou@ybb.ne.jp 090-6938-9211(猪瀬)
寄田勝彦氏来園す。
今日は浦和にきています。浦和といえば、都会です。
埼玉の県庁所在地ですし、東京からわずか25キロです。
とうぜん、都会。飲み屋もたくさんあり、歓楽街もある。
人は都市で暮らす当然の結果として、ひしめき合って暮らし、
ゆとりや、隙間がなく、効率と効果を考えて生きる。
まぁこんなイメージをもっていました。
たぶんこの僕のイメージは地方都市全般に僕が持っているイメージで、
いわゆるステレオタイプのイメージです。
このステレオタイプのイメージは地方都市を歩いて漠然と生まれてきたイメージと、
映画などのメディアによって植え付けられたイメージだと思えます。
もちろん、このイメージはその土地の暮らしと寄り添った時に、
大きな間違えであり、事実ではないとことが確信されるような事実ですが、
しかし、それでも、このイメージが消え去ることがないということが本質的な何かを表象しています。
このイメージが単なる幻想と言い切れない何かが確実のあると思えます。
まぁとにかくそういうイメージで浦和に降り立った分けです。
東浦和の駅に降り立つと、まぁ僕のイメージ通りの駅でした。
ロータリーがあって・・駐輪場があって、店がある・・
もちろん、驚くべき事はなにもありません。
向かえにきてくださった方の車に乗せて頂き、目的地の福祉農園へ向かいます。
すると、不思議な事がおきました。
わずか5分車で走ると、なんと、異様な光景が広がります。
見渡す限りの田園地帯・・・・何だここ?
僕の距離感や時間軸がSFになっていなければ、ここは浦和です。
浦和に何で田園風景が・・・・この田園こそ、見沼でした。
この見沼の奇跡については、またどこかで書いてもいいなぁ・・と思っていますが、
今日は見沼の一画にある、福祉農園が目的地です。
広大な田園の中にある、小さな福祉農園にたどりつきました。
福祉農園の面積は、8反ちょっと、野菜を中心に多様な種類の食べ物を栽培していました。
福祉農園にたどりつくと、すぐに「この場所は良い場所だ」と感じる事が出来ました。
もちろんそれは、僕にとって良い場所という意味ですが、
それは、すなわち、かなりの駄目人間にとって良い場所だと言えると思います。
農地ですが、建物が雑然と並ぶエリアがあり、そこには大きな机と釜戸があります。
そのまわりには、気持ちの良い芝生があり、無駄な空間が豊に寝そべっています。
そして、その向こうに畑と呼ばれる、生産エリアがあるのです。
なんという美しさ。
さらにこの美しさを際立たせるのが、この農園で働いている様々な人の動きです。
基本、皆がバラバラに動いています。
みんなで一つのものをやってやろう的な欺瞞がここにはない。
でも、みんな一つの事をやってしまう真実がここにはある。
渾沌という名の整然。目標とは言わない育ち。
努力と呼べない努力。
心を健康にする疲労。全てを捧げても手に入らないのに、目の前にある恵み。
この農園は、そういう農園です。あとは、馬がいれば完璧だ!
info concept
2011年11月7日 農園会議議題
秋の予定
11月19・20日 さいたま市農業祭
11月23日
見沼田んぼ福祉農園 13回収穫祭
26回見沼の新米を食べる会
報告事項
9月10日ぺんぎん村青空なんでも市開催。
9月21日颱風15号接近。
農具小屋の台の上に耕耘機や芝刈り機などを移動し対策を行った。
9月24~25日
颱風15号によりプレハブ小屋は台風の豪雨による雨漏りによる被害が出た。
他にも被害が出たため復旧作業を行う。
10月7日 県庁が要請したトイレ業者がトイレ更新のための調査が行われた。
10月26日農園会議
10月27日 見沼市民ネット企画事業部会
「見沼クリーン大作戦」2012年3月10日開催に
10月29日農的若衆宿2011秋、馬糞堆肥の搬入。
2005年から始まった日本サムスンとの協働作業も7回目
11月5日 第2農園ハウス内のロッカーを第1農園プレハブとシャッター小屋の間に設置。
寄田さんはNPO法人インフォメーションセンター代表理事ホースインタープリター。
沖縄、長崎、埼玉、群馬、北海道、カリマンタン、モンゴルなどで、
地域づくり・牧場づくり・環境教育など、
多様で固定化することのないオルタナティブな活動を展開している。
寄田さんの提案「見沼に馬を」
検討課題
提案:ネギ5万本出荷事業
見沼潅水等緊急事態に対策の検討
土作り=堆肥問題
見沼堆肥は、入荷不能のために8月13日搬入。8月21日豚糞、鶏糞搬入。
10月29日馬糞堆肥搬入
農機具整備
ハンマーナイフモア―のリコール不調。9月3日メンテ。
農園整備に関して
第1農園:
10月29日細野自治会より頂いた物置第1農園農機具倉庫の脇に設置。
第2農園:
ハウス裏の竹小屋周辺に竹が拡大。竹の拡大を阻止する作業を急ぐ必要がある。
第3農園:風の学校 ぺんぎん村と協働圃場への検討
農園が必要とする共同性を検討。
⇒仕事・住まい・暮らし・仲間づくり
見沼田んぼ福祉農園の存続を支える仕組み作り必要になっている。
農園現在各団体が直面している課題を共有し、
農園で活動する障害のある人、ない人、
全ての人々のこれからの生活・生存をどう守っていくのか、
協議会として、お互いの組織が直面している課題、危機を共有しながら、
農園を中心に体制を組んでいくのかを考える。
障害のある人が個人で農園にかかわるための検討を行うことを確認。
協議会団体が、純粋な農園活動だけではなく、農園をつかって、
勉強会や交流会を行い、
農園を核にした新たな関係作りを行うことを検討することを確認。
安定的基盤をつくっていくための「起業」を行うことを検討することを確認。