blog 福祉農園通信・龍神伝心

アジアモンスーンに吹かれて
共生の農業
見沼田んぼ福祉農園 

備忘録2016.03.31

2016-03-31 | 風の備忘録 


安保法制違憲訴訟埼玉の会の呼びかけ人に名を連ねた。
 私が繰り返し反芻してきたのは、
「平和とは異なる手段をもってする戦争の継続である」とするクラウゼビッツ「戦争論」の言葉。
医学部を除籍になった70年頃から、
731細菌戦部隊の医師たちの全容とその後について、国会図書館に日参して資料収集をした。


その過程で、遠縁にあたる者が細...菌戦に従事した幹部で戦争犯罪人として処刑されたことも知った。

 だが多くの医師たちは帰国し、広島、長崎の原爆の被害者の(治療ではなく、
その威力の)調査研究に従事したり、朝鮮戦争等での細菌戦研究に協力したりした。

 大学に戻り教授になった者も多く、私が山岳部時代になるほどと思った凍傷の適切な治療法も、
実は「マルタ」と呼ばれた捕虜たちを酷寒の屋外に放置する「実験」を重ねて得たものだと知った。
 1947年に設立された国立予防衛生研究所(現・感染症研究所)は、
細菌戦部隊から帰った医師たちの大きな受け皿で、
アメリカがつくった原爆傷害調査委員会(ABCC)は彼らの参加により支えられた。

 2014年に開催された立命館国際平和交流セミナーでの西里扶甬子さんの
「731部隊,原爆,ABCC,そして福島~科学者の倫理 を問う」と題するレポートをyoutubeで見たが、
この流れに福島の原発事故による放射能被害はないと言い続ける山下俊一にもつながっていることを、
わかりやすく解説している。

 2012年12月にわらじの会から出版した「地域とからだーまなざしを問う」では、
小児科医・山田真さんが「今は長崎大の山下俊一というのが、ひどいことを言い歩いている。
『ストレスが多いと放射線の影響を受ける。
よく笑っている人は放射線の影響受けない。』と言ってるらしいんだけど、
だから、本当は広島や長崎はだめなんですよ。
そういう意味ではABCCの手先みたいになっているから。
でもなんとなくあそこらへんの人なら専門だろうということで、
そういう人に乗せられてしまうことがある。」と述べている。

 1950年に731部隊隊員たちより設立された日本ブラッドバンク(後にミドリ十字)は、
細菌戦の技術を乾燥血漿に活かした。

そして60年代半ばから血液製剤を作り、薬害エイズを引き起こす。
 やはり「地域とからだ」の中に
元国立公衆衛生院の母里啓子さんの「インフルエンザのほんとうの話」が載っている。
日本の感染症対策の大きな問題として、「隔離して追い出す」、
「撲滅する」という発想が強いことを指摘している。

「インフルエンザは風邪じゃない」と称して毎年有効性が乏しいワクチンを強制するのもその表れ。
母里さんが1970年代後半の体験として、
横浜の鶴見川で国内にはいないはずのコレラ菌が発見されたというので、
2週間にわたって膨大な塩素剤を川に撒く作業を手伝わされたと述べている。
川の水を1トン以上飲まなければ菌があっても胃酸でやられて発症しないにもかかわらず、
存在そのものを抹消しなければ気が済まない。
その陣頭指揮を執ったのが、731部隊関係者の国立予防衛生研究所所長だった。
 このように戦後もずっと、
「平和」な日常の中に、隔離、排除、差別、分離などの形をとって「戦争」は続けられてきた。

安保・戦争法制はそうした裏面の「戦争」を一挙に表舞台に押し出し、
疑問や批判を許さない体制にしようとするもの。
 そんな思いを抱きつつ、呼びかけ人メッセージを書いて送った。
「障害、病気、性、所得、民族……いろんな人が共に学び、働き、
暮らす地域を分けて壊す戦争国家への道を止めよう!」by山下浩志


3月29日 わらじの会手作り班

2016-03-30 | 農作業



お花見日和りの今日、手作り班は農園に行きました
今日は12人‼

『お花見をしながらお弁当を食べよう』と思ったのですが…

農園の桜はまだまだで…とりあえずいつもの場所でお弁当を食べ、いつもの作業。
.

ミニヒマワリの芽も出てきていました。
こごみは1週間でかなり大きくなっていましたよ✨

人参や小松菜も元気に成長中!
そして…やっぱりチョロギがあっちこっちから出てきました。
…あんなに掘り起こしたのに;さっさと仕事を終えて本来の目的のお花見へ❗
農園の近くの総持寺へ……

ここも三分咲きくらいだったけれど他の花もきれいに咲いていて良かった;
ここに『アーモンドの苗木』が売られていたのですが
(正確には値段はついていたけれどお店としてはやっていなかった)
アーモンドの花が桜のようで可愛くてきれいだということがわかりました。

農園で育てようよぉ〜と言われましたが却ましましたよ。
来週は定例会です。そのあとにまた農園に行けるかなぁ。
来週こそは満開の桜を見られたらいいな。




3月29日 日々の積み重ねの向こう側を歩む『あぐり』

2016-03-29 | 農作業

地域活動支援センターあぐりの人々が作業中。
カフエやコンビニからでるコーヒーかすを土壌改良材にする前作業、

 馬糞堆肥の投入と耕運機かけ、

そして葱の作付予定地への石灰の投入に加え、

新設されたトイレの清掃もやってくれていた。

 台風で木が倒れたときも、この人達が後片付けをしてくれており、
道路におちた葉っぱもはいて、それをまた堆肥の材料にしている。
循環の担い手こそが、農園の守人なのだろうなあと思い。


3月21日 72才荻原先輩の高校卒業を祝う

2016-03-22 | 共生社会のデザイン


以下は、荻原正男さん卒業を祝う会に出席した、わらじの会 山下浩志さんのメッセージ
荻原正男さん卒業を祝う会に出席。

 


荻原さんのことは、
2012年4月に私のブログ「共に学び働くー『障害』というしがらみを編みなおす」で、
「特殊学級から半世紀後のリベンジ Oさん定時制高校合格」と題して書いている。
そのOさんのこと。

 


http://yellow-room.at.webry.info/201204/article_2.html

 その会で司会者から「ひとこと」を振られ、
「お祝いが苦手な性分」と断りつつ、
荻原さんが埼玉県の特殊学級生の草分けであり、
いわば特殊教育の動く歴史資料といえるから、
ぜひ次世代にその経験を継承しておくことが大事などとしゃべる。
自分自身も直近のことはみな忘れているが、
昔のことはますます鮮やかによみがえっている。
そんな身辺状況を織り交ぜた。
 会の終わりに荻原さんが高校生活の4年間を語った。
沖縄をはじめ高校から出かけた全国各地の見聞について、こまごまと語られた。
「直近のことはみな忘れている」という私流の感覚とは異なる、
ボリュームたっぷりの語りだった。その語りを聴きながら、1
荻原さんの「特殊学級卒業生」として生きてきた半生...を思った。
 かってそのブログに書いた荻原さんの語る小・中学校時代ー
 「小学校3年の2学期に、普通学級に戻れるよと言われて特殊学級にうつったこと、
いつ戻れるかと期待してたけど戻れなかったこと、
先生が変わったら全く勉強を教えてくれなかったこと、
中学校では、植木屋でのみずやり、竹細工、長靴の加工、
などなど毎日作業ばかりだったこと、
九九も途中までしか教わっていない、英語は全然やっていない」
 そして、荻原さんは語らないが、
特殊学級の卒業生たちのその後の人生はどうだったか。
 やはり前にこのブログで紹介した戸田市の特殊学級担任だった
権田文雄の著書「特殊学級卒業生は、

いまー追跡ルポ」(株式会社創世記;1979)より。

 荻原さんは語らないが、特殊学級の卒業生たちのその後の人生はどうだったのか。
 「『特殊学級に行ってよかったと思うか?』私は別れ際に質問した。
彼は何しろ特殊学級ではお山の大将だったのだから、あるいは彼の口からは、
あのころがいちばんよかった、という言葉がきかれるのではないかと、私は考えていた。
 だが、彼は予想もしなかった言葉を吐いた。たしかにそれは彼の真情にまちがいなかった。
『だめ、だめ、あんなところ。いいわけがないじゃないの。
先生、まだそんなことしてるのか、はやく止しなよ。ぼくが転職ばかりしてるのは、先生の責任だぞ。
こんどは誰も特殊学級のことを知らない遠いところへ行って就職するんだ。
ビクビクするのは、もうたくさんだからな』」
 権田は書いている。「彼らの現在を知り、報告することは私の義務だ。
まちがったことは、まちがったと公然と声に出して言う必要がある。」と。
 しかし、そうやってまちがえられた本人はどうなのか。
荻原さんはまちがえられた人生行路を歩まされて高齢になり退職した。
そして、たまたまデイケアわくわく(現在は農?あぐり?)の利用者となったことが縁で、
どの子も地域の公立高校へ・埼玉連絡会と出会ったのだった。
 ほんとうに偶然の重なりにほかならない。
ロートレアモンの「解剖台の上のミシンとこうもり傘の偶然の出会いのように美しい」としか言えない。
 今日の席には参加できなかったが、
高校の教員たちから荻原さんを送るあたたかい言葉が寄せられ、読み上げられた。
荻原さんは、それらも含め、すべての言葉に対し、頭を垂れて受け止めていた。
「顔を上げて!」と時折り声をかけられる時以外は。
その荻原さんのしぐさに、これまでの人生が凝縮されていると感じる。
 あらためて、人が人を分け隔てるということを考える。
分け隔てられた同士が再び出会う回路を考える。
そんな契機を与えたくれた今日の集まりに感謝。



白木蓮が咲く頃に思いだす、若く亡くなった記者のことを

2016-03-22 | 農作業

日本経済新聞の記者が病を得て
最後の癒やしの場として見沼田んぼの福祉農園を訪れていたのを知ったのは
彼が亡くなった後のことだった。

ご家族が農園にやってきて、
「本人が好きだった白木蓮の植樹をしたい」と申し入れを受けたときのことだった。
私には、奥さんと思しき人と40才くらいの男性が車椅子に乗ってやってきては
遠くを望んでいる人がいたこと思い出すことだけであった。
そして、17年立派に毎年、白木蓮は咲いている。



梅が終わり、白木蓮が咲き、杏が咲き、姫リンゴの花が咲く農園、来週あたり桜が咲く。


3月22日 わらじの会 手作り班

2016-03-22 | 農作業


一見、暖かそうで実は風が冷たかった今日…(も!)
手作り班は農園に行きました
今日の目的は『キャベツを植えよう
今までトライしてきたもののなかなか丸くならなかったキャベツ。...
今度こそと10株植えてみました。
うまくいけば収穫は5月だそうで…。
どうなるかなぁ??? 

玉葱、カリフラワーは元気がなかったので追肥を施しました。
Y佳ちゃんは伸びすぎてきた木の伐採…の手伝いを。
Sさんと仕事が休みでべしみに来ていたTちゃんは言われたことを黙々と。
しかし、Y子さんは「足が痛い〜〜〜!」と泣き叫び(涙は出ていませんよ)、
動こうとしません。
現在、足のむくみがひどく歩きにくそうではあるのですが動かず
座りっぱなしの方が良くないので「動かないとダメよ。」
「座るなら足を上にあげておいて!」と言って途中からは
ベンチで足を投げ出した状態で座っていてもらいました。

(帰るときにはニコニコと「楽しかった〜農園」なぁんて言ってましたけどね」
ジャガイモも少しずつ芽を出し始めています。
人参、小松菜、春菊、大根も小さな芽が出てきていました。」
こごみもひょこっと芽を出しました;春だなぁ〜と感じた1日でした。

来週は花見をしつつの農園です。晴れると良いなぁ。



3月20日 見沼福祉農園にて畑を耕し種付けをしました

2016-03-21 | 農作業



2016.3.20 見沼福祉農園にて畑を耕し種付けをしました。

見沼福祉農園メンバー、ガールスカウト、
青少年交換留学生2名と浦和北RCメンバーにて午前中に作業を終え 
終了後には、バングラディッシュカレーをみんなでつくり堪能しました。

6月には収穫祭を予定しております。by浦和北ロータリークラブ   
                


3月16日 わらじの会手作り班

2016-03-15 | 農作業


昨日からの雨もやみ、
青空が見えて『農園日和ね』と喜んでいたのに 
物凄い強風が吹き荒れた今日の午後、 
手作り班は農園に行きました  



週蒔いた人参、春菊、小松菜などが気
になってちょっとだけ…と少人数で。 
芽はまだまだ出てきていませんでしたが、
その前の週に植えたジャガイモ(キタアカリ)は芽が出てきていました;
明日から暖かくなるとのことなので一気に成長してくれるかな? 

1時間半程の作業で終了しべしみへ戻りました。 
次は来週。 
空いているところにキャベツの苗を植えたいなぁ。





3月8日 わらじの会 手作り班

2016-03-09 | 農作業


ポカポカを通り越して少し動くと暑いくらいだった今日、
手作り班は農園にいってきました
Y子さんは出掛ける直前に
『足が痛いから病院に行く❗』と言い出したため
生活ホームの職員さんと病院へ。
M田くんは
『頭が痛いため休みます』とのファックスが送られてきて休み(笑)
結果、参加者は8人でした。

先週、Fさんに耕してもらった場所に畝を作り
『人参』『小松菜』『春菊』『大根』の種を蒔き、

Tさんが植えてみたかったという『こごみ』を道路側に…

こごみと一緒に送られてきたミニヒマワリの種も蒔きました。
  何年も農園で色々なものを作ってきているけれど
なかなか思うようなものは出来ません。
それでも芽が出てスクスクと育ち、

収穫ができるようになると多少のデキが悪くても嬉しいものです。 
種を蒔きながら「美味しくなりますように」とS田さんとお祈りをしました。    
 Yちゃんも伸びすぎてきた木の伐採と

作物への水やりなどたくさん働いてくれました。

次回は再来週です。
でも…来週ちょっとだけ様子を見にいっちゃうかもな。
;



3月1日 わらじの会 手作り班

2016-03-01 | 農作業


午前中はべしみで定例会
お昼ご飯を食べてから手作り班は農園へ繰り出しました
今日も少なめの6人。
べしみ職員のFさんの運転でまずは牛ふんとこれから蒔く種の購入。

牛ふんは40リットル入りを3袋。

種は『人参』『春菊』『小松菜』そして「植えたことがなかったかも…」

ということで『カリフラワー』の苗を買いました。
Fさんに耕運機をかけてもらいながら牛ふんを混ぜ混みました。

ここには次回、種まきをしますよ〜。

そしてカリフラワーは玉ねぎの隣に…。
美味しくできると良いな、

;年明け前に植えた『茎立ち菜』『ルッコラ 』『イタリアンパセリ』は…
イタリアンパセリ以外は元気になってきました❗

花の種を蒔いたところもスクスクと育っています。
次に行けるのは来週かな?晴れるといいなぁ✨