blog 福祉農園通信・龍神伝心

アジアモンスーンに吹かれて
共生の農業
見沼田んぼ福祉農園 

6月30日 今年のジャガイモの収穫を終える

2013-06-30 | 農作業

見沼・風の学校がサポートして浦和北ロータリークラブのジャガイモ収穫を
さいたまユースサポートネットと共に行う。



さいたまユースサポートネットは、高校を中退、通信制高校生、
不登校や引きこもりを経験、障害で生きづらさを感じている子ども・若者など、
この社会に居場所がなかなか見つからない子ども
若者たちを無償で応援するNPO。


トマトの手入れと収穫及び除草作業を行う見沼・風の学校のスタッフ。

昼食準備をする岐阜の郡上から上京した百姓先生河合研君。
6月29・30日に行われている「郡上踊りin青山」のために上京していた。

メニューはロータリアン・タマキさんがカレーと鶏肉の焚き火焼きを

河合君が、トマト、タマネギ、バジルを使ったフレンチサラダと
それに、朝採りキュウリと生姜に白だし、醤油の浅漬けを作ってくれた。

トマトの栽培に関するアドバイスを作業取り纏めの時に
河合君から受ける見沼・風の学校のスタッフ。



来春 高校受けます。みんな応援してね!

2013-06-30 | 共生社会のデザイン

来春 高校受けます。みんな応援してね!

左からMくん、Tくん、Sさん。
みんな小・中学校通常
学級で過ごしてきた。
 Sさんは話すことや字を書くことはできない。
YESは軽くうなずき、NOは軽く手を振る。
その表現はクラスの友達の中で身に付けた。
このシンプルなことばを共用する友達や
教員たちや家族・地域の他者たちの存在を得て、
S
さんは限りなく世界を広げつつあるらしい。
しばらくぶりに会ったSさんの近況をお母さんから聞いた
 いつも車イスを押してもらって参加する学校のマラソン大会に、
今年は自分で車イスをこいで出場すると言い張った。
超スローペースの走りがゴールに到着するまでみんな
が待ち、
次の駅伝大会のプログラムが始まった。

修学旅行も親は付かずに行ってきた。
 Sさんは小学校のとき、
股関節脱臼の治療で医療センターに4ヶ月入院し、
併設の特別支援学校に通ったことがある。
そこでは、Sさんのような「知的障害」とみなされた
子どもは別に分けられ、勉強らしい勉強はなかった。 
 その体験があったため、
卒業したらどうするか話し合ったた時、
「特別支援学校行きたい?」と訊くと、「行
きたくない」と本人。
「あそこは学校じゃない。」と。 
 今日も自己紹介のとき以外は、
机の上にノートを広げ鉛筆で勉強していた。
お母さんも何を書いているかわからないのだが、
こんな風にみんなと一緒に勉強したいことは明
白だ
 みんなと一緒につながるための勉強。すてきだ!。


6月29日 農園に憩う

2013-06-30 | 様々な農

夏に備えて除草作業しながら体を整える。
食事はそのために大切なこと。


昼食はスタッフが作ってくれたじゃじゃ麺と
採れたてのキュウリとタマネギのサラダを楽しむ。



デザートに手製のクッキーを焼いて来てきてくれた。

農園に実り始めたベリーをアイスクリームにのせて
クッキーを添えてデザートを楽しむ。



6月29日夏草と闘い

2013-06-29 | 農作業




【作業内容】
●第1農園
芝刈り・今泉さん境界の刈り払い機がけ

加田屋川添いの農道周囲。

芝生周縁部・堆肥場横、今泉さん境界などをハンマーナイフモアーがけ。

芝生広場に日陰を作らないために桜の枝を剪定

ニンジン収穫。ニンジン畑の除草。



サトイモ除草、間引き・トマト間引きと誘引

ジャガイモ収穫完了→干し→乾燥小屋収納

収穫:キュウリ、ナス、インゲン
●ハーブ園
三角ぐわ・鎌・ハンマーナイフモアーで除草
イチゴ区画除草


ネットワーク合宿速報(中)ゆらぎ ・ システム ・ 医原病 三吉譲さん(精神科医)のお話 

2013-06-28 | 農作業

夕食後の第4部は、「つながって、共に立つ」と題して、三吉 譲さんの講演。
 精神科医として43年働いてきた。
前半は主に精神科病院で(部分的に総合病院でも)、
後半はクリニックで。その中で治療者として関わった12のケースを紹介しながら、
障害観、自立観など、もろもろについて語る。
その話と三吉さんの文章から、おおすじをまとめてみる。
もちろん筆者の主観をあれこれまじえながら…

職場・学校・家族… システムがつくる二次障害(病気)
 障害観については、「人はどうして精神疾患になるか」と問い、
「人生に不可避な二次障害」について述べた。
二次障害は、人間対人間の関係、人間対システムの関係で起こるとし、
ドメスティック・バイオレンスや職場のパワハラ、
長時間労働や競争をあおる学校教育などが病気を生みだすことについて、具体例を示す。
 そして「二次障害をのりこえ、人生の財産とすることは可能か」と問い、
「自分のできないことは他人に助けを求め、自分のできることは自分でして、かつ人を助けること」、
「助けられるだけでは自立はない。
なんで人を助けるかはさまざまで、ただいること、笑顔だけでも人を助けられる。」と語る。

精神科医療がつくる三次障害(医原病)
さらに、三次障害があるのが、日本独自の状況だと言う。
三次障害とは、医原性精神疾患だ。
 三吉さんの問いかけ――
「人は不幸なので精神科に行くのか、精神科に行くので不幸になるのか」
 1918年、東京大学医科大学教授・呉秀三(精神医学講座)は
「十何万の精神病者はこの病を受けたるの不幸のほかに、
この国に生まれたるの不幸を重ぬるものというべし」」と述べて、
座敷牢に閉じ込められた精神障害者たちを家の奥の闇から解放し、
近代的な精神病院に収容した。
 しかし、それが新たな不幸の始まりの序曲につながってゆく。

「棺箱病院」という隠語
 宇都宮病院事件により国際的な批判を浴びたにもかかわらず、
日本では依然として長期大量入院が改善されていない。
20歳代に収容されると50年間の精神科病院生活を送り、
70歳代になって精神科病院系列の特別養護老人ホームに運ばれて行く。
 こうした精神科病院では主治医が頻繁に交代し、誰かにすがって希望を持とうにも持てない。
さらに多剤大量薬物療法で終日ボーツとなり、時折爆発するだけで保護室に収容され、
集中して電気ショックを受けさせられつつ人生を送る。
 しかし、そうした中でも、長い期間を経てかなりの人たちは自然に治癒してゆくのだが、
すでに親は年老い、兄弟姉妹は余裕がなく、そのまま精神科病棟で過ごすしかない。
 「棺箱病院とは、生きては退院できず、
死んで初めて退院できるという日本独自の患者間の隠語である。」

「副作用が少なくなった薬」の多剤大量投与による病気
最近、うつ病が未治療のままで転院してくる患者さんが増えている。なんでこんなに出すのだというくらい、
薬がてんこ盛りになっている人がいる。
 抗うつ剤が効果を発揮するのは、うつ病の経過の中で特定の時期なのだが、
それがわからず、薬を沢山出せば治ると思いこんでいる医師が、
Aが効かなければA+B、それでもだめならA+B+Cという風につぎつぎ増やしていくので、
何が効いて何が効かないかもわからなくなる。
 Aが効かなくて急にAを止めてBに切り替えると、
Aの禁断症状が出やすい。Aをゆっくり減らしながら、Bをゆっくり増やしてゆく
…といった具合に試しながら合う薬をみつけてゆく。

長期大量服用が生む攻撃性
 ドーパミン過感受性精神病(DSP)は、向精神薬を長期大量に服用した結果、
情動脳(扁桃体)にある神経受容体の量が増え、
さらに大量の向精神薬が必要になり、
増えた受容体が過敏性を増し、
ストレスやわずかな減量で一挙に大量のドーパミンが産出され、
極度の精神興奮状態になり、容易に再発してしまうといわれる。
 現在入院中の「治療抵抗性・経験過敏入院者」といわれる
9万名の半数4万5千人がDSPだと推定されている。
このような状態になると、攻撃的になり、入退院を何度もくりかえす。
 なお、誤診、誤処方の詳細な事例が満載の本が出版されている
。三吉さんも書いている。その名も「精神科セカンドオピニオン2」。

休息と栄養 世話する人 そして 他を助けることも
 このような三次障害をのりこえ、
かつ安全な場所(休息と栄養)と世話をする人を確保して
2次障害をのりこえてゆく必要がある。
 しかし、先にもふれたように、
「助けられるばかりでは病者の立場より抜け出せない」と三吉さんは強調する。
 助けられる側から助ける側に回る体験を通すことで、
それまで下がっていた自己評価が回復する。三吉さんのクリニックでは、
そのひとつとして、ホームヘルパーやガイドヘルパーになることを勧めている。
 ただ、次のようにも語る。
「治るのになくてはならないつながる先は、なんでもありうる。
外にはなくとも、自分の内的イメージにつながって育みながら、自らを育てて行った人もいる。」
このような自立観を「つながって共に立つ」と、三吉さんは表現している。

ちなみに、今回は、一次障害についての説明の時間はほとんどなかったが、
三吉さんのレジュメの中に「一次障害とハンディキャップ」と題して、
二つのグラフが紹介されている。

発達障害は{おくれ」 精神障害は「ゆらぎ」 ]
―正常との連続性がポイント

 その一つは、「正常発達と発達障害の連続性」と題する滝川一廣さんのグラフである。

このグラフは滝川さんの著書
「『こころ』の本質とは何か―統合失調症・自閉症・不登校のふしぎ」(ちくま新書)に載っている。
ただし、このグラフの中心に
「身体障害(幼いころから分けられて育った場合)」と書きこんだのは、筆者である。

後で述べるように、人における認識と関係を発達させるやり方は、
あくまでも周りの社会との関わりを通してであるから、分けられて育った場合、
身体障害児でも、
さらにはほかの原因で隔離されて育った子どもすべてが、発達の遅れを生じる。
 滝川さんは、「発達障害」の代表的なものとして、「精神遅滞」と「自閉症」を挙げる。
そして、ここでいう「障害」とは通常にはあり得ない特殊な病理(異常)ではなく、
端的にいえば標準からの「おくれ」であるとする。
ちなみに、後でふれるが、
統合失調症については人間の本来的な精神活動の「ゆらぎ」として、
やはり「正常」からの連続性において、滝川さんはとらえる。
 滝川さんはまず、精神発達とはなにかと問い、
?まわりの世界をより深くより広く知ってゆくこと(認識の発達) 
?まわりの世界とより深くより広くかかわってゆくこと(関係の発達)であると述べる。
 この「世界」とは、単なる物質的な世界ではなく、社会的・文化的な共同世界という構造を持つ。
すなわち、認識の発達も関係の発達も、人との社会的かかわりを通して、はじめて可能になる。

自閉症=脳障害説のアポリア 
今日流布している自閉症=脳障害説(言語の障害、感情認知障害、心の理論障害)は、
こうした発達論が欠如していると、滝川さんは言う。
 そして、知的発達にも大きな遅れを持つ重い自閉症から、
その遅れは少ない高機能自閉症、知的な意味では遅れのないアスペルガー症候群まで、
広義の自閉症群(広汎性発達障害)を貫くものは、何かと問う。
 自閉症を初めて報告したカナーが記述した「自閉的孤立」こそ、本質的な特徴ではないかと。
故・小澤勳さんの名著「自閉症とは何か」と同じ立場だ。

 滝川さんは、認識の発達のおくれが前面に出たものが精神遅滞であると同じように、
関係の発達の遅れが前面に出たものが自閉症(広汎性発達障害)なのだと述べる。
さまざまな脳障害説がこれこれの能力欠如が本態だとしてきたことは、実はさかさまで、
発達のごく早期から対人交流が乏しいままに育ってきた結果なのだと。

 社会を生き抜く方法としての障害・病気
 ではそれらの「おくれ」はどうして生ずるのか?歩みには個体差があるからだ。
発達は進んだものからおくれた者まで、幅広い連続的なひろがりをもっている。
多くは平均的な水準のところに集まり、そこから離れるほど数が大きく減る正規分布をなすだろう。
このことを示したグラフが、三吉さんのレジュメに紹介されているのだ。
 正常発達と発達障害は連続的で境目はなく、どちらともとれるケースが必ずある。
と同時に、かって町工場や農林水産業がさかんだったころには目立たなかった個性が、
第3次産業が比重を大きくした現代になって、「障害」として析出されてきた。
おくれを容認せず、適応を強いられる状況下で、
その適応の努力そのものが「問題行動」とされやすい事態も生じている。
 このことは、認知症についても同じである。
故小澤勲さんは、
「認知症とは何か」(岩波新書)でこう書いている。
「私達が目の前にしている、認知症を生きる人の症状や行動は、
脳障害から直接的に生みだされたものではなく、つくられたものである。
『つくられた』と言うと語弊があるかもしれない。認知症によって生じる不自由に、
一人ひとりが独自の方法で必死に対処しようとした結果である、と言えばよいだろうか。」

意味と関係の枠組みのゆらぎ 統合失調症
 ここまで、滝川さんの自閉症論を筆者流にまとめた。
三吉さんが滝川さんの「正常発達と発達障害」のグラフを紹介した意図は、
おそらく「精神的健康と精神障害」の連続性につながるものとしてではないか。
 滝川さんは、精神発達について、認識の発達と関係の発達の両軸から考えた。
その同じ本の中で、「人間の心のはたらき」について、
「意味」と「関係」(因果)という枠組みを用いることで、
外界と内界とをはじめて統合的に秩序づけてとらえ、
それによって社会的に生きていると述べている。
 私たちの外界や内界を社会的に共有された意味(概念)を通して秩序づけ、
それによって体験世界を「図(意味・必然)」と
「地(無意味・偶然)」に分けて安定した構造へと統合するはたらきが「認識」と呼ばれる。
統合失調症の「失調」とはこうした統合のゆらぎと考えればわかりやすい。
また、人間の関係世界は、
ある人とある人のパーソナルな関係世界とそうした生身を離れた社会的役割を通したかかわりの世界、
社会的共同性という位相のちがう二つの世界からなっている。
 これを心のはたらきという面からみれば、
かおの見えない大きな共同性から排されることへのおそれと、
逆に共同性に支配され呑みこまれることへのおそれを同時に抱くことにもなる。
そして、こうした共同性へのおそれが鋭い形で現れたのが、
統合失調症における「被害妄想」にほかならないと、滝川さんは述べる。

精神障害 心のはたらきが鋭く現れて
 滝川さんのスタンスは、精神障害を必ずしも異常性とはとらえず、
人間のこころのはたらきが本来的にはらんでいるなんらかの要素や側面が、
ある条件の下で鋭い現れ方をするのが「こころの病」なのだというところにある。
三吉さんが、1次障害と呼ぶのは、
まさにこの人間だれしも共有している心のはたらきの鋭いかたちでの現れのことなのだ。
 ところで、三吉さんは、一次障害に関して、もうひとつのグラフを紹介している。
2002年度の厚生労働省人口動態統計より、
年齢別自殺率(10万人当たりの自殺数)と全死因に対する自殺の割合を示すグラフで、
出典は中村祐さん(香川大学精神神経医学教授)の
「高齢者うつの病態と治療」(「臨床精神薬理」2013年6月号)。
ただ、資料集のこの部分の印刷がよくないので、ここではネットからとった同し内容のグラフを載せておく。

これを見ると、人口10万人当たりの自殺数は、
加齢に伴って増えてゆき、55~59歳と85~90歳にピークがある。

人間と社会を問う 発症と自殺

 中村祐さんはうつ病・躁うつ病の患者について、
別の論文で、男性では40歳代にピークを迎えるのに対し、
女性では30~70歳代にかけて大きなピークがあると述べている。
また、高齢者のうつ病では、悲哀を訴える代わりに、心気症や身体主訴が増える。
本人や周囲の人が「年のせいだからしょうがない」と思いこみ、
重症化するまで放置されるケースも見受けられるという。

さらに、治療薬の副作用により、
活動性の低下や認知機能障害を引き起こしている場合もあるため、見極めが難しい。
また、認知症と誤診されているケースも見受けられると中村さんは書いている。
 特に、高齢者がうつ病に罹患すると、健康面や環境の問題から自殺に傾きやすく、
高齢者の自殺者数も増加していると述べている。
このようなうつ病の存在が、上記二つのピークの背景にあるとみられる。
 いっぽう、全死因に対する自殺の割合では、20代~30代の死因のトップは自殺である。

 滝川さんの前掲書では、統合失調症の特徴の一つとして、
好発する時期が青年期に集中していることを挙げ、青年期について考察している。
進学、就職、恋愛など自分の将来にかかわる岐路、選択にぶつかる時期。
それは単に人生設計にとどまらず、
ときとして自分なる存在をどうあらしめるかという存在論的なテーマともなって迫ってくる。
こうした中で空回りしたり、周りが見えなくなったりしながら苦闘している。
こうした誰にもある状況が、無理をつづけたり、体調が崩れたりすることで、
発病に至ることもあると滝川さんは書いている。
こうして、三吉さんが一次障害について、あらためて詳述しなかったのは、
それが人間の生老病死の旅の途上の「おくれ」や「ゆらぎ」や「くずれ」のかたちであり、
往々にして誰にでも起こりうる状況だからなのだと納得できる。

病気はつながり回復のチャンス―三吉さんのスタンス
 三吉さんは書いている。「この病気そのものは不幸とは言えない。
つながりを回復し、再生する、天が与えたチャンスなのである。
周りが反省し、再度本人とつながりを持つチャンスなのである。」
人が自殺するのは、一次障害によってではない。
社会的な二次障害さらには医原性の三次障害が重なることで、
社会によって自殺させられてゆくのだ。
 闘い続けることと、つながりを編み直すこと。荒々しく、そしてやわらかい。
 三吉さんは、筆者にとっては、学生時代に交わり、
40年余りを隔てて、昨夏にはわらじの会夏の交流合宿で再会した友。
今回、詳しく話を聴けてよかった。これからもよろしく。by 山下浩志

埼玉障害者市民ネットワーク合宿2013「つながりの根を探る」

2013-06-24 | 共生社会のデザイン
27年間続いてきたオール埼玉の合宿
埼玉障害者市民ネットワーク合宿2013「つながりの根を探る」が、
6月22日(土)、23日(日) 埼玉県民活動総合センターで開かれた。
ふりかえれば、この年1回の合宿が始まったのは1987年8月のこと。
「埼玉社会福祉研究会拡大事務局合宿」という名前だった。
秋の予定されていた「国際障害者年サイタマ中間年のつどい」の基調報告をつくるために、
実行委員会の事務局を担っていた埼玉社会福祉研究会が企画した。


つながりの根を探る

で、ここからは、27年目の今年の合宿の速報。
参加者120名余だから、最初の合宿の3倍に増えているなあ。
27年前合宿が始まった当時と状況はどう変わったか、
時代の変化を貫く合宿の意味とは――


「つながりの根を探る」という今年の合宿のテーマは
第1回の合宿の「連関性を明らかにしてゆく」というテーマと重なっている。
第2部は、「団体発表・ガチンコ討論」。
予め、各団体から1.グループ立ち上げ時のきっかけ・思い入れ・エピソードなど  
2.今までの流れ・現在  
3.これから目指すもの・課題なども  
4.その他のエピソードなどもというアンケートを送り、
回答を得て、資料集に載せてあった。
 たとえば、OMIYAばりあフリー研究会の回答は、
3.これから目指すものとして――
・コミカフェがほしい
・工房がほしい(クッキーやケーキがつくりたい)
・就職をしたい(将来的には…。)
・親が死ぬ前に一人立ち。
・親が生きてる間に就職。と書かれていた。

しかし、参加者のほとんどは、立ち上げ時の事情はもちろん、
これまでの流れについても知らない世代である。
 そこで、第2部では、全員が7~8人の小グループに分かれ、
それぞれのグループ内で、
アンケートの設問に関するひとりひとりの答えを出し合いつつ話し合った。
活動の場の専従職員であっても、ここ数年の経過はわかっても、
団体の歴史については
「…らしい」というレベルで把握している状況であることがわかった。
また、そのいっぽうでは、活動への日常的な関わりはしていないが、
団体立ち上げの頃を知っている人もそれなりにいて、
それらの団体が障害者と専従的な支援者だけではなく、
地域に開かれた活動になっていることを推測させた。

くらしが言葉の呪縛を解く
第3部は、「ネットワーク大研究」と題し、
・ネットワーク活動 ・市町村巡礼 
・総合県交渉 のテーマごとに分科会をもち、
それぞれレポートを受けて話し合った。
筆者は、総合県交渉の分科会に参加した。


 提出されたレポート(文責・中山)には、
「このところ総合県交渉の課題といわれるもの?」として、
「・何年もゼロ回答 ・薄れて行く『総合』の意義 
・県の役割が不明確に
・総合県交渉への参加団体の減少?」が挙げられていた。
 そして「まとめ」として、「要望を出しても何の成果もないし、
身近な市町村とやり取りする方が大事。
それに毎日の事業を回すのに手いっぱい、他の団体、
人達が何をどうしてどう考えているかもわからない、
といった現状があるのでは?」と書かれていた。
 現状を端的に言い表している。
ここから透けて見えるのは、
活動・事業のシステムの中に利用者や職員等として織り込まれた個人の状況だ。
しかもそれらの活動・事業は細分化されているため、
ちょっと制度が異なると、ことばが通じない。

 埼玉トヨペット本社1階ショールームで、
障害者団体や他の市民団体と共同で運営する「はあとねっと輪っふる」に
社員の業務として関わる参加者から、鋭い意見が出された。
レポートの「何年もゼロ回答」に関わる意見。
 県の障害者特別採用試験に関し、
自力通勤の条件をはずせと要望しているが、常に却下されている。
逆の立場になったらわかるが、自分たち障害者はこういうことならできますよ、
その際こうした支援も可能ですよといった具体的な提案をしていかないと、
先へ進まないのではないかと。 まさにその通りだ。企業人らしいリアルさ。

 これについては、長年にわたって、
少しずつだが進展があることを、筆者から説明した。
まず総合県交渉の結果、
アンテナショップが県庁第2庁舎に開店したのが1997年。
そのかっぽが、
県庁内職場体験事業のコーディネート業務の委託を受けたのが2005年。
近年、かっぽのPRにより、
その県庁内職場体験事業に参加する施設の輪が徐々に広がってきた。
この職場体験事業の報告会を県関係各課と毎年重ねてきた中で、
今春の報告会では、職場体験から
「超短時間就労」へのステップアップについて意見交換がなされるまでにはなってきた。
 もうひとつ、この社員から出された事例。
輪っふるの活動に参加する障害者にヘルパーが2名ついてくるので、
1名に減らしてもらったという話。
夜に家に障害者が一人でいる時の身体介護などでは二人必要な場合があるだろう。
しかし、職場や地域活動に参加する場合、
本人が他の従業員や参加者と共に動く上で、ヘルパーが壁になってしまう場合もある。
これは通常学級での支援員の役割にも通じることだ。
 そのいっぽうでは、車椅子使用の生徒が通常学級で学んだ際、
親が付き添わない限り、危ないからと言われ、
休み時間でも教室から出られなかったという体験が語られた。
小学校時代だけで、中学、高校ではそうしたことはなかったという。
じっさい小学校でも、下校後、
地域では他の子供たちとダンゴになって遊んでいたのだが。

また、精神障害の青年からは、入居しているケアホームでの生活、世話人、
家族と話し合い月2回だけ家に帰るようにしている現状、
昼間は地域活動センター?型(小規模)を利用するにあたり、
同センターは精神障害者は利用できないという自治体の方針に阻まれたこと、
特例子会社に採用されたがいま体調が良くないので
1日2時間勤務にしていることなどが語られた。

 こうした職場や暮らしの現場に生きる個人の語りは、
縦割りの制度に縛られた行政担当者や、
やはり縦割りの制度の下でいつのまにか自分達を
別々の小さな世界に閉じ込めてしまっている私たち自身の心を
解き放って行くパワーがあると感じた。


6月23日 麦の収穫作業

2013-06-24 | 農作業

作業内容


第3農園:大麦の収穫、
足踏み脱穀機で脱穀の後は箕を使って

大麦は土嚢袋にいれて、乾燥小屋にぶらさげ、
麦わらは第2農園竹小屋ブルーシートをかける

小林堤周りの刈払機かけ

第2農園:ビオトープ周りの刈払機かけ

第1農園:タアサイ、オクラなどの植え付け

オクラの株間にバジルの植え付け、立ち枯れたナスの撤収 

収穫したニンニクの後処理作業。


6月22日 農業系高校生と農作業

2013-06-23 | 農作業
スタッフの農業系が同じ高校の仲間と農作業。

【作業内容】
空き区画の耕運・畝たて、ニンニク収穫、
ナス・インゲン・キュウリ収穫、トマトの芽かき

【植え付け】
キュウリ、トウモロコシ、黒ゴマ、小松菜、インゲン、パセリ、落花生、
第3農園:ネギ植え付け、

馬糞寄せ(かたや川側へ)

周辺部を寄せたのですが一人では一歩一<WBR>歩という感じです。
水かけてパンパン固めました。周辺部
<WBR>でもなかなかの量堆積してました

作業を終えて。
作付けを終わった畑やこれからの作付けをホワイトボードに移して確認する。

今日は埼玉障害者市民ネットワークの合宿が行われ

そして、作業を終えて夜、野良人類会など様々な勉強会が行われた。
テキストは中田英樹氏の人類学が書きえなかった「未開」社会、
「トウモロコシの先住民とコーヒー国民」。
多文化共生というものが孕む問題を先住民社会から描き出す。

勉強会の後は500円会費でジャンクな宴。何かにあたり私は腹を壊す。

参加者は大学生2人(環境学・経済学)、大学院生1人(政治学)
コーヒー工場勤務、地方銀行員、野菜市場勤務者、福祉農園代表、
居酒屋の父親などで、人類学関係者は中田氏と事務局長だ
け。

中田英樹さん「トウモロコシの先住民とコーヒー国民」の著者。

6月20日さいたま市総合振興計画審議会へ

2013-06-22 | 風の備忘録 
朝、農園へ 農園では「農=あぐり」のメンバーが草取り作業



キャプテンはナス畑の烏よけ網の整備中


私は、さいたま市総合振興計画の審議会へ

さいたま市の低炭素化に向けた
数値目標の根拠が分からないまま説明を聞いていた。
地球温暖化と低炭素化の議論は
原発推進のプロパガンダに使われているのでどうしても警戒的にある。

技術的根拠なしの低炭素化の議論につかれを覚えた。
家に戻りPCを開くと、
ホンダの2013年度の環境関連の事業取り組みについての情報があがっていた。
http://www.itmedia.co.jp/smartjapan/articles/1306/20/news024.html
「ホンダは2013年6月、
世界6地域における環境関連の事業取り組みについて発表した。
同社の世界環境安全会議で、2012年度(2012年4月~2013年4月)の実績と、
2013年度以降について公開したもの。
環境関連の取り組みは、製品の開発や生産、販売などのさまざまな局面にわたる
 同社は、世界を6地域に分けて自立的な環境経営に取り組んでいる。
北米、南米、欧州、アジア太平洋、中国、日本だ。
これは国や地域ごとに環境関連の法律や基準、課題が異なるためだという。
2013年度以降の取り組みでは、北米と南米、中国、日本が際だった(図1)。
北米では、
オハイオ州のトランスミッション工場に風力発電を2013年末までに設置し、
工場で使用するエネルギーの10%をまかなう計画だ。
スマートハウスへの取り組みもある。
カリフォルニア大学デービス校のキャンパス内に光熱費をゼロ以下にする
「ゼロネットエネルギー」を実現するスマートハウスを2013年度内に作るというもの。
家だけでなく、クルマと組み合わせることで達成する。
 南米でも風力発電に投資する。ブラジルの自動車業界としては初めての試みだという。
ブラジルでの四輪車生産活動に必要な年間電力量に相当する約8万5000MWhが得られる。
 中国では2013年5月、広東省広東市にある広汽ホンダ第三ラインに着工し
出力10MWの太陽光発電システムを組み込む。2015年前半に発電を開始する。
中国での自動車メーカーとしては最大の出力だとした。
 日本では2013年7月に生産を開始する寄居工場に
出力2.6MWの太陽光発電システムを導入する。
同社は販売店への太陽光発電システム導入を計画している。
進捗は順調であり、2013年度中に合計1MWを設置する予定だったところ、
既に1.3MW分の設置を完了した。」
「自然な節電はどこまで可能なのか。さらにどこまで環境負荷を下げられるのか。
オフィスや住宅で進むこのような取り組みは、工場でも課題になっている。
 ホンダは製造業におけるエネルギー消費と
環境負荷と同時に引き下げる取り組みを進めている。
同社の3つの目標は実現がいかにも難しそうだ。
自社の再生可能エネルギー技術を使って
発電からクルマ走行までCO2排出量ゼロを目指すことが1つ。
第2にエネルギーマネジメントシステム(EMS)を使ったエネルギーリスクのゼロ化、
第3に3R(Reduce Reuse Recycle)を適用した廃棄物ゼロだ。
 この最終目標に一歩近づいたのが、
2013年7月に生産を開始する埼玉県の寄居工場である(図1)。
「自動車の生産を開始し、実際の数値を測定するまでは断言できないが、
最も環境負荷の小さい自動車を、
最も環境負荷の小さい工場で作るという目標が実現できると考えている」(ホンダ)。
 寄居工場の目標を実現する手法は大きく3つある。
FEMS(Factory EMS)の採用と、熱利用の最適化、太陽光発電システムだ。

    図1 埼玉県の寄居工場。敷地面積は約95万m2。出典:ホンダ
 FEMSを用いて、エネルギーの使用状況や設備の運転状況を監視し、
使用量の目標管理や異常リスクの対策を行う。
電力のピークカットや再生可能エネルギー利用の最大化、
製造装置ごとの負荷の統計調査などにも役立つという。
FEMSは自社開発ではなく、他社製品を選択した。
 熱利用の最適化として2つの例を挙げた。まず廃熱の利用だ。
工場内のエアコンからの廃熱(28℃)を
暖房用熱源としてヒートポンプ冷凍機に活用した。
従来のボイラー熱源だけの場合と比較して、排出するCO2量を60%低減できる。
エネルギーコストも下がる。
 もう1つは作業員向けの空調の最適化だ。
室内全体を空調するのではなく、
人の作業空間に限って気流を流す空調システムを導入。
これによって作業員の快適さを損なわず、
空調エネルギーを従来比で40%削減できる。
 太陽光発電システムは、出力2.6MWを計画する。
これによりCO2排出量を年間1200トン削減できる。
高温にならない部分の工場の屋根と
管理棟の屋根に1万9953枚の太陽電池モジュールを敷き詰める。
太陽電池としてホンダソルテック化合物薄膜型(CIGS)を採用した。」
「技術と経営」の力なしに再生可能エネルギー利用の取り組みは実現しない。
Hondaは見沼田んぼ福祉農園開園以来、応援をしていただいている。
Hondaの再生可能エネルギーへの取り組み低炭素化への取り組みに誇りを感じる。

6月16日明治学院大ワンデーフォーアザーズの学生と

2013-06-17 | 農作業
雨の朝、

今日は明治学院大学のone day for othersとして
来園した15名の明学生と共に作業しました。

【作業内容】
水くみ

トマト誘引・芽かき、除草、

除草、ナス誘引・テグス張り、トマト枝剪定、

インゲン・キュウリ収穫、ジャガ収穫(少量)
今泉境界除草

プレハブ掃除、

ドクダミ小屋整頓、道具小屋2階掃除


プレハブ裏木材(本棚等)整理、

縄文広場焚き火場の整備

第3農園:馬糞搬入

福島飯舘村から避難している安西さんに指導してただいて刃物研ぎ
鍬、スコップ、包丁、鎌等

 
普段お世話になっているカマや包丁、スコップですが、
雨の日でもないとなかなか丁寧にケアできません。

自然と飯館村の現状や避難生活などの話に。
ニュースではなかなか聞けないリアルな声を聞けてよかったと
とりまとめ時に語ってくれた学生も。
その他にトイレ水入れを行った。