第6回野良人類学会猛虎篇は
なぜか男性参加者が大半でしたね。
第7回は、『トウモロコシの先住民とコーヒーの国民』の
クライマックスの三章第三節です。
たくさんのご参加をお待ちしております。
第7回の詳細は以下の通りになっております。
日時:11月24日(日) 18時~20時半
場所:北浦和イッカイ!
JR北浦和駅西口ふれあい通り商店街団子屋隣、若松湯前
地図はこちら http://www.ikimap.com/map/bei-pu-he-itukai
費用:200円前後(飲み物・おかし代実費)
テキスト範囲:
『トウモロコシの先住民とコーヒーの国民』第三章 三節
※当日はレジュメをご用意いたしますが、
可能な限り事前の読みをお願いいたします。
連絡先:金杉和也 08013043179
kazuya.kanasugi@gmail.com
次の次こそ、クライマックスです。
ナカタが15年近く追いかけてきても、まだ生年月日すらわからない、
名も無きパナハッチェルハッチェルという小さな村を
生きた地元の学校の先生こそに、
世界のすべてが、同時代のすべてが、「在る」ことを考えたいと思います。
そして、そろそろ「シーズン2」を考えなければなりませんね。
とにかく、「シーズン1」の「猛虎編」は、ここからです。
ここからは、ナカタはこういうこと滅多にいいませんが、
来る価値あると思います。
何があろうがこれを書かない以上、
日本には帰らない、とグァテマラに残り続けた、
その臨界の淵を、皆さんと覗き込んでみたいと思います。
いつもいつも、
こうやってこんな遠い国の遠い昔のお話を熱心に聞いていただき、
いっぱいいっぱいいろんな質問をしていただき、
そして次をこうやって告知していただき。
身に余る光栄です。 by 中田英樹
次回もどうぞよろしくお願いいたします。
11月3日18時~
カフェ連特別篇
「ボランティアの難問」を考える
@A/A gallery
(アーツ千代田3331エイブルアート事務局内)
ボランティアは、如何に生まれるのか。
奉仕活動の義務化、
ボランティアの単位化など政治
社会的文脈との関係を考えながら、
学会運営委員楠原彰さんがトーク。
それを受けて、参加者全員で車座で討議します。
だれでも参加歓迎。
北タイコーヒーもあります。
会費 500円
スピーカー 楠原彰
(日本ボランティア学会運営員)
主催 日本ボランティア学会
見沼・風の学校 事務局長 猪瀬浩平
090-6938-9211 kazekoukou@ybb.ne.jp
関連資料:
仁平典宏 著 「ボランティア」 の誕生と終焉
〈贈与のパラドックス〉の知識社会学
「善意」と「冷笑」の狭間で —— 。
人々を社会参加へと枠づける言葉は、
どのような政治的・社会的文脈で生まれ、
いかなる帰結をもたらしてきたのか。
]その言葉がまとう形はどのように作動するのか。
動員モデルと意味論分析を介して
日本におけるボランティア言説の展開をたどり、
参加型市民社会のあり方を鋭く問いなおす。
シニシズムを脱することはできるのか.
書籍の目次
序 章 「ボランティア」をめぐる語りと〈贈与のパラドックス〉 問題設定と方法
1 問題の所在
2 動員モデル
3 贈与のパラドックス
4 「ボランティア」的なものを扱う視座と方法
補論1 「市民社会」に分有される〈贈与〉
補論2 〈贈与〉と権力 —— 〈犬〉の政治学
第1部
第1章 「ボランティア」のささやかな誕生
—— 戦前期日本における〈贈与のパラドックス〉解決の諸形式
1 純粋贈与への試行 —— 「慈善」の意味論
2 社会を経由する贈与-交換
3 価値体系の間
4 「社会奉仕」の誕生 —— この平等なるもの
5 方面委員の意味論 —— 〈贈与のパラドックス〉の社会工学的解決
6 「ボランティア」のささやかな誕生 —— 〈越境する身体〉の分出
7 「滅私奉公」という最終解決
8 小 括 —— 〈贈与のパラドックス〉の別の抜け方について
第2章 戦後改革と不分明地帯の再構築
—— 1945~1950年代前半
1 はじめに
2 「社会の民主化」の二要件
3 再来する「不分明地帯」 (1) —— 旧生活保護法・民生委員・社会福祉法人
4 再来する「不分明地帯」 (2) —— 赤い羽根と終戦直後の「総動員」
5 再来する「不分明地帯」 (3) —— 社会福祉協議会をめぐって
6 小 括
第3章 〈政治〉と交錯する自発性と贈与
—— 1950年代前半~1960年
1 はじめに
2 「自主性」の領有戦 —— 「国家に対する社会の自律」をめぐって
3 社会保障削減と共同募金批判 —— 「国家による社会権の保障」をめぐって
4 1950年代の「ボランティア」論の構図
第4章 分出する「ボランティア」 —— 1959~1970年
1 はじめに
2 社会福祉協議会の「ボランティア」推進 —— 生産されるコトバとモノ
3 ボランティアの同定問題 —— 〈人間〉と〈政治〉の間
4 誰が「ボランティア」と名指されたのか? —— 〈身体〉の検出
第2部
第5章 「慰問の兄ちゃん姉ちゃん」たちの《1968》
—— 大阪ボランティア協会とソーシャル・アクション
1 はじめに
2 大阪ボランティア協会の設立と施設訪問グループ
3 何が伝達され、何が生まれたのか
4 小 括 —— 〈犬〉と「楽しさ」をめぐって
第6章 國士と市民の邂逅
—— 右派の創った参加型市民社会の成立と変容
1 はじめに
2 非政治としての「奉仕」
3 〈戦友〉の共感共同体
4 〈政治〉への上昇・〈国民〉への拡張
5 陶冶としての〈奉仕〉
6 「國士」と「市民」の交錯 in 1970s
7 小 括
第2部
第7章 ボランティア論の自己効用論的転回
—— 転換する「戦後」 : 1970年代
1 はじめに
2 「民主化要件」のコンテクストの変容
3 〈ボランティア/奉仕〉コードの完成
4 「ボランティア」の自己効用論的転回
5 自己効用的ボランティア論の環境
6 小 括 —— 〈贈与のパラドックス〉の解決とその外部
第8章 実体化する〈交換〉・忘却される〈政治〉 —— 1980年代
1 はじめに
2 統治性と接合する「ボランティア」
3 自己効用の規範化 —— 〈楽しさ〉の位置価をめぐって
4 実体化する〈交換〉
5 〈交換〉と他者 —— 自己効用論が見落としたもの
第9章 「ボランティア」の充満と〈終焉〉
—— 互酬性・NPO・経営論的転回 : 1990~2000年代
1 はじめに
2 民主化要件?とボランティア施策 —— 介入/自律化
3 民主化要件?とボランティア施策 —— 社会保障の拡大/ネオリベラリズム
4 ボランティアの〈終焉〉(1) —— 充満と融解
5 ボランティアの〈終焉〉(2) —— 経営論的転回とNPO
6 〈終焉〉後の風景 —— 〈贈与〉と〈政治〉の場所
終 章 〈贈与〉の居場所 —— まとめと含意
1 〈贈与のパラドックス〉の展開の果て —— 知見の整理
2 動員モデルを再考する
3 シニシズムをくぐり抜ける
受賞紹介
「日本社会学会第11回奨励賞」
第13回 (平成23年度) 「損保ジャパン記念財団賞」
中野敏男(1999)
「ボランティア動員型市民社会論の陥穽」
『現代思想』第27巻、第5号、72-93頁。
【引用】
「一方で、複合化した社会的諸権力の交錯の中で諸個人は、
みずからの行為に利用可能な選択肢がいくつもあることを知覚しその限りで
自己反省能力と対応能力を高めるのだが、
他方では、欲求のソースもそれにアクセスする技法も評価のコードも、
シンボルを操作する社会的諸権力の関与と抗争に依存するようになって、
そうした諸権力による制御や支配に全面的に服してしまう可能性も
大きく開かれてくるということである。」(84頁)
「『個人化のポテンシャル』の中で『自由の可能性』と認められうるのは、
現状の中にある権力関係の交錯そのものが、
諸個人に『別様でもありうる』という可能性を知覚させ、
現状への反省を促すという意味で、
自省的-再帰的な<選択の自由>の可能性であったはずである。
それなのにここに成立しているのは、自省性-再帰性ではなく、
抽象的に『何かをしたい』と意志する
単なる『主体=自発性』にすぎないからである。」(87-88頁)
「マイノリティやホモセクシュアルの権利主張とは、そのような抗争であった。
存在が『許可される(!)』のを求めるのではなく、
アイデンティティを支配する
既存の価値序列そのものを問題にしなければならないからである。
また、当該の社会においては劣位にあるということが
そのアイデンティティの定義に含まれてしまっているために、
その権利主張が必然的に矛盾した形にならざるをえないというものがある。」(91頁)
【感想】
社会理論(ベック、メルッチなど)と、戦争関係の文献が中心になっていて、
私には読み慣れず難しかった。が。かなり面白かったエッセンスだけ抜き出して、
自分の論文に使えるか難しくて、全体の要約はできないけれど、
理解したところを要約すると、こんな感じかな
ナショナリズムや国家とボランティア、自発性は、対極に位置するわけではなく、
国家の内に自発性が取り込まれる場合がある。
「個人化のポテンシャル」には、
個人化した個人が多様に選択する可能性(ポテンシャル)を持つという側面と、
国家にとってそのような個人が利用可能になるという側面とがある。
既存の権力関係へと吸収されてしまう抽象的な自発性に対抗して、
「新しい社会運動」を起こしていかなければならない。
私が最近考えていた、ボランティア活動は常に「善」なのか、
支援は無条件で賞賛されるものなのか、という問いに対して、
ひとつの応えを与えてくれているような気がする
自発性は権力の対極にあるわけではなく、
既存の枠組みの中へ回収され権力関係を追随することにしかならなければ、
枠組みの変更へとは迫っていけない。
「強者-弱者」という関係を突き崩していこうとするなら、
抽象的に「何かをしたい」という単なる自発性ではなく、
常に自省的-再帰的な運動でなくてはならない、ということだろう。
ニューカマーの支援を考えたとき、学生ボランティアの自発性ややりがい、
満足感を取り上げて、「良いこと」「成功」とするのではなく、その活動そのものが、
自省的-再帰的な運動となりえているかを分析・検討する必要があるだろう。
そうでなければ、支援は強者による弱者への「手助け」にとどまり、
同じシティズンとしての枠組みをつくりあげていくところまでは、到達しないだろう。
仁平 典宏著.
『「ボランティア」の誕生と終焉』
書評 山岡義典
http://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/oz/643/643-11.pdf
お茶の木の植え替え、里芋の収穫、ししとう撤去、枕木の敷き直し、
第2農園折れた柳の伐採、
第2農園ハウス前の排水口補修、
プレハブ屋根水漏れ応急処置
土曜日は台風が来たこともあり、
昼前に浦和駅に集まり、
台風の余波の雨の中、通船堀や第1調節地を観察し、
見沼田圃が治水のために大規模な
農的空間として残されたことを学んだ。
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作業は午後からのスタートでした。
農園の木道の枕木を整備する作業を行う。
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日曜日は晴天に恵まれ大分多くの作業を行うことが出来ました。
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参加者も思った以上に多く、
新しい人から懐かしいメンバーまで集う会となりました。
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農具の管理など今後の課題も幾つか出ていましたが、
それを生かしつつ
今回のように大きな作業をまとめて行える機会として
ワークキャンプを行えればと思っています。
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次々回は大二郎がリーダーをやるという発言も出ましたし。
以上、報告でした。by拓也
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冷え込む夜を乗り越えて朝を迎えた朝作業に励む見沼・風の学校スタッフ。
台湾(左)と中国(右)の留学生。
当たり前だが仲良し
自衛隊のヘリコプターが編隊を組んで飛来し朝霞の方向へ飛んでいく。
昼食のカレーを準備するスタッフ。
里芋の収穫
ハウス前の排水路のU字溝補修
プレハブ小屋の雨漏り補修
プレハブ小屋の天井から汚水が、
雨漏りの水が天井のベニヤの上に溜まり一気に漏れ出した。
局地的ゲリラ豪雨には
耐えられないようになった。
県が開園時、
中古のプレハブを置いて
16年目限界なのだと思う。
昼過ぎに WorkCampの閉じる。
台風の影響が懸念がある中、事故なく怪我なく無事終わる。
全ての作業を終えて、スタッフ作業取りまとめ。
スタッフに安堵の表情が。
新たにスタッフに一人、スタッフなった。
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人類学が書きえなかった「未開」社会
『トウモロコシの先住民とコーヒーの国民』
著者の中田英樹さんのレクチャーも6回目。
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見沼最南端、
先ずは嘗て溜井頃の堤(=ダム)にある通船堀をまず見に行く。
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その後、第1調節池へ
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テーマ-は、何故、見沼が大規模な農的空間として残りことができたのか、
実際に嵐で大雨が降る日に第1調節地を見ることで感じること。
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昼過ぎ2時頃に農園に到着、まだ雨が上がらない。先着した農園メンバーと合流。
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WorkCampの作業を段取るため農園を巡る。徐々に雨が上がり始める。
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それが影響してbarrier freeのために敷いた枕木が浮いた。
その手直し修復作業を行う。
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3時頃に日差しが戻り、台湾から留学生が加わり作業を進んだ。~
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夕食、
夕食の後、新たな参加者が加わって自己紹介の時
学びの時。 見沼の農業者の地域社会への贈与は、
営農をすることで洪水の脅威から周辺の住民から守り続けていることにある。
見沼は何故、これだけ大規模な農的空間として残されたのか。
嵐の余波の中、現場に身を置き、自然の変化や異変を「感じ」る。
そして、どう克服するのかを自ら問う。地球環境が天変地変、天下大乱に向かう中、
それと立ち向かう力と感性をいかに保つかを学び合う「ワークキャンプ」。
焚き火に憩う。
懐かしき見沼たんぼの歴史と自然 マンガ家・勝又進遺作展 |
日時;11月15日(金)~19日(火)ただし15日は12時から 場所:カムナ-レ展示場(JR浦和駅東口パルコビル9階) |
![]() |
漫画で見沼の歴史と文化を描いた「見沼通船堀船唄」。 |
![]() 見沼通船堀を散策していた時。芝川で船頭をしていた矢作誠太郎さんに出会い、その体験談をもとに「見沼通船堀舟唄」を発表した。 勝俣さんは2007年、63才で逝去。 氏の作品を愛し、その才能を惜しむ声は多い。 見沼の自然や文化を見直す動きも盛んであり、勝又さんが残した「見沼通船堀舟唄」の原画や、勝俣さんが生前書き留めたスケッチなどを展示して勝又さんの業績と見沼の魅力を見直したい。 |
![]() |
長年浦和の街に住み、2007年に亡くなった漫画家・勝又進さんは、 漫画雑誌「ガロ」の執筆を皮切りに「赤い雪」で日本漫画家協会大賞を受賞。 「絵本 遠野物語」。天笠啓祐との共著「原発はなぜこわいか」等がある。 参考作品として、原発作業員の日常を描いた「深海魚」等の原発関連の作品も展示。 |
集英社新書Webコラム カルチュアどんんぶり 金平茂紀 TBS「報道特集」キャスター。1953年北海道生まれ。1977年TBS入社。 報道局社会部記者、モスクワ支局長、「筑紫哲也NEWS23」担当デスク、ワシントン支局長報道局長、アメリカ総局長。2004年度「ボーン・上田記念国際記者賞」受賞。 |
勝又進「深海魚」のこと 僕は忘却していたことを恥じる。悔いる。 1980年代、日本においても反原発運動が盛り上がりを見せた時期があった。 1979年3月のスリーマイル島原発事故がその直接の引き金だったのだが、 バブル絶頂期に向かう日本社会の価値観の変容のなかで、 僕らの国で、その価値観を、その生き方を自問する動きが確かに存在していたのだ。 故・高木仁三郎氏が原子力資料情報室を立ち上げたのは1975年。 当時、勤務先のテレビ局報道部で原水禁運動担当だった僕が高木さんと初めて会ったのは1978年だったと思う。 その少し後に、コミックの世界で原発がテーマとなったことがあったのだ。 「ふゅーじょんぷろだくと」という固有名詞を今でも覚えているくらいだ。 その場で手塚治虫さえ、「僕は原発には反対です」と明言していた。 某電力会社系の組織が鉄腕アトムを原発PRに使っていたことに対する抗議の意味を込めての発言だった。 今回、青林工藝舎から出版された勝又進の作品集の表題にもなっている「深海魚」は1984年『COMICばく』に掲載された。 また「デビルフィッシュ(蛸)」は、その5年後の1989年、チェルノブイリ原発事故の3年後に 『季刊リトルボーイ』に掲載された。それらを僕は当時読んでいたはずなのに。 確かにそのテーマで企画ものを取材しかけていたはずだったのに。 原発PR映画を作ろうとしていたある映画監督に路上でインタビューを試みて 殴られそうになったことを覚えている。だが……。 勝又は1943年、宮城県の河北町(現在の石巻市)で生まれた。 東京教育大学の大学院まですすみ原子核物理学を専攻した異色の漫画家である。 勝又は2005年の作品集「赤い雪」で日本漫画家協会賞・大賞を受賞している。 4年前に悪性黒色腫で惜しくも死去したが、今回の作品集を手にして、 僕は冒頭に記したような激しい悔恨に襲われた。 しっかりとした原発に関する知識に裏打ちされた原発労働者をテーマとした作品にあらためて接して、原発内労働という疎外構造を射抜いていたその鋭利な想像力に静かな衝撃を受けた。 勝又は1989年当時のあるインタビューで「テレビがなくたって、洗濯機がなくたって、人間は充分幸福な生活が送れるんです」と語っていたという。そうなのだ。 本作品集に収録されている原発以外をテーマとした「かっぱ郎」「半兵衛」 「わら草子」などを読み進むにつれて、人間の孤独を見据えた「幸福論」のように思えてきた。 だからこそ「幸福論」に反する原発というテーマを看過できなかった勝又の思いが身にしみるように伝わってくる。 |
写真は今月16日台風が過ぎた福祉農園の様子
明日26日は台風28号に引っ張られるように
台風27号は、本州南方の洋上を東方に抜けるようです。
26日は風も時々、強めの突風はあるようです。
明日は見沼・風の学校のWork Camp
嵐の余波の中でもWork Campを開催するつもりだ。
現場に身を置き、
自然の変化や異変を「感じ」察知することを体感できるチャンス、
どう克服するのかを自ら問うチャンスだったと思う。
地球環境が天変地変、天下大乱に向かうている。
それと立ち向かう力と感性をいかに保つか
そのためにも「ワークキャンプ」はあるのだと思うのです。
見沼田んぼ福祉農園にはガスも電気も引かれていない。
炊事や暖をとるときはもっぱら、近所の植木農家や農園の剪定した薪。
里山で薪拾いをしてそれをエネルギーに使ったその時のままだ。
里山の恵みで暮らしを行う。それが今、見直され始めている。
http://www.nhk.or.jp/eco-channel/jp/satoyama/interview/motani01.html
里山には、代々の先祖が営々と育んできた、
自然と共に生きるシステムがあります。
そのルールを守っていると、いまの時代でも、水と食料と燃料、
それに幾ばくかの現金収入がちゃんと手に入ります。
新鮮な野菜に魚、おいしい水、火を囲む楽しい集まり、
そして地域の強いきずな。
都会であくせくサラリーマンをやっている人間よりも、
里山暮らしの人間の方が、お金はないけど、
はるかに豊かな生活を送っているということを、
私は各地で実感しています。つまり里山にはいまでも、
人間が生きていくのに必要な、大切な資本があるのです。
これはお金に換算できない、大切な価値です。
そうした里山の資源をいかしていくことを、
「里山資本主義」という言葉を使って伝えようとしたのが、
NHK広島局がつくる「里山資本主義シリーズ」でした。
「里山は見えない資本なんだ」
「お金に換算できない大切なものなんだ」ということを、
これからも言って歩こうと思っています。