作業内容
第1農園 ナスの除草と収穫、追肥、トマト・ししとうの収穫、
赤カブの撤去、腐ったじゃがいもの処理
宮城角田から来た中学生コーキは
初めての農園で、農作業に汗をかく。
ラチェット使いも筋がよく。やはり農民の血か。
・チェーンソーの目立て、薪備え
第2農園
小屋の屋根修理
厳しい暑さの中での作業でした。
オンオフのメリハリとこまめな水分補給で
安全に作業できればと思います。 by杉
馬糞堆肥の切り返しをするデイケアわくわくの仲間たち
週末晴天に恵まれず出来なかった芝刈りを今日行う。
作業を終えて帰りの準備をするデイケアの仲間。
帰り支度が終わった頃に光化学注意報が流れた。
芝刈りが終わる頃、地域人ネットワークの小島さんが来園。
見沼代用水東縁カヌーツアーのビラを置いた。
8月7日から13日まで見沼田んぼ福祉農園をフィールドに開催される。
◆住処をめぐる闘いたち
サバイバルキャンプでは1週間、
農園をその拠点として集中的に働きこみます。
毎年欠かさず続けてきて、今回で11回目になります。
サバキャンは農園にとっても欠かせない一週間となりつつあります。
暑さや害虫と闘いながら共に汗をかいて野菜を育て、
またこれからも一緒に作業する仲間を作る一週間です。
それは一方で、農園の一年の集大成的な一週間でもあります。
我々は農園という場所の中で日々活動していますが、
場所を持っているからこそ外に発信してゆく力をつけてきています。
特に3.11を境として、
農園で実践してきた行動や研究がそのまま活きて、
東北へ身を置いて活動するようになったメンバーもいます。
震災直後、農園でも今後の活動を懸念し、
存続の如何を問うことから始まりました。
その問いを経て、
我々は
「これからも農園でやっていく」という決意のもと
日々活動することとしました。
それは日々の場の維持活動にとどまらず、
農園/見沼をモデルとした放射能と農業の関わりについての勉強会、
実践や、東北で日々暮らす方達を農園に招いて共に作業したりなど、
見沼の中に限定しない大きな視野とフィールドをもって活動しています。
農園は年齢・出身地・性別・職業・障害の有無のどれをとっても
様々な人が集まる場であり、
また多様な人間が集うことこそが
農園を農園たらしめているとも言ってよいかもしれません。
農園は人間と知恵の集う場です。
立ち上げ当初から大勢の人が入れ替わり立ち替わり共に作業をしてゆき、
この農園を豊かにしてきました。
この営みはここで絶やしてはいけない。
本年はこの農園をサバキャン中の住処(活動拠点)とし、
あるいは汗をかく仲間を作る一週間とし、
さらには仲間と共に住処を構築してゆく一週間とします。
農園を維持し続ける日々の作業は住処をめぐる闘いであるし、
農園で実践して外に発信してゆく行動は住処があってこその闘いです。
その中でサバキャンでは、農園の持つ場の強みを活かして、
日々の作業の中からエネルギーや
放射能についての問題を発見し考えていきます。
その先に一人一人の場と住処へつながる知恵が見えてくるか。
本年は仲間とともに知恵と力をつける、
「闘う一週間」を目指します。
サバイバルキャンプ2012実行委員長
前久保 諒
2003年の見沼サバイバルキャンプ
雨にも負けない見沼・風の学校とのうぎょう少年団
雨が上がりぬかるみに段ボールを敷く
見沼代用水を使って大宮カヌークラブの支援で行われカヌー講座
首都圏に残された見沼たんぼには、
見沼代用水が農業用水を供給しています。
しかし、見沼代用水開削の3年後には通船掘りで芝川、
加田屋川と結ばれて見沼通船が始まり、
利根川大関から江戸にかけての舟運が可能になったそうです。
その後200年続いた見沼通船の舟運は
80年前になくなりましたが、
雑排水の入らぬ、ゆるやかな流れは続いています。
さぎやま記念公園の諏訪橋上流と、
総持院橋下流の2ヶ所にカヌー乗り場や、
間伐材を利用したフェンスが設置され、
斜面林による木陰もあります。
... カヌーイストには少々物足りない、
どちらかというと初心者向けの流れですが、
シニアにとって歩くような速さで進むカヌーは
体力維持にちょうどいいスロースポーツです。
地域の歴史、伝説、文化などの資源を発掘し、
それを次世代に伝えるカヌーツアーのガイドや、
ツアー参加者のカヌーの乗り降りのお手伝いを行う、
カヌーツアーサポータに挑戦してみませんか?
見沼代用水東縁カヌーツアー
サポータ養成講座受講生募集開始です。
http://chiikijin-net.visithp.jp/canoe%20tour2012/canoe%20supporter_boshuu.html
●作業内容
今年のトウモロコシもほぼヨトウムシにやられる。
第1農園 茄子の除草、支柱建て直し、収穫
病気のトマトの撤去と新たなトマトの苗の植え付け
トウモロコシの撤去(夜盗虫にやられたため)
こかぶ、コリアンダー、小松菜の植え付け
きゅうりの収穫・オクラの収穫・二十日大根の植え付け
スイカの蔓がまわりのナスなどに伸びてきています。
つるをまとめたほうがよさそうです。
●雑感
久しぶりに鍬を握り、畝をたてて、種をまきました。
一応サバキャンまでに食べられるまで育つものを選んだのですが、
サバキャン中に活躍してくれたら嬉しいです。
涼しくて作業しやすかったのですが、
やはり夏は暑くないと、作物の元気もないように感じられて、
暑くなればいいのに!と思ってしまいました。
おつかれさまでした。千尋
屋根修理の道具をそろえて第2農園へ
屋根の雨漏りは一応、修理は終了。
第五福竜丸博物館で働いている蓮沼君が作業参加。
今日は
「みんな一緒だ!共に学び育つ―就学・進学相談交流会」。
入学と同時に支援学級に入ったが、
おむつも取れてないのでお母さん付き添ってください、
ここの支援学級には暴れる子が二人いて
お宅のお子さんに手をかける余裕がないので、
と言われ一日中付き添っていた。
いまも長い休み時間に排泄の世話のため学校に行くという母。
「おむつが取れれば付き添わなくていいですよ。」と学校。
それを聞いていた通常学級に通う5年生の子のお父さん、
「うちの子もおむつですけど。付き添いはしてませんよ。
クラスの子がトイレの世話をしてくれます。」
またやはり通常学級中2の子のお母さん、
「うちもおむつです。付き添いはしてないし、介助員も求めてないけど、
中学になったら学校が勝手につけました。
いっそのこと、
付き添いをしなくちゃいけないのなら支援学級にいる意味ないから、
通常学級に移るって言ったらどうですか。」と。
「その子に合ったきめ細かい教育」とか言われるけれど、
けっきょくはいろんな子や大人の中にあたりまえに一緒にいることが、
その子に合った教育をみんなで創りだす条件なんだよね。
あらためて確認!(誤解しないでね。子どもたちは決してやさしくはない。
いじめる子もいれば、興味本位の子もいるし、無関心の子もいる。
いろんな子がそこにいるから、
けっきょくはその間で折り合いをつけてそこにある問題を、
そこにいる大人もひっくるめてクリアーしてゆくもんだというにすぎない。
そこが重要!
しょうがないじゃん。そこからしか始まらないんだから
―「障害児」の高校進学全国交流集会へ by山下浩志
日本ボランティア学会の2日目は失礼して、
「障害児」の高校進学を実現する全国交流集会実行委員会に出た。
筆者は10月13日(土)、14日(日)に開かれるこの全国交流集会で、
第3分科会「高校からつながる社会」のコーディネーターを務めることになっている。
分科会のレポーターとして予定しているのは、
NPO法人自立生活センター遊TOピアの事務局長で
車イスのシングルマザー・高橋美香さんと、
埼玉の高校進学運動の口火を切った3人の知的障害の生徒の一人
猪瀬良太さんの弟・浩平さん、
すなわちボランティア学会北浦和大会のしかけ人の彼である。
出不精の筆者が、
「境界対談」と名付けられた舞台に引きずり出されたのは、
10月の全国交流集会に彼に出てもらうための交換条件という意味もあった。
まあそんな裏話はともかくとして……
美香さん(写真)は、
今回の実行委員会向けに「私の人生をふりかえって」と題するレポートを送ってくれた。
それによると、2歳のときに障害があることがわかったが、
近所の子どもたちと一緒に育ち保育所に行き、地域の小学校に通った。
トイレや教室移動に母が学校へ来てくれた。
修学旅行では長い階段を子どもたちがかついでくれた。
しかし、中学に上がる時、母の体力や学校設備の問題で、
養護学校に行くことになった。
初めて自分より重い障害のある人と出会い戸惑ったが、
しだいに友達の思いを共有したいと感じるようになり、
高等部では不良っぽい生徒たちでつるんで大人に反抗したりした。
と同時に自立生活センター主催の「障害者甲子園」に参加し
、障害を含めてありのままに生きる確信をつかみ、それが現在につながっている。
このように、美香さんは養護学校卒業生。
なのになぜ「高校からつながる社会」のレポーターなのか?それは、
「高校からつながる」ということを、
単に高校卒業後の進路とのみ考えたくないからだ。
「高校」を起点として、
社会のありよう、
とりわけ障害のある人が他の人々と共に生きるありようを考えたい。
それを「高校からつながる社会」ととらえたいのだ。
「障害児」の高校進学について、
というよりもそもそも通常学級で共に学ぶことに関して、
自立生活運動をすすめている障害者たちの関心は一般にきわめて薄い。
なぜなのだろうか?ひとつには彼らの多くが養護学校出身者であり、
自分達の生きてきた道を否定されるような印象をもっているからではないだろうか。
実際、教育委員会との交渉で、
分けるl教育を批判する側が養護学校は温室育ちだからひ弱で、
通常学級はもまれるからたくましくなるといった言い方をしてしまうことがある。
教育委員会側が言う「生きる力を育てるための特別支援教育」のまさに裏返しのようだ。
もうひとつは、自立生活運動の論理からいえば、
障害児本人の意志を確認しないまま親の考えで通常学級、
高校へと行かされているのではないか、
それはおかしいという疑問が湧くのも無理はない。
子どもの人権はどうなる?という意味で。
そんなわけで、
「自立生活」と「共に学ぶ」の関係をあれこれと考えあう場を設定したいと思う。
とりあえずコーディネーターとしての筆者のとらえ方を述べておこう。
それは「いろいろあっていいんじゃない?」ということだ。
別の言い方をすれば、「しょうがないじゃん。
そこからしか始まらないんだから。」と。
「本人の自己決定」を絶対視する考えもとらないし、
「一緒がいい」という立場もとらない。
なぜなら、私たちはみな生まれた時から死ぬまで、
互いに他者であるすべての人と人の関係に組み込まれ、生かされている。
「自己決定」というものも、つまるところ他者たちにより自己決定させられているのだ。
そんな関係の中に一緒にいることは、けっきょく良くも悪くもない。
他者たちの互いに異なる関わりにより「自己」が作り出されてゆく。
だから自立生活は自己決定が重要なのではない。
自力・自己責任が可能でなければ
(誰かに依存するしかないのなら)分けられた場で生きるしかないなんてことはなく、
他人の手を借りて(依存を逆手にとって)生きていいんだよ、
ということが重要なのだ。
では「共に学ぶ」は?通常学級に、
高校に、重い障害のある子を入れたい理由が、
それこそ親のエゴでも、障害の受容ができないでも、
みんな一緒の全体主義でも、
なんでもいいんじゃない?理由は何でもいい。
すべては本人がそこにいることからしか始まらないのだから。
そうやって入ってから本人がジレンマに陥り、
不登校になるかもしれない。それも大切で必要なな体験といえる。
もちろん本人だけでなく、
家族やクラスメートや教職員、教育委員会にとっても。
2012年07月21日
冷害の心配
最高気温が18度。
地域内の順調に生育しているひとめぼれは、止葉が完全に出葉している稲がある。
正に稲の一生で一番低温に弱い時期といわれる減数分裂期も真っ盛り。
今回の低温は、真夏日を記録した直後に 一気に低温がやってきたことだ。
我が家の稲は、比較的生育が遅れているので
一番早いものでも幼穂が5センチ程の減数分裂初期で、
殆が1センチ前後の幼穂形成期。
... 今回の低温、丸二日間 最高気温が20℃以下最低気温が16度。
明日も気温が低い予報だ。
障害型冷害(不燃)の心配が出てきた。
少しでも稲穂を守るため田んぼの水を深くするように努力しているが
場所によっては 思うように深水出来ないところもある。
低温がこれ以上長引けば 大きな被害になることも予想される。
用水の水温は21度から20℃前後。
明らかに気温よりも高い。
用水を出来るだけ、田んぼにいれるだけだ。
ひまわり咲く小径 浦和の道
◆作業内容
第1農園
トマト芽かき・野菜収穫、周辺部除草
プレハブ整理 ・薪スペース除草
第3農園
ロータリークラブの畑の奥から薪、剪定材移動
今年は国連の国際協同組合年だそうで
埼玉障害者市民ネットワークが
ワーカーズコープ(協同労働の協同組合)の
田嶋康利さんを講師に勉強会を行った。
勉強会の資料の中に
2012年国際協同組合年記念シンポジウム
「共生する社会を目指して、
重要性を増す『社会的経済』の役割への期待」
での内橋克人氏の問題提起は、
見沼田んぼ福祉農園の実践の中で
常に問われていることであり興味深く読ませてもらった。
(1)社会的経済という言葉の持つ曖昧さをどう超えていくか。
社会的経済は、
今囲の剥き出しの資本主義、利潤追求経済への対抗か、そぅでないのか。
原発、貧困、格差、社会的統合の危機に
真正面から受けて立つビジョンを示さなければならないが、
対抗的経済足り得るのかどぅか。
(2)東西冷戦の時代に資本主義がしぶしぶ譲歩した、
働く者の諸権利一緩衝材が剥き出しの資本主義(新自由主義、
市場原理主義)により崩されよぅとしている中で、
社会的経済は資本主義の延命策なのか、そぅでないのか。
その位相を明らかにしなければならない。
(3)グローバルズ(同本型多国籍企業)に対抗する口一カルズ(地域経済)と
社会的経済はちがぅものか、そうではないのか。それとも同じなのか。
社会的経済は資本主義の「補正」、つまり「損失の社会化」
(利益の私物化、損失の社会化、スティグリッツ、ノーベル経済学受賞)の
受げ皿としての存在にとどまるのかそうではないのか。
(4)対抗的経済として、
F(食料)
E(ェネルギー)
C(ケア)の自給圏を提唱しているがその自給圏形成に社会的経済は、
どのよぅな役割を果たせるのか。
夏祭りの準備が進む浦和の街。勉強会の後は懇親会
金子勝@masaru_kaneko
【原子力村官僚1】
田中氏は日本原子力研究所出身、
もんじゅの原子力研究開発機構顧問で
原子力委員会委員長代理で原子力村そのもの。
http://goo.gl/a0EHc
徹底した上から目線の住民無視で飯館村住民の不信をかう。
実務家というマスコミの垂れ流し情報は目を覆うばかり。
【原子力村官僚2】
田中俊一氏がいま活動する「NPO放射線安全フォーラム」は、
原子力村企業が
「プルサーマルの安全性と必要性」というセミナーなどを
原子力企業会議室でやるプルサーマル推進のNPOです。
原発事故で焼け太りする原子力村の象徴です。
http://goo.gl/QGh1W
【原子力村官僚3】
現在、田中俊一氏が天下っている「高度情報科学技術研究機構」というのは、
情報科学とななんの関係もない1981年設立の原子力データセンターの改称名です。
彼の経歴を見ていると、原発マネーと税金にたかる原子力村そのものです。
http://goo.gl/sPr6m
福島第一原子力発電所の事故による放射能汚染。
この被害から立ち直り、
「食」と「農」を再生するための取り組みとは。
現況を詳しく分析し、
地域住民・農業者が実施している事例を紹介。
家の光協会から「放射能汚染から食と農の再生を」
[目次]
第1章 原子力災害と福島県農業;
第2章 食の安全検査体制の体系化と農地の放射線量分布マップ;
第3章 チェルノブイリ事故後の農業対策とわが国への示唆;
第4章 放射能と農業の再生;
第5章 食と農の再生に向けた地域住民・農業者の取り組み;
第6章 協同組合間協同で真の復興へ
著者紹介
小山 良太 (コヤマ リョウタ)
1974年、東京都生まれ。
1997年北海道大学農学部卒、
2002年北海道大学大学院農学研究科博士課程修了。
同年、博士(農学)学位取得。
2005年より福島大学経済経営学類准教授。
うつくしまふくしま未来支援センター産業復興担当マネージャー。
福島県米需給情報検討会議会長。
日本協同組合学会常任理事。
専門は農業経済学、地域政策論、協同組合学
小松 知未 (コマツ トモミ)
1983年、岩手県生まれ。
2005年北海道大学農学部卒、
2010年北海道大学大学院農学院博士課程修了。
同年、博士(農学)学位取得。
2011年10月より福島大学うつくしまふくしま未来支援センター特任助教。
専門は農業経済学、農業経営学
石井 秀樹 (イシイ ヒデキ)
1978年、埼玉県生まれ。2003年京都大学理学部卒。
2010年東京大学新領域創成科学研究科博士課程修了。
2010年より
法政大学サステイナビリティ研究教育機構リサーチ=アドミニストレータ。
2012年3月より
福島大学うつくしまふくしま未来支援センター特任助教。
専門は造園学 見沼田んぼ福祉農園スタッフ