blog 福祉農園通信・龍神伝心

アジアモンスーンに吹かれて
共生の農業
見沼田んぼ福祉農園 

3月31日 大風の見沼 福島のトラブル

2012-03-31 | 農園作り

 写真ではよくわかりませんがすごい風です。

屋根が飛んでいました誰もいなくて よかった~

【作業内容】
プレハブ掃除
1農園 小松菜の寒冷紗撤収、ほうれん草収穫
3農園 ネギの土寄せえをしよう思ったら、されていました。
ほうれん草収穫

【申し送り事項】
帰る間際、プレハブの上からトタンが落ちてきました。
井戸の前の水のタンクなどが置いてある棚に立てかけておきました。
申し訳ありませんが、明日来られる方はよろしくお願いします。

【感想】
風が強すぎて、あまり作業出来ず、
また雨も降ってきたのでお昼に作業を切り上げました。
ただ、風は暖かくて、春の嵐だなあという感じでした。
これまで農園に来たら、夕方までいないともったいない!と思っていましたが、
朝来てさっと帰ることが出来るようになって嬉しいです。笑
バスの時間ギリギリで、トタンの処理が満足にできずに申し訳ないです。
ろしくお願いします。by千尋

携帯電話喪失に気づいたのは角田の駅から阿武隈急行にのり
そろそろ福島に着くので身繕いをしているとき気づき、
電話連絡先を携帯に依存しているためどこに電話してよいか分からず
途方に暮れながら阿武隈急行の駅からJRの駅にとぼとぼと歩いていると
後ろから挨拶の声がし、
私を追い越す人がいたので見ると
福島大学で特任助教に就任した農園スタッフの石井君だった。
正に「地獄に仏」という感じで石井君に追いすがり。

石井君が所属する
福島大うつくしまふくしあ未来支援センターが開催する
「震災復興メカニズムの多様性:
日本における民間主導の復興と中国における国家主導の復興」という
国際シンポジウムに参加するというので同行する。
そこで、石井君から何人かの人の連絡先を聞くことができた。

福島駅西口にあるモニタリングポスト、
0.949μsv/hというビックリするような数字を表示していた。

私の携帯は私個人と言うより、
農園の代表電話のような役割を負っているので
やはり、取りに戻ろうと阿武隈急行に乗って角田へ
角田駅に降りると突然の雨と風、その中を昨夜行った店へ急ぐ。
店の前の黒板に「臨時休業のお知らせ」とある、
「3月31日4月1日都合によりお休みします」と・・・・


3月30日宮城角田へ

2012-03-30 | 様々な農

1990年代は戦時統制法だった「食糧管理令」から
「食糧法」の移行過程だった。
1990年代は米の生産・流通・販売そして消費の
全ての段階の動向を取材し、
米の生産・流通・販売を生業の改革・改善を促す
専門情報誌「らいすぴあ」を編集していた。
東北は日本の穀倉であり、年3回は回っていた。
東北は気がかりで、3,11以降何度か訪れている。
今回は、特に馴染み深い宮城県県南角田の角田市農協青年部のOBに
3.11の当日の様子、それ以降の日々、そして東京、関東に送るために
福島浜通にある東京電力の原子力発電所の全電源喪失という管理ミス、
電気屋が電源を管理できないという大失態による、原発爆破事件。
炉心爆破崩壊とそれによる放射能物質の飛散。
そして福島がそして宮城がが核による環境汚染の被害地になった。
被害を与えた東電から電力を買って仕事し、暮らしを営んで来た私と
暮らしの糧である
米、野菜、牛、鶏、豚の肉を育て届けてくれた農業者達の話は
問わず語りに・・・・・深いものになた。

茨城から岩手の海岸部は津波でホテル旅館などの宿泊施設崩壊し
内陸部の角田のホテルも
原発関連のエンジニアや復興関係のゼネコン関係者の定宿となり
予約が取れず伊藤稔さんの家に泊めていただく。

朝、朝食を摂りながら

伊藤さんが見ているのはスエーデンにおける放射能対策の本
合同出版「スウェーデンは放射能汚染からどう社会を守っているのか」

本当によく勉強している。
しかし、東電があのような事件を起こさなければ
彼は栽培関係の研究に集中していたはずだ。

雨が降っても自分の責任
彼らに「想定外」はあり得ない。

伊藤さんの家のソーラー発電設備
震災による停電に威力を発揮したそうです

米の芽だし=催芽作業


3月29日 緑のリサイクル・プラント稼働中止

2012-03-29 | 農園作り
年度末を控えて、「見沼堆肥」を提供してもらっている
見沼自然公園の中にある「緑のリサイクルプラント」へ

堆肥プラントの状況を見がてら年度末の挨拶へ行く。

昨年春より見沼堆肥は出荷が中止になっていた。
再開の目途を聞きに行ったのだが、
現場の作業リーダーは
「放射能の影響で年度内でプラント稼働は中止される」
「一時閉鎖か全面閉鎖かは今のところ分からない、
自分も4月から他の現場に異動する」と、
「見沼堆肥」は、さいたま市になる以前、浦和市が作ったプラントで
都市公園の中に、
堆肥プラントを有する循環型社会をにらんだ先進的な事業だった。
市内の市道の街路樹、市立公園の森や並木道の剪定材を焼却処分せず
堆肥として資源化し循環させるという当時としては画期的なプラントだった。

見沼田圃と並んで、江戸・元禄時代から循環型農業の拠点三富新田も
落葉堆肥が作れない状況にある。
福島から遠く離れた埼玉の農業史跡ともいえる
二つの場、見沼田圃、三富新田で循環の輪が途切れた。

ロベルト・ユンクの「原子力帝国」より
原子力施設では、通常の工場と同じように、
簡単にストライキを行うことは出来ない。
何故なら、そこでは、
1時間以上停止すれば重大な災害を招かずにはいない
化学・物理反応が行われているからです。
たとえば、冷却装置が切れたり、あるいは、
ある装置の運転能力を少し落としただけでも、
高レベルの汚染物質が放出され、工場全体、
さらに環境までが危険にさらされることもありうるのであり。

ユンクは原子力を利用するかぎり、国家による規制の強化は必然であり、
国は必然的に「原子力帝国」と化して庶民の自由が奪われると警告した

3月28日の晴耕雨読人類往来記

2012-03-28 | 風の備忘録 

晴耕雨読人類往来記


見沼田んぼの営農集団見沼田んぼ福祉農園と、そこを拠点とする
農的若衆宿「見沼・風の学校」を往来する人間たちの記録。

twitterは@coppemkg

 

2012年03月28日
はやくきてくたされ――猪苗代牧場をめぐって
「ドカはやくきてくだされ
 はやくきてくたされ はやくきてくたされ 
はやくきてくたされ はやくきてくたされ」
 
(野口シカが、アメリカにいる息子野口英世に送った手紙の一節)
 大学教員になる前後から、あちこちに旅に出かけることになり、
また親しく付き合わせてもらう人が増えた。
震災が起き、原発事故に直面し、ますますその傾向は深まっている。
このブログを読んでいるだけでは、
まったくいったいなんなのだと思われるかもしれない。
 ここ3日間、猪苗代町へ行き、馬と子どもたちと、
若者たちによるキャンプに参加してきた。
NPO法人インフォメーションセンターが主催で、
科学研究費の助成を受けながら、
全国の専門学校と連携しながら企画実施している。
子どもたちは福島県内の放射線量の高いところから、
若者たちは全国、北は北海道、
南は沖縄の専門学校で作業療法を学んでいる人たちが集まった。
ここにインフォメーションセンターの全国の支店のスタッフと、
各地のセラピスト、そして作業療法を学んでいるわけではない、
しかし馬や福島の問題関心を持つ若者、
そして僕のようなよくわからない人間が参加している。
 インフォメーションセンターの新たな支店である、
「猪苗代牧場」は今年5月にオープンの予定。
その立ち上げスタッフは3人。

一人は、僕の元同居人で、風の学校スタッフのたっちゃん。
彼は、去年の12月から沖縄の牧場に研修へ
1月に良太氏と訪問した際に世話になった。
http://blogs.dion.ne.jp/coppe/archives/10574954.html
 一人は、大学時代から農園にきていたさっちん。
彼女は3月に「大地を守る会」を退職して、地元猪苗代に帰った。
さっちんは実家のみんなや、地元の人々と協力体制を作った。
 一人は僕の元教え子、釜ヶ崎で活動し、
去年の夏から福島に入っている原田。
 それぞれ自分に縁のふかい人々が、
それぞれ人生の決断をし、動き始めている。
そういう、様々な物語を読み取れる場所で、
自分にとって文字通り身近な人々がコトを始める。
自分もその動きに参加している。

 311によって世界が変わったと言われる。たとえば、脱原発。
でも、それが力強いものになっているかは心もとない。
その動きは、同質的な関係の強化になっていないのか、
観念の次元にとどまっていないのか。
 本当に変わりえるのだとしたら、それは観念の次元ではなく、
生活の、生命の次元にあると思う。
それぞれの暮らしを構成する関係性が編み直されて、
どれだけ多様な存在に開かれたか、である。

たっちゃんが、猪苗代に暮らし始めた。
ただ暮らし始めただけではない。
そこに、多様な人間があり、馬がおり、
そしてそれにかかわる多様な道具があり
そして磐梯山があり、猪苗代湖がある。
 馬に乗って、馬を介して、自然と深く交わる
 馬を介して、多様な人とつながる
 震災があり、原発事件があり、多くのものが失われ、多くのことが暴かれた。
確実に残ったものは、本当に大事なものだけだった。
 311以後に世界の成り立ちが変わったのだとしたら、
そんな個人の生き様の変化の中にある。
 そしてまた、そういった生き様の変化が、
震災と原発事件を受け福島大学に赴任した石井君、

葛藤の中で職業選択をした卒業生の中に確実に存在している。
 はやくきてくたされ――。
それぞれの場所にいる彼らのようにも、

見沼にいる自分のようにも、そう思う。
数多の宛先に向けて、そうつぶやく。

 「きてくたされ」は、祈りの言葉である。

熊谷産業@石巻の社長と出会う


2012.3.27 猪苗代便り

2012-03-28 | 共生社会のデザイン

5月にオープンする牧場の名前は「きてくたされ」。
 これは野口英世の母シカが、
アメリカにいる野口英世に送った手紙の言葉。
************************
おまイの しせにわ(出世)には みなたまけました
わたくしもよろこんでをりまする
はるになるト みなほカイド(北海道)に いてしまいます
わたしも こころぼそくありまする
ドカはやくきてくだされ 
はやくきてくたされ はやくきてくたされ 
はやくきてくたされ はやくきてくたされ
いしょ(一生)のたのみて ありまする
にしさむいてわ おかみ(拝み) ひかしさむいてわおかみ しております
きたさむいてわおかみおります みなみたむいてわおかんておりまする
はやくきてくたされ いつくるトおせて(教えて)くたされ
これのへんち(返事)ちまちてをりまする ねてもねむられません

馬の餌やり。子どもたちは福島県内の高線量の地域から参加。
多くは原発事故後、思いっきり外で遊べていない。
だから、極寒のため、吹雪の中なのに、はしゃぐ、走る。


今回のキャンプのための馬は4頭。小屋もなく、吹雪の中で過ごす。

馬の調教をする寄田代表



馬を駆る竜也。

馬を駆る竜也。
半年前にすら、この情景があることを想像すらしなかった。
震災があり、原発事故があり、
多くのものが失われ、多くのことが暴かれた。
確実に残ったものは、本当に大事なものだけだった。
猪苗代で生きる、馬と生きる。

農園にいる時よりも、沖縄の時よりも、さらに逞しくなっていた竜也。by事務局長


牧場の暮らしinいなわしろ

2012-03-26 | 風の備忘録 

 事務局長から
 福島いなわしろ牧場から便りが届く
  始動
 いなわしろ牧場
 被災地の子どもの心身の回復と
 成長をケアする人材育成事業

 福島猪苗代地で
 共生への試練を生きる


 
極寒の福祉 猪苗代 馬と生きる


いなわしろ牧場のキャンプ 良太氏と参加予定だった 
良太氏は体調不良で、自宅で静養中。

14年目迎える見沼田んぼ福祉農園、
開園以来耕し続けた良太氏、
鋭気を養うためには静養は必要だ。


さいたま市見沼アクションプランに思う

2012-03-26 | 龍神伝心
2010年8月、
「見沼学」編集委員で九州大学の八木信一先生が見沼基本計画(素案)に対して、
さいたま市に次のような意見を提出した。
第1に、
計画を推進するうえでガバナンスの構築が重要であることは論を待ちませんが、
そこでは計画の立案だけでなく、
それを執行するための組織の設立と財源の確保が不可欠です。
このうち、
財源の確保について本計画では全く触れられていません。
本計画に関連した財政計画について早急に検討・公開される必要があると考えます。

第2に、
見沼田圃の将来地域構造において、
保全の「結果」として生態系ネットワークや
生物多様性の維持が「目的」とされているのは、不可解です。
生態系ネットワークや生物多様性は、
これらを育む見沼田圃における物質循環
(とくに水循環と大気循環)の安定性と深く関係しており、
そしてこれらの物質循環はこれまでの見沼田圃における土地利用という、
保全の「手段」に強く規定されます。
重要なことは、見沼田圃の土地利用が変化してきたなかで、
このことが見沼田圃の物質循環にいかなる影響を与えたのか、
そしてそのうえで自然環境の1つとして、
生態系の維持をどうするかを考えることであると思います。
しかし計画では、
セントラルパークをはじめとした公園整備事業を推進するために、
生態系の維持が取って付けて掲げられていると感じます。

第3に、
計画では「農」の位置づけも一定程度与えられていますが、
見沼田圃における農業の現状、農業振興策の成果と課題、
そしてこれらの評価に基づいた
見沼田圃の保全をベースとした「農業のグランドデザイン」が描かれていないことに、
強い疑問を抱きます。
ブランド化や高付加価値化などが提示されていますが、
見沼田圃の特性を踏まえたものにはなっておらず、
地名を変えれば他の地域にも当てはまることが羅列されているにすぎません。
最後に、農地としての復元が困難になった場合の対応策として、
湿地や草地などとして管理することが示されていますが、
これらの管理方法が果たして
「活用を通して保全すること」を目指した計画方針に沿うものなのでしょうか。
これについては、
これまでの公有地化推進事業の成果も踏まえて、
復元が困難になる前の計画の拡充を求めます。

3月25日 菜の花咲く

2012-03-26 | 農園作り


日差しが暖かく菜の花や梅の花が咲きほころぶ福祉農園


第2農園の池と第2農園から第3農園へつながる小川の水の流れが多い。
いやな感じしたので水の流れを追う

第2第3農園へ繋がる小川の水口が増水している。






第1農園へ繋がる水口、
コンパネでせき止めてある。




さらに遡ると福祉農園より上の位置にある田圃に水がたまっている。

水のたまった田圃の反対側の畑を観ると
排水改良おために溝が更に深く掘られている。

水のたまった田圃のU字溝を観ろと
土嚢や煉瓦でせき止め水位をを10センチ位上げっている。

せき止めている土嚢などとは反対側の畑。 ここまで地下水位が上がっている。


スタッフの卒業を祝う

2012-03-26 | 季節の便り
3月18日に行った、
見沼・風の学校のスタッフの卒業を祝う会の写真が届く
見沼田圃保全運動の先駆け「見沼田んぼを愛する会」の
活動の柱は「子ども達に残そう見沼田んぼ」だった。
私だけが60代。10代から30代までが中心の見沼・風の学校。
見沼の次世代を担う人材は福祉農園の農業実践の中で確実に育っている。


牧場の暮らし in いなわしろ牧場のお誘い

2012-03-23 | 風の備忘録 


被災地の子どもの心身の回復と
成長をケアする人材育成事業が
3月24日~3月30日まで

NPO法人インフォメーションセンターが主催して
同NPO法人が運営する猪苗代牧場で開催される


この春、線量の低い猪苗代(約0.09 ~0.18μsv/h)で
馬との関わりを通して、
こどもたちの心身のケアを行うプログラムを実施します。
全国で馬とくらすホースセラピーや環境教育の牧場を展開する
NPO 法人インフォメーションセンターでは、
震災後のこどもたちのケアを目的とするキャンプを継続して行ってきました。

問い合わせ
NPO 法人 インフォメーションセンター猪苗代牧場
EmaiL:kitekutasare@ryufo.com


原子力ムラ 不都合な真実

2012-03-23 | 風の備忘録 

ドイツZDFテレビの「フクシマの嘘」というドキュメンタリー
日本語で字幕が付いてます
http://kingo999.blog.fc2.com/blog-entry-546.html


以下は、ドイツZDF TV「フクシマの嘘」より抜粋
1989年のことです、蒸気乾燥機でビデオ点検をしていて
そこで今まで見たこともないほど大きい亀裂を発見しました。
スガオカ氏と同僚が発見したのは、それだけではない。

(スガオカ氏)
原子炉を点検している同僚の目がみるみる大きくなったと思うと
彼がこう言いました
蒸気乾燥機の向きが反対に取り付けられているぞ、と。
もともとこの原発の中心部材には重大な欠陥があったのだ。
スガオカ氏は点検の主任だったので
正しく点検を行い処理をする責任があったのだが
彼の報告は、東電の気に入らなかった。
私たちは点検で亀裂を発見しましたが、東電は
私たちにビデオでその部分を消すよう注文しました。
報告書も書くな、と言うのです。
私はサインしかさせてもらえませんでした。
私が報告書を書けば、180度反対に付けられている蒸気乾燥機のことも
報告するに決まっていると知っていたからです。
(ハーノ記者)
では、嘘の文書を書くよう求めたわけですか?
(スガオカ氏)
そうです、彼らは我々に文書の改竄を要求しました。


3月20日宮城角田へ

2012-03-22 | 様々な農

農園では

ハンマーナイフモアーが今年初めて始動し除草作業を行った。
そして、ジャガイモの植え付け、そして春夏野菜の種蒔きを行う


昼頃、宮城へ出発。

福島駅で福島大で研究生活を始めた石井君と合流
阿武隈急行に乗り換え角田へ

車窓から除染のため樹皮を向かれた桃などの果樹が見える。

角田駅で角田市農業経営者会議の伊藤稔氏と合流、

みやぎ仙南農協の出荷センターで伊藤氏と打ち合わせ

出荷センター内にはTTP協定反対の垂れ幕が

休日だがイチゴの出荷作業が行われていた。


3月21日宮城県角田へ

2012-03-21 | 風の備忘録 

角田市農業経営者会議のセミナーが開かれ、
農園スタッフの石井秀樹君が
講師として発言するというので同行した。
石井君は今月20日から、
福島大学「うつくしまふくしま未来支援センター」の
研究者として活動を始めた。
活動第一弾が
「チェルノブイリの現状と今後の放射能対策」の講演だった。
石井君が角田の農業経営者と出会った切っ掛けは
昨秋、角田の面川君が上京した折に
放射性物質よる被害に悩んでいることを知り
紹介したのが始まりだった。

今回の石井君の講演のテーマは
東電福島第一原発事件がもたらした
放射性物質による汚染の実態をを明らかにし、
その中で制御可能なもの事を見出し、
新しい生産の在り方をデザインしていくというのテーマだった。





研究者と農業経営者との間で白熱した検討が行われた。