blog 福祉農園通信・龍神伝心

アジアモンスーンに吹かれて
共生の農業
見沼田んぼ福祉農園 

「共生空間見沼田んぼ福祉農園の取組み:生命とコミュニケーションの多元化を目指して」報告

2008-02-28 | 共生社会のデザイン
▼公共政策セクション対話研究会 第11回
<福祉環境交流センター 連続セミナー第30回>
http://www.shd.chiba-u.ac.jp/~coe21/workshop/2005/report051130-02.htm
「共生空間『見沼田んぼ福祉農園』の取組み
:生命とコミュニケーションの多元化を目指して」報告

 千葉大学21世紀COEプログラムでは
『環境と福祉』の統合をテーマの一つに挙げていますが、地域レベルにおいて、
福祉やケアと自然(農業)の要素を融合させた様々な試みが各地で展開され始めています。
今回は、
そうした先進的な取組みとして注目されている埼玉県さいたま市の「見沼田んぼ福祉農園」の活動について、
見沼・風の学校から猪瀬浩平氏、石井秀樹氏をお招きしてお話を伺いました。

 見沼田んぼとは、埼玉県のさいたま市と川口市にまたがって東西10km、南北14km、
面積1260haの広大な緑地空間です。
1958年の狩野川台風による水没被害の際の遊水地として機能が認識され、
1965年に制定された宅地転用を原則として認めない見沼田圃農地転用方針
(『見沼三原則』)によって保全されています。
見沼田んぼ福祉農園はその一角の約1haを県から委託を受け管理する形で、
農地の保全と活用を障害者福祉の場を融合した活動を展開しています。
 見沼・風の学校はその活動の一環であり、講演者の猪瀬浩平氏は事務局長、
石井秀樹氏は事務局スタッフとしてその運営に携わっておられます。
石井氏からは、
見沼田んぼが一般市民・地権者・行政のパートナーシップで保全されてきた経緯、
代表の猪瀬良一氏が知的障害のある長男のデイケアの場として
福祉農園に取り組まれてきた経緯が紹介されました。
近隣の農家から営農指導を受けながら、学生ボランティアを中心に農園の整備・管理を行い、
販売目的の野菜生産を行う傍ら、園芸療法・森林療法といったケアの場、
企業の社会貢献や研修の場、大学のインターンシップなどの場として農園が利用されているという、
環境保全活がコミュニティ、ケア、障害者の働く場などという新しい拡がりを持つ可能性を示唆され、
また機関誌「見沼学(みぬまなび)」を創刊されたと述べられました。

続いて猪瀬浩平氏からは、
機械や農薬を使わない近代化以前の農業では多元的な小さな作業が多く障害者も働けること、
また、その土地で智恵や技術が培われてきたことをあげ、
これらが福祉農園という場を通じて出会った様子を紹介されました。
また、埼玉と千葉といった都市と農村の狭間という立地の意味するもの、
伝統的なコミュニティと新しいコミュニティとの出会い、
知的あるいは人的な資源の提供や学生の意識の変化といった大学とのかかわりなど、
見沼・風の学校の取り組みをより掘り下げて述べられました。

 参加からは、障害者の就労や子供の遊び場作りのような関連した活動、行政とのパートナーシップ、
地域や活動に参加している団体間などコミュニティ内外の関係、
先端的あるいはモデルとしての可能性などについて質問がありました。
“見沼田んぼ”という広くて何も無い空間という場に人が集まり、
農業という逃げられない仕事に試行錯誤で取り組んで自分達の力量があがっていくという、
今までの活動を総括されるとともに、
行政との交渉や利用団体間の調整などの具体的な運営に関するノウハウが披露されました。

 最後にコーディネイトした千葉大学の広井良典氏からは、
福祉・医療と環境とスピリチュアリティの分野をつなぐ「福祉・環境・スピリチュアリティネットワーク
(Welfare, Ecology and Spirituality Network:WESネット)」構想が紹介されて、
各地の事例を千葉での実践につなげたいとのコメントがありました。
 40年以上にわたり行政と市民が協力して環境の保全に努めている見沼田んぼという環境を活かして、
地域を巻き込みながら障害者のケアと就労、
若者の社会参加、地域で培われて伝統的な農業を基盤とする生産技術と生活習慣、
これらをみごとに融合させている見沼福祉農園、見沼・風の学校の活動は、
“環境”、“福祉”“市民社会”“公共”をキーワードとする本COEプログラム
「持続可能な福祉社会に向けた公共研究拠点」
の目的が
具現化できることを示していると思われます。
同時にこの活動を“持続可能”なものにするよう、財政面や組織マネジメント面を含め、
見沼福祉農園、見沼・風の学校は
活動基盤の強化を図るという次のチャレンジの段階を迎えているとも感じました。

2005年11月30日(水)15:00~16:30
於:千葉大学大学院社会文化科学研究系総合研究棟2階マルチメディア会議室
(文責:野村眞弓)

農的若衆宿2008冬「深耕天地返」が2月23日~24日開催された

2008-02-27 | 様々な農
農的若衆宿2008冬「深耕天地返」24日
見沼の圃場は70cm掘ると水が浮き上がって来る
見沼で畑を続けるには暗渠堀と天地返しは欠かせない作業だ。
風の学校が2002年から耕している畑を天地返しのために掘る。
土の断面があらわになり、畑の耕深か20センチしかないことを知る。
この6年間耕したのは20センチ。本当にまだ表面的なものに過ぎない。
冬の風嵐吹きすさむ中の風の学校

2008年2月26日 久々の3人会

2008-02-26 | 風の備忘録 


久々の3人会
一人は、農村社会学者の小松光一氏 。
小松先生は見沼・風の学校校長でもある。
一人は、農政ジャーナリストで編集者の青木さん。
そして私。
3人の付き合いも20年になる。

池袋のいつものビヤガーデンで落ち合ってビールで乾杯。
いつものように論断風発を楽しむ。
しめは「蕎麦」で日本酒を飲みながら蕎麦を楽しむ。

気になる記事 中島岳志的アジア対談:都市の論理とメディアの役割--武田徹さん

2008-02-23 | 風の備忘録 
気になる記事
中島岳志的アア対談:都市の論理とメディアの役割--さん

ジャーナリストの武田徹さんは、単に出来事を追うのではなく、学術的な分析を駆使して、
事象の背後に潜む構造に迫った作品で定評がある。
特に、満州国(現・中国東北部)やハンセン病療養所の問題を通して、
都市や共同体のあり方を論じてきた。
このあたりは中島岳志さんとも関心が重なる。
議論はメディアの役割へと広がった。【構成・鈴木英生、】

◇「設計主義」に違和感ある--中島さん
◇満州、ハンセン病にも共通--武田さん

中島 武田さんは、満州国やハンセン病療養所の問題を通して、
エリートが人々の生活をコントロールして理想社会を作るという観念に、強い違和感を示されてきました。
武田 初めは都市計画に関心があったんです。東京の都市計画関係者に取材すると、
「東京にも高水準の都市計画あったが、
大衆の理解不足で実現しなかったのでこんな雑然とした街になってしまった」と言う。
では当に自由に都市設計ができたらどうなるか。
満州国の首都新京(現・長春)では、日本の都市計画技術者が確かに整然とした美しい街並みを作っています。
でも、調べてみるとそこはアジア的な生活をはぐくむ「器にはなっていなかった。
日本のニュータウンにも似た構図がある。
東京の多摩ニュータウンは、土地本来の起伏を生かし、理想的な公園都市を目指して作られましたが、
世代交代が進まず、想定外の少子高齢化の問題に今や悩まされている。
それでも、たとえばあと50年、街が多彩発展するのを待てれば、
そうした問題をきっと乗り越えてゆくと思いますが、行政側は辛抱できるでしょうか。
こうした街作りへの興味の延長でハンセン病の隔離療養所が気になり始めます。
そこも人工的に作られた空間ですら。
たとえば岡山の長島愛生園は気候も穏やかで、
最初の取材で「暮らしやすいのでは」と一瞬うかつにも思ってしまったのですが、外との交流を断たれ、
完全に制御された均質な空間に生きるつらさへの想像力を持べきでした。
単調な暮らしの強制こそ元患者を深く傷つけたはずです。
中島 設計主義的な都市計画には、どんな暮らしぶりの人でも型にはめられるとじて疑わない高慢さがある。
それは、満州国や療養所という特殊ケースだけではなく、今も遍在しているように思えます。
武田 たとえば街並みは整然としているべきだという価値観は根強い。
しかし、その実践の帰結が、満州国や療養所でしょう。
こんなふうに原因と結果の射程を広げてみないと、設計という思想の暴力性は見えません。
中島 今の東京都政も、築地市場移転問題やカラス撲滅作戦などに、
設計主義的な都市への志向性を感じます。その都政が保守と思われている。
本来、保守の根幹は、こうした設計主義を疑う精神のはずです。
武田 でも人にリスクを与える、ノイズ的なものを避けたいという心性を持つのも保守でしょう。
「人それぞれの理想や夢を守るのが保守だ」との文脈では、中島さんの指摘も当たっているかもしれません。
保守には二重性があって、それをいかに調整するかが問題では?
中島 その利害調整的な政治のリアリティーが、小泉政権以降、失われた気がします。
武田 小泉氏を格差社会の上から下までが支持した。
こんなことは本来、あり得い。
彼の「改革断行」のスローガンは多くの人が持つ「世の中をよく変えてほしい」という気持ちに訴えた。
しかし、その気持ちの内実は実は多様で、矛盾もあって当然なのですが、
端的なスローガンを絶叫、連呼して世論を大きく共振共鳴させ、
矛盾を調整・解決しないまま丸のみにしてまった。
そこにポピュズムとファシズムの結合がある。
中島 今のお話で連想したのは、去年の流行語になった「KY」(空気が読めない)です。
でも、その「KY」であることが、実は大事なんじゃないでしょうか。
評論家、山本七平の『空気の研究』は、戦中の非合理的な作戦の決定要因が、
一方向に流れる「空気」だったと論じた。
また、山本は空気、つまり同調圧力に「水を差す」ことが大事だと説いた。
都市の問題に戻すと、今、自警団が地域住民によって作られたり、
上からの設計主義を補完する下からの治安維持的な動きが活発です。
少しでも怪しい人は通報されかねません。
武田 自警団の人たちは、その活動に生きがいを感じているからやめろと簡単には言い難い。
善意あふれる人たちなのだうし。
しかし疑い始めるとキリがなくなるのは人間のさがだし、疑われた方は面白くない。
生きづらくなってさらに逸脱行動に走ることもあるでしょう。
疑心暗鬼は共同体を疲弊させます。
むしろ分かりにくい行動を見かけたら、先手を打って声かけ、あいさつをし、話してみる。
相互監視や警察など外部権力への通報によって異物を排除しようとするよりも、
コミュニケーション可能な範囲を広げた方がリスクは減るはずです。
それが人間の本質を知った対応だと思います。
中島 自警団の人たちに、武田さんがおっしゃったような批判をすると、
「いいことをしていると信じていたが、そんな考え方もあるのか」と驚かれる。だからこそ、
ジャーナリズムなり空気を読めない人間が、批判や批評をするのは、すごく大切なことだと思います。
武田 発想をちょっとずらしてあげるだけでいいんだと思います。
たとえばできもしないゼロリスク化に生きがいを燃やしている共同体に、
マスメディアが「ちょっと待てよ」と声をかける。
一方向の流れに水を差すことこそ、マスメディアの社会的使命のはずでしょう。

◇バッシング激化の原因は?--中島さん
◇大きな枠組みでの取材を--武田さん

武田 でも、今のメディアはそうして社会に対峙(たいじ)するどころか、俗情と共鳴して不安や敵意を増幅させている。
食品偽装や賞味期切れ問題に代表される、情報提供上の必要を超えたバッシング報道が典型的です。

中島 それ激化している。
武田 マスメディア以外にネット掲示板も水を差すどころか、に油を注ぎがちですね。
中島 こうなった原因は?
武田 今に始まったわけではなく、歴史的な経緯もあったのでは。
日本はそもそも短い言葉が共感を通じて力を持ちやすいワンフレーズ、スローガン型文化。
言霊(ことだま)信仰があったし、短詩が発達してきました。
そういう感性風土を自覚した上での自制も必要で、
だからこそプロ集団であるマスメディアにはあえて論理を尽くした、散文的な報道を心がけてほしい。
中島 平的な人間係が日本人の良さだけれど、
いわば垂直的に抽象化する努力が足りないと思うんです。
この垂直と水平の交差点こそが重要なのに。
武田 確かに、日本のノンフィクションの書き手の多くに、残念ながらその批判は当たってしまうと思う。
もしも私がそこから多少の距離を保てていたとしたら、ある意味で鈍感だったからでしょう。
共感、感情移入から始めない。
それが唯一の解だは言いませんが、
少なくともハンセン病の元患者たちの人生の悲惨さにそのまま感応する人には、
私のような書き方はできなかったと思う。
目の前の不幸に感極まるよりも、あえて大きな枠組みの中で考える姿勢を自分に強いた方が、
むしろ現実の不幸の問題を深くえぐる場合があることをジャーナリストには知ってほしい。
中島 最後に、その「鈍感さ」をどう身につけられたのでしょう?
武田 いや、実はかなり涙もろいんです(笑い)。
だからまさに涙ぐましい努力で感度を落とそうとしている。
戦略的に感情に流されないでいると言えればかっこいいが、
たとえ一人だけで反語的存在であろうとしてジタバタもがいてきたというのが実情に近いと思いますよ。

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◇対談を聞いて
武田さんは、たとえば日の原子力開発について「共感的ではない」が、反核活動家にも「非共感的」という。
結論が先にある主張しかない場で、双方から聞くべきものを聞き、
違った次元で論じ直すのが武田さんの真骨頂だ。単なる中庸ではない。
ひたすら注意深い議論から、「公共性」のある結論を導こうと努める。
小泉政治には明確に否定的だったのも、その点で武田さんの考え方に抵触するものがあったためのようだ。
しかも本文の通り、同じ厳しさを自らの感性へも向ける。いわば、「脳内民主主義」が活発な人とでも言えようか。【鈴木英生】
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■人物略歴
◇なかじま・たけし
北海道大准教授(アジア研究)。
1975年生まれ。
姜尚中さんとの
談本『日本』を毎日新聞社より今月刊行。


■人物略歴
◇たけだ・とおる

ジャーナリスト、恵泉女学園大教授(メディア論・社会史)、
放送と人権等権利に関する委員会(BRC)委員。
1958年生まれ。
国際基督教大大学院在学中から書評などを執筆。
著書に『流行人類学クロニクル』『偽満州国論』『「隔離」という病い』『NHK問題など。

毎日新聞 2008年2月20日 東京夕刊
中島岳志的アジア対談:都市の論理とメディアの役割--武田徹さん - 毎日jp毎日新聞

2008年2月17日 見沼・風の学校 2007年度総括合宿点描2日目

2008-02-19 | 様々な農
2日目のもメインテーマーは、事務局長提案の 同質の関係から、もっとゴチャゴチャした関係へ
社会人スタッフが農園活動を社会人として組織的に展開することを提案。
提案した社会人の職業は、公務員、ベンチャー企業職員、大学職員、大学講師、企業の研究員など
打ち上げは横浜らしく中華料理店で昼食会 美味し。

港町横浜をお楽しみながら帰路に着く

2008年2月16~17日 風の学校の年度末恒例総括合宿へ

2008-02-18 | 様々な農
風の学校の総括合宿に参加、若者たちの語り合いに、
昆吉則氏の「耕すは蒔(ま)く為に非ず」に関する考察を思い出した。

【「農業経営者編集長 昆 吉則 -profile 】

スガノ農機の総合カタログには、同社の企業理念である「積年良土」ととともに
「耕すは種蒔(ま)く為に非ず」
という禅問答ようなコピーが添えられてある。
僕は優れた経営者の生き様にふれる度に、この「耕すは種蒔く為に非ず」という句をいつも思い出す。
「広辞苑」で「耕す(たがやす)」の項をひくと(タガヘスの転)作物を植える準備として、
田畑を掘り返す」と解説がしてある。
漢和辞典で、漢字の「耕」の辞義をたどると「耕」の「すきへん」は「耒(ライ・すき)=鋤・耡・耜」に由来する。
そして、スキの作業目的である「土の反転」から「田返す(たがえす)」が「田返す」ことであるとされている。
ロータリ耕が一般化する以前の耕し方を思いおこせば、鍬であれ鋤であれ反転耕なのだから当然かもしれない。
しかし「がやす」という言葉に、次の様な意味を感じている、これは僕の「こじつけ」に過ぎないだろうか。
漢字の「耕」の意味はともかく、そもそも外国語である漢など知らぬはずの普通の人、
あるいは漢字伝来以前の日本人が「たがやす」あるいは「たがえす」の音を発していたのだとしたら、
それは「田を返す」ではなく「田へ返す」ことの意味ではないか。
「たがやす」は、
本来、田(土)から取り出したものは「田に返す」「土へ戻す」という
「農業の方法」を言い表した言葉なのであり、
「作業の方法」としての「田を返す」ではない。

言い換えれば「作業」や「技術」用語としての「田を返す」ではなく、
「喰い続ける方法」「き延びる方法」いうなれば「経営」の問題として「田へ返す」「土へ返せ」
そして「戻し続けよ」と語られてきたのではあるまいか。
農具の歴史からみても、スキやクワのレベまでに土壌の反転性が高い農具が使われる以前から、
人々が「たがやす」という言葉を使っていたのだとしたら、むしろそう考える方が自然だし矛盾も無い。
今ですら鋤を使っていた年配の人なら、土地それぞれの言葉があるが「スク」とか「起こす」とかいうのが普通であり、
「耕起」を意味する日常語として「耕す」なんて言葉は使わない。
昔から日本人にとって「たがやす」とは、「田を返す」ということでも、
ただ単に「作物を植える準備として、田畑を掘り返す」ことでもなく、
農業の基本原としての田から得たものを「田へ返す」「戻し続けよ」「循環を守れ」を意味る言葉であったのだと僕は思う。
人の思い通りにならない圧倒的な力をもつ自然。
その中で、継続的に安して生きる糧を得ていく農業という「自然を管理する方法」。
その基本原則が「循環を守る」ことあり「戻し続ける」ことであるからだ。
人が喰っていくことと同じ意味であったはずの「耕すこと」の本質として、
「田へ返せ」と語られていたのではないだろうか。
「喰うこと」とは「戻すこと」であったのだ。
話は変わるが、作ることに夢中になると、なぜ作るかを問わなくなり、
売ることに夢中にるとナゼ売るかを問わなくなる。
製造部長なら、営業部長なら、それで済むかもしれない。
しかし貴方は経営者なのだ。それでは足りないのだ。
いつの間に、我々は、春に始まり秋に終わる一連の作業の流れとしてしか農業が見えず、
そ作業消化に追われ様々に発生する障害への対症療法的な対策ばかりに気を取られ、
また当面の売上や利益の大小にばかり目を奪われてはいないだろうか。
「技術」や売上」あるいは「単なる帳簿面の利益や費用」や個々の作業という木にとらわれて
「経営」という森が見えなくなっているということはないだろうか。
「耕す」ということが、種まきや田植えの準備作業としてしか考えられなくなっているのではないだろうか。
むしろ、収穫に次の始まりを感じることができるだろうか。
我々はあらためて「耕す」を技術の問題として「田を返す」だけでなく、
経営の問題として「田へ返す」につながっているかを問うことが必要なのではないか。
そして、僕が行き会えた優れた経営者たちの践とは、
常に「戻し続け」「し続ける」という農業の原則を守ることであり、その「意志」を持ち続けることであった。
農業経営者だけでなく優れた仕事を成したあらゆる事業経営者たちもまた、
その規模の大小を問わず同じことを語る。
土を離れた事業者にとっての「土」とは顧客であり、市場であり、そして取引先であった。
それらの人々は、「田へ返す」「土へ戻」それも「取る前に戻す」ことを考えている。
「戻せなのは欲が足りないのだよ」という人もいた。もっとも、戻しても成功の保証などはない。
それでも戻す人が成功者たりえるのであり、戻せぬ者はやがて滅びるのだと僕は思う。
「耕すは種蒔く為に非ず」とカタログに謳うスガノという企業の経営と営業活動も、
この「へ返す」の精神なのあろう。
そして、この精神には、農業も他の産業も仕事の違いもなく、また人の一生もまた同じなのではないか。

晴耕雨読人類往来記

ねたままでしつれいします。

2008-02-16 | 農作業
岡思奈 鉢(おかしな はち)さんが、
横浜寿町の日々をつづったblog「ねたままでしつれいします」に心配な記事が。
挨拶を忘れずに(kumiko)
一人の人間が「場」を離れる。
それは、「逃げ」なんだろうか。それとも?
服が体に合わなくなるみたいに、「場」が合わなくなる。
何かしら「変化」が訪れた時、「場」があわなくて、いられなくなる。
「居場所」を失うって、多分そういうこと。
「離れ方」には二つあって、「逃げる」という方法と「卒業」という方法。
「変化」を自分の歴史の中にどのように「位置づけ」ていくか。
「変化」を「場」の役割に「位置づけ」ていくのか。
そのことがKEYになり、二つの方法は分類される。
二つの方法については、また明日。

岡思奈 鉢さん、愛称Yさんとは去年の4月に寿町を訪れた折に始めてあった。
その時、ドヤ街といわれる街を耕す現役ホームレスであるYさんの話に魅了され。

有機肥料として

 早朝の寿の町は、いつもとはまた別のにぎわいがある。早起きが習慣になっている元建築労働に従事いていた高齢者達が、何となく三畳間から起き出し、思い思いの格好で町中を徘徊しはじめる。
仕事はまるでないが、長年の習慣はそのまま続いている。今寿の町で手がけているプロジェクトは、数本残されている。一つずつが、この町の変化と可能性と落ち着きを取り戻すのに不可欠な要素を持つもの。みんなが手分けして、また共同しながら遂行させなければという思いが強い。
 ポーラのクリニックの院長を務めるDr山中が理事長のNPO法人さなぎ達は、見守りネットワークなど、寿の町の地域医療のモデルとして、地を這うように浸透して行き、「さなぎ達」スピリッツといっても良い心意気の若者たちが、思い思いに参加して、広がりを見せており、寿の変化への原動力となている。
 みんなの作り上げたこの町は、これからもいろんなものを巻き込みながら、力強さをまして行くことだろう。この「さなぎ達」の触覚にあたるようなファニービー?ファニービーも手探りの状態から少しずつ手に触るものを見つけ出し、現在ホステルヴィレッジがメイン業務化して、これもまた一歩ずつではあるが、部屋数増やし、次のステップへ移りつつある。これもまた魚鱗の陣たて。オーソドックスではあるが、弱小チームにはわかりやすい形とだれでもが入れる良さがある。
 初心に立ち返り、一部門ずつを見直し、出来るだけシンプルな行動体の集合物を考えてみるべき時期に差し掛かったようだ。
 こわれ頭おかしな鉢の走り回る時期は過ぎ、各部署とも世の中のシステムの中に組み入れられた地力のある戦力として、社会の一端を担い、ゲリラ戦から競争社会の中で、しっかりとした根を張っているように重心を少し下にさげ、安定したチームへと移行して行なければと願っている。
 みんなの力の結集に必要なしっかりとしたミッションに鉢も忠実に従い、スタンドプレイは極力抑え、相も変わらず有機肥料として、みんなの足元にくたばる事だけを望みに人生の余熱を使い切ってしまいたい。
 日常起こるいろいろなトラブルも又、若者たちの足腰頭を鍛えタフにするべき過程。タフでないと生きられない。この町で起こる様々な出来事を乗り切れてはじめて、みんなが仲間。この町、仲間たちが必要とする世の中と少し違う構造上、歴史上の障害物の突破には、鉢のこわれ頭をこれからも、十分に使ってもらえれば嬉しい。鉢にとって一番つらい所は、心の中に自分が本当に必要な人材だろうか?と考えた時、何の特殊能力も持たない自分の処遇、進退の問題が自分自身の中にときどき湧き上がる時がある。


2008年2月15日 竹林の拡大を止める

2008-02-15 | 農園作り
日中はたっぷりと日差しがあり作業しやすかった。
今日は竹林の拡大を防ための工事を行った。
新聞記者として活躍する風の学校OBや国学院大学の学生が作業に参加した。

今日の竹林の拡大を防ための作業に参加した国学院大学の学生 
切り出した竹の根っこ
久々に作業参加した風の学校のOB 作業を終えて

日本ボランティア学会 社会的排除と市民社会を考える[cafe連]

2008-02-14 | 風の備忘録 
日本ボランティア学会
社会的排除と市民社会を考える[cafe連]#7
第7回 今を生きのびる方法
   『アボン・小さい家』上映とディスカッション

イメージ 1
日 時:3月8日(土) 13:00~16:50(終了後、交流会あり)
会 場:明治学院大学 白金キャンパス 1号館1255教室 
語り手:今泉光司さん(「アボン・小さい家」監督)
コーディネーター:小松光一さん大地を守る会国際部顧問・明治学院大学非常勤講師)
参加費:1000円(カンパ歓迎)
※明治学院大学学生は学生証の提示により免除されます
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【お話しのポイント】 
* この映画をつくるにあたった経緯
* 外国や都市への出稼ぎの実態
* 日系フィリピン人が置かれている状況
* キリスト教と民俗宗教
* 豊かさと貧しさ etc.
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 フィリピン北部山岳地帯に生きる日系フィリピン人三世の家族を描いた映画『アボン・小さい家』。
都市周縁部に暮す父と子、出稼ぎに行く母親、山岳部の村に住む祖父母。
お金がないと排除され、孤独な暮らしを強いられる都市と、お金も、電気や水道もなくても、
米や野菜があり、精霊に守られた水と木があり、いつも仲間がいる村。
この物語は、今/ここに生きる私たちが、
しんどさを超えて他者とつながり、豊かに生きるのか、その可能性へ想像力をかきたてます。
今回は監督の今泉から、どんな思いでこの映画をつくったのか、
現地の状況も踏まえてお話伺うとともに、参加者との対話の中で、
この映画が私たちに如何なる示唆を与えるのか、考えたいと思います。
 「cafe連」は講演会ではなく、その身上は「インフォーマル」と「双方向性」。
参加者の方にも発言してもらいながら会をすめていきます。お友達を誘って、
気軽におこしください。
[cafe連]とは
 http://popo.or.jp/vgakkai/2007cafe.html
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【映画「アボン 小さい家」について】
 フィリピンの日系三世であるラモットは、
三人の子供を抱えバギオで乗り合いバスの運転手をしている。
だが、生活費を稼ぐため妻・イザベルは海外へ働きに行くことになり、
子供たちは実家のある山奥の村に預けられる。
電気も通っていない村に子供たちは最初戸惑うが、
自然に祈り自然と共に生きる生活に次第に慣れていく。
そんな時、イザベルが偽造パスポートの容疑で逮捕されたという連絡が…。
 家族の絆とは何か。自然の恵みに感謝しながら生きる人々。
フィリピン日系人・途上国国際理解。
国際映画祭でもパワフルムービーと評され、
全国80ヶ所以上でホール上映され、
2007年に渋谷・沖縄・横浜の劇場で公開された、
日比NPOが協働制作した社会芸術映画。
【交流会】終了後、交流会を行います。もちろん、今泉さんもご参加くださいます。
 18:00~20:00  交流会参加費:2000円 #事前申し込みをお願いします。
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【問い合わせ/申し込み先】
お名前、電話番号、交流会の出欠をご連絡ください。
こちらをクリック(近日中にアップします)
http://popo.or.jp/form/entry_v.html
Email vgakkai@popo.or.jp
話 03-3364-2140(エイブル・アート・ジャパン)
FAX  03-3364-5602(エイブル・アート・ジャパン)
*準備の都合上、できるかぎり、事前に申込みをしてください。
 (当日参加も受け付けます)
*参加費は当日申し受けます
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【会場へのアクセス】
品川駅から、高輪口より都営バス「目黒駅前」行きに乗り、
「明治学院前」下車(乗車約6分)  ※徒歩の場合は約17分
明治学院大学のHP http://www.meijigakuin.ac.jp/
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主催 日本ボランティア学会 カフェ連 in Tokyo 実行委員会
共催 明治学院大学教養教育センター
晴耕雨読人類往来記