blog 福祉農園通信・龍神伝心

アジアモンスーンに吹かれて
共生の農業
見沼田んぼ福祉農園 

宮城角田 面川ファームへの農業視察

2013-02-26 | 龍神伝心

 中国政府から派遣され、
現在横浜国立大学の客員教授として
来日している程先生の皆さんが農村視察にやってきた。
 程先生の他 
中国農水省職員で
現在農林中金総合研究所の客員研究員として来日している若手職員も同行。
あわせて4名がやってきた。
 程先生は、
日本でいえば経済産業省所管の総合研究所の責任者のひとりのようだ。 
 今回の視察は、土地改良区等の農業関係団体の役割や
戦後の日本農政が生産現場でどのように受け入れられ
どんな課題を残してきたかを検証するのが目的のようだ。
角田滞在6時間と短い時間だったが生産現場の率直な思いを伝えた。

 考えてみれば、日本の農政は資本主義経済にあって
社会主義国家以上に社会主義経済を実践してきたといえる。
 そのはざまにあって、日本の農民は翻弄されてきた。
その根底には、社会主義経済社会が崩壊するなか、

資本主義経済システムが
真に私たちの未来を約束するものではないという不安の中で、

人間の欲望と地域社会をどのように調和させるかという
新しい社会システムの模索があった。

 戦後の混迷する農政の中、農村社会は、正しくその現実生きてきた。 

 今回の視察の中であえて昨今の日中関係については口を出さなかったが、
昨今の日中間の領土問題は中国の国内問題の延長線にあると考えている。 
中国が抱える 都市と農村の貧富の格差をどう解決するか。
 そのためには、中国農村における所得向上、
すなわち農業生産力を向上させるため
農業生産環境整備が急務となっている事は、数年前より聞いていた。
 中国社会の存亡は、
農村地域の所得向上政策の成否に懸かっているとも聞いたことがある。
今回の視察の話があったとき、そんな思いもあったので興味深く受け入れた。

 昨今の日中関係は、領土問題に端を発し大きな問題となってきているが、
地理的にいっても歴史的にいっても切っても切れない関係にあることは確か。
東北の片田舎の いち百姓が心配してもショウガナイことだが
ここはお互い冷静に対応するしかない。 
 中国にとっても中国の国内問題解決には
日本の経験と農業技術は不可欠だ。
そんなことは、中国の良識ある幹部職員は百も承知だろう。

写真は面川義明氏宮城角田発百姓の日記の筆者
http://www.omokawa.com/komeblog/2013/02/post_1161.html


2月23日見沼・風の学校の合宿

2013-02-25 | 共生社会のデザイン

見沼・風の学校の合宿点描

畑で今年の作付けを考えながら、土作りや施設の改善も検討した。


【乾燥小屋】プレハブ側→耕運機を置けるように整備する。
屋根を張替える。支柱を小屋の中に入れる(現耕運機置き場)
【枕木】耐寒若衆の際に整備しました 
【薪小屋】竹とブルーシートで屋根を作る
プレハブ裏にある薪を、一輪車小屋の裏に移す。
(現在生えている青木はどくだみ小屋の裏へ移植
【プレハブ~農機具小屋】
プレハブの雨樋をのばして農機具小屋につなげる。
水の落ちるところに排水システムを設置する。
【ハウス】でこぼこになっている地面を平らにならす。
唐箕周辺のいらない物を処分する。
【ビオトープ】護岸整備→井上さん側を埋め立て、竹林側を掘り下げる。




今春から作物実習が始まる農業高校生の女子スタッフが積極的に動いてくれた。


2月23日 見沼・風の学校とわらじの会へ

2013-02-25 | 共生社会のデザイン

見沼・風の学校の合宿で農園の仲間の「わらじの会」へ

「わらじの会」の拠点、暮らしセンター「べしみ」に着くと「わらじの会」に
ボランティアに来ていた学生達の卒業を祝う集うが行われていた。


風の学校のスタッフ達は「障害のある人もない人も地域で共に」の現場、
「わらじの会」のメンバーの家にそれぞれ泊まり込んだ。


私は水谷淳子さんと山下浩志さんが小宴を開いてくれて
藤崎稔君など懐かしい人達と歓談の時を楽しんだ。


障害のある人もない人も地域で共に、わらじの会を行く

2013-02-25 | 共生社会のデザイン
見沼・風の学校のメンバーと障害のある人もない人も地域で共に「わらじの会」を行く。

「わらじの会」暮らしセンターべしみへ到着。




中央で若者達に囲まれているのがきみ子さん。
彼女が生まれ育った地域を
共同住宅と活動拠点に変えて
暮らし続けてきたことが、
これだけの若い人々を
ここに引き寄せたんだと思う。


 
暮らしセンターべしみから田圃の向こうの生活ホーム「オエヴィス」へ





生活ホーム「オエヴィス」へ、オエヴィスの住人会沢完君の話を聞く風の学校メンバーく

オエヴィスを後に、団地内で暮らす埼玉障害者市民ネットワーク代表のお宅へ
               写真中央は埼玉障害者市民ネットワーク代表の野島久美子さん

写真は野島代表の家のアプローチ、車椅子を使う代表の暮らしを配慮されている。

翌朝、宿泊先から暮らしセンターに集まった風の学校スタッフ。
「障害のある人もない人も地域で共に」とどのようにつなげるのか。


枝廣淳子の環境メールニュース 

2013-02-25 | 風の備忘録 

枝廣淳子の環境メールニュース http://www.es-inc.jp
東日本大震災後の日本のエネルギーをめぐる状況
 2011年3月11日に
起こった東日本大震災と東京電力福島第一原子力発電所の事故のあと、
日本でのエネルギー(特に電力)をめぐる状況は大きく変化・変動しています。
私なりの見方で、5期に分けて、
この2年間の主に原発をめぐる動向を整理してみたいと思います。

 ●東日本大震災前の状況
2011年2月時点で、日本には54基の原子力発電所があり、
電源構成は原子力31.3%、火力63.1%、水力5.1%、再生可能エネルギー0.5%でした。
2010年に策定されたエネルギー基本計画に基づき、
「発電電力量に占める原発の割合を2030年には約50%まで増加」
「そのために14基以上の原発新増設」をめざしていました。
この原発依存度の増加の大きな理由は地球温暖化対策の必要性でした。 

第1期:3.11後、原発が次々と運転停止
2011年3月11日に起きた東日本大震災(地震・津波)によって、
福島第一原子力発電所の6基のうち、
1~3号機は炉心損傷・冷却機能喪失・建屋損傷を起こし、
定期点検中だった4~6号機のうち、
4号機も水素爆発を起こして建屋を大きく損傷しました。
 東京電力では、福島第一原発の4基のほか、第二原発の原発4基、
火力発電所6基も被害を受けて運転を停止。東北電力の有する原発全4基、
日本原子力発電の1基も震災によって運転を停止しました。
電力供給力が大きく損なわれたため、計画停電(輪番停電)が行われることとなり、
暮らしや経済活動に大きな影響を与えました。
 日本の原発は13ヶ月ごとに定期検査を受けることになっており、
震災で停止しなかった全国の原発も順次、定期検査のために運転を停止する一方、
国民感情や地元不安もあって定期検査後の運転再開ができず、
原発比率は低下していきました。

 ●第2期:エネルギー基本計画の作り直し開始、すべての原発が運転停止、
当時の菅首相が「エネルギー基本計画の白紙からの見直し」を指示し、
「原発への依存度低減のシナリオを描く」ことを第一の原則として、
閣僚らの「エネルギー・環境会議」が2011年6月に設置されました。
経済産業大臣の諮問機関である資源エネルギー庁・総合資源エネルギー調査会に、
有識者25名からなる「基本問題委員会」が設置され、
エネルギーミックスの選択肢を作るための議論が始まりました(私も委員の一人でした)。
この間も全国の原発は定期点検に入っても再稼働できないため、
原発依存度はどんどん低下していき、2012年5月5日には日本中の原発が止まりました。
同時に、電力供給を補う火力発電の比率が高まり、
燃料となる石油や液化天然ガス (LNG)の輸入が急増したため、
2011年、日本は31年ぶりに貿易赤字に転落しました。

●第3期:大飯原発の再稼働と反対デモ、エネルギー政策をめぐる国民的議論
特に原発依存度の高かった関西電力では、代替燃料コストが経営を強く圧迫するうえ、
節電効果を見込んでも約15%の電力不足になり、計画停電をせざるを得ない、
として再稼働を強く求めました。
 関電は大飯原発3・4号機について、従来の安全基準以上の災害などが起きた場合、
原発に重大事故が起こり得るかどうかを判定するストレステストの1次評価結果を提出し、
内閣府原子力安全委員会と政府も「妥当」と判断しましたが、
大飯原発に隣接する滋賀県や京都府など
近畿・中四国の7府県4政令指定都市が加盟する関西広域連合が強く反発し、
再稼働の動きは膠着状態となりました。
広域連合が5月末になって突然事実上の再稼働容認に転じ、
7月に大飯原発3、4号機が再稼働されました
(現在時点でも、日本で稼働している原発はこの2基だけです)。

 大飯原発再稼働に対し、多数の市民が反対デモに参加しました。
6月からほぼ毎週金曜日ごとに大規模なデモ集会が官邸前で開催されるようになりました。
主催者発表で約20万人、警察発表で約1万7千人が参加した日もありました。
7月16日に代々木公園で開かれた「さようなら原発10万人集会」には主催者発表で約17万人、
警察発表で約7万5千人が参加、
 これまでデモ活動は活発ではなかった日本での新しい動きとして大きな注目を集めました。
 2012年5月末、基本問題委員会が提出したエネルギーミックスの選択肢案をもとに、
エネルギー・環境会議が6月末に最終的に3つの選択肢を国民に提示、
8月中の最終決定をめざして、「国民的議論」が展開されました。
 広く国民からの意見や声を集めるための「パブリックコメント」、全国11カ所での「意見聴取会」、
そして新しい試みとしての「討論型世論調査」が行われ、
「2030年までに原発依存率をゼロにする」選択肢が、
討論型世論調査では47%、意見聴取会の参加者では68%、
パブリックコメントでは87%といずれも他の選択肢よりも高い支持を集めました。
 この結果を受けて、エネルギー・環境会議は9月14 日に「革新的エネルギー
・環境戦略」を決定しました。冒頭に「原発に依存しない社会の一日も早い実現」と明言し、
「40 年運転制限制を厳格に適用」「原子力規制委員会の安全確認を得たもののみ、
再稼働」「原発の新設・増設は行わない」ことを原則として、
「2030 年代に原発稼働ゼロを可能とするよう、あらゆる政策資源を投入する」ことを決めました。

 ●第4期:政局の混乱により、エネルギー政策や原発のゆくえも混乱 
この「革新的エネルギー・環境戦略」に対して、
産業界や原発立地地域から強硬な反対意見が噴き出しました。

強い反対勢力に、9月19日の閣議では
「革新的エネルギー・環境戦略」自体を閣議決定することができず、

参考文書の扱いとなりました。
 その後は基本問題委員会も開催されなくなり、
エネルギー政策をめぐる動きが滞っているうちに、
衆議院総選挙が執行されることになりました。
 民主党は「2030年代に原発稼働をゼロにする」ことを公約に掲げ、
第三極のひとつとして発足した「日本未来の党」も「卒原発」を基本原則にするなど、
原発が論点のひとつとなりましたが、
自民党は「10年以内に電源構成のベストミックスを確立する」として、
原発に対する中長期的な方向性は出しませんでした。 

●第5期:自民党政権となって、原発ゼロ見直しへ
選挙の結果、
野党第一党の自由民主党が単独で絶対安定多数(269議席)を確保する294議席を獲得し、
公明党の31議席と合わせて衆議院再可決が可能となる3分の2を超える325議席を獲得し、
政権を奪還しました。
 12月26日に発足した第2次安倍内閣は、2013年1月末に、民主党政権が掲げた
「2030年代の原発稼働ゼロ」目標をゼロベースで見直す方針を示し、
経済産業省ではエネルギー基本計画の議論を3月をメドに始めることを決めました。
これまで議論を進めてきた(私も委員を務めていた)基本問題委員会とは違う
有識者会議を設定するとしています。
 現在の日本の電源構成は、
原発が2基のみの稼働で2.7%、水力6.2%、再生可能エネルギー0.6%、火力が90.6%です。
 電力会社の経営はLNGなどの燃料コストの激増により悪化しています。
電力会社10社の2012年4~9月期連結決算をみると、原発を保有する9社のうち、
8社が最終赤字となり、原発比率が高い会社ほど赤字が大きくなっています。
すでに電力料金の値上げに踏み切った東京電力のほか、4社が値上げ申請を出しており、
特に産業界を中心に「電力料金が上がると、利益がすべて飛んでしまう」
「日本での事業が続けられなくなる」といった不安・反対の声が高まっています。


2.22.福島原発告訴団「東京地検包囲行動」

●今後につい
 原発がほぼ止まっている一方、
再生可能エネルギーは日本が最近になって
やっと本気になって政策支援なども始めたものであるため、
当面はまだ原発の代替をするほどの規模にはなりえません
(10年前に始めていたら、今頃は電源構成の一翼を担えていたのでしょうに!)。
また、短期的には省エネが最も有効な解決策であり、元が取れる投資ではあるものの、
この初期投資をバックアップするという観点での政策支援は現時点では十分ではありません。
 朝日新聞社が2月16・17日に行った全国定例世論調査(電話)によると、
原発の今後について5択で聞いたところ、
「すぐにやめる」が13%、「2030年より前にやめる」は24%、「2030年代にやめる」は22%、
「2030年代より後にやめる」122%で、「やめる」は計71%、「やめない」は18%でした。
 原発事故への不安や政府・事業者の対応への不信感が払拭されていないこともあり、
「原発のない将来」を望む声が変わらずに大きいものの、
当面は原発を稼働しない分は代替火力に依存せざるを得ません。
年間3.2兆円もの調達コスト増が電力料金値上げを通じて
産業界や暮らしに与える影響への懸念も高まっており、
再稼働への圧力も増しつつあります。
政府は「原子力規制委員会が今年7月に安全基準を出すことになっており、
その基準に基づいて安全性が確保された原発は再稼働する」というスタンスです。
 原発のゆくえ・エネルギー政策については、
「短期的にどうすべきか」と「中長期的にどうすべきか」の議論を分け、
折り合いをつけながら進めていく必要があると私は考えています。
電気料金値上げはデフレ経済から脱却しようとするアベノミクスの足を引っぱってしまう、
という議論も一理ありますが、
一方で、大飯原発の再稼働が「この夏の電力逼迫を乗り切るために必要」と押し切られたものの、
そのまま稼働が続いている状況に、原発慎重派は「短期的な必要性で再稼働を認めると、
なし崩し的に原発推進につながっていくのではないか」という不安・不信を抱いています。
 3月に立ち上がるというエネルギー基本計画を議論する新しい会議体にはぜひ、
全体像を国民全体で共有しながら、
短期・中長期の必要性の折り合いをつけていけるような議論を期待しています。
 (枝廣淳子)

 ※メールニュースの引用・転載は出所を添えて、ご自由にどうぞ

(枝廣淳子の環境メールニュース http://www.es-inc.jp)************************************************************


2月農的若衆宿2013耐寒を終えて

2013-02-22 | 共生社会のデザイン
こんにちは、風の学校スタッフの金杉です。
去る2月16~17日に農的若衆宿(通称:若衆)が行われました。
若衆とは季節ごとに敢行される合宿で、
大人数で集中的に作業をするほか、
「若衆」の名の通り若いメンバーや参加者中心に
仲間を増やし結束を強めることをねらいとしています。
今回は冬になので耐寒若衆なのです。
だだっぴろい見沼の寒風吹きすさぶなか、
春からの本格的な作物づくりに向けて、主に農園整備に励みました。
主な作業内容をご紹介します。

〈竹の子防衛線>ですね。
竹の子の根がお隣さんの畑に侵食するのを防ぐ防衛線として、トタン板を埋めました。

写真はその際に邪魔な桑の木を抜こうと奮闘中。

<桜の木の伐倒>
チェーンソーを使用しての伐倒。スタッフで農家の人見さんの講習により、
2日間で2人のチェーンソー女子が誕生しました。

<歩道整備>農園では車イスでも通行できるように枕木を敷いているのですが、
凸凹しておりましたので整備。
一旦枕木を外し、写真のように砂利等を敷いて平らに。

<その他>
この他に薪小屋を建てたり、野焼きを行ったり、
ヒバの移植、馬糞堆肥の搬入などパワーを要する作業を実施。
また、夕食後には<夜の勉強会>を開催。

まず、団体として参加してくれた農工大有志団体「やそはち」、
「ぱれっと」元理事長谷口さんと共に恵比寿でコミュニティー作りを目指す黒澤さん、

キャラクタービジネスで会津木綿を世界に発信する折出さん、

風の学校で互いに活動の経緯・内容を自己紹介。

その後、様々な話しが飛び交いましたが、
場に人が集まり、活動が活発になるためには?という問いが伏流していたかと思います。
ひとつに人の多様性に魅力を感じる人が多く、
職場や大学のなかで凝り固まった考えがほぐれる、
色んな人に会えるということが好奇心をそそられるという初参加の方もいらっしゃいました。
そんなこんなからにじみ出る、楽しい!
オーラが人を呼び自然と盛り上がっていくのではないか、
面白いことをどんどんしていこう、というこれだけ聞くとかなり安直な話に感じますが(笑)、
と同時にこれしかないのかなと思ったり。
それにしても今日集まった団体・プロジェクト同士の連携の話も浮上していまして、
いよいよ面白いことになりそうですよ。
農園はイベント時以外にも毎週末行われていますので、遊びにきてくださいね。
イベントに比べてゆったりとより自由に楽しめるかと思います。
改めまして、
今回の耐寒若衆2013に参加してくださった総勢29名のスタッフ
・参加者の皆様ありがとうございました!

これより、スタッフ・参加者の声コーナー~
初めて若衆に参加しましたが、なぜか懐かしいような感覚を火を囲むなかで感じました。
いま思うとそれは風の学校のみなさんのその場で起きたこと、
初めての参加者がいるからこそ起きる新しい発見、
視点の変化を楽しんでいこうという気持ちによるものだと僕は思っています。
とても楽しかったです。またよろしくお願いいたします。
参加者/近藤君

若衆の16日17日を乗り越えた皆様、お疲れ様でした。
私は16日で帰ったので、若衆の夜を過ごすことができなかったのが残念でなりません。
今回の若衆では、薪棚設置班に配属。カオスともいうべき、
雑然と置かれた枝を整理し、プレハブ小屋の裏に薪を置くための棚を設置する班です。
最初はあまりにも大量の薪の前に、一日で終わらないと思っていた作業も、
リーダー純三さん率いる薪棚班6人力を合わせ、何とか午前で小枝の始末は終了。
あとは、棚となる作業台的なやつを置くだけ。
楽勝、楽勝と思いきや、あまりにも支えが華奢なので、
補強のため6本の杭を足がくる部分に打ち付け
少々の底上げを図りつつ棚を杭の上に置く形にすることが決定。
他のメンバーが黙々と枝整理の仕上げをしている中、杉で杭を作成。
サイズは地上部100センチ、地中部50センチで計150センチ。
いざ打ち込みを開始するが、これがまた入らない。びっくりするほど入らない。
最後は、ささったままの杭をチェーンソーで
ぶった切る農家得意の現場合わせで何とか薪棚設置完了。

こうちょっと作業を振り返ってみると、
いつもは冬作業よろしくのひたすら穴掘りをする一遍作業が多かったのですが
なかなか動きの多い作業だったと思います。
ただ、目の前の作業をこなすだけでなく、次のことを考えながら動く。
そして、その段取りがビシッとはまった瞬間は何とも言えない小気味よさがありました。
使った道具たちの調子も良かったのも、気持ちよく作業できた要因の一つかと思います。
 
代表がアップしてくれた作業動画を見ていると、みんなの力強い作業をみて、
若衆での一体感の片鱗を垣間見たような気がします。
感想考えつつ、動画を見ながら若衆の同時多発的作業を全体で捉えて考えるのも、
自分の中では初めての感覚で面白いなと思いました。
 
日が落ちてからは、たき火を囲みながらの取りまとめ。
自分の番終了後、
三十路を迎える私の誕生日を祝っていただき感謝の気持ちで一杯でした。
みなさん、ありがとうございます!!
四十歳になっても祝ってもらえるように頑張ります。
スタッフ/栗原さん

寒い中での作業が大変なのと同じように、かじかむ手で料理をするのも一苦労でした。
イベント時の料理長は何度か経験して慣れてきたつもりでしたが、天候や採れる野菜、
人数が違えば勝手もずいぶん異なります。
柔軟なアイディアと創意工夫が大事なのだと改めて感じました。
スタッフ/山田

初めてイベントの統括をやらせていただきまして感じたことは、
次々と起こる状況の変化にいかに対応できるかということです。
あらかじめ準備は準備としてしっかりしつつ、そこから変わった時、もっと柔軟に動けるか。
予定をなぞるのではなく、リアルタイムの現場でやった方が良いこと、
やるべきことに素早くシフトできるか。そこに活動の醍醐味がある気がします。
今回、自分の動きはとても固いものでしたが、
この状況がどんどん変わっていくという肌触りを感じることができただけでも、
次の柔軟な動きへつながると思えますし、たぶんそうでしょう。
あとは程よい疲労感で焚き火をみんなで囲むのは格別な気分ですね。
色んな人と心地よい時間を共有できて素直に嬉しいです。
これからもどんどん繋がって、できた関係性が太くなっていけばいう事ないですね。
最後に耐寒若衆開催にあたり、関わっていだたいたすべての方に感謝申し上げます。
スタッフ/金杉

2月20日見沼さいたま市&市民ネットワーク運営会議へ

2013-02-22 | 季節の便り
見沼ネットの会長、副会長は2年ごとに改選が行われる。
来年度から役員の検討が運営会議で行われ
私は、5年半つとめたさいたま市の見沼ネットの会長を降りることに、

新会長は見沼ふれあい散歩の会の野代さん(写真左)、
副会長企画部会長は西高斜面林の会の中村さん(写真中央)
もう一人の副会長ホームページ部会長は
グランドワークin芝川の梶間さんに決まる(写真右)。
会長は立候補したので即決。
副会長の二人は私が指名させてて頂いた。

実を言いうと私は市の担当者の要請で代表を引き受けた経過があり、
そうしないとまとまらない事情があったようです。
今回行政の調整ではなくメンバーの力で人選が出来た。
良い人に引き受けいただけたと思っています。


2月18日 宮城角田の友人が上京し農林水産省へ

2013-02-20 | 龍神伝心

2月18日宮城角田の友人が上京し農林水産省へ。
政権が変わってどうなるのかに興味があり、
上京した友人に会いに神楽坂へ

「政権が代わって農業政策どう変わるのか?感触をつかむのが目的です。
意見交換を主にした有意義な時間でした。
経営局のみなさん技術官のみなさんありがとうございました。

結果、今更ながら、政策が効を奏するかは、
当事者の自分たちが未来に向かって動き出すか否かです。
地域の就農者の年齢をはじめとした現状をみれば、
地域の将来ビジョンのコンセンサスを
早く創らなければと強く感じてきました。
単作ではなく、地域複合経営の形を完成させる事は、
水田農業の合理化には近道の様な気がしています。


「農家から農業経営者」「量から質」への転換が
本格化する事を実感する再会だった。


2月16日17日 耐寒農的若衆宿開催される

2013-02-19 | 共生社会のデザイン


【作業内容】
第1農園
・今泉さんとの境界線の除草/2日目朝。
・ヒバばの移植/1日目午前
YouTube http://www.youtube.com/watch?v=ZurDdORQ8ME
・一番端のエリア(堆肥置場と麦の間)で野焼き/2日目午前
・石灰撒き/2日目午後

第2農園
・竹の子防衛線/1日目午前~2日目午前
新たにトタンを入れたり、邪魔な桑を抜いたり、
竹の子が嫌うというヒバを移植。防衛線完了。

YouTube http://www.youtube.com/watch?v=K9q2kiOmtVg
・清水さんとの境界線掘り/2日目午前堆積した土を浚いました。

桜の木伐倒/1日目午前

道路脇の桜の木を何本か伐倒。切ったものを薪置場へ。
YouTube http://www.youtube.com/watch?v=mWfL-iGecP8

第3農園
・大根収穫/1日目午後
・堆肥置場切り返し/1日目午後
馬糞搬入/2日目午前~午後


その他
・薪小屋建て/1日目午前~午後

薪が置ける棚が完成。屋根はまだなのでブルーシートで覆い。
・薪割り/2日目午前
・粉砕機メンテナンス/2日目午前
・枕木(シャッター小屋前歩道)整備/2日目午前~午後
枕木の下に砂利を引き、凸凹解消
・乾燥小屋整理/2日目午前腐ったジャガイモ処分。
・栗原さんと常さまのお誕生日祝い

YouTube http://www.youtube.com/watch?v=mMvOEt7HKm4
歌と玄米餅とケーキを送りました

料理

・ずいきご飯/一日目昼食
・肉ジャガ/1日目昼食
・おでん/1日目夕食
・卵をおいしく炒めたもの/2日目朝食

夜の勉強会(一部)
・各団体の自己紹介、見沼・風の学校発足の経緯の共有

農工大耕作グループ やそはち
発足には授業で学んだ内容が本当に農業に活かせるのか疑問をいだき、
人見さんのところで実践し始める。体を動かして学ぶこと、
体得することの重要性。人見さんに頼ってばかりの現状。
組織が特定の人に依存してしまっていることについては論点化せず。

恵比寿プロジェクト

地域コミュニティーのつくり直し、
目黒と角田のように都市と地方地域をつなげることを目指し、
発足。恵比寿のなかにいては都市の面白さが見つからず、
地方の面白いことに着目。谷口さん邸を開き、地方との繋がりを形成する。
福祉農園はその一つとして連携がとれたら、面白いのではないか。

面川友人の折出さん

福島大熊町からの会津に避難している婦人達が作る
会津木綿のテディベアの販売促進を行う。
起業し自らが惚れ込んだ会津木綿の発展に奔走。

風の学校
2002年ごろに発足。
最初は無理やり連れてこられたこっぺさんが友人の面白がる姿を見て、
農園に関する認識が変化していった。
徐々に人が集まり、活発化。
初期は自由奔放、荒唐無稽の限りを尽くしていたが、
農業者大学校のメンバーとの出会いを機に、農業とちゃんと向き合うように。

TouTube http://www.youtube.com/watch?v=BoIKH0tdi2k
・語り合い。様々な内容が話されたが、場に人が集まり、
活動が活発になるためには?が根底に通じていた。

非営利団体の運営の難しさ営利団体より運営が難しい。
本業が別にある場合がほとんど。
初期には新鮮だった体験や感動に慣れが生じることによって価値を見失うことも。
任意の活動だったはずが義務感が増大し、「仕事」のように。

強み/良さ(特に風の学校)
多様な人がいることは多様な考え方があることであり、
往々にして本業の場所は考え方が凝り固まりがちになるため、重要。
好奇心により来た初参加者でその源泉は色んな人に会うことだという声も。
基本的だが、「楽しい」が人を呼ぶ。
「楽しさ」の源として人の多様性のほかに発展性を実感すること
(ex.以前から皮むきしたずいきをずいきご飯という形で味わう)
世間的には再発見だが、
若い都市生活者にとっては新発見ができること(ex.焚き火の偉大さ)
場があることで個人のもつ技術や知見がより多くの人の役に立つと同時に共有され、
一人でもっているだけの状態より価値が高くなることなどが挙げられた。

代表より

風の学校は目的のない野性のテーマパーク。
目的はないが、後始末をすること、
植えた種に対して責任をもつことの2つだけは忘れてはならない。

・畑会議(第2部)
第一部が延びたため、主要作物の担当だけ決めることに。

社会人女子区画主にナス科担当。
毎週面倒を見ることが難しいと予想されるため、区画を超えて協力する。
ジャガイモ、なすコンパニオンプランツとして周りにソルゴー植える)
トマト(コンパニオンプランツとしてニラか葱を周りに植える)あまとう
三十路区画→さといも(たねイモの出来をチェックする)
若者区画サバキャンを視野にいれつつ色んな作物を。
オクラ、キュウリ、かぼちゃ、スイカ、モロヘイヤ、みょうが、赤しそ、しょうが

【感想】YouTube http://www.youtube.com/watch?v=-kTYdCw-Mes
年末の寄合で統括を任命されてから、
始まる前までそわそわしていましたので
無事に2日間が終われてほっとしています。
統括は実際に作業することは少ないので、
体の疲労はすくないのですが気を揉んでいたので、別種の疲労感がありました。
ミスや不手際はありましたが、形にはなったのではないかと思っています。
耐寒若衆の目的として、春に向けた農園の整備と仲間作りということでしたが、
竹の子防衛線や薪小屋作り、
枕木の整備などさらに農園の環境が向上したと同時に
新スタッフの近藤くんはじめ若衆の名通りに若い参加者が集まって
意義深いものになったのではないでしょうか。
また、やそはちや谷口さんとの連携を今後もとりつづけ
互いに人が行き来するようになれば一層面白くなりそうで、わくわくしています。


感想は書けばまだまだあるのですが、

今一番思うのは統括をやらせてもらってよかったということです。
準備段階から会議や電話、メーリスでのリプライといった直接のアドバイスはもちろん、
スタッフも参加者もそれぞれの立場で協力していただいてこそあの場、
あの時間があったのでみなさんに感謝したいです。
よい経験をさせていただきまして、ありがとうございました!
byかなすぎ


超越国境 北浦和ふれあい通り商店街 春節の祝い

2013-02-13 | 季節の便り

閉塞感漂う東アジアそんな空気を吹き飛ばせと
超越国境のもと行われた
北浦和ふれあい通り商店街で行われた春節のお祝い

先ずは餃子作りから、指導は龍勝麺館店主と息子さん



刀削麺の技法を披露する店主さん


明治学院大学ボランティア学8北浦和魅力発見PJが開催。
龍刀削麺海鮮館
そして北浦和西口ふれあい通り商店
街の核店舗のみなさんの協力により実施。


            ラクビーに青春を捧げた魚屋かね吉 の若旦那も参加


北浦和3.11を忘れないプロジェクト2013

2013-02-13 | 風の備忘録 
 北浦和3.11を忘れないプロジェクト2013

平成25年F-3月11 日(月)17:30-20:30を予定

(雨天・強風の場合は中止します)

協力店・ポランティア募集 

 JR「北浦和」駅西口ロータリーから西方向へと続く、
「北浦和」のメインストリート「ハッピーロード」と呼ばれる通りが、
「北浦和西口銀座商店街」である。 
 
 く作り方ノペットボトルを集められる方は一緒に集めて下さい。

(無理な場合は木部で用意します)

ペットボトル(無地)の上部をかソトします。

ペットボトルはくびれて無い形状のものを使います。
水を下部に入れキヤンドルを浮かべ、点火します。

(キヤンドルと着火ライターは本部で用意します)

各店でl0~20個程度、全体で500~1,000個位

今年の3月11日で東日本大震災から2年が経ちます。

各地で追悼式典等が行われると思いますが、北浦和の街においても、
あの震災を忘れない活動を商店街で追悼を兼ねて行いたいと考えています。

商店街で、ペットボトル(無地)の中にキヤンドルを灯し並べ
「3・11」「忘れない」「祈り」等の文字も作り、

街ゆく人々が東日本大震災の日を思い出して
なにかを感じて頂ける場を作りたいと思います。
皆様のご理解とご協力、
そして多く方々が参加頂けますようお願いします。

 
 北浦和西口銀座商店会

北浦和・忘れないプロジェクト2013   幹事ブロッサム三宅佑樹

協力・ボランティア希望者は、ブロッサム・かね吉・ワードローブ・ファインズまで


双葉からの便り

2013-02-12 | 風の備忘録 
舩橋淳さんのFacebookから抜粋を転載いたしました。
舩橋淳さんは、東京、谷中に住む映画作家。
「フタバから遠く離れて」「Nuclear Nation ニュークリア・ネイション」
「Deep in the Valley「Big River」 「echoes」を監督。
2007年9月に10年住んだNew Yorkから谷中へ移住へ。
日米両国で作品を制作している。  
 
2月7日井戸川町長の退任式が、旧騎西高校の避所で行われました。
町長は「避難途上において町長職を辞めるのは断腸の思い」
「今回の事故は人類の事故で、日本だけでなく世界の事故だ。
苦しい財政再建を乗り切って、町が良い方向に向いたときに発生し、
原発は残念ながら壊れてしまった」と語
りました。

... 辞職の理由については、大元にある原因は、
避難基準が1mSv であるはずが、国は20mSvとし、
その差に納得できず国へ抗議・交渉している間に、
町の中で軋轢が生じ、そんなことはいいから一刻も早く賠償を進めろ、
復興を軌道に乗せろ、という町議員との対立を生んだ、ということです。
町長は「自分の信念に逆らい、
福島県内のいわき市に役場移転を決めたことを反省している」ともいいました。
今は福島県内に残っている双葉町民と
福島県外に避難している双葉町民の価値観が対立し、
その狭間に町長と町議会が挟まれ、引き裂かれてしまったのだと思います。
そして、避難生活が長引けば長引くほど、この対立は根深くなる。
一刻も早い救済が望まれます。

井戸川町長は「あの放射線レベルでは、福島にはいまは住めない」という前提で、
国民を守ってゆくべき、という考
えは絶対に曲げないそうで、
今後は福島のこどもを守って
ゆく活動など、
被爆から国民を守るための活動を広くやっ
てゆきたい、とのことです。

式の終わりに、校門前ロータリーで花束の贈呈、町民の見送り、挨拶がありました。

涙を浮かべる町民に囲まれ、撮
影している報道陣まで泣いていました。
本当に惜しまれながらの祭典でした。

まずは、井戸川町長にお疲れ様でした、と申し上げたいと思います。
1月後半に入院して以来、休みを取っていなかったので、
充分身体を休めていただきたい。
そして、本人が仰っていたように、被爆を強いられている福島の人々、
特に子どもたちを被爆から守る、という次の
使命に向けて起動していただきたい。
放射線・被爆についてずっと培った知識と、国・官僚・県・東電の中枢と渡り合った経験から、
きっと被害者の救済
に役立つキーとなる人物になってゆくと思います。
僕自身は、井戸川さんを応援しつつ、
あくまで双葉町に寄
り添って撮影を続けてゆくつもりです。

以下、報道です。
http://news24.jp/articles/2013/02/07/04222715.html

春節 超越国境 日中友好の春 

2013-02-11 | 季節の便り

「すべての国境を突破せよ」でお馴染み
大日本山岳部 総帥 安西直記

埼玉県の北浦和商店街において行われた、
日中友好親善を念頭に置いた
地域活性化計画「あったか中国大晦日」に、参加いたしました。

この取り組みは、
明治学院大学准教授猪瀬浩平氏と、
同大学の中国人留学生呉慧英さんを中心とした学生グループが立案し、
北浦和商店街の中華料理店「龍勝麺館」並びに「海鮮館」の協力を得て
旧正月の大晦日を商店街の方々も一緒に祝い、
交流する目的で行われました。
また、この席上、一般社団法人全日本水鉄砲協会が本年夏に行う、
関東大会の開催候補地に、北浦和が名乗りを上げることも決まりました。

超越国境の理念の元、
我々は猪瀬浩平氏をはじめとする多くの方々と共に、
独自の地域活性化計画を全国で展開してまいります。

猪瀬浩平 プロフィール
http://on.fb.me/Y1FtXd
龍勝麺館
http://tabelog.com/saitama/A1101/A110102/11025260/
海鮮館
http://tabelog.com/saitama/A1101/A110102/11006322/
by大日本山岳部 総帥 安西直記




2月10日 来週は農的若衆宿2013冬

2013-02-10 | 農作業

来週は農的若衆宿2013冬耐寒
今日は準備のため統括責任者の金杉君、
2013夏のサバキャン実行委員長諒君などと打ち合わせを行った。


【作業内容】・プレハブ小屋整理 ・ゴボウ収穫&種まき
・ホウレン草植えつけ ・大根収穫

【各区画状況】
・第1農園:区画の一畝に二列ホウレン草植えつけ。
畑の奥のスペースに袋×3つを立てその中にゴボウの種をまきました。
日差しが暖かくあさつきなど野菜に元気が出てきたようでした。


3農園:あまりうまく育たなかった大根を収穫しました。

ちひろさんがバレンタインの手作りのケーキ、
ブラウニーを焼いてくれました。


作業を終えて作業取り纏め


【感想】
畑以外の周囲の環境に目を向ける必要性が挙げられました。
藤枝さんの畑を見て、どんな作物を植える時期かがわかったり、
第1農園ののり面が溝から土を
上げたままのため盛り上がってしまっていたり
盛り上った土は定期的に畑に戻すことが必要。
周囲に目を向けることで様々なことがわかってくるということでした。
以上です。byかなすぎ


2月9日 バリアフリー自転車に出会う

2013-02-10 | 農作業
作業内
第1農園
・溝のわきの除草・剥がれてしまった玉ねぎマルチを掛け直す



三嶋さんの自転車講座


2013年2月10日
埼玉の東浦和にある「貝沼たんぼ福祉農園」を見学。
猪瀬代表から成り立ちを聞く。
埼玉県の見沼田園の公有地化事業から
借り受けた農地活用の一環としてはじまり、
行政の中で、
人の繋がりが生み出した稀有な例だという印象を持った。
「貝沼風の学校」の寺床純三さん、
学生の塩田千春さんが農園を案内してくれた。
時間をかけて、空気と水と土の循環、
そして人の流れを作ってきているからか、
いい感じの空気感だ。見学後、全員で218KamelJに乗った、
皆のからだが、自転車に浸透し、徐々に見沼の地に下りていく。
楽しい。ありがとうございました。by三嶋 鋳二


 ◆感想
冬の作業は私にとってまだまだここを
やらなきゃと気付ける作業が少ないなと思いました。
目に付きにくいが冬だからこそできる仕事を
私自身もっと気にかけられるようになっていきたいです。

三嶋さんの自転車講座は区切られた中を様々な決まりの元、
自転車で一周するという単純なものだったのですが、
とても楽しかったです。


三嶋さんは目の見えない人や障害のある人も、
危ないからと遠ざけるのではなく、
健常者と一緒に自転車に乗ってみるということが
大切だと言っていました。


以上です。byちはる