blog 福祉農園通信・龍神伝心

アジアモンスーンに吹かれて
共生の農業
見沼田んぼ福祉農園 

2007年8月26日 見沼・風の学校 事務局引越しの日

2007-08-27 | 農園作り
見沼・風の学校の拠点事務所が以下に移転する。
住所:
330-0064 さいたま市浦和市岸町4-17-3
電話:048-832-5572
今日は引越しの手伝い。
写真左は事務所から出たごみ。ごみ処理場に持ち込んだが、日曜でお休みのため、ごみ処理は27日に変更。

ごみ処理場からの帰り、引越しの日も農園では作業が行われているので農園に立ち寄る。
植松君をリーダーに城田准教授と教え子さんなどが除草作業をしていた。 耕作をやめて半年、原野に戻った対岸の畑。
引越しが終わり会食、そして新しい事務所で思い出の日記を皆で読む。
引越しが無事終わり神社に感謝の祈りを行う。

2007年8月25日 見沼残暑

2007-08-25 | 農作業
作業は除草、ワケギの植え付けなど。サバイバルキャンプが終わると学生たちは故郷やゼミ合宿などへ。週末の農園は少しさびしくなる
来年、開園10周年を迎える植えた樹も大きくなった。 改修が終わった農機具小屋の中
ちょっと淋しい昼食

2007年8月24日 それぞれの夏休み

2007-08-25 | 季節の便り



南越谷駅頭の
わらじの会のメンバー
わらじの会は,
障害のある人もな人もいっしょに街の中で生活していこうと、
30年前から活動している。
良太氏、
福祉農園の仲間
『わらじの会』 の夏合宿に

写真左は良太氏が卒業した県立高校の先輩
良太氏は養護学校高等部ではなく
県立高校を卒業している
班長の野島さんと良太氏。 野島さんに「おばさんになったね」と声をかけたら野島さんは豪快に笑い返してきた。
電車で移動組は車椅子利用者用
エレベーターを使て電車乗り場へ
良太氏担当がジャンケンに負けたため、
今回は大好きな電車ではなく車で草津へ 
残念!
車に乗り込んだ良太氏
そして草津へ

2007年 08月 13日 上田假奈子blog日々生きる現代文学より

2007-08-25 | 風の備忘録 

埼玉見沼の福祉農園で草むしり

朝五時前 空がようようあかるくなりはじめたころに起き上がる。
テントで眠ったのは何年ぶりだろうか。

井戸のポンプをおして顔をあらい、歯磨きをする。
山の向こうから朝がやってくる。

見沼についたのは昨日の昼過ぎ。
トランクに着物サングラスといういでたちは農園にいた人々を驚かしてしまったようだ。
なにをするのか、なにをしにきたのか、
あんまりよくわかっていなくて衝動で見沼にやってきた。
この日は,福祉農園における、
風の学校サマーキャンプ7日間の初日。
学生や障がいをもつ人たちが、
それぞれの作業にいそしんでいる。

 大阪で猪瀬くんに出会ったのが去年、
 この若者が農園代表の息子だということをしり、
その話をきくにつけ興味をもった。
東京に行くからと告げておしかけてきたのだった。
 料理の手伝いをしたり、
休憩時間に芝生のところで詩のワークショップをしたり、
 草むしりをしたり、近所のおうちに、お風呂をかりて、
 ミーティングに加させてもらったり、
 ともかく暑いが草むしりがたのしい。

 お釜と薪で炊いたご飯はおいしい、
 若者たちがとてもいい感じで、みんな個性がある。
 中学生から大学生 就職した
20代もいる。
 都心から25キロでこんなすばらしい自然があるなんて、信じられない。そして 都心にあるたくさんの大学から、ひじょうに意識の高い学生たち若者たちが集っている。近所の人も、そんな彼らを見守ている。
 これまでの道のりは平坦ではなかったようだ。行政の担当者が変わったことで存続の危機にもあった。
農機具の盗難にもあった。
 夜の勉強会では、見沼田んぼの歴史を教えてもらい、いまここにあるこの場所が
アクションをおこした人々のおかげ、それに協力してきた人たちのおかげなのだとわかる。
 今日の昼前に 近所のおうちにお風呂をかりにいき、着物にきがえて 駅までおくってもらう。 新幹線は帰省ラッシュ。大阪につくと、もっと暑かった。
視覚障害をもつ白井くんがココルームに遊びに来ていて、釜ヶ崎夏祭りをのぞきにいいった。また今日から 釜ヶ崎の夏祭りがはじまる。 
上田假奈代(闘う詩人・詩業家)1969年奈良県生まれ
 3歳より詩作、17歳から朗読をはじめる。各種イベント企画制作、ワークショップを手がける。
「ことばと声を人生の味方につけよう」と呼びかけ、活動を行なっている。
96年から、視覚障害者や高齢者、一般社会人、親子、大学生、中高生向けの詩のワークショップに取り組む。
04年から、現代文学との共同作業「BOOKS ARCHIVES」(朗読録音アーカイブス)を行なう。
異ジャンルとのコラボレーションやトイレ連込み朗読、ぽえ茶会シリーズ、
寝っころが詩朗読など、独自のリーデグスタイルを展開している。
朗読CD「あなたの上にも同じ空が」、「詠唱・日本国憲法」などを発表。
大阪フェスティバルゲートのcocoroom・特定非営利活動法人こえとことばとこころの部屋代表、
APM代表 http://www.kanayo-net.com
blog日々生きる現代文学::http://booksarch.exblog.jp/


2007年8月19日 サバイバルキャンプ2007を終えて

2007-08-19 | 農園作り
サバイバルキャンプ2007が終わり若者たちの声が一時遠ざかった福祉農園。
終わることのない夏草との戦いのつかの間の休戦が訪れていた。
除草剤を使わない福祉農園の畑はこの1週間、若者たちの労力によって雑草が取り除かれた。それでも、一週間もしないうちに夏草が押し寄せてくる。

農業を知る人は、除草剤を使わずに営農を続ける福祉農園に高い評価を与えている。

「農政栄えて農業滅びる」そんな現実が未だにある。
2003年12月10日9時半頃 於)さいたま市役所農業委員会へ
→ 県から、「第一農園に建てた小屋のことなどについて、農業委員会からクレームがきている」との話があったが、どうか。
農業委員会:問い合わせは特に来ていない、初耳だ。事業主体が県なので、県が直接対応するはず。
→ 県から管理経営委託を受けて、五年間農園をやってきたが未だに耕作権がない。今後のことを考え農家資格を取得したい。
農業委員会:まず機具・技術が必要。さらに農地法の許可。50アール以上の土地を得るために、地主との賃貸契約が必要との事。
12月10日10時頃於)さいたま市役所農政課
◎ さいたま市農業政策課高埜担当(当時)に会う。
→ 埼玉県から、福祉農園のことでクレームか来ていると聞きましたので来ました。
さいたま市農業政策課高埜担当(当時):遊休農地活用の先進事例として評判だったので3月に見学に行った。先進事例と評判の農園にコンクリートの基礎のある強固な建物が建っていた。農地法に違反するので、県の担当の方へ、ちゃんと指導するように申し入れをした。県からは、「団体が直接管理運営しているので、市で対応してほしい。問題の建物は福祉農園代表が勝手に建てたもの」との回答だった。
農業的な土地利用をすべきところに、コンクリートで基礎を打った強固な建物、プレハブ小屋やシャッターのついた物置のような堅固な建物があるのはまずい。福祉農園の場所は、農振法に基づく農業振興地域なので、ああいう物は建ててはいけない。
→プレハブ小屋は県が設置したもの。あの場所は農地転用しているのでは。
さいたま市農業政策課高埜担当(当時):県の方で、地目転用の法的手立てが取られていない。そのため芝生広場に関しても、芝の育成をしている、と解釈せざるをえない。ホームページに、堂々と「芝生広場」として利用している様子を、恥ずかしげもなくホームページに載せているが、あそこは農地であり「広場」として利用は違法だ。
福祉農園の場所は、農振法に基づく農業振興地域なので、建物は作れない。県は農振地区域を指導する権限がない。農政の最大の課題は、食料自給率の向上である。農振地区は食糧生産するための場所である。大きくゾーニングし食料生産に利用すべき場所である。
県が法的な処理に関してしっかり体制をとるには、一度更地に戻し、県が買い上げて再整備し直す方法しかない。もっと早く行政側でこの問題を取り上げていればこのような事態にもならなかった。ああ言う事件を起こすいい加減な人(=土屋前知事)と相川さん(現さいたま市長)が仲良しだったから許可したのだろう。今まで行政もこのことに目をつぶっていた。
市民農園は市街化地域内に作るもので、農振地区には作るものではない。県土地水政策課は計画性が無く責任を持って事業をしていない。
→農業委員会は「クレームは特に来ていない、初耳だ。事業主体が県なので、県が直接対応するはず。」と言っているが。
さいたま市農業政策課高埜担当(当時):回答なし
→指摘の建物意外に、農機具を置くための小屋を私たちで作っているがその方はどうなのか?
市農業政策課高埜担当(当時):農具など農作業をするための道具を置くための物であればあまり問題はない。問題なのは強固な建造物のことだ。

2006年2月21日午後5時55分に、さいたま市農政課の高埜主任から電話が入った。
毎日新聞に掲載された、見沼田んぼと福祉農園に関する記事に関して取材を受けたのかを聞かれ、そして毎日新聞は事実と違う記事を書いているので困惑しているといった内容なので話を聞くと、記事の中の「『プレハブ、この物置、すべて農地法違反。ホームページに堂々と写真を載せて、よく恥ずかしくないね』と言われた。」という部分に関して、「よく恥ずかしくないねとは言っていない。」と同意を求めてきた。
記事は毎日新聞の取材によるもの、記事に関することは毎日新聞に聞いてくれ、ただ高埜主任が問題にしている記事の内容を裏付ける記録が私の手元にあること、高埜主任の問題発言を聞いているのは私だけでなく複数いることを伝えた。
「この問題が表面化すると、困るのはあなた方だ、こうして新聞の記事にすると問題にせざるを得なくなる、意見書を出さざるを得なくなるいいのか」などと発言していた。
夕方の慌しい時の電話であった。初めは質問の意味が理解できなかった。福祉農園は違法との認識があるのなら埼玉県に対して行政的手段でも法的手段でもとるように、権力を傘に法律をチラつかせ、県と市民が協働で行っている見沼田圃保全事業の協力者を脅すようなことはやめるように諭して電話を切った。
耕作者主義の原則
農地法の基本は「耕作者主義」、不在地主を一掃し田畑を耕すものに農地を与えよとする「農地解放」を支えた法律、戦後民主主義の礎になった法律である。
見沼田んぼ内の農地はほぼ全域農振地区である、県は見沼田圃公有地化推進事業を行うための拠点施設を設置するため農振地区に於ける市民農園の開設を可能にするため農林水産省関東農政局と調整し、了解を得ている。また農水省は、そのための要項の変更も行っている。
私は県から福祉農園の運営を依頼された時、県の担当者に農地法や農振法など問題はすべてクリアーしていることを確認している。
2006年2月21日の電話で、市農政課高埜主任は福祉農園の関わる件で、埼玉県知事に農振法に基づく「意見書=勧告」を市長名で出すと言っていた。「意見書」が出されたのかを確認するため、県の見沼担当に3月中旬に電話をした。県見沼担当は「さいたま市から意見書は出ていない」。との事だった。
さいたま市農政課高埜主任(当時)は、さいたま市長名で埼玉県知事宛の農振法に基づく意見書(=勧告1)を出すことが出来るのだろうか?
プレハブ小屋や芝生広場のある敷地の一時転用の許可を出したのは浦和市長、現在のさいたま市長の相川氏である。
市農政課高埜主任が「違法」と問題にしていた「強固な構造物」は、埼玉県知事が、1999年3月、都市計画法に基づいて相川旧浦和市長に計画通知を行い設置したもので『違法』なものではない。計画通知に許可を出したのは浦和市長、現在のさいたま市長の相川氏である。
農地法の許可権者は埼玉県知事であり、福祉農園は知事が設置した農園である。許可権者である知事が決めた農用地の利用は許可不要案件でもある。
まして、県と関係市が策定した「保全・活用・創造の見沼田圃基本方針」、農地法、農振法を前提に運営している福祉農園を告発することが出来るのだろか?
見沼田んぼ福祉農園を9年間、毎日耕し続けてきたのは、福祉農園の主人公、障害者たちである。彼らは未だに農家資格を与えられていない。
就農者の確保は農政最大の課題である、さいたま市農政課高埜主任(当時)は、何故、耕すものを耕し続けるものを犯罪者へと落とし込もうとしたのか?

2007年8月18日 炎熱見沼サバイバルキャンプ無事終了

2007-08-19 | 農園作り
完全燃焼のサバイバルキャンプ2007
最終日も堆肥の搬入は行われた
HONDAの香川さんも参加したサバイバルキャンプしめの話し合い

無終了しホッとした表情のメインスタッフ
夏だぞイエィー暑いぞイエィー伸びるぞイエィーの夏草体操
サバイバルキャンプ2007の中で生まれた体操