blog 福祉農園通信・龍神伝心

アジアモンスーンに吹かれて
共生の農業
見沼田んぼ福祉農園 

特別な市民として、敬して遠ざくべき対象となる者として

2016-07-30 | 農作業

共に学び・働く―「障害」というしがらみを編み直す
http://yellow-room.at.webry.info/201607/article_5.htmlより

津久井やまゆり園の事件―「障害者のためのインフラ整備」の背後で問われる「異なる他者」

http://yellow-room.at.webry.info/201608/article_1.html


  「世界が平和になりますように」という障害者大量殺人直後のメッセージ

 



ここに示された優性思想は、
1970年青い芝が「母よ!殺すな」と訴えた、
横浜での障害者殺しの減刑嘆願の当時の優性思想とは、
比べ物にならないほど膨れ上がっている。

 決して犯人の特性に帰してはならない。
分ける教育、分ける福祉、分ける労働が、
私たちの社会をここまで連れてきてしまったのだということ。

 津久井やまゆり園を神奈川県が作ったのが、1964年。
高度経済成長に対応した「労働力不足」に対し、
農村からの出稼ぎや集団就職が促進された時代。
 さらに家庭生活を支えてきた女性たちを育児、
介護をはじめとする家事から解放し労働力とする流れが進む中、
家の奥でひっそり生きてきた重度障害児者に対し、
「光」が当てられた(「この子らに光を」さらには「この子らを世の光に」 )。
津久井やまゆり園は、その先駆けのひとつだった。
 この「光」は、さらに1970年代を通して拡がり、
国、都道府県レベルで山奥の大規模コロニーへの隔離・収容施策につながってゆく。

 

 同じ流れが、1979年の養護学校義務化だった。
これまで「就学猶予・免除」を親から申請させ、家の奥での暮らしを強いてきた国・自治体が、
一斉に養護学校をつぎつぎと新設し、
地域の学校で学んでいた子どもたちも一律に養護学校へ移るよう強制し始めた。
 とはいえ、1981年の国際障害者年、その後の国連障害者の十年を通.じて、
こうした分ける施策は必ずしも成功しなかったといえる。
 その要因としては、オイルショックに示されるように、
日本の高度成長は終わりをつげ、長期不況の時代が始まったことが挙げられる。
画像

 

 また、地域で共に育ち、共に学び、共に働いて生きてゆきたいという取り組みが、
全国いたるところで噴出した。
 こうして、大規模隔離収容の路線拡大は阻まれたが、
分ける施策は新たな路線を準備していた。
教育の分野では、普通学級で学びながら週1回ないし数回、通級する制度が導入され、
これには反対もなく、年々利用者が増えていった。
そして、ずっと減り続けていた養護学校、
特殊学級の生徒数が再び増加に転じるのが、1995年前後。
それからは、少子化により地域の学校は廃校が増えても、
特別支援学校(養護学校)、特別支援学級(特殊学級)は増え続ける。
 このように、山奥への隔離ではなく、地域の中で分ける流れが、進んだ。
2000年の社会福祉の基礎構造改革と介護保険、
そして2004年の改革のグランドデザインと2006年からの障害者自立支援法の大嘘!
 「介護の社会化」、「施設から地域へ」、「福祉から一般就労へ」と銘打ちながら、
実際はなんだったのか?!
 けっきょくは、福祉の市場化と、非正規労働力の創出が一挙に進み、

地域の中できめ細かな分類処遇が拡大した。
そして、津久井やまゆり園のような、昔からある山奥の隔離施設も解体されることなく、
新たにセンター的な位置づけを与えられてしっかり残っている。
「あかんねん」と言われた養護学校も、
なんと「インクルーシブ教育システム」の中で、地域の「センター的役割」を与えられて。
 「母よ!殺すな」の時代は、山奥の隔離施設しかなかったから、
かなり重度の障害者も街の中で働いていた。
差別に満ちた現場ではあったが、差別をかわしたり、ごまかしたり、
時には闘うすべも身に着けた。
相手も、いじめやからかいもしたが、時には怒りの反撃にあい、
つきあい方をいやおうなしに身に着けた。
青い芝の横塚さんも、生家の土地の一角で養鶏場を営んだと聞く。
ある自閉症の少年は、毎日学校帰りに自転車屋へ寄って、
主人の修理や組み立て作業を暗くなるまで眺めていて、
卒業後に弟子入りすることになった。
 そんな地域にも受け入れられず、家の奥でひっそりと、
時には縛られたりもして生きていた重度障害者がおり、その家族の負担を肩代わりし、
本人も死ぬまで安心して生きられる場として、
津久井やまゆり園のような大施設が作られたのだった。
 ひるがえって、現在は市場化された福祉が市場競争を通してさらに市場拡大を進める中で、
「地域の施設化」と言うべき状況が生じている。
そこでは、障害の状況や家族の状況、自治体の方針等も含めて、
地域の中できめ細かに生きる場を分け隔てられる。
 障害の特性や本人のニーズに合った個別支援という名目で、
一人一人が独立した人格としてではなく、
支援があって人格たりうる存在として位置付けられる。
かってのようなあからさまな差別は影を潜めた代わりに、
支援者なしでは対等に付き合うことができない、
特別な市民として、敬して遠ざくべき対象となる。
 津久井やまゆり園で犯人が選んで襲ったという
「意思疎通できない人」というイメージこそ、
この「個別支援の対象者」としての視角からの人工的産物だ。
だから、このイメージは、巨大施設・やまゆり園という場だけでなく、
施設化された地域のあらゆる場面で再生産されるだろう。
 なにを考えてるのかわからない、しゃべらない、まったく動かないように見える子どもに、
一緒にいる子どもがちょっかいを出す。そして笑う。
次の瞬間には、その子を忘れて、他の子と遊び始めたり、けんかしたりする。
あの子がそっちをみつめる。意志疎通とは、そんなすったもんだのことだ。

 以下は、津久井やまゆり園の事件の日、
7月26日(火)に、
まだ事件のことをあまり知らなかった
筆者をはじめとする「絵日記の旅」一行がたどった「すったもんだ」。
以下葉、facebookにUPしたもの。


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 盲ろう下肢マヒの橋本克己画伯、褥瘡の手術を終え加療継続中。
絵日記の旅一行は、本日も画伯ご託宣を忠実に守り、
春日部へ行き帰路に画伯を見舞う。
マドンナ達と手と手を合わせ、満面の笑みの画伯。
その様子を見て、隣のナースステーションから、
「気晴らしになるわね」、「少し視えるの?」、
「少し聴こえるのかしら?」と看護師さんたちがかわるがわる。
今日も電源OFFのTVにつなげたイヤホーンを装着している画伯に、
不思議不思議という様子だったらしい。
画像

 


 1Fで行きと帰りに通院介助中らしきヘルパーのMさんに会い、待合室で障害者の親Iさんに会う。
Mさん、「あらもう帰るの?」
たしかに10分ぐらいの面会時間だけど、絵日記の旅7人の存在感は十分。
 後から母ミツエさんに電話で報告したところ、
明日傷跡の処置の指導を受けに行き、明後日退院予定とのこと。
 本日は、画伯の前に、精神科病院長期入院中のKさんにも久しぶりに面会してきた。
かなり腰が曲がり、何度も「ボケちゃった」と口にしていた。
かって退院促進の候補として紹介され、絵日記の旅にも一時参加していたのだが。
 2006年以降、「入所施設から地域へ」、
「精神科病院から地域へ」、
「福祉施設から一般就労へ」という目標が、
常に福祉計画の柱としてたてられてきたが、うさんくさい感じがしてならない。
 「福祉施設から一般就労へ」という目標については、
就労移行支援という新たな通過型施設を作ってしまった。
これまでの授産施設や更生施設にあたる
就労継続Bとか生活介護から一般就労へというならわかるが。
けっきょく実績はほとんどが就労移行支援からで、
しかも全国平均では就労移行支援利用者の3割くらいにすぎないのだから、
国の計画自体が羊頭狗肉というしかない。
 その国の作戦に動員されて就労移行支援サービスを立ち上げた事業者の中には、
稼げるときに稼いで、潮目を見てさっと資本をひきあげようという事業者もいるだろうが、
まじめに就労移行支援をしようとする事業者に対し、
本来なら職場実習やトライアル雇用等を地域の事業所が受け入れやすいように
国が自治体を通し地域の企業への支援等の環境整備をしなければならないのに、
カネ以外は何も支援しない。
 以上のことについては、稿を改めて述べるので、これくらいにしておく。

 精神科病院からの地域移行について考えると、
病院としては「まず受け皿を確保して地域移行」という発想に行ってしまう。
下図もそれを示している。
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 筆者が関わっているグループホームに
精神科病院のケースワーカーが電話してくる際、
「いま空きはないが、見学はいつでも受け付けているのでどうぞ」と答えると、
それで連絡は途絶えてしまう。

 地域で暮らすということは、
さまざまなリスクや迷いを経験しながら周りとの関係を築いてゆくことだ。
精神科病院のスタッフもそのプロセスにまきこまれながら
支援のあり方を変化させてゆくことこそ地域移行のひとつの要点だとつくづく思う。

 絵日記の旅でつきあってきたKくんの場合も、
長期入院者が外へ出れば、
禁止されてきたことを一挙にやろうとして周りとトラブルになるし、
周りは病院スタッフとは異なって人によりさまざまな対応をする。
そこでもまれながら折り合いをつかみ取ってゆくしかない。
それを旅の仲間としてつきあいながら、一緒に試みてみようというのが、
絵日記の旅。

社会的入院の世界と街の間には、みえない大きな断絶があることを、
病院スタッフも時には一緒に体験して感じ取ってほしかった。
Kくん自身、疲れて、外へ出られなくなり、
参加が途絶えてしまったが、そういう波を含めて、移行のプロセスとして、
病院からも地域へ出てゆく姿勢を保てないものか。

 そういう姿勢がないままに、受け皿ばかりを求める発想が、
病院敷地内グループホームとか、病棟転換型施設につながっていると考える。by山下浩志


7月18日「海の日」休日農作業

2016-07-19 | 農作業

ゴミ捨て@大崎クリーンセンター
・プレハブ調理棚前水洗い

・除草・ゴーヤ2苗・さつまいも6苗

・ハラペーニョ2苗の植え付け


・日曜日の震度4の地震の影響で、
食器や調味料等が床に落ちていました@プレハブ。
さらに、醤油が床に大量にこぼれており、
水で洗い流す等の掃除をしました。
地震の影響でプレハブで物が落ちていたので、
農機具小屋を恐る恐る気をつけ乍ら開けましたが、
こちらは影響はなさそうでした。
土曜日にできなかった除草を気の済むまでやれたことは、
本当に爽快でした。byマリブー


7月16日 4週間ぶりの農作業

2016-07-17 | 農作業

4週ぶりにの農園は一面雑草が埋め尽くす、
罪悪感と共に刈り払い機を回す、

珍しく土日の作業でようやく一周廻るもハンマーナイフモアーはまた来週
初茗荷とキュウリ、ハバネロ、ジョロキュア、ハラペーニョを収穫する


やっと地面を出し雑草に追いつく、今週は人数も多く達成感あり。
来週再度耕転して秋の植え付けまで土作り


7月12日 わらじの会 手作り班

2016-07-12 | 農作業



口を開けば『あっつ〜』しか出なかった今日、
手作り班はめげずに農園へいきました。
茄子やトマトがどうなっているか?も気になるところだったのですが
今日の目的はなんといって『デストロイヤーの収穫』...
花はまだあったけれどさすがにもう収穫しないと…ということで掘りおこしました🎵
そうそうそう🎵


これがデストロイヤーなのよねぇ〜って笑いが出るくらいの見事なデストロイヤー。
数は少なかったけれど…満足のいくものが出来ました。あとは味ですね。
2〜3日ほど乾かして追熟させてから食べてみたいと思います。
トマトも真っ赤にていて写真を撮る前にとっとと食べちゃいました。

茄子は驚くほど大きなものができていたので収穫


チョロギも元気一杯。
さつま芋もすくすく育っております。

Fちゃんが蒔いた『なんかわからない種』は素麺カボチャだということが判明
カボチャじゃなかったなぁ…カボチャはどれだろう???
そしてゴーヤはヒョロヒョロだけどちゃんとネットに絡まっていました。

いんげんも蔦をのばしていました。
そしてそして…
デストロイヤーに続く私のえこひいき植物は『ルバーブ』収穫できるようになるまで
2年ほどかかるのですがどうしても作ってみたかったんですよねぇ。
上手にできたらみんなで美味しいジャムにして食べましょう
さて、次回は…早ければ来週かな?
私とY子さんは巡業団で行けないのですが…💧
そして再来週は藍染となります。体調に気を付けていきましょう



7月10日 週末作業

2016-07-12 | 農作業

芝刈り、
サトイモ周り除草、夏野菜(ししとう、なす)収穫 

お昼づくり、

イエローラズベリー収穫、ハーブ園除草、通路マットウラ除草  

この日は晴れて、日差しが強かったのですが、風もあり、
都会の暑さと違って農園の暑さはやわらかいと感じました。
今年は猛暑と言われていますが、どうなんでしょうか。
それでは、また農園で。

7月9日週末作業

2016-07-10 | 農作業

プレハブの整理、ーデンテーブルの修理、乾燥小屋の整理
(玉ねぎとじゃがいもに雨がかからないよう避難)、

乾燥小屋の整理。
雨漏りからタマネギとジャガイモを守ってくれた。
シシトウとトマトが自分の重さで倒れていたところ、補修してくれた。

脚が壊れていたガーデンテーブルを修理しました。

高くなって、足が入りやすいようになってます。
ただボルトが内側に少し出てしまっているので、
ケガしないよう、今度工夫します。
まりぶが作ってくれたサモサが大変美味しかったです。

雨のため、昼を食べて帰ろう、みんなで話していたのですが、
午後から雨が止んだので、結局午後も作業しました。
一日通してまったりと作業していましたが、
それぞれ気にかけていた作業ができて、とても充実してました

夏野菜の手入れ

倒れたトマト棚の修復、ナスは先週棚を作ったのでセーフ。

昔のテーブルは10年前に作られ、蘇りました!

キャプテンの技(ボルト)に改めて感心する。


宮城県角田市地域おこし協力隊募集要領

2016-07-04 | 季節の便り


業務概要

① SNS等を利用した地域の情報発信による交流人口・移住者の増加推進。
② 自然豊かな里山を利活用した地域プロデュース。
③ 地域資源を活用したイベントやグリーンツーリズム事業の企画運営。 ...
④ 加工品開発の支援や農産物の販路拡大と、新たな地域資源の発掘。

募集対象

(1)次の①~③のいずれかに該当し、採用後は角田市に生活の拠点を移し、
住民票を異動できる方(委嘱を受ける前に既に住民票を本市に異動し、市内に定住及び定着している方を除く)
①3大都市圏または政令指定都市のうち、いずれも条件不利地域指定の対象区域外に現に住所を有する方
②3大都市圏内の一部条件不利地域で、条件不利区域以外の地域に現に住所を有する方
③本市以外の自治体において、地域おこし協力隊員として2年以上活動した経験があり、かつ、解嘱から1年以内の方
※「3大都市圏」とは、埼玉県、千葉県、東京都、神奈川県、岐阜県、愛知県、三重県、
京都府、大阪府、兵庫県、及び奈良県の全ての区域
※「条件不利地域」とは、次のいずれかの指定地域を有する市町村
・過疎地域自立促進特別措置法 ・山村振興法 ・離島振興法
・半島振興法 ・奄美群島振興開発特別措置法 
・小笠原諸島振興開発特別措置法 ・沖縄振興特別措置法
※その他詳しくはお問合せください。
(2)平成28年4月1日現在で年齢が20歳以上、39歳以下の方で、
心身共に健康で地域協力活動に意欲と情熱があり、地域住民と積極的にコミュニケーションを図れる方
(3)地方公務員法第16条の欠格条項に該当しない方
(4)普通運転免許を取得している方(AT限定可)
(5)パソコン(ワード、エクセル等)の操作ができる方
(6)任期終了後も本市に引き続き定住する意欲のある方

募集人数

2名

勤務地

宮城県角田市西根地区

勤務時間

(1)勤務日:月曜日から金曜日までのうち原則週4日(月16日)以内
 (原則土・日・祝日は休み)
(2)勤務時間:午前8時30分から午後4時45分
 (1日7時間15分、週29時間)
  ※夜間、土日等の勤務が生じた場合は代休措置とします。
  ※年次有給休暇があります。
  ※所定の月の労働日数又は労働時間を下回った場合は、その分減額となります。

雇用形態・期間

(1)角田市の非常勤特別職(地方公務員法第3条第3項第3号)として、角田市長が委嘱します。
(2)初年度の任用期間は、委嘱の日(平成28年9月1日)から平成29年3月31日までで、
次年度からは年度毎に委嘱できるものとし、最長3年間とします。
(3)協力隊員としてふさわしくないと判断した場合は、
任用期間の途中であってもその職を解くことができるものとします。

給与・賃金等

報酬(月額) 166,000円
   ※報酬月額から社会保健料等の本人負担分が控除されます。
   ※賞与、諸手当なし。

待遇・福利厚生

(1)社会保険(健康保険・厚生年金・雇用保険)に加入します。
(2)地域協力活動に使用するパソコン、車両等を貸与します。
(3)住居は、角田市が斡旋した物件に居住する場合に限り、家賃は無償で入居できます。
ただし、光熱水費等は個人負担となります。
(4)生活や通勤の移動手段として自家用自動車等は必要不可欠ですので、持込みをお勧めします。

申込受付期間

2016年05月25日~2016年06月30日(まだ、募集しています)

審査方法

1.応募方法
 (1)受付期間
   平成28年5月25日(水)から平成28年6月30日(木)まで必着
 (2)提出書類
   ①角田市地域おこし協力隊員応募用紙
   ②住民票の抄本
   ③運転免許証の写し
   ④個人番号カード又は通知カードの写し
 (3)提出方法
   提出書類を角田市役所総務部政策企画課まで直接持参又は郵送
 (4)提出・お問合せ先
   〒981-1592 宮城県角田市角田字大坊41番地
    角田市役所 総務部政策企画課 協働交流係
    電話  0224-63-2112
    FAX  0224-62-4829
    Mail  seisaku@city.kakuda.miyagi.jp
2.選考
 (1)第1次選考
   書類選考の上、結果を7月上旬に応募者全員に通知します。
 (2)第2次選考
   第1次選考の合格者を対象に7月中旬に面接試験を実施します。
   (日時、会場等の詳細については、第1次選考の結果通知の際にお知らせします。)
   結果については、7月下旬に全員に通知します。
   なお、第2次選考のために必要な交通費、宿泊費等は個人負担となります。

参考URL

http://www.city.kakuda.miyagi.jp/seisaku/pages00182.shtml

お問い合わせ先

角田市役所 政策企画課 協働交流係
〒981-1592 宮城県角田市角田字大坊41
TEL:0224-63-2112 FAX:0224-62-4829
URL:http://www.city.kakuda.miyagi.jp/seisaku/pages00182.shtml


7月2日 週末作業

2016-07-03 | 農作業


【作業内容】
農園全体(へり)の刈払い。

ハンマーナイフモアでの除草。

芝刈り。

◆第1農園じゃが芋残り収穫→ラッキーで耕耘。
南側の徹底的な除草→石灰撒き→ラッキーでの耕耘。

トマト誘引と病気で枯れたもの撤去。

ナスに棚をつけた。

マイクロトマトの植えつけ。
野菜の収穫(ナス・ニンジン・しし唐・オクラ・ニラ・春菊・じゃが・ルッコラ・etc)
その他

昼食づくり。

【感想等】
全体的に土が低くなっていて客土した方が良い。

樹木が高くなりすぎて混雑しており、
大きな幹も落とすなどの剪定が必要。

今日のヒヤリハット→扉が開いていた
農機具小屋に子どもがヒョコヒョコと入っていったのを井戸付近から
見かけていたにも関わらず「危ない!」と思わずにいたこと。

もう一人の大人が子供を引き留め、
「入ってはいけない」と教え、
農機具小屋の扉を開っ放しにせず扉を閉めるようになった。

来週は主に植え付けに向けた土の準備
石灰まき、完熟していれば馬糞堆肥投入、耕耘をしたいと思っています。
それと、栓が空いて余っている焼酎と唐辛子で害虫退治液を作りたいと思っています。

おつかれさまでした!