ボランティア学会2010白金原っぱ大会が無事に終わる。
自分は初日しかいれなかったが、久しぶりの再会もあり、
最近であった人と再会もあり、
まったくの新しい出会いもありとても良い時間だった。
当日はバタバタしていてゆっくり話すことは出来なかったけれど。
分科会1「障害(しがらみ)を編み直し、地に根を張る」では、
山下さんを筆頭にわらじの会劇団のパフォーマンス的な発表があり、
農園代表の農園設立からの流れの話しから福祉と農業、
そして山口力男さんが農園代表と出会った「いのちの祭り」の話しから、
牛の話、いのちの話へと展開していく、壮大な組曲のようであった。
はじまりは発言者としてお三方は前にパネリストとして座っていたのだが、
気がつくとそれぞれが
会場の思い思いの場所に座りながら発言をしていて、
誰もいない演台とそれをまったく意に介さず
盛り上がっていく話が印象的だった。
農園スタッフのさきちゃんが力男さんを農園案内した際に、
力男さんのその場での印象を
「福祉農園をすでに自分の空間にしている感じ」と言っていたが、
その日もそれぞれがまさにそういった感じで、
あの場は白金でありながら、
恩間新田であり、見沼であり、阿蘇であったなぁと思う。
いろんな重要な要素が多すぎて、
一言で表す力量はまったくないが、
なんとなく今思っていることは「原っぱ」というのは
別に失われているわけではないのだなぁということだ。
周りにあるどの場所も「原っぱ」になる可能性があり得る。
ただ「原っぱ」にするにはいろんなしがらみがあって
それを妨げれるということが多分にある。
それを恐れずに闘争(ふれあい)を重ねていくことが、
重要のではないかと思った。
じゃあ、「自分は何をしていくのか?」が当面の悩みだなぁ。
懇親会では、
こたねメンバーがそれぞれの分科会を自分たちの言葉で語り、
会場全体が各々で語り合い、
こまどり社が舞い、まさに「饗え」(あえ)の場だった。
「生きているうちは、おもしろおかしゅう生きにゃあつまらん」
今日見た映画で、
上関原発反対運動を28年間続けている81歳のおばあちゃんの言葉。
タフな言葉だなぁと思いつつ、
絶望の際にこそ希望を紡ぐ一言だなぁと身にしみた。byタツヤ
気がつけば「原っぱ」が広がっていた。 - てんと、
自分は初日しかいれなかったが、久しぶりの再会もあり、
最近であった人と再会もあり、
まったくの新しい出会いもありとても良い時間だった。
当日はバタバタしていてゆっくり話すことは出来なかったけれど。
分科会1「障害(しがらみ)を編み直し、地に根を張る」では、
山下さんを筆頭にわらじの会劇団のパフォーマンス的な発表があり、
農園代表の農園設立からの流れの話しから福祉と農業、
そして山口力男さんが農園代表と出会った「いのちの祭り」の話しから、
牛の話、いのちの話へと展開していく、壮大な組曲のようであった。
はじまりは発言者としてお三方は前にパネリストとして座っていたのだが、
気がつくとそれぞれが
会場の思い思いの場所に座りながら発言をしていて、
誰もいない演台とそれをまったく意に介さず
盛り上がっていく話が印象的だった。
農園スタッフのさきちゃんが力男さんを農園案内した際に、
力男さんのその場での印象を
「福祉農園をすでに自分の空間にしている感じ」と言っていたが、
その日もそれぞれがまさにそういった感じで、
あの場は白金でありながら、
恩間新田であり、見沼であり、阿蘇であったなぁと思う。
いろんな重要な要素が多すぎて、
一言で表す力量はまったくないが、
なんとなく今思っていることは「原っぱ」というのは
別に失われているわけではないのだなぁということだ。
周りにあるどの場所も「原っぱ」になる可能性があり得る。
ただ「原っぱ」にするにはいろんなしがらみがあって
それを妨げれるということが多分にある。
それを恐れずに闘争(ふれあい)を重ねていくことが、
重要のではないかと思った。
じゃあ、「自分は何をしていくのか?」が当面の悩みだなぁ。
懇親会では、
こたねメンバーがそれぞれの分科会を自分たちの言葉で語り、
会場全体が各々で語り合い、
こまどり社が舞い、まさに「饗え」(あえ)の場だった。
「生きているうちは、おもしろおかしゅう生きにゃあつまらん」
今日見た映画で、
上関原発反対運動を28年間続けている81歳のおばあちゃんの言葉。
タフな言葉だなぁと思いつつ、
絶望の際にこそ希望を紡ぐ一言だなぁと身にしみた。byタツヤ
気がつけば「原っぱ」が広がっていた。 - てんと、