blog 福祉農園通信・龍神伝心

アジアモンスーンに吹かれて
共生の農業
見沼田んぼ福祉農園 

11月14日市民による見沼の放射能自主測定

2011-11-15 | 共生社会のデザイン


朝、電話あり見沼南部領辻へ
見沼南部領辻自治会有志が行っている
ボランティア水田のお米を「見沼の新米を食べる会」のために頂く。

帰りに偶然出くわした市民による「放射能自主測定の集い」
風の谷農場の測定をするという
風の谷農場は以前から興味があったので参加させて貰う。

風の谷農場


11月13日 島岡幹夫さんから無事帰還との連絡あり

2011-11-15 | 農作業



若衆宿、お疲れ様でした。
 9時過ぎに高知県四万十町/有機農業者
島岡さんから無事帰還という連絡をいただきました。

講師の島岡さんの存在感と、魂のこもった語りが基軸でした。
そこにスタッフそれぞれの仕事が重なってとても濃い二日間になりました。 
 たけのこ防衛線をはじめとして、作業が進んだということが一つ。

島岡さんが残した野太い畝が何本も農園に残されています。

島岡さんをはじめとする様々な人々の問題提起によって議論が活発に起こり、
問題意識が深まったように思います。



 参加したスタッフ、支えてくれたスタッフの一人一人に感謝します。
原発事故によって、

あるいは原発事故前後のさまざまな種類の管理よって
多くの人が飼い慣らされていく状況の中で、
私たちの生き方を決めるのは、私たちで、
そのための研究と、議論を、如何に共同
しておこなっていけるのかが、
これからの風の学校の存在意義でしょう。
 なぐさめではなく、思い出の共有でも、傷のなめ合いでもなく、

深刻な現実を直視し、課題を共有し、
議論を重ねて志を共同し、これからの暮らしを、農園から、
見沼から、その周りの町からつくっていく……。
 風の学校は来年の1月で10年を迎えます。

これから先の10年は、
風の学校のメンバー一人一人のおもいの先です。
 そしてその一人として、自分は見沼に生き、

世界のあちらこちらにつながりたいと思います。
 これから、個人として、
風の学校の事務局長として、
さまざまな決断をしていきます。
 一人でもやりぬくつもりですが、
意志のある知恵と力をかしてもらえれば、
より面白いことが出来るだろうと思います。
by
見沼・風の学校事務局

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蚯蚓(みみず)と憲法9条

2011-11-15 | 農作業



1996年、
韓国で3度目の大きな原発事故が全羅南道霊光(ヨングァン)原発2号機で発生した。
温排水が大量に東シナ海に流出。
サバ、イワシ、アジなど沿岸魚とアワビなど貝類3万?が死滅する大惨事だった。
怒り震える地元漁民、住民を中心とした反原発の雄叫びの輪の中に私はいた。
その8年前、高知県民世論を二分した窪川原発闘争が推進派町長の誘致断念表明、
町議会での「原発論議終結宣言」によって封印されたことを受け、
窪川での反原発の闘いの先頭にいた農民の私は、
ノーニュークスアジアフォ-ラムの一員に加えられていた。
 窪川から霊光、光州への度重なる反原発の旅。
霊光、光州での私の演説は日本語、嫌、たぶん土佐弁だったのだろうが、
韓国の仲間たちはハングルでなくとも、私の体から噴きだす怒りを受け止め、感動してくれた。
農も林も漁もいのちを与えるものを壊すことは許さじ--。
農に生き続ける私にあらたな決意が生まれたときでもあった。
 そして、1998年、タイ、カンボジア国境地帯で地雷を踏んで年間に1000人が死傷、
その90%が農民であるという記事に触れた。
「なぜ、いのちを育む農民が戦火や苛政の犠牲になり続けなければならないのか」。
大地を守る会国際局から
タイ東北地方のコンケーン県バンタラート村への派遣要請があったのはこのころだった。
 東北タイはコメ輸出世界一の国を支える農業地帯。
その地のかつての姿は広大な森林に覆われ、深い森に棲むトラやオオカミが出没。
森林のもたらす肥沃な土地の恩恵を受けるスローフードの地であった。
その平和な風景を破壊したものがあった。
ベトナム戦争だ。 アメリカ軍の全面介入によって、
幅広い軍用道路が縦横に森林を切り裂き、北ベトナム爆撃基地が幾つも造られた。
南ベトナム反政府ゲリラの掃討に森林はなぎ倒され、
日本はその木材の最大の輸入国でもあった。
ベトナム戦争が東南アジア住民の沃地を収奪したのみならず、
日本の林業の構造的崩壊を呼び起こしたものであることを私は知らなかった。 
ベトナム戦争後、タイ農業が受けたのはアメリカ多国籍企業の収奪だった。
アメリカの支援の名の下に展開された農村近代化開発事業。
しかし、それによる芋、キャッサバ、ジュート、トウモロコシ飼料のメーズ栽培は土地をさらにやせさせた。
 広大な森林を切り開いたとき、それまで森林の生み出していた自然はどうなるのか。
水蒸気は消え、霧は発生しない。雲も湧かない。
夏期には南シナ海や太平洋からの湿った熱い風とモンスーンが激しい雨をもたらすが、
大陸から吹き出す冬の季節風は一滴の雨ももたらさないようになった。
長年、アメリカの支援の下に展開された焼き畑農業によって、
有機物を還元されない土地は太古、
この地方が入り江で海であった名残の塩分を白く吹きだし、
作物を育てることはおおよそ不可能にさえなっていた。
 タラート村で始まった私の農業講座に、
現地の村長は「島岡農業塾」の名前をプレゼントしてくれた。
農家各戸にため池を掘る。
ため池の周囲にバナナやジャックフルーツ、パパイア、マンゴーなどの果樹園、
野菜園を育て、池ではテラピアやナマズ養殖。
牛、豚、鶏の家畜飼育、水稲かんがい。
「立体農業」の展開だ。高知から持ち込んだ野菜の種が豊かな恵みに変わり、
釣具屋さんの協力得て集めた釣り針と釣り糸が活躍する、
村の開発委員会が私の用意した資金を管理して、
ため池を掘るための島岡基金とした。
私が行く度にちょっとずつ増える島岡基金とともに笑顔が増える村人の表情こそ農の役割、
平和の意味を教えてくれた。
 日本はかつて利権を求め、覇権を求めて韓国、
中国をはじめ東アジアから東南アジアにかけて侵略戦争を行い、
2000万人の命を奪い、日本という地域に住む330万人の犠牲も伴った。
しかし、敗戦後60年をすぎても、次第に大きく聞こえるようになってきた軍備増強の声は、
軍国主義のいらざる芽としか思えない。
クラスター爆弾や劣化ウラン弾によって破壊され、
戦車や重火器車両によって蹂躙され、軍靴に汚された土地に人類の糧は育たない。
 農民は食を育て、緑を守る人類の守護者と自負する。
大地の地中にあって、有機質を食べ、体中から分解酵素を出し、
樹木や稲や大根や野菜など作物の根の繊毛が吸収できる糞(栄養分)を供給してくれる蚯蚓(ミミズ)。
爆弾によって、戦火にさらされた土地にミミズは棲むことはできない。
 9条が私を行かせてくれたタイの奥地は老いを感じ始めた私の体に新しい試練を与えてくれている。
私が窪川で有機無農薬栽培をはじめて30年以上の時がたった。
いま、日本に住む人たちがやっと気づき始めた食の大切さ、
食の安全--幸せに生きるには何が一番必要なのか。健康もすべては食から、農から。
農はミミズの存在から。ミミズは戦火なき平和の土に生きる。
こんなメカニズムを多くの人は忘れていないか。あるいは知らないのか。
ならば、知らせねば。ならば、声を大きくしよう。「9条こそミミズの生みの親と」


島岡幹夫(しまおかみきお)さんのプロフィール
1938年高知県高岡郡四万十町生まれ。
近畿大学法学部(二部)中退。大阪府警察官を経て、25歳から農業を営む。
1975年に表面化した窪川原子力発電所建設計画の阻止へ立ち上がり、
窪川町原発反対町民会議代表として活躍。
1987年、推進派の計画断念に持ち込む。
原発阻止闘争と同時期から有機・無農薬農業に全国のリーダーとして取り組む。四万十町在住。
高知新聞ブックレット『9条 しあわせの扉』
(2008年11月、高知新聞社から刊行)に論稿「タラート村の光景」が収載。
蚯蚓(みみず)と憲法9条