日々随想

日常の生活環境で活動したことや、感じたことを日記風に書いてみましょう

黄櫨(はぜ)の木と私

2008-10-31 21:03:14 | Weblog
<2008.10.31>

秋深まると赤くなる黄櫨(はぜ)の木は、季節感があるが私はこの黄櫨の木がきらいである。
この木の灰汁(あく)に負けるからである。

子どもの時から山の中で育っていた割には、この黄櫨には弱かった。
この木に触ったら勿論のこと、この木の下を通っても露出している「腕」や「顔」「首筋」が何となく痒くなった感じがした。

気付かずにそのまま、搔いたりしていると時間と共に「つぶつぶ」が少しずつ増えていき、痒くてたまらないのだけど、どうしようもなく最悪はれ上がってしまう始末である。

子どもの時は、こんな時には「油あげ」を焼いて患部にこすりつけて最後にこれを食べると良くなると、おふくろから教えられて都度最後は食べたものである。

大人になり都会に出てきて、しばらくはこの木とも縁が薄く忘れかけていたわけであるが、ここ数年散歩道にこの黄櫨の木が、春は新緑を秋には紅葉で元気に灰汁をまき散らしており、何回か「つぶつぶ」が出る一歩手前まで来たことがある。

従って最近は黄櫨の木の近くを通ったと思ったら、家に帰ってすぐ石鹸で露出部を入念に洗うようにしてこの災難から逃れるようにしている。

きれいな色づきの黄櫨の木なんだけど、近寄れないのが何とも残念ではある。


         <色づく黄櫨の木>


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山の雄姿

2008-10-27 12:21:27 | Weblog
<2008.10.27>

私が購読している新聞に由布院の街の学術文化発展に頑張っている方の自叙伝風の連載記事があって、毎日興味深く読んでいる。

この記事の中に、街のシンボルである由布山のことやその写真などが載っている。
山の頂上が大きく二股に分かれていて昔の噴火の跡を匂わせている姿である。

一方私が育った近くには、八面山という海抜600mくらいの頂上は長い平面であるが、鋭い絶壁をもつきれいな形をした山があり、私の心の故郷のシンボルでもあり、憧憬も抱いている。

多分由布院の街の人々も、街から見上げることのできる「由布山」の雄大な姿を毎日眺めては誇りとして生活しているだろうと想像される。

なぜ山はこのように私たちの心に、シンボル的に存在するのであろうか。
あの「ドッカ」とした地に足をつけた堂々とした姿に、自分の心の預けどころとして、嬉しい時また落ち込んだ時・・・・。
日々色々の場面で山と直に対面し、時には語りかけるとともに、その姿に感銘し勇気を貰っているからではないかと、私は思っているわけである。

全国的には「富士山」・・・・、九州では他に「阿蘇山」「桜島」「雲仙岳」etc、これらの山は人の心を勇気づける何かを持っている不思議な姿である。


          <雲仙岳の姿>




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一泊入院 睡眠時無呼吸症候群

2008-10-23 13:05:17 | Weblog
<2008.10.23> 

以前のblogにも書いたが、1年半前に無呼吸症候群と診断され「CPAP」という酸素補給マスクを付けて寝ている現状である。

そうした中実際に「CPAP」を付けて寝るとどのような効果があるのか、酸素の圧力が適正なのかをチェックするためこのほど、1日入院で検査をしてきた。

検査はもちろん睡眠時間中におこなうわけであるが、前準備としてたくさんのセンサーを身体に付着させるところから始まった。
頭のてっぺんから眼の上、喉、胸、腹と最後は足の脛であった。
(数えてないけど15か所くらいか)

ここで動作テストの時に初めて自分の脳波の動き(4つのセンサーであったので4本の波)を見たが、何となく脳波と対面するのが恥ずかしい感じがした。
自分の心の動きが波になって現れるているのでは・・・・と。
ただ時折ぐやぐちゃな波(意味は聞かなかった)があったが、あとは割合平穏な波が続いていたので安心した。

今度の検査の目的は、睡眠状態を計測するので眠らないといけないわけである。
これがまた厄介だなあと予想された。
(私は眠らないといけない、いけないと思うと眠れない性質である)
そこで睡眠薬を一錠9時30分頃飲んで、10時頃から測定用のマスクを付けて眠る体制に入ったが、予想通り寝付かれない。

「11時になっても寝付かれなかったら、看護師に言ってください」と言われていたが・・・・、とうとう11時が来たようである。
もうすこし呼ぶのを待とう、もう少し待とうと思いながら・・・・・。

看護師さんの呼ぶ声「起きてください血液を採りますよ」「何時ですか?」「朝の6時ですよ」

睡眠薬様のお陰でいつの間にやら、一回も目覚めずに朝を迎えたというわけである。

検査結果は、先生から詳しくは後日ということではあったが、「概ね良いようですよ」という話を伺って、一泊入院は終了し朝食後帰宅した。


          <最近の散歩道>

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料理(寿司)作り

2008-10-19 21:28:48 | Weblog
<2008.10.19> 

先日久しぶりに料理を作った。
私の大好きな食べ物の一つは、寿司である。

寿司であれば握り・巻き・いなり・ちらし寿司何でも好物であるが、作るとなると初心者でもあり何でもというわけにはいかない。

そうしたなか、ちらし寿司(どちらかというと混ぜご飯に酢を混ぜたもの)を作ってみた。

具として自分が一番これが寿司の味だと感じる「牛蒡」をまず考え、あとはこれも好きな「揚げかまぼこ」「しいたけ」を小さく切っていれた。
そのほか2・3野菜類を混ぜて味付けをしてあとは、別に炊いたご飯を「はんぎり」に入れて酢を注ぎ、炊いた具を入れて混ぜ合わせて出来上がりとなった。

女房と2人で食べるだけの量で良いので、大げさに「はんぎり」の中で作るまでもなかったわけであるが、寿司を作っているんだと言う実感を味わいたくて・・・・・。

味の方はまずまずの出来上がりとなり、もともと好きな寿司であるので腹いっぱい食べたかったのであるが、何しろメタボ対策中のため、茶碗一杯半ぐらいで我慢したしだいである。

最近料理の方が一寸ご無沙汰勝ちであるが、テレビでは頻繁に料理番組が放映されており、時々は「これは簡単にできるな」「これは好きな魚料理だな」など、ヒントは周りに一杯あるようである。

今度はあまり間をおかずに何かの料理にチャレンジして見よう。


       <はんぎりの中の寿司>

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蜘蛛の巣を多く見かける

2008-10-15 14:30:06 | Weblog
<2008.10.15> 

今年は蜘蛛が多いようである。
散歩の道すがら良く眼にする。

何日もそのままぶら下がっているもの、小昆虫を糸に引っ掛けて冬の餌にでもしようとしているもの、大きいもの・小さいものと種々様々である。
時折気がつかずにあのネバネバした糸に顔を突っ込むこともある。

蜘蛛はどのようにしてあのような糸(巣)を張るのだろうか?。
1~2m以上は離れている木の枝の間に張り巡らされている蜘蛛の巣、巣作りの途中を見た人はいるのだろうかと疑問を持ちながら眺めているところである。

ところで、この蜘蛛を私の娘や孫は非常に怖がる。
娘と孫は親子なので知らず知らずのうちに、親に見習っているのかもしれない。

私は子供のころから夏休みには、女郎蜘蛛を採って来ては細い棒に2匹並べて良く喧嘩をさせて遊んでいた。
こんなことや昔の物語にあった「カンダタ」という者が、救った蜘蛛の糸で地獄から極楽に這い上がる途中で欲を出したために、その糸が切れてまた地獄に落ちて行く話を聞いた記憶があるので、家の中にいる蜘蛛も含めてそう怖いとは思ったことはなく、むしろこの話を思い出してはどちらかと言うと可愛がる方である。

ただ一度噛まれたことがあったが、非常に痛かった指先の感触は今でも覚えている。


            <蜘蛛の群れ>

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生涯学習(終)

2008-10-10 21:51:49 | Weblog
<2008.10.10>

私の学習意欲は、50代を迎え徐々に軟着陸的になってきたが、今度は定年後さてどうするかということが、徐々に頭を横切るようになった。
ただこの時はまだ生涯学習などという意識はあまりなく、今までの経験を何か生かして独立した仕事がしたいなあと考えていたくらいであった。

一方丁度そのころパソコンが普及し始めた頃で、その時は定年近くになるともう手書きの書類は無くなるだろうとおぼろげながら回りを見ていた時期でもあった。
そこで一念発起して若い社員に教えを乞うてパソコンについて学習を始めたしだいである。
(パソコンとの出会いについては、本Blogにすでに掲載済み)

実はこのパソコンの学習が、私にとってのいわゆる生涯学習になったと言っても過言ではなかったわけで、たくさんの中高年の方々がパソコンに限らずそれぞれの趣味の分野で熱心に取り組んで姿を見るにつけ、私の学習意欲も除々に高まり現在にいたっている訳である。

先日私が講師をしている関係の1年間の公民館活動の修了式があったが、その中で受講生代表のあいさつの中で、「自分たちの生涯学習活動は、他人との競争意識でやるものではない、いかに続けていくか競争相手は自分である。」という言葉で締めくくった。

 私もその通りだと思い大きな拍手を送ったのであるが、年齢を積み重ねる中での生涯学習は、一日一日あるいは1年1年の変化に自分自身が感動し、これを糧に楽しみながら継続していくことであると思う。

またこころ(脳)に少しでも変化を起こさせ行動することこそ認知症を無縁にし、あるいは少しでも遅らせる源ではないかと思うからでもある。

以上4回にわたり社会に出てからの学び(学習)について、無頓着でスタートした50年前から、生涯学習にどっぷり浸かっている現在までの心の推移やいろいろな体験について記載して見た。



        <柿 色づく>



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生涯学習(Ⅲ)

2008-10-06 12:37:13 | Weblog
<2008.10.6>

会社においては、純技術的な仕事がメインではあったが必ずしもそればかりでは良い製品を設計することはできない。
特にチーム活動となると組織がうまく動くように管理面の技術も必要になってくるし、
これらについても日常新たに学習することも多々出てきていた。

このようなことを経験する中で、新しい場面に遭遇すると意識しているか否かにかかわらず、必ず「学ぶ」ことから始まっていった。
その学びが学問的であろうと、経験的であろうと、とにかく今まで自分にない知識をそこに蓄えていくわけである。

その時は気付かなかったが、今から振り返るに「経験を積み重ねる」という学びが特に役にたったようである。
勿論自分の失敗経験が一番役に立っわけであるが、先輩の失敗経験談や本に出てくる著者の経験話など参考になることが非常に多かった。

このような推移を経て私の心の中に、社会に出てからの学習への意欲が徐々に芽生えてきて、30代前半~40代後半にはいろいろ本を読んだり、通信教育などを受講して来た。
このことは自分にとっては、学ぶことは苦痛でも何でもなく、今までにない新しい知識(知恵)が、どんどん身についてくるという感動そのものであった。

振り返って見るに、高校卒業時何も感じなかった社会に出てからの学習についての認識が、20年間の経験を経ることによりこのように様変わりしていったわけである。



          <稲刈り真っ盛り>

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生涯学習(Ⅱ)

2008-10-02 13:49:57 | Weblog
<2008.10.2>

生涯学習に関係することを続けてみよう。

設計の仕事を始めて6~7年目くらいだったか、かなり経験も積むことができ若い設計員を指導する立場になってきたころ、会社の社員教育の一環で「中堅社員教育訓練」が1週間くらい仕事の実務を離れてあった。

当然のことながら、会社の経営状況の説明や幹部の方々の講和また中堅社員の役割など、かなりの量のプログラムが組まれた学習であった。
その中でその後の私の仕事のやり方に一番影響を与えたのは、「創造性開発」というプログラムであった。

それは私にとって、どちらかというとマンネリ化していた今までの仕事のやり方を、大きく変えるきっかけとなった。
多くの内容はあまり覚えてないが、特に印象的であったのは事象を多面的に視る(切る)重要性についてであった。
「物事には表と裏がある」「押してダメなら引いてみな」「縦・横から視る、行き詰ったら斜めから視る」、Etc。

設計の仕事は、昔から「無から有を出す」と言われているが、アイデアが枯渇しかかった時に、前述の「  」内の言葉などをヒントにした、物事を多面的に視るという内容は、以降の設計実務のみならず、その後色々経験した仕事においても大いに役に立ったと思っている。



        <紅葉の始まり>

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