日々随想

日常の生活環境で活動したことや、感じたことを日記風に書いてみましょう

ゴミの分別に想う

2023-02-25 05:18:14 | Weblog

<2023.02.25>

ゴミの分別方法は住んでる地域によっていろいろあるようです。

 

私たちの地域は、資源ゴミとは区別される、いわゆる燃えるゴミ(含むビニールなど)は全て、ゴミステーション経由市の焼却場に運ばれているようです。

 

一時期前までは、ダイオキシンの関係でかなり細かく分別していましたが、焼却場の改善で高温で焼却することが出来るようになり、かなりの物が焼却場に出せるようにはなりました。

 (このことが良い・悪いは別として)

 

一方で、瓶や缶・鉄ものなどは、月に何回かの収集日に分別を施して出しているわけですが、特に瓶についてはほとんどの瓶に『ラベル』が接着剤と共に貼られており、家庭から出す折にそのラベルを剥がすのにひと苦労してますね。

 

水にしばらく浸けておき、柔らかくなった折に剥がしたり、それでも剥げない時には『たわし』でこすったり・・・・と、(それでも一部剥げない時は目を瞑り・・・・)この作業にはかなり労力と時間を費やしますね。

 

しかしながら、使用済の瓶を良く見ると、ラベルが剥がしやすい瓶となかなか剥げない瓶があり、我が家の例で見ると大半が剥げにくく、水につけた後に『ごしごし』して『ラベル』を剥がさないといけません。

 

一方気の効いたメーカーの瓶のラベルは、接着剤に一工夫しているためか、ゆーっくり剥がしていくと『じわじわ』・・・・と、最後まできれいにはがれるので・・・・非常に気持ちがいいですね。

 

ワンタッチで『ラベル』を剥がし『スッポンポン』に透けて見える瓶を見るのは気持ちの良いものです。

 

省エネのこの時代、メーカーも作る都合のみを考えるのではなくて、最後に使い切った後のことにも想いを巡らせ、知恵を絞って製品化して欲しいものでありますね。

(瓶のラベルの例では、すべて素手で剥がせるようにして欲しい)

 

*何年か前にゴミ焼却場を見学した折、最後に係の方から

「流しの生ゴミは『もう一絞りして』ゴミ袋へ・・・・省エネになります!」

 の言葉は、流し台に向き合う都度 心しています。

 

家庭用ゴミの分別をおこなうにあたっての想いを綴って見ました。

 

<この瓶・・・・ゆっくりと手でラベルがきれいに剥がせる>

 

<水温む・・・・小鴨遊ぶ>

 

<近くの散策路の「河津さくら」・・・・間もなく開花か>

 


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山の温泉でひと時を憩った

2023-02-18 07:25:15 | Weblog

<2023.02.18>

先日近くの嬉野温泉で一泊してきました。

山合いの静かな場所にありました。

脇道が多い中、カーナビの案内で何とかたどり着きました。

宿で寛いだ時の様子を翌朝娘に写真と感想をLINEで送ったところ、この写真と文を1枚の写真に編集して、またLINEで送り返してきました。

その写真を③~⓹に投稿していますが、文字が小さかったので3つに分けて少し大きくしています。

なお①②は通常撮った写真です。

 

      < ① 玄関>

 

      <② 滝も愛でた>

 

           <③~⓹ 部屋からの眺めと私が送った感想文>

 

 


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花粉症か?

2023-02-11 07:25:18 | Weblog

<2023.02.11> 

花粉症か? コロナか?・・・・、この十日間ほど鼻がグスグスです。

 

だいぶ長く続いているので、どうやら花粉症の様だと勝手に解釈していますが・・・・。

 

『花粉症』・・・・ずーと私はこの言葉は自分には関係ないなあと自信を持っていました。

 

ところが、2~3年前くらいからか、鼻の『グスグス』を時々感じることが出てきました。

 

振り返って、私は子供の時は田舎のしかも山間の麓で育ってきました。

 

杉の木なんかはそれこそ山ほど植わっている、いわゆる杉林なども近くにありましたし、遊びの一つとして『杉鉄砲』を作っては、飛ばしていました。

 

記憶は薄れてきていますが、細い竹の筒に杉の粒(花粉?)を詰め込んでは、水鉄砲の様に圧力をかけては、杉の玉(粒)を遠くまで飛ばして遊んでいたようでしたね。

 

こんなことも記憶の隅にあり、「私は大丈夫・・・・」と長い間信じ切って来ていましたが、どうもそうはいかなくなった様で、高齢となり抵抗力が弱って来ているせいでしょうか、むずがゆい『グス・グス』と付き合わなければならないようです。

 

この2・3日その『むずかゆさ』が少しひどくて、『かゆさ』を通り越して、鼻の入り口に少し痛みを感じるようになり・・・・、気持ちが悪いです。

 

まだ2月で、これからますます花粉は飛び交うでしょうに・・・・困ったものです。

 

<「白さぎ」の群れ・・・・遠くから見ると緑の中に白い??だった・・10倍ズームで>

 

<翌日もまだ居座っていた・・・・今度は近づいて「ガシャッ」>


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「まず一歩を踏み出そうよ!」

2023-02-04 07:07:30 | Weblog

<2023.02.04>

歳を重ねると、長く生きてきたせいか今現在よりも行動や考え方を変える事が『おっくう』になりますね。

 

これはある意味自然な姿だと思います。

 

ただ私はこの『おっくう』になる自然の姿は、寿命が今よりだいぶ短かった頃のお年寄りの自然な姿だったと最近思うようになりました。

 

今や平均寿命も延びて『100歳人生が』叫ばれている昨今ですので、この『おっくう』を受け入れていては、自他ともに晴れての100歳は迎えられないのではないかと思うわけです。

 

私が思う『おっくう』を受け入れる大きな問題は、認知症の近道の一つになるのではないかと、勝手に思っているからです。

 

寿命が短い時代の老後は、『悠々自適』でのんびりしていれば、そこそこでお迎えが来ていたわけですが、寿命が長くなったので、のんびりしている時間が非常に長くなり、どうしても、脳への刺激が少ない時間が長く、比例して『認知症』になりやすくなるのでは・・・・と、自分流の解釈ですけど・・・・。

 

昨今は、『70歳からの・・・・』や『80歳の・・・・』などの本の中でも、やはり『運動を・・・・』や『人との交わりを・・・・』・『好奇心を持とう・・・・』色々の、ヒントになる言葉が認められていますが・・・・、『のんびりとおっくう・・・・』な過ごし方を推奨している内容はないようですね。

 

例えば『かくしゃくとした90歳』を迎えようと思うならば、それなりに何らかの形で、『のんびりとおっくう』という、昔のお年寄りの考え方から抜け出す必要があると思いますね。

現在は、地域の公民館講座などでは、俳句や川柳、書道、パソコン(私が携わっている)その他たくさんの『おっくう』から飛び出せる誘い水が一杯あるようですし、足を運べない方などへは、通信の趣味講座などもあり、『よし好奇心を以って日々・・・・』・『部屋で体操をやろう』などの、自分でテーマを開発しても良いですよねー。

 

想いを巡らせれば『ヒント』はたくさんあるようですよ。

 

ただ、いろいろチャレンジしようと思っても心の中に『敵』がいます。

 

それは「今のままでいいんじゃない、今さら・・・・、おっくうやもんね」、大袈裟に言えばやさしく話しかける、認知症予備軍のお招き神様です。

 

この神様とはなるべく付き合わないようにしましょうよ。

 

そのためには、『迷ったら、まず一歩踏み出してみる(少しでも・・・・)』は如何でしょう。

 

「走りながら考える」や「だめなら引き返せばいいさ」という、ありがたい言葉が世の中にはあるようです。

 

私を含めて何とか『認知症』を遅らせたいと願いを持つ高齢の人に一緒になって『頑張ろうよ!』のエールを送りたくて綴りました。

 

 

  

  <魚を足で掴んで飛ぶ鳥・・・・水中に飛び降り捕獲後・・・・動画の中のワンショット>

 

<冬の夕焼・・・・雲が素晴らしかった>

 


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