日々随想

日常の生活環境で活動したことや、感じたことを日記風に書いてみましょう

朝起きるのが辛い

2020-11-28 07:03:20 | Weblog

<2020.11.28>

子どもの頃から朝に弱い・・・・今も続いています。

 

現役の時は、朝は8時過ぎから仕事が始まりますし、JR通勤だったので6時頃には何とか起床していました。

(この時もやはり起きづらかったですね)

 

定年後は、通勤の必要がなく朝の時間も自由となり、縛りがなくなりましたが、あまり遅く(例9時前など)起きると、1日中何か自分自身覇気がない感じがして、充実しないのです。

 

「じゃー、早く起きれば・・・・」と言うことになるわけですが、時計を時々見ながら、「あと10分・あと5分・・・・」と、なかなか起き上がれません。

 

冒頭にも書きましたが、子供の時から朝起きの『ふんぎり』が苦手で、母親から良く『ふとん』をはぐられました。

 

そう・こうして来た中ですが、以前は夏場の太陽が早く上がる頃に、早朝散歩を2~3か月続けたこともありましたし、今でも月2回の老人会の早朝(夏場は6時半~冬場は7時から)駅前清掃や早い時間帯のパソコン講座の時には、何とか間に合うように起きているところではあります。

 

ぐずぐずしながらも早く起きるときと、遅~く起きるときの違いは、自分なりに分かっているつもりです。

 

このジレンマから抜け出る自分ながらの『ヒント』としては、眠い目をこすりながら、洗面室で顔を洗ううちに、『シャキッー』として来て、「何で早く起きんかったんやろう」と、思うことが度々あることなんです。

 

朝の起床時間を6時半ならば『6時半』決めて、何とか『跳び起きる』、あとは洗面へ一走り・・・・。

 

シナリオは出来ているようです。

 

そうだ、新年からでも・・・・、いや明日からでも実行してみるか・・・・。

 

また結果はいつの日かこの『blog』で紹介しましょう。

 

<インコ「ピーチャン」・・・・娘宅から2・3日預かった>

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

何とかしてー <TVコマーシャルのタイミング>

2020-11-21 07:17:41 | Weblog

<2020.11.21>

コマーシャルはテレビや新聞・チラシなど日常の一部となって私たちの生活に馴染んでいます。

ところが『ちょっと』不満に思うことがあります・・・・何とかしてー・・・・です。

テレビを食い入って観ている時に、突然入るコマーシャル画面「何でじゃまするんねー」と叫びたくなります。

これが盛り上がっている時に限ってですから・・・、もう!。

時には、「トイレにでも行くか!」となります。

このことは商業放送が始まった云十年前から同じパターンの様であり、視聴者(お客様)がどんな気持ちで、コマーシャルを観ているのかをあまり考えてない、スポンサーの「とにかく見せよう」という一方的なやり方が『ずーと』続いているからのようであります。

商業放送が始まった初めの方は、これでも視聴者は受け入れた(無料放送とはこんなもんだ)と思います。

ただ、もうそろそろ、視聴者も満足し(コマーシャルに吸い寄せられ買いたくなる・・・・トイレに立たない)、スポンサーも満足(売り上げのますます増につながる)するような、コマーシャルのタイミング良い入れ方になっても良いと思いますね。

心理学などを駆使して、双方が満足するコマーシャルのタイミングを研究して欲しいものですが・・・・。

<秋雲を背に・・・・すすき>

 

<今年の役目が終わった・・・・誘蛾灯>

 

<晩秋>

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

秋たけなわ

2020-11-14 07:01:10 | Weblog

<2020.11.14>

コロナ禍の中ですが、季節は正直ですね、例年と同じく秋たけなわの季節を迎えています。

 

私は、春よりも秋が好きです。

 

まずは、紅葉を中心に色とりぞりの自然の景色がなんとも言えませんね。

 

春も緑と新芽の木々と、寒かった冬から暖かくなる前兆の鮮やかさは、これもまた気分的には浮き浮きになります。

 

子どもの頃から自然豊かな山村で育ったので、今更秋が・春がと言うこともないのですが、この年になると秋の風情が特に気持ちに合うようであります。

 

春との比較で綴りますと、秋の紅葉は黄色・朱色・それに緑の葉緑樹も加わることで、色とりぞりの景色を見せてくれます。

 

どちらかと言うと、春の緑一色に比べて秋の色はバライティーに富んでいます。

 

もう一つは、私自身の性格的なところが絡んでいますが、春のこれから『ギラギラ』輝く夏に向かう感じより、どちらかと言うと『ウラ寂しい』寒い冬に向かう方を好みに感じるからであります。

 

子どもの頃は山村の紅葉もしっかりあったと思うのですが、あまり感動を覚えた記憶はありませんね。

 

そう言った意味で、秋の山々や近くの公園の紅葉を見るにつけ、何でもっと若い時から早くに、この鮮やかな色合いについて、感動を覚えなかったのか・・・・と、高齢になったせいでしょうか。

 

秋の色を味わいながら、その想いを綴って見ました。

 

<秋たけなわ(1)・・・・公園にて>

 

<秋たけなわ(2)・・・・近くの小学校のそばの川岸>

 

<秋たけなわ(3)・・・・我が家の近く>


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

止めてー・・・・ゴミのポイ捨て

2020-11-07 07:24:05 | Weblog

<2020.11.07>

老人クラブで2週間に1回近くの駅周辺のゴミ拾いや清掃活動をおこなっています。

 

きれいにゴミ拾いを済ませていた駅に通じる道路も、2週間経つとまた色々のゴミがその脇に捨てられています。

 

飲み捨ての空き缶やペットボトル(たまにはまだ残っているものもあり)、それに食べかけの残ったビニール袋などが主な捨てられたものですね。

 

よーく、考えて見るとこれらは全て、ポケットに入れたりビニール袋を手に持って自宅まで持ち帰られる物ばかりです。

 

「環境保護」「美しい日本」が叫ばれる中、何年経ってもこの『ポイ捨てゴミ』はなくなりませんね。

 

ただ不思議なことに、これらの『ゴミ』は、びっくりするほどたくさんは捨てられてないんですよ。

 

多分一部の人の「自分ひとり位捨てても・・・・ま・いいか・・・・」か「全く無意識の行動」のなせるワザではないかと思われますね。

 

ゴミを拾っている奇特な方々(私たちも含む)を見かけることは、結構あると思うのですが、2週間後は、前に綴った様に相変わらずの様ですね。

 

毎日私たちが『ご飯を食べる』ことを抵抗なくおこなっていますが、ゴミについても『持ち帰る』(気軽に捨てない)と言うことを、身体にしみこませると習慣化できると思います。

 

「いや今まで何度も言っているよ・・・・」という声が聞こえてきます。

 

やはりこれは、もの心が付く幼児の時の家庭からと学校における『環境をきれいにする教育』を、永年続けるしか、色んな知恵が付いてからでは中々治らないのではと思いますね。

 

幼児期から20歳の間の家庭・学校教育の中に、週1時間(学習と実践)でも取り入れると、自然と身体に沁み込んで、ゴミを公共の場には捨てない習慣が着くと思います。

 

これから約20年後には、教育の成果で自他ともに認める『ポイ捨てのない』『美しい日本』が実現していることを期待して・・・・。

 

<ポイ捨て(1)・・・・食べ残しの入ったビニール袋>

 

<ポイ捨て(2)・・・・紙コップ>

 

<美しい日本・・・・秋たけなわ>


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする