日々随想

日常の生活環境で活動したことや、感じたことを日記風に書いてみましょう

沖縄旅行で感じたこと

2009-05-26 21:07:00 | Weblog
<2009.05.26>  

不思議なもので見知らぬ所に旅行をして帰ってくると、今まで気に留まらなかったその場所の情報が、やたらと眼や耳に入ってくることに気付いた。

先々週旅行した沖縄について、それまで全く他の遠く離れた県・地域と同じようにそう興味を覚えたことはなく、天気予報で九州・沖縄地方と言ったたぐいであった。

ところが、沖縄旅行から帰ってからはTVやラジオのニュース他で結構この地方の情報が流れていることがわかった。
今日も散歩の途中のラジオのトーク番組で、「沖縄力」と言う本を書いた人がゲストに招かれて、色々沖縄の人の習慣や気質その他風土などについて語っていたが、今までになく興味を感じながら聞いたしだいである。

これはやはり旅行などで一度その場に行った(居た)という経験が、その後の情報を掴みやすくした、いわゆる知らず知らずのうちにアンテナが高くなったせいでもあると思う。

見知らぬ土地などに旅行をして、旅行そのものも印象に残ることはたくさんあるが、それに加えて時間が経ってもその土地についての興味心がどこかに芽生えているものだなあと思ったところである。


          <沖縄平和祈念館・・・・平和の灯>


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沖縄旅行

2009-05-20 20:47:22 | Weblog
<2009.05.20>

先週二泊三日で沖縄の旅をして来た。

会社の同期生OBの8名での旅であったが、沖縄が梅雨に入る直前で天気にも恵まれ、さりとて暑くもなく快適な3日間であった。

那覇空港を皮切りに⇒平和祈念堂の礎⇒海洋博公園⇒今帰仁城址⇒首里城公園などが、主な観光地であった。
道中はすべて貸切のジャンボタクシーで動いたので、疲れも最小限に抑えることができた。

また途中は運転手さんの観光説明もあり、いろんな歴史的事柄についても知り得ることができた。
自分が一番印象に残ったのは、今帰仁城址(なきじんじょう)と首里城の長い石積みの城壁であった。
建築時の石積みも一部残っており、往時をしのばせる光景であった。

その他こちらでは見かけない、お墓にはすべて亀の甲の形をした屋根があったり、屋根や門に獅子(シーサと言っていた)の形をした置物が設置されていたり・・・・・。
もうひとつ那覇市が大平野で大都会であったことは、自分の予めの認識が不足していたことを痛感した。

たくさん撮った写真や動画はさっそくDVDに編集して記録しておこうと思う。

定年後約10年続いた同期生OB旅行も今回で終わりにしようと言うことになった。
年齢からくる体力的なことや、関連して団体行動の難しさが、意見として出された。
結局来年からは、日帰り旅行(長崎・佐賀・福岡にいる同期生の場所で昼に一献・・・・)
ということになり、さっそく幹事役を引き受けることになった。


<今帰仁城(ナキジンジョウ)城壁・・・・珍しい石積みに感動>


     <サンゴ礁の海・・・・南国の青い海に元気を貰う>





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禁煙がんばれ

2009-05-13 21:09:46 | Weblog
<2009.05.13>

仕事などで一段落した時の一服のタバコほどおいしいものはない。
これは既に30年前にタバコをやめたにも関わらず今でも、思い出す情景である。

私は40歳まで約20年間喫煙を続けていた。
最初は大人になった気分を秘かに味わうために、1日に5・6本くらいから始めたと思うが、禁煙をする直前の時期には、増えに増えて1日に約40本になっていた。

中指と人指し指はタバコのやにで黄色くなり、また飲み会の翌朝は痰がからんだりして苦しかったが、灰皿を見ると胸ポケットのタバコに手が伸びると言うほどで、殆ど中毒症状であった。
その間何回か禁煙にチャレンジしたが、意志が弱く長続きはしなかったわけである。

禁煙のチャンスは、風邪であった。
この時は喉が非常に痛くタバコを1週間ほど全く受付なかった。
その時に「これは良い機会だ、1週間タバコを受け付けなかったならば、ずーと止められるのではないか・・・・」と思ったのである。

一念発起これを機会に止めた。
以来30年間1本も吸ってないのが自慢の種である。

最初はイライラがあり、飴をなめたりしながら気をまぎらわせていたが、最初のうちは人が喫煙していると、近くに寄ってスーと吸いたくなるような気になったし、また夢でタバコを吸って「しまった!」という場面で眼が覚めたりしたこともあった。

このようなことを経て禁煙に成功したわけであるが、要因はやはり弱くなりがちな意志と意地の戦いに、意地が勝ったからだと思う。

今丁度40歳になる息子が禁煙にチャレンジしている途中であるが、ぜひ何とか頑張って成功してほしいという思いで一杯である。


<また見つけた・・・・変な電線・・・・鳥よけ?>


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母の日に想う

2009-05-10 22:35:26 | Weblog
<2009.05.10>

今日は母の日である。
家内は子供たちから何か贈り物を貰っては、喜んでいるようである。

母の日にあたり、私は自分の母(今年は27回忌にあたる)のことを想い出して見よう。
昨年のこの日には、母への懺悔の気持ちを綴った記憶があるが、今年はしっかり者だった母の姿を想い出して見ようと思う。

母は明治の後半の生まれで、昭和の初めに私の故郷でもある大分の田舎の禅寺に縁あって嫁いで来た。
戦後は特に貧乏生活の中で寺の裏方役の仕事と食べて行くための田んぼ作りに、そして私たち5人兄弟の子育てにと一日中働いていたと記憶している。

こうした中で印象に残ることと言えば、食事の準備・あと片づけ・茶碗洗いが大変で戦争の様であったことである。
何しろ男の兄弟が上から4人で末娘も小さかったこともあったために、あまり手伝いもせず全てが母親まかせであったからである。
ただ時々あと片づけなどは、良く母と喧嘩(兄弟喧嘩も)をしながら不承不承にお茶碗洗いなどをしていたことを今でも思い出す。
少し書くと当時の茶碗洗いは、今とは違いかまどの残り灰を付けては洗っていた。
(結構良く汚れが落ちていた)

もうひとつ揚げると、「人の悪口は言うな!、自分が頭の上に向かって唾を吐くようなものだ、必ず自分に返ってくるぞ・・・・」ということを、事あるごとに言っていた。
これは母のそれまで生きてきた人生のなかで、経験してきたことを子どもに躾の一つとして言ってくれたのであろう。

そんな母も民謡のラジオ放送を聞くのが大変好きなようであった。
時々横になっては、この民謡を聞きながら「ああ極楽・極楽」と言っていたのを今でも鮮明に思い出す。

天国の母ちゃんへ・・・・喧嘩をしながらお茶碗を洗ったこと、今でも時々自分の家庭
          で洗っておりこの経験大いに役に立っています。
          また「悪口の戒め」自分の人生への格言として、今でも日常
          忘れていません。


    <木陰が心地よい季節となった>


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この頃本を読まなくなった

2009-05-07 21:55:56 | Weblog
<2009.05.07>

最近本をあまり読まなくなった。

以前というか10年前位までは、極端にいえばむさぼるように読んでいた記憶があるが、
読まなくなったのには時間がないのかなあ・・・・、とも思っているところである。

時間であるが、朝は8時前には起きて夜は11時半ごろに寝るので結構ある。
確かにパソコン講座の講師をしたり、そのテキストを作ったりでかなり時間を費やしてはいるが、10年前と比べて大きく違うことは、2人の子供の家との往来で孫達の子守に費やすことが多くなったことなどで、併せて毎日何やかやと心忙しいところでもある。

しかし時間的なことのみでなく、もう一つ思うことは本を読もうという意欲がかなり減って来たようでもある。
確かに購読している新聞一紙は、約一時間位かけて読んでいるが、これに比べていわゆる本はどうしても「今から本でも読もうか」とかまえてしまう。
このかまえが、若い時には意識もしないのに、年齢と共におっくうになって来たからではないだろうかとも思えてしまう。

「やばい やばい!」かまえから逃避して安易な方向に入っていく現象は、認知症の方向に気付かない内に入って行く過程の様である。
少し難しい頭が疲れると思えることにも、積極的に取り組まなければ・・・・・。
(陰の声:「いいさ本は読まなくても、blogの文章書きで結構頭が疲れているので・・・・」)


       <造形美・・・・歩道と横断歩道>

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カメラ片手に

2009-05-03 23:01:17 | Weblog
<2009.05.03>

最近の散歩にはカメラを下げて行くことが多くなった。

先日の「blogを振り返って」というテーマでも書いたが、自分なりに投稿blogを振り返って見る時には、自然に文章より写真とコメントについ眼がいってしまう。

やはり映像の情報量は文章で表現するものとは、格段の差がありそうである。
もうひとつは文章は読んで理解するのに時間がかかり、面倒くさいわけであるが、映像は眼で見た瞬間に理解することができ、てっとり早いからである。

勿論文章には、書かれている内容によっては、それなりに味わい深さがあることは当然であるが、・・・・。

このようなことから散歩にはカメラを持って行っている訳であるが、このカメラを持っと、周囲を見る眼というか意識が変わって来たようである。
今までは何となく歩いていて気付かなかった風景も、オヤ!と思うことが多くなり、そこでパチリとなる。

カメラで記録する「何か面白い風景はないか」「何か変わった物はないか」をちょっと意識して歩いている、といったところである。

「さあ散歩へ」と玄関を出てまずチェックするのは、万歩計とイヤホーンラジオそれにカメラである。


         <鶯の声高らかに水ぬるむ>

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