日々随想

日常の生活環境で活動したことや、感じたことを日記風に書いてみましょう

秋が近い(完)

2008-08-25 23:12:31 | Weblog
<2008.08.25>

秋についてもう少しつづけよう。

何といっても、私が秋が近いことを一番感じるのはその冷やかさ(涼しさ)を肌で感じた瞬間である。

もう何十年も前になるが、当時通勤には市営の交通船を利用していた時があった。
住んでいた寮から電車に乗って港まで行き、対岸の工場のある桟橋までわずか7分位の乗船であった。
(今はもう大きな橋も出来ており船での往来は廃止となっている)

夏の終わりが近づく頃、この船での通勤のおり、汗をかきながら桟橋に足を踏み入れた時に、顔や腕の肌に何かすーと冷ややかな潮風があたり、それが何とも言えない心地よさであり「そろそろ秋か・・・」を感じる瞬間となるわけである。

この感じは年齢を積んだ今でも変わらず、所は違うけど、玄関を開けて戸外に出た瞬間に感じる「爽やかさ」が、私にとっての秋との出会いである。

このように秋には秋の肌ざわり、春には春の肌ざわりというように季節の感じは、音色や匂いなども含めて人間の五感に色々の形でやってくる。

季節の移り変わりを五感で感じられる日本に住んでいること、またその感触を感じられる体調であることの幸せをつくづく思うこの頃である。



   <秋が近いぞ・・・・稲も穂をつけ始めた>


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秋が近い(2)

2008-08-22 08:23:16 | Weblog
<08.08.21>

8月も下旬になり夕方近くになると、昼間のあの騒々しかった蝉の鳴き声も、「つくつくぼうし蝉」の鳴き声に取って代わりだす。

私はこの「つくつくぼうし蝉」の鳴き声を聞くと、夏の終わりをだんだん実感してくる。
この実感は子供の頃の夏休みが終わりになった、という感じと結びついてくる。

学校があまり好きでなかった私は、自由で束縛のない夏休みが本当に好きであった。
ところが8月もお盆を過ぎると、あ~もう夏休みもあと**日か、宿題の作品作りもあったなあ、というあせりとまた学校かという、何となく気持ちの重い期間に入っていくわけである。

ちょうどこの頃から「つくつくぼうし蝉」の声が一段と大きくなってくるわけであるが、何しろ私の気分はその頃が一番すぐれてない頃で、この蝉の声を何となく物悲しく感じたというわけである。

子どもの頃の印象は、簡単に忘れ去っているもの、いつまでも心の中に残っているもの、様々であるが、この「つくつくぼうし蝉」の声は、これを聞く季節がくるたびに湧き出てくる想い出の一つである。

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秋が近い(1)

2008-08-17 20:24:24 | Weblog
< 2008.08.17 >

日中はうだる残暑が続いているが、夕方になると風がさわやかに感じるようになった。
もちろん暦では、立秋を過ぎているので当然かも知れないが・・・・。

このようなことから、時々の散歩は夕刻におこなっている。
この夕方は何本かの庭木に水をやりつつ爽やかさを感じて、「一歩きするか!」という具合である。

散歩のコースは概ね決まっているが、たんぼや川渕それに木々の茂った道が多い。
たんぼの傍では、たんぼの中の水の張り具合や稲の生長に注目しながら歩いている。
これは私が高校時代まで田舎で育ち、たんぼと親しんできたためかも知れない。(当時はそんな風情を覚えることはなく、ただひたすら田植えや稲の刈り入れなど家の仕事の手伝いとしてではあった)

おにぎりが好きな孫たちと一緒に散歩のときには「この稲が大きくなってお米を実らせ、おにぎりになるんだよ」と、田んぼの青々した稲と、口にほおばる、おにぎりとの関係について説明しているが、理解のほどはまだ?というところである。

また今の季節、散歩道の傍らから、こおろぎや鈴虫の鳴き声がチラチラ聞こえて来るのを聞くと昼間の蝉の騒々しい鳴き声と比べて、何か穏やかなすがすがしい「秋がくるのだなあ」という感じも横切ってくる。



   <”これが おにぎり のもとよ”>

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終戦記念日に想う

2008-08-14 14:50:06 | Weblog
<2008.08.14>

もう第2次世界大戦が終了して63年目になる。

8月は原爆記念日とこの終戦記念日で、戦争の体験を思い出すとともに、平和のありがたさを想う月にもなっている。

私は終戦の年に小学校(当時は国民学校と言っていた)に入学した。
当時は小学校1・2年生は近くの森の神社で、3・4年生も同じく別の森の中の神社で授業を受けていた。
5・6年生はと言うと、学校に残り校庭に防空壕を掘ったり、空き地に芋畑を作り「さつまいも」を作っていた。

終戦の日の記憶はかなり薄れているが、森の神社での授業の時に先生からそのような話があったようである。(玉音放送が聴ける環境にはなかったと記憶している)
まだ小さい子供であったので、戦争に負けたことの深い意味は分からなかったようであるが、この日の帰り道で偶然会った農業学校生(今でいえば高校生)の自転車の後ろに乗せてもらった時に「日本は戦争に負けたんじゃな(方言)」と言った自分の言葉は今でも覚えている。

戦争当時の記憶は色々あるが、家の近くの山に掘った防空壕で朝食の味噌汁をすすったことや、近くの飛行場を狙った米軍の攻撃(空中戦もあったか?)のさなか、長兄は山の木に登って、これを見るんだと言って走って出掛けたのもかすかに覚えている。

人間の欲のかたまりが戦争という悲惨な結果を招いてしまい、これに伴って多くの犠牲者が無念の死を余儀なくされたわけであるが、これらの方々の賜物で63年間平和で自由な、穏やかな生活を送ることができた。

このことに深く感謝し、2度と戦争が起きない社会の実現を切に願って日々を暮らしている。


     <さるすべりの幹に蝉の抜けがら>

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無呼吸症候群を患い中

2008-08-11 07:54:43 | Weblog
<2008.08.11>

私は1年前頃発覚したのであるが、無呼吸症候群と診断された。

自覚症状は殆どない(少なくとも眠っているので当然)けど、診断器械を付けて寝るとそのような兆候があるとのことである。
あえて自覚症状と言えば、日中の午後良くあくびが出ることがあったが、もともと前立腺肥大という持病をもっていたので、夜中に数回トイレに起きることがありこのせいかなと思っていたのである。

診断測定の結果、酸素供給用のマスク(CPAPという)を付けて寝ることを医者から勧められて、この1年このマスクを着用して寝ている。
効果の方であるが、少し夜中に起きる回数が減ったかな…、というところである。

もともと私は、本を読みながらあるいはラジオを聞きながら、徐々に睡眠に入っていくタイプであるため、このマスクを着用しての睡眠はかなりきつい。
マスクを付けて電源を入れるともう空気が出てくる、「さあ眠らなければ」ということになり、何か覚悟を決めて眠ることが苦手な私にとってはきびしいというわけである。

そう言いながらも1年以上を過ぎると少しは慣れてきた。
時には意識的にマスクとさよならしたりして、ゆっくりした眠りの快感も味わいつつ・・・。
このマスクとは末永く付き合うことになろう。

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経験は財産 語り継ごう

2008-08-08 21:13:07 | Weblog
<2008.8.8>

年齢が70近くなると多くの経験を積んできたことになる。

楽しい経験、悲しい経験、成功経験、失敗経験・・・・と、もう忘れてしまったことも結構あるが、ただ今現在の判断や行いの基本になっているのは、過去のこれらの経験がベースとなっていることは間違いないことである。

こう言った意味で「経験」は大きな人生の財産である。

最近思うに、いろいろ若者の社会的事件が多いが、余りにも短絡的な考えに基づく事件が多すぎる。
これも大人の貴重な「経験」という財産の引き継ぎが十分おこなわれてないからではないかと思うわけである。

「三つ子の魂百まで」ということわざがあるが、子供が成長する過程で一番引き継ぎの身近にいる者は父母でありまた祖父母である。(もちろん近隣の大人や学校の先生もあるが)

家庭の中で父母や祖父母たちが、積極的に、又たくさん自分達の経験を語ることによりその中から、自然々々に何が「善」で何が「悪」かを十分身に付けて成長していくものと信じている。

現在は父母や祖父母たちが成長する時代と比較し、情報量が格段と違ってきており、これらの中から善悪の判断がつきかねたまま成長している多くの若者に、我々のこの経験の財産を早く引き継いでいくことが必要である。

私には5人の孫がいるが、まず彼らへの引き継ぎから始めることにしよう。

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blog投稿5か月目

2008-08-05 22:28:26 | Weblog
<2008.08.05>

blogに投稿を始めて5ヶ月目を迎えた。

最初は気軽な気持ちで投稿を開始したが、時が経つにつれて投稿のための話題が少なくなってきたようである。

以前にもホームペ-ジを立ち上げたが、書く内容がなくなり結局もう3年くらいメンテゼロが続いている。
こんどのblogもそうならなければ良いけどと、思いつつスタートを切ったわけであるが・・・・。

やはり続けるということは難しいものである。

ただ日々(時々)何か変わったことを見つけることができれば、blogは80%は出来上がったようなもので、後はこのことを文章化すれば良いわけだとも思っている。

このように視てくると、blogを投稿するということは、話題を見つける観察力それにこれを文章に仕上げる表現力と、それなりに頭を回転しておかないとできないものである。

認知症を少しでも先送りできるように、この「頭の回転力」を少しでも活発にしてblogのメンテをしっかり続けることにしよう。


     <蜘蛛・・・・猛暑の中がんばっている>

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ひと味違う情報

2008-08-02 21:23:57 | Weblog
<2008.8.2>

最近は眼から耳から入ってくる情報は非常に多くなっている。

こんなに情報が多いとその取捨選択に頭が痛いところであるが、「これは珍しい」とか「これはなるほどそうだな」と思うような、役に立つ情報は量の割には少ないようである。
いわゆる二番・三番煎じだったり、極く常識的な普通の情報話だったりと、私にとっては価値的に今一の情報が多いように思う。

では逆に価値の高い情報とは何んなんだろうか?、自分流に考えてみると、情報を発信する人の「物の見方・状況の切り口」に左右されるところが大きいように思う。

世の中で起こる様々な現象について、正面から見て切るのか、或いは逆さまから切るのか、斜めから切るのか、これらの「見方や切る」方向により結論の行方がかなり違ってくる。

この切り口の数を多く持ついわゆる引き出しの数の多さが、多面的に物事を見ることができ、その分発信情報の中味も幅広く、奥行きも深くなるいわゆる価値の高い情報となってくることだと思う。

そのためには日頃から、多くある情報を取捨選択したり、かみ砕いて自分のものにする習慣をつけておくことが、情報の発信を心がける者にとって非常に大切なことである。

要は情報を受ける相手がどう思うかで価値は決まってくる訳であるが、相手が発信者の持っている「切り口」と同じで共感を覚えるか、あるいは違っていても「これは何か一味違うな、いただき!」と感心するならば、情報の価値としては立派なことであると思う。

今この私もblogを通じて情報を発信している訳であるが、何とかひと味工夫した情報が発信できればと、書いた原稿を読み返しては校正を繰り返しているところであるが・・・・。


      <さるすべりの花・・・・満開>

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