<2009.09.27>
最近50年ばかり保管していた衣装入れ(柳行李)を、今回のリフォームを機に捨てた。
実はこの行李は、18歳の時に大分の田舎から出てくる折に、布団袋とともにこちらに送った唯一の衣装入れであった。
独身時代に寮を2回ほど変わったが、この時も私にお供をしてくれたもので、行李の蓋には、マジック?で大きく「○○号室」と書いていた部屋番号がそのまま書き残されていたのが、何とも懐かしく感じられた。
その当時は田舎から都会に就職のために出ていくときには、ほぼ同じパターンであったと思うが、私はぶどう色の布団袋に布団と寝巻類を入れ、行李には下着やシャツそれに1本のはき替え用のズボン・・・・、で大方行李一杯、こんな感じで長崎の会社の寮に送ったようであった。
現在の船出と比べると身軽で質素そのもの、ホント「こうり」一つの旅立ちであったが、おふくろが、長崎に一人で行くわが子のことを色々案じながら衣類一枚一枚を行李に詰めてくれたんだろうなと想うと、その行李をなかなか捨てきれず、結局50年余我が家の押し入れに入れておいたものである。
年齢を重ねてくると、身の回りには身体の垢と同様いろんなものが溜まったままになっている。
衣装、写真、本、資料・・・、と整理に取り掛ったとしても取捨選択にはだいぶ時間が掛かりそうでもある。
思い切って捨てて見よう・・・・、と思う。
<今年も畦に咲く彼岸花>
最近50年ばかり保管していた衣装入れ(柳行李)を、今回のリフォームを機に捨てた。
実はこの行李は、18歳の時に大分の田舎から出てくる折に、布団袋とともにこちらに送った唯一の衣装入れであった。
独身時代に寮を2回ほど変わったが、この時も私にお供をしてくれたもので、行李の蓋には、マジック?で大きく「○○号室」と書いていた部屋番号がそのまま書き残されていたのが、何とも懐かしく感じられた。
その当時は田舎から都会に就職のために出ていくときには、ほぼ同じパターンであったと思うが、私はぶどう色の布団袋に布団と寝巻類を入れ、行李には下着やシャツそれに1本のはき替え用のズボン・・・・、で大方行李一杯、こんな感じで長崎の会社の寮に送ったようであった。
現在の船出と比べると身軽で質素そのもの、ホント「こうり」一つの旅立ちであったが、おふくろが、長崎に一人で行くわが子のことを色々案じながら衣類一枚一枚を行李に詰めてくれたんだろうなと想うと、その行李をなかなか捨てきれず、結局50年余我が家の押し入れに入れておいたものである。
年齢を重ねてくると、身の回りには身体の垢と同様いろんなものが溜まったままになっている。
衣装、写真、本、資料・・・、と整理に取り掛ったとしても取捨選択にはだいぶ時間が掛かりそうでもある。
思い切って捨てて見よう・・・・、と思う。
<今年も畦に咲く彼岸花>