
生前はギラギラとエネルギーの塊のような面妖な人でも、死んでしまうと、そのエネルギーがほどよく萎んで、懐かしさの対象たり得る。小生は、小学校のころから岡本太郎に憧れた。よくテレビに出て、普通の大人じゃない、子供ながらに言っていることは分かるがついてはいけない感じの、芸術家の面白いオジサンだった。中学生くらいだったか、国語の教科書で、縄文人の芸術性を語った文章も読んだ。文章は比較的平易だった。それからは縄文土器を畏敬の念を持って眺めるようになった。玄関で靴を脱ぎ、入場料(一般)600円を払って、置いてあった縄文的エネルギーを眺め入った。