Discover the 「風雅のブリキ缶」 written by tonkyu

科学と文芸を融合した仮説作品「風雅のブリキ缶」姉妹篇。街で撮った写真と俳句の取り合わせ。やさしい作品サンプルも追加。

小松菜と頭の花、頓休と芭蕉

2006年04月01日 17時52分45秒 | 「ハイク缶」 with Photo
 老母を助手席に乗せて車で買い物へ行き、ついでに旧座間日産とさがみ野の桜を見てきた。なかなか立派な桜並木なり。ただ道の片側しかないのが残念だ。車のサンルーフを開けて頭上の桜を眺めていると、花びらが舞い込んで母の頭にくっついた。母いわく、「縁起がいいから取らない」。一句つくる。
 その車で出かける前に、庭で花を咲かせているのを撮ったのが、写真の小松菜。菜の花に似ている。数日前、吸い物に入って出てきたので、食べたら、そうまずくもなかった。芭蕉の句に、菜の花で愉快なのがある。

 頭(かしら)つく花を払わぬ老母かな  頓休

 菜畠(なばたけ)に花見貌(がお)なる雀哉  芭蕉 

COMMENT:HPを調べると、江戸川区小松川の地名から付けられた名前だそうな。
今では年中食べることができるこの小松菜も、もともとは冬のもので、お正月のお雑煮には欠かせない野菜だった。それで昔は「冬菜」と呼ばれていた。

 それが、どうして「小松菜」と呼ばれるようになったのか?こんな言い伝えがある。享保4年(1719年)、将軍徳川吉宗が、鷹狩の際、今の東京都江戸川区小松川にある香取神社(旧西小松川村)に立ち寄り、そのときの神主、亀井和泉が、これといって差しあげらるものも無かったので、餅の澄まし汁に青菜を少々いろどりにあしらって差し出すと、吉宗はたいそう喜んで、「この汁の菜をなんと申すか」と訊ねた。返事に困っている神主に、吉宗は「それではここは小松川だから小松菜と呼べ」と命名したという。この話、8代将軍の吉宗でなく、脆弱ゆえに鷹狩りをしたかどうかも分からぬ5代将軍の綱吉との説もあり。その綱吉の時代に生きた芭蕉は、小松菜を愛でたろうか。味わっただろうか。

 ところで、芭蕉は、貞亨4年(1687年)8月に、深川の庵から小名木川を舟で下り、船堀川を通って、下総の行徳に出、市川の八幡を通り鎌ヶ谷、我孫子(あびこ)の布佐を経て、「鹿島詣」をしている。その時の句碑が香取神社にあるそうだ。

 秋に添(そふ)て行(ゆか)ばや末は小松川

 小松菜の原産地は、南ヨーロッパ地中海沿岸。それが中国などを経て、ニッポンに来たのは鎌倉時代のことだとか。学名はBrassica campestris、別名はフユナ(冬菜)のほかに、ユキナ(雪菜)、ウグイスナ(鶯菜)と風雅な名もある。

 小松菜は栄養価に優れ、ビタミン、カルシウム、カリウム、鉄など、ほうれん草に含まれる栄養分に似ているが、ビタミンB2の量は野菜の中でもトップクラスで、カルシウムの量は、ほうれん草の5倍。カロチンの量も同じぐらいなので、総合評価ではほうれん草より栄養価が高い。
 効能としては、風邪予防、ガン予防、骨粗しょう症予防、動脈硬化予防、貧血予防、美肌保持、歯の健康に良いとか。
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