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科学と文芸を融合した仮説作品「風雅のブリキ缶」姉妹篇。街で撮った写真と俳句の取り合わせ。やさしい作品サンプルも追加。

哲学草稿1:われわれは虚数時間に生きている?

2005年11月12日 14時40分06秒 | 哲学草稿
 今日は、関東で木枯らし1号が吹いたそうな。木枯らしに1号とか2号があるとは知らなかった。春一番より無粋(ぶすい)なり。
 ところで、今週の前半は、取材先から取材先へ、喫茶店などで時間つぶしに、いささか哲学をした。時間とは何かと抽象的な事柄を考えていると、思いのほか、時がたつのも忘れるようだ。
 宇宙が、その臍(へそ)である特異点で誕生し、ビッグバンで急膨張してから、137億年ぐらいたつ。この137億年というのは、気が遠くなるような悠久の時間であっても、実数時間である。われわれは、この実数時間を本当の時間と思い込んで生きている。もちろん、時計で確認する時刻もその実数時間の相対的な一齣(こま)だ。ところが、宇宙が誕生する前を、この実数時間で説明することはできない。誕生した瞬間がゼロ時で、その前は-1時とは勘定できない。それでは、この膨大な宇宙の巨大質量を1点の中に閉じ込めていた秘密が解明できなくなる。アインシュタインの相対性理論と量子理論が両立せず、破綻するそうだ。
 宇宙には生れる前、虚数時間が流れていたと、少なくとも数学的な説明ではそうなると言い出したのは、スティーブン・W・ホーキング博士だ。そして、宇宙の赤子は、陣痛もなく、スーッと産道を滑り出した無痛分娩で生れたと。
 この宇宙が生れる前に流れていた虚数時間は、誕生と同時に、瞬間のごとき短いインフレーション膨張期に、真空エネルギーが熱エネルギー(ビッグバン宇宙)に転換し、実数時間に変換したのであろうか。あるいは、そうではなくて、われわれが本当に生きているのは、虚数時間の中で、実数時間はそのうわべだけのご都合の尺度でしかないかもしれない。実際、量子論では、虚数を使わなければ量子の存在確率を算定できないという。人間も、突き詰めれば、量子と真空でできている。いわば、生れる前の、胎内の宇宙を余韻として残している。
 人間が、〔3次元の空間+1次元の時間〕の4次元世界に生きているというのも、錯覚で、本当はもっと多次元らしい。われわれは、それを4次元に合理化、省略し、虚数世界に蓋をして、「空間化された時間」に不安を感じながらも、けなげに4次元世界という窮屈で無理のある文明的枠組みに適応しようとして生きているのだ。
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